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坂本龍一の31等分平均律「A Wongga Dance Song」について [YMO関連]

 扨て今回は、坂本龍一のソロ・アルバム『esperanto』収録の「A Wongga Dance Song」に徹頭徹尾用いられている31等分平均律(以下31EDO)について語ろうかと思います。



Esperanto.jpg
 本曲の譜例動画用デモとして、私のYouTubeチャンネルにてアップロードを済ませているのですが、譜例部分は31EDOでの特徴的なモチーフを拔萃した短いデモとなっておりますので、その辺りはご容赦願いたいと思います。

 因みに31EDOの ‘EDO’とは ‘Equal-Division of Octave’ の意味であり、単に ‘Equal-Temperament’ の略として ‘ET’ とも表記される事もあるものの、その言葉の意味から「オクターヴの等分割」という意味があらためてお判りになろうかと思います。

 調律の体系および聴覚心理学方面からの科学的アプローチによる特殊な調律までを含めると、調律とはオクターヴを綺麗に等分割している物だけではないという事が判ります。というのも、ある楽器が奏鳴される音というのは何某かの構造体が振動して起こる物なのですが、この構造体というのは単純な整数比だけで振動している訳ではないというのが興味深い事実なのです。

 勿論「音楽的」な振動というのは単純な整数比を耳が感得しているが故に音楽的に聴こえる訳ですが、音楽的に優勢に響かぬ振動が強く聴こえる構造体というのは楽音に用いるのが難しくなる物です。

 そもそも「構造体」とやらも、その構造体であるべき材質・形状などによって「その構造にとっての安定的振動」というのは必ずしも整数次ではないのであります。下記の動画はそうした安定的振動を優勢にオクターヴ回帰をしない楽器「ポリゴノーラ」の演奏例です。




 この様な独特の安定的振動を逆手にとって、ある程度楽音として優勢に響かせる様にして設計されているのがチューブラー・ベル、マリンバ、ビブラフォンなどの類とも言えるでしょう。無論、これらの楽器は整数次の振動に寄らせて設計されているものであり、音楽的な響きという部分を一切無視した構造体による「安定的振動」というのはオクターヴ回帰などせずに独自の安定的振動で響く状況となるので、オクターヴという概念が逸れる構造体も存在するものなのです。

 オクターヴ回帰をしない振動は「直線平均律法」という基準で見立てられるのでありますが、その一方でオクターヴは1200セントという概念で数値化されている事はある程度音楽の科学的側面に触れた方であればご存知かと思います。

 直線平均律法という状況を例にとると、尺八ですら1195セントの周期で回帰する安定的振動があると言われます。1195セントでの回帰とはどういう事かというと、通常 'Equal Division of Octave' とはオクターヴである音程比 [1:2] の [2] を等分するという意味となっていますが、この場合「2.00578457573874」を12等分する状況だと思えば宜しいでしょう。オクターヴが引き延ばされているので、W.A.セサレス氏はこうした状況を「ハイパー・オクターヴ」と呼んで定義しております。

 構造体にとっての安定的振動だけに頼って音を探るとなるとオクターヴを狙った所での尺八の実音は5セント狂っている状況となる訳でして、これを首振りやらで「音楽的」に寄らせるのが尺八に必要な技術のひとつであろうかと思います。

 前置きが長くなりましたが、アルバム『esperanto』の制作コンセプトはハイテク・エスノ・ミュージックという事が当時を物語るものとして山下邦彦著『坂本龍一・全仕事』には書かれております。「ハイテク」という言葉自体が2021年の現在では陳腐化してしまった言葉となってしまい聊かの古臭さを感じてしまいかねませんが、坂本龍一がフェアライトCMIを駆使していた時代であるという事が重要なのであり、CMIならではの音が随所に感じ取る事が出来、それが魅力のひとつとなっているのであります。

 私自身、フェアライトの重要な機能として「n平均律」を任意に統御可能なパラメータがある事を知るのはArturiaのソフト・シンセである「CMI V」がリリースされてからの事でありました。

 結論から言うと、本曲「A Wongga Dance Song」は31EDOが設定されているCMIを基に制作されているであろうと容易に推察に及ぶのでありますが、その感得の「容易」さが意味するのは、明らかに12EDOとは異なる響きが徹頭徹尾鳴らされている所にある事に加え、12EDOに於ける半音音程と比して明らかに狭い音程を曲中で耳にする事が出来るからであります。

 それもただ単に耳に珍しい音が鳴るのではなく、31EDOが齎す心地良い「違和」という醍醐味を伴わせている訳であり、こうした状況を実感するにあたってアルバム『B-2 UNIT』収録の「partiicpation mystique」という免疫があれば更に感得は容易い事でありましょう。

 いずれにしても31EDOに伴う「狭い音程」である1単位音程は、旧くからの仕来りではそれを「五分音」と呼ぶのでありますが、1オクターヴを完全に30等分としてしまう五分音も現今社会では存在するので、これが旧来からの31EDOとしての五分音との表記の区別を難しくしてしまうのがもどかしい所ではあります。

 31EDOというのは元々、純正長三度の響きに重きを置いて五度の響きを犠牲にする音律に端を発しているのです。その五度は純正完全五度や十二平均律の五度よりも僅かに狭くなるのですが、西洋音楽界の時代で最も長く使用されてきた中全音律の五度とほぼ同サイズとしても知られているものです。更なる副産物として自然七度に極めて近しい音を得られるという魅力もあったりします。

 アーヴ・ウィルソンの31EDOの場合、C音を基準とする場合の単位音程はおよびそれらの異名同音は次の通りになります。

31ET.jpg


 31EDOという音組織は大別すると次の様に

α) 2全音=10単位五分音
β) 全音階的半音=3単位五分音

を用意するのでありまして、五分音体系は「α」を5組、「β」を2組用意すれば充填されるのですが、古典的五分音である31EDOの体系を想定する場合、これらに対してもう1単位音程が必要とされるのです。尚、2全音というサイズは純正長三度を標榜するところのサイズでもあるのです。

 ウィルソンは [h] と [c] との全音階的半音──本来ならば全音階的半音である3単位五分音──となる所にもう1つの単位音程を組み入れた4単位五分音を組み入れて31音を形成させるという訳です。

 確かに、完全なる等分割としての30EDOを想定しない限り31EDOの最小単位音程は「38.71セント」なのですから、30EDOでの1単位五分音である40セントからの部分超過比「約1.29セント」という差分に対して30単位を累積させるとなると、主音から30単位音程を数えた所では「38.7セント」の空隙をオクターヴ回帰から得る訳ですので最終的に1単位音程を充填するのは当たり前田のクラッカーという訳ですね。

 次の31EDOの譜例は、各単位音を幹音からのセント数の増減値を振っているもので、微分音変化記号としてはIRCAMのOpenMusic形式の五分音表記を基に振っている物です。

 但し、この音組織はあくまでも [c] 音を基本音とした時の変化記号割り当てという状況を示しているに過ぎぬ物です。

 31EDOの音組織として [c] 音から各単位音を開始してはいるものの、[c] の単位音には「ゼロ」からではなく「8」と番号が振られている理由は、譜例動画用にCMIにインポートしたサンプルが [a] 鍵盤上で [a] 音が鳴るというサンプルをインポートしている事に起因するもので、[a] 音を基本音とする音組織ではあるものの、楽譜では [c] 音を基本音とする変化記号体系を用いるという少々煩わしいものとなっているのでその辺りはご容赦いただきたいと思います。

31EDO.jpg


 12EDOという環境でのごく一般的な音律設定の場合ならば、[c] 鍵に [c] 音をアサインするばかりでなく [a] 鍵に [a] 音をアサインすれば自動的に [c] 鍵を弾いた時に [a] 鍵にアサインした音が短三度移高されて鳴らされる物です。

 処が31EDOで設定を前提としている場合、[a] 鍵で [a] 音をアサインしても8単位音程上では12EDOでの [c] 音と同等の音が鳴ってくれる訳ではありません。

 同様に、[a] 音を基本音とする31EDOと [c] 音を基本音とする31EDOのそれぞれの音組織では、楽譜上では変化記号の不要の幹音がそれぞれコモン・トーン(同一の音)として生じようとも、実際には前者で表される「幹音」と後者で表される「幹音」はどちらも微妙にピッチがずれている事となります。

 変化記号の割り当て方となる基本ルールとして [c] 音基準の31EDOをIRCAMに倣って形成したとしても、[a] 音を基本音とする31EDOの記譜法のルールを新たに整備すると元の [c] 音基準のそれとの齟齬を生じかねず判断に迷う事となるので、

《どのような方策を選択したところで、いずれの幹音も純然たる幹音ではなく微妙に異なるピッチであるのならば [c] 音基準の表記法はそのままにした上で注釈を併記すれば済むであろう》

という私の考えから斯様なややこしい体系で31EDOを表さざるを得なくなってしまった点についてはあらためてご注意いただきたいと思います。

 オリジナル「A Wongga Dance Song」は、おそらく [a] 音を基準とするサンプルでレイヤーを組んでいると推察します(※ [a] 鍵盤で [a] 音が鳴るという設定)。これが12EDOならば [c] 鍵でも [c] 音がきっちり鳴りますが、31EDOを設定している為微妙に異なる事になるのです。

 私の譜例動画デモでの人声パッドに用いている音色は [a] 鍵で [a] 音のサンプルとするものと [c] 鍵で [c] 音をサンプルするというものを混在させて形成させており、サンプリング音からすれば短三度忒いの異なる音律=polytemperament という状況になっていますので、その辺りはあらためてご容赦いただきたいと思います。

 然し乍ら、31EDOという「音律」を判りやすく体系整備した変化記号として [c] 音を基本音とすると、[fis] に行き着いた時点でそれ以降の全音音程=5単位音程を累積する事となり、同様に [gis・ais] を形成する事となって、五分音は100セント単位では現れないので [a] 音を跳び越してしまう訳です。変化記号という記譜上の視覚的な [c] 音基準のそれと [a] 音を基本音とする31EDOとでは実音のピッチが微妙に異なるという訳です。

 ですので、本譜例動画の記譜上の音は [c] 音を基本とする変化記号の体系(IRCAM OpenMusic)の物を用いておりますが、その基本音の単位音程は「0」ではなく、「8」からという番号を振られた8単位音程からのものである、という事を本記事で明記しているのです。

 譜例動画の冒頭のそれは、単にIRCAM OpenMusic形式に則った表記に過ぎず、それは [c] 音を基本音にしたものだという事を示している物なのです。表記の上では現れない [a] 音を実質的に基本音にする31EDOと [c] 音を基本音にする31EDOとでのコモン・トーンは実際には9.68セントの誤差を生じる事になるのですが、譜例動画のそれはオリジナルのそれに合わせてセント増減値を振っており、表記の流儀を固執して強要してはいませんのでご安心ください。

 31EDOを五分音基準での変化記号のみで取扱う事は、基準音次第で幹音とのズレを生ずる事もあるので寧その事(いっそのこと)1オクターヴを15線(&16間)で表した方が正確に表す事ができるかと思います。但し、線数が増え過ぎて峻別しづらくなるので読譜に向かなくなってしまいます(記録という部分では好ましいものの)。私自身Finaleを使うので特殊線数の楽譜を使って編集する事は容易なのですが、峻別のし辛ささから早々とこうした選択肢を排除して変化記号の方を選んでいるのです。

 ややこしい表記ですが、変化記号に左右される事なく幹音を念頭に置きつつセント量の増減値通りに演奏していただければ、オリジナルと同様の変化量で鳴らす事が可能となりますので、この辺りは最新の注意を払って確認していただきたいと思います。


 扨て、31EDOは古典的な調律を基にしており、そこには純正音程を標榜する近傍の音程が現れる事を意味します。最重視されているのは先にも述べた様に純正長三度の響きです。

 杓子定規に五分音表記としての体系として用意されている変化記号のそれを見ると、実際には変化記号が割り当てられていない幹音もセント数で見ると増減値が微妙に割り振られていたりします。

 例えば、上述での10単位音程として「18」番が振られている [e] 音ですが、これは通常の体系としてみれば [e] 音という幹音の何物でもないものの実際には「-12.9セント」という値が振られている事が判ります。

 表記の上では幹音であり変化記号は振られていないのにも拘らず、12EDOでの幹音よりも低いという、こうした特殊な状況で31EDOの変化記号が成立しているという事は念頭に置いていただきたい部分であります。

 また、純正長三度は12EDOでの平均律長三度と比較すると「約13.69セント」低い筈ですが、31EDOでの10単位音程は「-12.9」セントとなっています。これが意味するのが前述の「純正音程を標榜する近傍」という事の意味なのです。純正調三度を慮っている調律ではあるものの、完全に純正を採ってはおらず僅かに丸め込んでいる訳です。

 同様に基本音から18単位音程(※上述の「26」番)を見ていただければ、それが12EDOの幹音の [g] に相当する音であり増減値を確認すると12EDOの幹音よりも「-3.23セント」低いという事が判ります。つまり、純正長三度の差よりも大きい差である事があらためてお判りになろうかと思います(五度より三度を慮る音律)。

 同時に、この31EDOの表記法(IRCAM OpenMusic)では [fis] から全音音程を5分割する様な表記となる為、幹音の一つを基本音に置いても微小音程は他の幹音を跳越します。[fis] を100、[gis] を300とすると単位音程は次の様に

100
140
180
220
260
300

という風に、「200」が本来の幹音が示されるべき位置であるものの、五分音体系はこれを跳越してしまうという訳です。これが [ais] まで継続され、[ais] からは充填すべき1単位五分音をも加える必要性が生じ乍ら31単位音程を充填する事となります。

 その際、IRCAMの五分音表記法では29単位音程(※先の譜例の単位音では2番が振られた音)までがOpenMusicに倣う表記法であり、30単位音程の嬰種微分音変化記号のそれはOpenMusicのデフォルトの表記法とは異なり、他のn分音体系にも括られないomicronフォントのフォントグリフに用意されている記号を充填分の変化記号として私が割り当てている表記なのでご注意下さい。

 これらの単位音程の番号が「30」までの番号が振られている状況を見るにつけ、《31EDOなのに最高音が30番までなのは何故!?》と思われるかもしれませんが、番号は「0〜30」としてゼロ基準からなので31音を満たしているに過ぎません。実数としては満たされているのです。単位音を示す時は、序数として1を基準とすると最初の単位音程として二つ目の「2」が来てしまう事になるので、単位音程を示している以上はゼロ基準で示す必要があるという事をご理解願います。

 単位音程をゼロ基準で見立てる方策は今回の31EDOに限らず他の音律体系でも同様です。ひとつ目の単位音程をカウントする以上は当然の措置(※例えば野鳥を観測して1羽目を数える時にゼロからカウントなどしない)であるのですが、こうした瑣末事とも思える状況を逐次説明していかないと広くは知られていない体系に遭遇した方が面食らってばかりになってしまうと、伝えようとする言葉の意味の捉えどころを難しくしてしまうでしょうから一つ一つ説明している訳です。

 尚、先の31EDOの単位音程群で自然七度に相当する音はどれか!? というと、基本音とした「8」から数えて25番目の [ais] として示される音が自然七度という訳です(前掲譜例では2番が振られた音)。この音も純正な自然七度の近傍でしかないのですが、その差は非常に小さいもので自然七度を標榜している音という位置付けであると捉える事が肝腎であります。

 31EDOでの自然七度は基本音「0」を基準とした時のみ得られるのではなく、いかなる単位音からも25単位音程上方/6単位音程下方に音を辿れば自然七度を凡ゆる音から得られる状況となるのでこの辺りも念頭に置いて欲しい所です。

 31EDOとしての五分音表記体系は、ファーニホウの「Unity Capsule」でも確認する事ができます。







 ファーニホウの場合は全ての単位音程を列挙するのではなく、四分音(=24EDO)と31EDOとでの「替え指」を併記した上で演奏者に僅かなアンブシュアを求めているのも特徴なのですが、[h] 音以高で生ずる単位五分音表記としては次の3単位五分音の変化記号を「最遠」としている様です。

UnityCapsule-fifthtone.jpg


 尚、上述の譜例右側がファーニホウ・アクシデンタルとして知られる記号であり、フォント自体はSMuFL対応のEkmelosです。Ekmelosも五分音表記に対応してから本記事アップロード時点から概ね1年近くになるでしょう。

 
 扨て、31EDOおよび五分音について縷々述べて参りましたが、興味のある方は別記事となる坂本龍一の「participation mystique」について述べた記事を読んでいただければ参考になるかと思います。つまり、坂本龍一が31EDOを使うのは「participation mystique」が最初にある訳で、決して「A Wongga Dance Song」が最初なのではないのですね(YMO活動期では「Propaganda」での楽曲中盤以降である90小節目3拍目以降からのシンセパッド音に31EDOが使用される)


 CV/GATEの値を能くもまあ細かく制御していたものだと思うのですが、それと比較すればCMIでの設定は容易であったろうと思います。また、多くのCMIユーザーは殆どが12EDOの世界の中でサンプリング編集を駆使していたであろうという状況で、これだけ12EDO以外の音律を用いていたという事はあらためて称賛されて良い部分なのではないかと思うのです。

 何しろ、『坂本龍一・全仕事』で紹介される「A Wongga Dance Song」での譜例は、’KIT55’ という風に坂本本人から提供された資料に基づいているものの、譜例そのものは着想段階での12EDOからのものを山下による独自解釈を付しているだけの物であるのは明白であり、31EDOはおろか微分音の言及もなく、況してや31EDOを12EDOから見立ててしまっているのは掘り下げが甘いと言わざるを得ないのではなかろうかと思います。

 坂本自身も、提供した譜例と原曲を比較して違和を抱いて、それが微分音および31平均律という事への疑問を抱いた時点でタネを明かそうと審査していたのではなかろうかとも思うのです。結果的にはそうした深部に至る必要のない分析である為、相応の対応で十分という判断に至っているのではなかろうかと思われます。

 坂本本人からすれば気付いて欲しい部分だと思いますけれどもね。これに関しては分析が甘い山下が足元を見られるのは仕方のない所でありましょう。

 扨て、CMIの音律設定というのは難しい物ではなく、次の画像はデフォルトの12EDOの設定です。

CMI-1-default.png


 画面左下の ‘GLOBAL TUNING’ にある平方根の部分の数字を操作すれば良いので、上の例は「(1/12)^2」という状況である訳です。つまり、音程「2」を12等分する体系を示しているという訳です。

 次の画面は「(1/13)^3」という風に、音程「3」を13等分するという体系である訳でして、音律に詳しい方ならもうお判りと思いますが、これは平均律版のボーレン゠ピアース音律(音階)の設定となる訳です。

CMI-2-Bohlen-Pierce.png


 ボーレン゠ピアース音律は平均律と純正音程版があり、着想段階では純正音程を基にしているのですが、その後多くのシーンでは平均律としての物が使用される様になっています。

 この音律はつまり、純正完全五度の1オクターヴ高い=純正完全十二度音程を13等分するという体系なのでありまして、3:5:7という奇数次の音程比から生ずる純正音程比を基に恣意的に形成されている音律なのです。

 次のCMIの設定は31EDOを設定した物で、本記事ではこの設定こそが本質を衝く物となるのですが、設定そのものは難しくないものの、31音が1オクターヴですので128鍵が用意されてはいてもまんべんなく31EDOを形成しようとすると4オクターヴ程で鍵盤を満たしかねないので、もう少し広いレンジを扱おうとするとなると自ずと別のインストゥルメント・トラックを用意する必要があります。

CMI-3-31EDO.png


 次のCMIの設定は「(1/25)^5」という風になっておりまして、これは「2オクターヴ+純正長三度」の25等分という事ですので、シュトックハウゼンの「習作Ⅱ」と同様の音律を扱う事ができる設定となります。

CMI-4-Studie2.png






 但し「習作Ⅱ」では、基準音として「100Hz」という自然数を必要とするので、100Hzの1/5や100Hzの5倍=500Hz、500Hzの5倍=2500Hzという風にして周波数を生成する必要があるので、音楽的な鍵盤上で生ずる音のままで「(1/25)^5」を設定しても、そのままの状態で「習作Ⅱ」と等しくはならないので注意が必要となります。

 次のCMIの設定は、自然七度を10等分する設定です。自然七度は「3.5」でも同様に得られますが、こうした設定も可能だという事です。

CMI-5-10EDh7.png


 自然七度は約969セントですから、それを10等分するという少々変わった音律を形成する事になりまして、12EDOよりは単位音程が僅かに狭い音律という事にもなります。

 但し、こうした自然七度を見据えた音律を形成せずとも31EDOというのは「副次的」に自然七度に近しい音程も得られる音律体系であるので、純正長三度ばかりを重きを置いている音律ではなく、自然七度の美しさをも手に入れる事のできる音律が31EDOだという事を念頭に置くと良いコトがありますよ、という狙いがあらためてお判りになっていただけるかと思います。

 純正長三度と自然七度が同時に視野に入るとなると、三度堆積型の和音を形成する事を前提とすれば容易く充填可能となる訳ですね。自ずと三度と七度の間に生ずる五度も取扱いが容易になるという事になります。

 坂本龍一が凄いのはそうした31EDOの容易い状況ばかりでなく、本曲に於て31EDOでの最小単位音程である1単位五分音(38.7セント)という声部進行を用いているという所にあります。

 これについては詳述しますが、31EDOという音律体系は5単位五分音=全音音程、3単位五分音=全音階的半音、2単位五分音=半音階的半音という風に、既知の12EDOでの全音と半音を代用してしまえば、それほど大崩れする事なく使えてしまう体系であるものの、そうした簡単な単位音程の使用だけに留まらず1単位五分音の使用が認められるという例に遭遇する事ができるのが「A Wongga Dance Song」の醍醐味のひとつなのであります。

 各単位音のセント増減値などは本記事の31EDOを確認していただければ、より正確な値をあらためて確認する事ができますし、単位変化量も本記事を見ていただいた方がより判りやすくなっています。

 31EDOで重視すべきは純正長三度と自然七度であるのは先にも述べた通りですが、完全五度に匹敵するのが18単位音程と覚えていただければ、既知の体系を31EDOにコンバートしやすくなろうかと思います。

 つまり、2全音≒純正長三度=10単位音程であるという事ですので、既知の体系からの短三度に相当する音を使いたい場合は10単位音程から半音階的半音=2単位音程を差し引けば良いのであり、既知の体系で元々短三度を充てるのが相応しい箇所であれば全音階的半音=3単位音程を念頭に置いて操作すれば良い訳です。

 加えて、1単位五分音の使用例がある事によって私は本曲が31EDOであるという事を見出す事が出来たのであり、本曲の音律が31EDOであるという事が判らぬ人であっても、本曲の独特な響きというのは実感していた方が多かろうと思います。

 まあ、サザエさんのオープニングの「転調」を実感する事ができれば、本曲の1単位五分音を実感するのは容易いとは思うのですが(笑)、冗談は扨措き、最小単位微分音をさりげなく駆使する旋律形成のそれはあらためて凄いと思います。

 ピアノ弾きの人というのは一般的には調律に無頓着な人が多い中にあって、坂本龍一という人はオルガニストの様に微小音程に敏感な人であるという事をあらためて実感していただきたいと思わんばかりです。

 それでは茲からYouTubeにアップロードしている譜例動画について語って行こうと思いますが、動画冒頭の無音部で示されるのは31EDOで用いている各単位音音群の変化記号を示しているもので、《曲中で使用される音は、これらの変化記号の中からの拔萃ですよー》という意味となっております。




 譜例動画で現れる最初のモチーフは、グロッケンシュピール風の音によるものです。これは原曲2:14辺りで最初に現れるフレーズの拔萃なのでありますが、31EDOを顕著に感じ取る事の出来る特徴的なフレーズであろうと思います。

 このモチーフは4拍子での2拍分のフレーズを4回繰り返すものですが、譜例にも示している様にフレーズ冒頭の2音は半拍5連符の [3:2] のスウィング・レシオに相当する拍節構造となっておりますので、純然たる16部音符のシーケンスとはならない事に注意を払う必要があります。




 なお、セント量の増減値は全て幹音からの増減値であるという事もあらためて注意をしていただきたい点であります。

 次に示す拔萃フレーズは、原曲5:19辺りで現れる物で、冒頭は微分音的「増九」の和音として五声のコードとしてパッド系の音で奏されます。



 この和音を「増九」と称したのは理由があります。根音とする [a] より高めの音からまず11単位音程上方にある音は、長三度よりも1単位音程高い音となります。更に、増九の「五度音」に相当する音も、更に11単位音程高い所にあります。これらが微分音的に「重増五度」という三和音をひとまずは形成した上で、更に5単位音程高い所=自然七度より1単位音程高い所に七度音相当の音が加わります。更にこの音から15単位音程上方に音が加わるのですが、この音がこの和音での長三度相当(=根音から10単位音程上方)に現れる音となっているのが特徴です。

 12EDOに耳慣れた聴き方を基準とすれば、ドミナント7thに♯9thより微小音程的に高めの重増九度が加わっている様な状況と言えるでしょう。未来的なシャープナインスとでも呼べば良いでしょうか。そういうイメージで先ずは耳にしてもらえれば和音をイメージしやすいかと思います。 

 このパッド音は人声の様にも聴こえますが、sygyt社のVoceVistaのフィルタリング機能を使って各パーシャルを聴いてみたら、意外な事に人声を用いておらず単にシンセ・パッド系の様にしか聴こえませんでした。積み重ね方が何某かの純正音程(※純正律ではない)の近傍となる為、人声も通常は何某かの純正音程比の影響を受けているのだろうと、この音を聴いてあらためて痛感したところです。

 人の声ではない音も、純正音程を標榜する所に巧みに積み上げると人の声っぽく響くのだという事を実感したという訳です。但し、私の譜例動画デモはあからさまに人声としての音を用いておりますが、音程はオリジナルに準じているので似た感じになるかと思います。

 そうしてこのパッド音は、両外声および2声部目の音が同度進行であるものの、内声となるパート3&4が僅かに上行進行を採っているので、全ての声部を俯瞰すればこれらは「斜行(斜進行)」という状況であるのです。

 斜行に於て上行進行を採る内声部の内、パート3は2単位音程上行でありますが、パート4は1単位音程上行であるという所は最大限に注意を払う必要があろうかと思います。

 これらの内声での異なる音程跳躍が実に旨味のある声部進行にしており、このパッド音の最大の醍醐味となっている箇所であろうと私は確信します。私は、この内声の動きである1単位音程の進行を聴いた時、これは確実に31EDO近辺の音律であろうと確信したという訳です。

 とはいえ、『坂本龍一・全仕事』に掲載されている譜例は全て12EDOに均して山下が判断を下している物で全く参考にならないのであり、他の坂本龍一本人のインタビューなどを見ても31EDOに関して言及している事を目にする機会などなかったので、私自身こうした事実を言いふらしたとしてもキ○ガイ扱いされるのもアレなんで、ずっと封印していたという訳ですね(笑)。

 そうしてブログを書き進める内に、微分音の話題を増やして行った時に語れば良いだろうという風に判断してから数年の経過を経て今漸く「A Wongga Dance Song」を語るに至ったという訳であります。

 私という人間に対する信頼が足りないせいもあって坂本龍一が微分音を用いているという確固たるソースが他に存在しない状況では、こうした事実が広く知られる事になりにくいというのが悲哀な現実ではあります。

 私自身の音楽経験に於いて微分音というものを俯瞰してみると、不思議なもので12EDO以外のハーモニーを耳にすると口の中で唾液がジュワッと溢れて来るという感覚に遭遇します。花粉症で鼻汁が出る様な感覚に近い感じです(笑)。昔、ロッテから「クイッククエンチ」というチューインガムが販売されており、それがあまりに美味しく飲み込みたくなる位に酸味の効いた味だったのですが、ああいう感じの唾液の出方です(笑)。おそらくは交感神経に作用する様に脳細胞が繋がったのでありましょうが、こういうのも感覚的共感覚のひとつなのではないかと思います。

 懐疑的にならず素直に耳を駆使してあらためて眼前に遭遇する「不思議な音律」を聴いて測ってみて欲しいと思わんばかり。私の勝手な妄言ではない事に気付かれた時点で、坂本龍一の微分音使用が判る筈です。

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