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IVEデビュー曲「Eleven」に見る驚愕のギミック [楽理]

 本記事は、2021年12月1日にデビューとなったK-POPガールズユニット IVE の「Eleven」に用いられるギミックを楽理的に詳密に語るものであります。

ELEVEN_IVE.jpg


※初稿時から重大な計算ミスがあった事に長らく気付かずに居りました。2022年8月13日訂正済み



 私は早速譜例動画としてYouTubeの方にアップを済ませた次第。とはいえ、普段から私のブログに目を通していただいている方からすると、よもや私にとっても読み手にとっても縁遠いジャンルであろうK-POPを私が何故いきなりポップフィールドしかも韓国のガールズアイドルユニットを取り上げるのか!? と疑問を抱かれるかもしれません。兎にも角にもギミック部分は楽理的にも相当に凄いので騙されたと思って耳にしていただきたいと思います。

 振り返れば、韓国に於ける日本の音楽が自由化されたのは私の知る限りでは90年代の後半位だと記憶しております。日本ではJ-POPが盛んで猫も杓子もJ-POPのCDが売れまくった時代です。

 そんな時期に日韓の音楽シーンでは外交的な意味合いで日本の広告代理店の計らいでザ・スクェア(現T-Square)の実質的なリーダーであった(※先日脱退を表明)安藤まさひろ(安藤正容)は韓国でも例外的に韓国で紹介されていた様で、日本の音楽解禁後は日本のフュージョン系バンドも好意的に取り上げられておりカシオペアなども公演していたのではなかろうかと思います。

 日本のクロスオーバー・ブームが70年代半ばから80年初頭だった事を勘案すれば、韓国も30年程の違いはあれど、似た様な道を辿ったのではなかろうかと思います。

 そうして21世紀に入り、制作サイドが高次なハーモニーを楽曲に頻繁に用いる様になり、韓国で「シティポップ」化が目立って来たのは茲10年位ではないでしょうか。それに加えて韓国では一般的なリスナーの間で瀰漫する楽曲に於てもリズムの捉え方が非常に鋭敏である物が多く、私がlovelyzというグループでの「Rapunzel」という楽曲で7連符スウィングを用いたグルーヴを発見したのが5年位前だったのですが、これを機に私はK-POPを俄かに注目する様になったという訳です。

 私の長女の誕生日が12月1日。そんな日にツイッターのタイムラインに飛び込んで来たのが「IVE」でありました。最初は彼女達の年齢など全く気にも留めずにただ単に「Eleven」のリンクをクリックして聴いたのですが、サビ前の

《nan mollasseo nae mami iri dachaerounji》

に完全に心を奪われたという訳でありました。

 当該箇所のパッと聞きには楽曲がリタルダンド(テンポが落ちる)する様に聴こえますし、更にじっくりと聞くとそれは単にテンポが落ちているのではなく、新テンポとなる何某かの拍節構造に帰着するメトリック・モジュレーションなのではないか!? という推測されるものだったのですが、私はどことなく5連符が混ざる様な印象を受け、これが分析の引き金となったという訳です。

 5連符の印象というのは「7つのパルス上」での事であるので数学的な計算の上では合っておりましたが、それを遥かに凌駕するリズム構造を用いてギミックを施していたというのが真相です。そのあまりに難解な技法が使われるトラックをバックに何食わぬ顔をして歌い上げているという所が更に凄いのであります。

※5連符が交錯する様に聴こえるのは、原テンポでの16分音符×7個のパルス=1680ティックを35で割ると「48」を導きますが、これの倍数「192」というのは原テンポの拍節に置ける1拍5連符の1パルスの歴時となります。他方、遅く聴こえる拍節の方は1680ティックを「1536ティック」と聴こうとする物であり、1536を8で割ると「192」を得られるという状況であります。原テンポの16分音符と5連符の拍節構造が交錯する様な構造となっているという事になります。

 しかも、このギミックの時の「視覚的」な演出の方に目を向けると、彼女達の「科(しな)」が凝縮されている様な振り付けで乙張りが与えられ、そこから解放される様に原テンポに戻ってパワーが炸裂するかの様な工夫が施されております。

 ご存知の様に「科」とは《しぐさ》とも呼ばれる物で、女性が持つ《しゃなりしゃなり》という動きや、しなやかな動きを指している物であります。女性の場合、体格が男児とは異なって来る頃には習いもせずとも体に「科」が身に付いて行く様になり、美容を意識する頃には指先や脚の挙動ひとつ取っても男性の動きとは異なるしなやかさを身に付ける物です。

 無論若い女性の中には、高いヒールを履いても歩き慣れずに足の衝撃がそのまま首や頭に伝わって科を体得出来ていない人を偶に見かける事はありますが、齢を重ねると習いもしない「科」をいつの間にか纒って、出産を経て子供を抱く様な頃になると体の動きや喋り方まで「アーティキュレーション」が随伴する「科」だらけになっているというのが女性の進化の姿ではなかろうかと私は思います。孫が祖母に懐くのも、母よりも燠かい科を持っているからでありましょう。

 こうした科を音楽的に見た時、音楽の終止では男性終止(masculine ending)や女性終止(feminine ending)という対義的な音楽語法があり、旋律の方に目を向けても男性律動・女性律動という区別があります。

 概して女性的なリズムというのは、線的には豊かなアーティキュレーションが随伴して「弱勢」に帰着して強勢を叛きます。これが音楽的な「科」の一因となります。

 例えばショパンの「子犬のワルツ」を聴いた時、旋律のそれは実に子犬がチョロチョロと動き回っているかの様なフレージングが施されており雌雄関係など無関係に音楽がイヌを表現しているかの様に思われるかもしれませんが、終止部を聴くと強勢を叛いて2拍目に終止和音が鳴らされます。女性終止です。つまり「子犬のワルツ」はイヌが雌なのではなく、飼い主の女性に捧げられているであろうという事に推察が及ぶ様になるのです。

 全世界の人々がそんな終止など知らずとも、いつしか音楽の雌雄関係が身に着くという物なのではなく、西洋音楽の聴き方を些し宛(すこしずつ)知って行く様になると、音楽的な構造の中から雌雄関係を見出せる様になるという物です。

 IVEの「Eleven」にひとたび目を向ければ、Aメロは八分音符の裏(=弱勢)を強調して入って来ています。無論、八分裏のみしか歌っているのではなく、八分裏から入りながら音価を長く採って強勢(=各拍の拍頭)に至る箇所はメリスマ(=1音節で異なる音高を歌う技法)を採って歌われているのです。女性らしさは茲で既に出来上がっていると言えるでしょう。

 Bメロになると付点八分音符を強調して来ます。強勢が際立つ訳ですね。これは男性的なリズムなのですが、猛々しさを強調する乙張りの為に用いられているのでしょう。そうしてBメロの最終部分でのサビへの結句《nan mollasseo nae mami iri dachaerounji》の部分には、線的にはポルタメントが其処彼処に施され女性的な艶かしさが能く表現されており、恰もテンポがリタルダンドしているかの様な技法が施されているという訳です。

 このリタルダンドに聴こえてしまう箇所そのものがギミックである訳ですが、実際にはテンポは落ちていません。非常に細かい音符の音価を複数組み合わせており、その細やかさゆえに通常は認識不可能な細かさを複数組み合わせて新たなる「拍節」=メトリックを生んでいるのです。

 そもそも「拍節」(metric=メトリック)とは、小節(measure)や拍子(beat)音節(pulse)という単位に括られる事のない別の「ひとまとまり」の旋律群の事を指すものです。例えば、4/4拍子という1小節には4つのビートがあり、各拍子に16分音符が充填されていた場合、各拍子に4つのパルスが充填されているという事になります。

 パルスを際限なく細かくしていけば軈てはデジタル・データ上ではインパルスになって行きますが、それよりは遥かに長い《概して言語の発音に於ける子音の長さ》を超える辺りが音符としてはっきりと認識できる限界であり、これよりも短い成分の辺りの音声信号を機械的に抑え込んだりする事で音のキャラクターを変化させるのがコンプレッサー/リミッターが最も効果を発揮する領域であったりします。つまり、音符として認識できない様な領域でも音色変化という風には知覚しているという訳ですので、決して無視して良いという訳ではないのです。

 では茲から譜例動画解説に移りたいと思いますが、恰もリタルダンドに聴こえるギミックを分析してみる事にしましょう。







 結論から言うと、テンポが落ちる様に聴こえてしまう箇所の拍節構造は原テンポの拍子に対して [35:32] の比率になっているのでテンポが落ちる様に聴かされるのです(※初稿時は [15:16] として話を進めてしまっておりました)

 原テンポは四分音符=「120.6」であるのですが、このギミックに於て4/4拍子を常にキープしているという風には誤解をなさらない様注意をされたし。加えて、テンポを四分音符=120ジャストで採ってもいけません。

 原曲の《あたかもテンポが落ちる》かの様に聴こえる《2小節》は、原テンポでの35/16拍子=(4/4拍子×2小節に3/16拍子)という、16分音符のパルスが35個要する拍節構造であるという前提で聴かないと、4/4拍子をキープしようともズレて聴こえる事になります。

 そうした35個のパルスを32個のパルス(=16分音符のパルスが2小節=32個)の様に聴かせるギミックという訳ですので、単にテンポの側から「テンポ・チェンジ」の様に見れば『120.6 → 110.3』に変換しさえすれば、態々小難しい拍子を充填する必要はないのです。

 然し乍ら、私はこれをテンポ・チェンジとしては捉えずに「メトリック・モジュレーション」として捉える事が重要と考えているので、敢えて斯様な見立てをするのであります。

 [4/4拍子×2小節]+[3/16拍子×1小節] というメトリック・ストラクチャーを恰も2小節として聴くという状況を「連符」として解釈すると、16分音符を基とする「64:35連符」(=35拍64連符)になります。この64:35連符で得られた1パルスを4パルス毎に読めば、遅く聴こえるテンポでの八分音符相当として耳にするという訳でもあります。

 例えば原テンポでの四分音符を「960」という分解能で見る事にしましょう。これは一般的なシーケンサー・ソフトでの標準的な分解能でもあり、八分音符は「480」という歴時となります。この単位は「ティック」と呼ばれる物ですが、このティックという語句そのものは音楽用語ではなく単にソフトウェア限定の用語ですので注意をされたし。但し、事前知識としてMIDIシーケンサーの知識は必要ですので、軽く説明をしておく事に。

 シーケンサー・ソフトは、それこそ四半世紀ほど前はスタンダードMIDIファイル(=SMF)という規格に配慮して四分音符=480ティックという分解能が標準的であったのですが、その後各社シーケンサー・ソフトがMIDIケーブル上での「遅いMIDI1.0という通信規格」を独自の伝送で高速化させて来たり、MIDIケーブルを介在する事なくコンピュータ内で完結する様に進化を遂げて来ました。

 暫くして「MIDI1.0」という規格が伝送システムとしては遅い物になってしまい、非常に遅い伝送を遥かに凌駕するやりとりを行える様に社会が変化(PCなどCPUの高速化)して以降、各社は処理速度や高精度を競うかの様に細分化されて行く様に進化し、現在最も高いシェアを誇るLogic Pro Xの標準的な四分音符の分解能が偶々960ティックという事に過ぎず、今回の例もそれに倣っているだけに過ぎません。

 扨て、960ティックという分解能を前掲の [35:32] という比率に充てると、恰もテンポが遅くなって聴こえる後続のメトリックは「1050ティック」という事になります。この1050ティックを新たな四分音符かの様に耳にする訳です。

 そこで、アウフタクトとなる《nan ナン》は960ティックであるものの、それ以降は「あたかも」八分音符を標榜するかの様に次の歌詞が歌われます。

《molla モラ》
《sseo nae ソネ》
《mami マミ》
《iri イリ》
《dachae ダチェ》

 無論、上述の歌詞は八分音符を標榜しているかの様に聴かせているだけに過ぎず、その八分音符とやらの実際は「525ティック」であるので、決して原テンポの「480ティック」では無いのです。

 この状況は結果的に、原テンポの各拍子(=四分音符)が生ずる毎に110ティックずつオフセットして進んでいる事を意味します。

 これらの「525ティック(=新たなる八分音符を標榜する長さ)」の拍節は、アウフタクトの《nan ナン》を除けば、ホ短調での属音と主音の五度を基準として、それを標榜する様に後続の拍節は音高が「変形」されて行きます。

 実質的には上中音「ソ」と主音「ミ」がこれらの拍節の原型と呼べる拍節なのでしょうが、それを変形して属音「シ」と主音「ミ」の五度から入って来るという訳でして、110ティックずつのオフセットはMIDIシーケンサーのピアノ・ロール上では拍子線が現れる度に漸次110ティックずれて行くという事になります。

 そうしたメトリック構造の前後の比率が [35:32] という事が楽曲に隠されている意図というのはおそらく、16進数で見た時の《桁が変わる》という状況を彼女達のステップアップに喩えている隠喩なのではないかと推察します。10進数での15は16進数で「0F(H)」であり(※ 'H' はHexadecimalの略)、10進数の32となった事で16進数では桁が上がり「20(H)」となる訳です。成人を意味する数字という解釈。

 加えて、歌詞の方では「1・2・3・4・5・6・7…」の後に「11」が来て 'seven' と 'eleven' での「~ven」の韻を踏んでいるのは明白ですが、曲名である「Eleven」の「ele」というのは、「e」ひとつが5番目のアルファベットであり、これが2つある事で「5+5=10」となり、「L」は「7」を指しているのであろうと思います。奇しくも年齢の桁が「ステップアップ」した17歳の子たちは3人居り、まだ桁が上がっていない14歳の子もひとり居る訳です。

 加えて「~ven」の「V」も音楽での「Ⅴ」は5番目の音度を意味しており「E」は先述の通り「5」を意味し、「n」は15番目のアルファベットとなります。15番目は16進数で「0F(H)」という桁が化わる直前の数字でもあり、「5+5」=10というのはそれまで歌っていた数字を10進数で満たす事を意味して、次の「11」をステップアップという風に捉えた意味が潜んでいるのであろうと思われます。

 因みに、前述では本曲を「ホ短調」としておりますが、楽曲冒頭ではEフリジアンであり、主和音(フリジアンのⅠ度)以外の箇所でホ短調へ移旋しています。その後ピカルディー終止(※短調楽曲が主和音へ解決する時に主和音が長和音化する終止法)を採って来ているので、ホ音上の和音は常に長和音が聴こえるので恰も「ホ長調」に思えてしまうかもしれませんが、私の譜例動画にもある通り本曲は「ホ短調」を原調と位置付けるべき楽曲でありましょう。

 では、譜例動画の方と照らし合わせて解説をして行きますが、譜例動画でのテンポは「四分音符≒117.15」という風に表していますが原曲のテンポは「120.6」なのであらためてご注意ください。

 ギミック部をメトリック・モジュレーション(※拍節の転調)として解釈するのであれば、このテンポを [35:32] の比率を充てて変換した上でテンポ・チェンジ部分のメトリックを八分音符と解釈しても物理的な楽音としては同等の音が得られる事になります。その場合の新テンポは「四分音符=110.3」という事になるという訳です。

 但し、この数値は原曲のギミック部分をテンポ・チェンジと解釈した場合での数値に過ぎず、私の制作した譜例動画のテンポの数値とは異なりますのでご注意を。したがって原曲の当該ギミック部分は、遅く聴こえる箇所を「110.3」のテンポに変化と捉えれば一般的には判りやすいでしょう。

 そうしたテンポ・チェンジという解釈で済ませる場合は原テンポを「Tempo I」として楽譜上で表記すれば良いのですから、戻る時に「Tempo I」を明示すれば譜面上では非常にシンプルな表記にする事も可能となる訳です。

 唯、そうしたテンポ・チェンジの表記を選択する場合、平易な書式を総じて是とするのは危険が伴います。何故なら、単純にテンポ・チェンジと表記した場合、オリジナルの拍節構造とテンポ・チェンジが生じた時の拍節構造 [35:32] という部分が平易な表記から抜け落ちてしまう事になりかねないからです。

 そうした重要な拍節構造の違いを《原テンポのパルス35個分=新テンポのパルス32個分》であるという事を小節線上で明示するか、テンポ表記を変更するかで読み手に伝わる情報はかなり違いが現れるでしょうし、拍節構造が [35:32] という事を読み取る事はかなり難しくしてしまう事でしょう。

 そもそも「メトリック・モジュレーション」とは、基のテンポに起因する拍節構造に則り乍ら、別の拍節構造に読み換えるという音楽的に欺く手法です。原テンポの1拍3連符の4つ分のパルスを新たな拍節構造としての四分音符の様に読み替える、というのもメトリック・モジュレーションの典型的な例でもあります。

 ですので私は、メトリック・モジュレーションとしての解釈を踏まえつつも楽譜編集としては非常に厄介な方策を選択する事となる、基の拍節構造を維持したまま仰々しい符割を示す事となる「複合連符」を用いた表記を今回採ったという訳です。大きな入れ子となる3連符は1拍3連であり、その3連符の各パルスが5分割された複合連符を示しているのです。実質的には1拍15連符(quindecuplet)と同等なので、ドラム・パートの方では15連符で書いているという訳です。

 YMOで有名な「テクノポリス」のオリジナル・スタジオ盤で聴かれるヴォコーダーに依る [T・E・C・H・N・O・P・O・L・I・ S] は1拍進む毎に少しずつズレて行きます。これは、1拍5連符のパルス6つ分でひとつずつ読んで行く為にずれるのであり、テンポ120で録音したヴォコーダーをテンポ144で再生・録音しているという「ポリテンポ」の発想に依るものだという信州大学の研究もありますが、これをポリテンポという解釈ではなくメトリック・モジュレーションの解釈をすると、こうした複雑な拍節構造で別種のテンポ同士を俯瞰する事に寄与するという訳なのです。

 とはいえ、本曲をメトリック・モジュレーションとして表記する場合は楽譜の譜面《ふづら》そのものはシンプルな物となり視覚的には優しく平易な物にもなりますし、メトリック・モジュレーションを起こした事で併記されるテンポ・チェンジの側から、前後の拍節の等価関係を見出す事を好む作曲者も至りしますし、現代音楽の分野では拍節に拘るタイプ(=ファーニホウなど)やテンポ・チェンジの側を多彩に活かす(=シュトックハウゼンなど)タイプなど各人各様でもあったりします。

 特にシュトックハウゼンは、テンポを平均律化(四分音符=60〜120をオクターヴと考えて12等分することでの均齊化)に応用しておりましたし、歴時の正確性に拘泥するファーニホウとて、基となるテンポや歴時の構造から拍子の分母に奇数を充てたりする事で、楽曲が支配されている何某かの歴時を読み取って母数を採るという事を駆使していたりする手法もあったりします。

 大きな連符の括りを「5」にして、その5連符の各パルスを3等分という表記にすれば、ドラム・パートの方で刻んでいる5連符(※5連符を4つに聴かせているギミック)が判りやすくなるでしょうが、各パート毎の錯綜感は私の選択した今回の譜例の方が際立つので、3連符という大きな括りから複合連符を見た形にしております。実質的にこの「3連符感」は全く楽曲に現れてはいないのですが。

 また、原テンポで1拍5連を想定するという解釈では、1拍5連符のパルス4つ分が新テンポの付点八分音符に帰着すると考える事も可能ではあります。何れにしても1拍3連というリズム構造が明確になる事はないのですが、各人が解釈しやすい捉え方を採るのも良いかと思いますので、私はそこまで慫慂する事はしません。

 前述の通り、本曲のギミックを作者本人が示さない限り第三者が解釈する分には一義的ではなく自由なのでありますが、譜例を制作した以上、楽譜を提示する事に依るプライオリティーは私にあるという事だけ念頭に置いてもらえれば結構です。

 今回、この複雑なギミックを譜例動画にするにあたって脳裏を過ぎったのがバターリング・トリオの「Love Music」です。以前にも取り上げた事あるので、当該ブログ記事をお読みいただければあらためてお判りいただける事でしょう。

 扨て、譜例動画のアウフタクトを除いた3拍目の注釈に ‘scordato’ という表記がありますが、これは西洋音楽界でもあまり見かけない表記だと思います。広く知れ渡っているのは「スコルダトゥーラ」という変則調弦で用いる語句ですから、スコルダートとは曷ぞや!? と思われる方は少なく無いかと思います。

 スコルダートは、標榜すべき拍節構造に対して《わざと背いて》歌う事を意味します。演歌に限らず洋楽でも、

〈なんでオリジナル通りの拍節構造で歌わねーのかなー!? 悦に入っちゃってよー、オイ〉

と疑問に感ずる方は少なくないかと思います。このスコルダートをトコトン嫌う人も少なくありません。オリジナルが好きな方は特に、それが本人歌唱であろうともオリジナル通りに歌え! と言いたくなる事でしょう。

 スコルダートが意味するのはそういう事なのです。初めて聞く人でもそれが〈おそらくそれはスコルダートであろう〉という事が判るのです。つまり、標榜すべき拍節構造が判っており、それとは異なる拍節構造の実際を耳にするという「異和」。これが求められている指示だという事です。

 場合によってはリズムだけではなく音高も変形される事があります。それがスコルダートなのですが、他の言葉で呼ばれる事もあるかもしれませんが私は他の言葉を知りません。兎にも角にも上述の様な事を指しているので、そうした注釈が与えられた時の楽譜はあくまで《標榜すべきもの》という事になるという意味になるのです。

 以降、音符に付加される数字は幹音からの微小音程=微分音の変化量を意味しています。±100セントが12等分平均律での半音の大きさですので、あらためて確認していただければ助かります。

 4拍目からは破線スラーも使われて来ますが、破線スラーの意味合いは多義的ではあるのですが私は一貫して《過程の歴時・音高を連続的かつ滑らかに》という事を示しているので、音符で示されている音の間にある連続的な変化が起こるという事を明示する物になります。つまり、ヴァイオリンなどフレットレス楽器やシンセサイザーのピッチベンドなどでの無段階の音高変化が起こり、拍節構造も楽譜は標榜すべきもので「崩す」様にして奏して欲しいという事を意味しています。

 尚、4拍目での [g] 音より40セント低として示される音に使われるフォントはIRCAM OpenMusicのomicronフォントを採用し、直後の32セント低を示す音のフォントはAndrián Pertout氏が頒布するMicrotonalフォントを使用しています。

 扨て、譜例2小節目の拍子は4/4 + 1/8拍子という混合拍子で表記しています。歴時としては八分音符のパルスが9つ分充填されていれば辻褄が合うのですが、このパルスの中で「四拍子」感を保っている事を思えば矢張り9/8拍子で表すよりも4/4 + 1/8拍子が適切であろうと思います。

 その上での4/4での3拍目《ji ジ》と歌われる結句部では、完全なオクターヴ(完全八度)でポルタメントされて歌われている訳ではないのですね。しかも機械的なエフェクトを施されている感じもなく完全八度よりもやや狭く長七度よりも広いヴィシネグラツキー流に言う所のクォーター・トーナル7thという「23/4」の音程でポルタメントが採られているのは凄いと思いました。

 この2小節のギミックで歌われる《nan mollasseo nae mami iri dachaerounji》は、まるで魔法の呪文の様に女性的な科が歌と踊りにも現れている所で、本曲の核と呼べる部分でありましょう。そこで科を強調する為に歌にはアーティキュレーションが付随する。そこで本来ならば共鳴の骨頂であるオクターヴが大いなる跳躍としてポルタメントが施される。然し乍らオクターヴをも女性的な科が纏い付いて叛かれる。女性が直視せずにチラッと一瞥を呉れるかの様な婉しさを伴った好い意味での「蹂躙」が非常に良く現れていると思います。

 もしも機械的に弄ったクォーター・トーナル7thであれば、制作者サイドのギミックである事で彼女たちの真正な部分に手を加えた感が出てしまうのですが、エフェクトとして手を施されずに生の声をそのまま生かしてクォーター・トーナル7thを出したという事が、もう少しで「鷲掴み」できるであろうという「オクターヴ」をがっしり掴むのではなく、指先がようやく届いて捕まえる事のできた切なさも手伝ってサビの炸裂感へ進むという乙張りが非常にうまく作用していると思い、手を加えなかった制作サイドも天晴れの判断と思えます。

 音程は不明瞭なラップ的に歌われる箇所でのポルタメントであろうとも、そこは楽曲の高潮点。そこでクォーター・トーナル7thという切なさを具備した跳躍というのは女性的な孅妍さを伴わせているかと思います。なにせBメロは付点八分の猛々しいリズムを歌っている所でのこうした乙張りは絶妙ではなかろうかと思います。また、楽理的にアレコレと歌い手に指示を出さずに女性らしいアーティキュレーションの演出を強く意識させるだけで、彼女達が本来持っている女性らしい躍動が歌に現れているという所が、作り手も歌い手も楽曲を深く理解している様が手に取る様に伝わって来るのが素晴らしい点でありましょう。

 楽理が全く判らない人にも敢えて判りやすくクォーター・トーナル7thを日常で喩えるとしたら、オクターヴという安定的な跳躍はというのは《息を切らして走って来て足を止めたらすぐに息切れが止む》という状況に似ると言えるでしょう。一方でクォーター・トーナル7thのそれは《走って来て足を止めても息切れが少し続いている》様な状況です。これらの2つの描写でどちらが「映える」と思いますか!? 後者の方が圧倒的に多いと思います。

 走って来て足を止めた途端ケロッとした表情だと、それまで走って来た感が薄れてしまいますね。歌は決して走っている物ではありませんし息を切らして歌っている訳でもありませんが、歌における協和音程と不協和音程というのはこうした心理が潜んでいると思っていただければ斯様な例が伝わりやすいでしょうか。

 楽理的には全く意識する事のない聴き手の側も、彼女達の楽曲の乙張りの良さは確実に判っているでしょうし、それがビジュアル的な美しさも相俟った相乗効果で楽曲が彩られているのが一目瞭然なので、注目されて然るべきグループの楽曲が登場したという訳ですね。

 また、本曲は冒頭でEフリジアンを如実に表しています。つまり♭Ⅱ度を明確にしているのです。これは主音の100セント上にある音です。一方でBメロの結句部では短調上主音「♮Ⅱ」があり、これは主音から「200セント」上にある音となりますが、そこでクォーター・トーナル7thで跳躍すると主音からは「150セント」上にある音が使われる事になります。

 Eフリジアンは巧妙に移旋され、ホ短調をそのままに歌い上げてしまうと陰鬱な感じが増幅してしまう。ですのでEメジャーの感じとして [gis] が歌われているのです。この [gis] は主音の長三度上の音ですので「400セント」上にある音です。とはいえ、これは原調の陰鬱さを直窩す為の「変応」なので、ホ短調が標榜すべき本来の第3音は主音の「300セント」上に位置する物です。

 その主音から300セント上にある短調上中音の等分割が「150セント」も現れるという因果関係を知っていただければ、本曲は巧みに音階の第2・3音を微分音的に変化させて楽曲的な彩りを演出しているという事になるのです。

 半音階が分割される状況も新たなる音楽情緒の遠因となっている事を勘案して、今回私はギミック部分のスコルダートでの音程にも微分音として解釈しても良かろうと思い採譜したという訳です。無論、この微分音については歌唱者本人が制作サイドが指示されている物ではない事は確かでしょう。然し乍ら、豊かなアーティキュレーションで歌う事は指示されていると思います。

 そうして女性が持つ本能的な母性が斯様にアーティキュレーションで現れるのであろうと思います。微分音の発展的使用はこうした所にヒントがあるのだという事をあらためて実感させられる物でもあると言えるでしょう。




 最後に、本曲の特徴的な例としてもう2点を挙げようと思いますが、本曲にはベースらしいベースの音が現れません(※2022年10月19日に発売となった日本語ヴァージョンでは「低音」が強化されている)。完全に無いという訳ではないのですが、ベースを補う様に配されているのはパーカッションの音であり、その低音部分の残響がベースを担っているのです。それにより、ベースが徒らに音圧を稼がないスッキリとしたアンサンブルになっているのも歌部分を傾聴させる様にしたアレンジなのでありましょう。

 仮にバンド・アンサンブルで「Eleven」をアレンジする様な時のベースは、ミュート奏法で通常よりも1オクターヴ高く弾いた方が原曲の感じになると思います。

 加えてもう1つの重要な点ですが、次の譜例をパーカッションだと捉え、DAWアプリケーションなどをお持ちの場合はテンポを「120.6」に設定して譜例通りにまずは打ち込んでみて下さい。この4/4拍子×2小節を「32個のパルス」と捉え、このメトリック構造を「35個のパルス」へ引き伸ばしてみて下さい。LogicでしたらOptionキーを押しながらドラッグするだけで変更可能です。

 そうした編集を施せば、IVEの「ナーン、モラソネマミイリダチェローンジ」の背景で鳴っているパーカスに合った形で鳴るでしょう。即ち [32:35] の拍節構造があらためて確認できるかと思います。

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