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初期Casiopeaを代表する1曲「Black Joke」 [楽理]

 野呂一生作曲に依る「Black Joke」の高速フレーズは、1拍6連符で8つのパルスが刻まれる事で強拍を蹂躙するかの様にして叛く所にあるというのが複雑怪奇と為している部分であります。更には、8つのパルス構造になっているそのフレーズもギター&ベースの運指の側面から鑑みると、1本の弦あたり2・3音としてクロマティックを挟む部分で3音を奏する事となって「2と3」が8つのパルスの間に介在して来るので結構リズムを取りづらい難曲に数えられるひとつである事に疑いの余地は無いでしょう。


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 今回私はそんな初期カシオペアの名曲のひとつを譜例動画として取り上げる事にしたのでありますが、私個人としてはそれほどカシオペアを好んで聴いていたという訳ではありません。懐かしさが伴うので記憶に残る曲はあれど、躍起になって聴いていたという程ではありませんでした。私の周囲には熱狂的なファンは居りましたが、私がそこまで熱狂的になれなかった理由のひとつとして、カシオペアの場合インプロヴィゼーションが稀薄であるという事。これに尽きるかと思います。

 バンド・アンサンブルに於ける一体感とテクニックには確かに目を瞠る所があります。唯それは、周到に準備されて統率されたアンサンブルなのであり、ギグの回数を重ねて装飾的に生じたであろうインター・プレイがその後のライヴに周到にリフ化されたりフィギュレーションを重ねて曲の装飾として新たなアレンジが加わるという部分を私は彼等のライヴで何度も目撃して来た物でした。ですので、「ギャラクティック・ファンク」や「朝焼け」なども、飽きが来ない様に周到にブレイクは装飾を施されたりしていた物でしたが、カシオペアのメンバーで本当の意味でインプロヴァイズを執れる人は野呂一生と神保彰以外には居ないのではなかろうかと思います。

 その野呂一生とて、カシオペアの楽曲には気の利いた和声付けが「過剰に」行われている為、バックのハーモニーは非常に妍しい物の、ハーモニーの移り変わりがかなり仰々しくなってしまいインプロヴァイズの足枷せになってしまっていた感は否めません。或る意味では、周到な和声付けを重ねる事に拘ってしまった結果、コード・チェンジが仰々しい程に多くなってしまいインプロヴァイズはおろかリフ形成すら難しくしてしまったスティーリー・ダンのアンサンブルのそれに酷似する所があり、野呂一生とて自縄自縛に陥っていた感は否めません。ですので野呂のリード部分となっても、そのフレーズが完全なるインプロヴァイズとなっている箇所は非常に少なく、ライヴに足繁く通えば通うほど、彼等の「真の姿」が透けて見えてしまう物でした。

 そこで飽きが来ない様に粉飾を施すとサーカス・プレイに趨りがちとなってしまうという、皮相的で近視眼的な観客には受けが良いのですが、回を重ねる毎につまらなく見えてしまうのが正直な所でした。圧倒的なテクニックには納得が行くのですが、聴き慣れた時には新たなサーカス・プレイで惹きつけなくてはならないという、生みの苦しみを同時に味わっていたのではなかろうかと思います。

 計算され尽くされたそのアンサンブルは確かに緻密で目と耳の保養にはなりました。唯、トニー・ウィリアムスやブレッカー・ブラザーズ、チック・コリア、スティーヴ・スミス等のアンサンブルを観てしまうと、そのゆとりあるアンサンブルでの壮絶なインプロヴァイズとテクニックを聴かされれば、カシオペアのアンサンブルのそれに不足していたインプロヴィゼーションが一層露わになってしまっていたのは皮肉な所です。


 カシオペアの1stアルバムの最後を飾る「Black Joke」。本曲以外にもブレッカー・ブラザーズ、デヴィッド・サンボーンが一部参加しておりますが、何と言っても深町純がアルバム制作に関わっている事でありましょう。ブラス&ホーン・アレンジが深町純担当だったというのも彼等の独自の判断や解釈がアルバム制作に関与できなかったのはテクニック面ばかりに固執していた事が殃いしての事だったのかもしれません。それを裏付ける様に、本曲のコーダ部の執拗な2度ベースに依る分数コードは、ベースとトップ・ノートが重複(=両外声の重複)しているのですから、なかなか「珍しい」分数コードのヴォイシングです(笑)。



 深町純もこうした部分を指摘して直せば良かったのにと思わんばかりですが、意外にもこうした「素朴な」所があったりするのも興味深い点ではあります。作曲者の野呂一生がその響きをどうしても譲らなかったんでしょうね。分数コードの黎明期というのはこうした「いかにも」なハーモニーって有りましたからね、確かに。或る意味では懐かしさを感ずるのでもあります。




 扨て、「Black Joke」の一連の1拍6連符のフレーズのそれは、Eマイナーを原調として見た時の主音と属音に対して上行導音を用いている所にあります。アンヘミトニック(=無半音五音音階)のそれはLa調アンヘミトニック [la・do・re・mi・so] での [la・mi] に対して上行導音を得る様にしてクロマティックを忍ばせれば良いのですが、属音=mi に対して上行導音を得るのであれば表記の上では [ais](=A♯)を表すべきですが、コードが進行せずに結果的には下行形も備わってブルー五度=「♭Ⅴ」として機能させているので、楽譜では「A♯」を採らず「B♭」として表しているので注意が必要です。

 終止和音までの一連の2度ベースに依るブレイクは、これらが半音階を充たしているという事も示唆しているのは見逃せない所です。その上で終止和音は「Ⅳ/Ⅴ」の型となるのですが、実質的にはベースが完全十二度で、低い [h] (E弦)を親指、高い [fis] (G弦)を人差し指でダブル・ストップを奏している様なので「B13(11)」という風にも見る事ができるかもしれません。表記の上ではそのベースの [fis] を加えれば「A6/B」やら「F♯m7/B」とも表記が可能なのですが、敢えて2度ベースという分数コード表記の形として示す事にとどめた次第です。


 本曲を私がライヴで見聞きしたのは実は相当後の事でありまして、1987年の夏にFM横浜主催による観音崎での野外ライヴイベントにてカシオペアを観た時でした。私がカシオペアを85年に観た以来の2年振りとなるライヴで、85年当時のライヴはアルバム『Halle』からの曲を中心に演奏していた事もあり、旧い楽曲である「Black Joke」などそうそうお目にかかれない時代にカシオペアは演ってくれた訳ですね。「Black Joke」を見聞き出来たのは嬉しかった物です。

 このFM横浜のイベントに、私は友人5、6人程で啤酒を片手に観に行った物でしたが、「Black Joke」で驚いたのは、この1拍6連怒涛のフレーズを櫻井哲夫が親指1本で弾ききった事にはいやあ驚きました。右手のサムピングのアップダウンで弾いたのですが、この時ばかりはベースを例の5弦ベースから持ち替えて、ヤマハの当時の「Motion Bass」シリーズの「MB」の4弦、つまりミディアム・スケールのベースに持ち替えて、右手の親指はスラップをするかの様に構えるも、実際にはジミー・ハスリップ(ヘイスリップ)のスラップにも似たフォームでのプレイに依る物でした。



 ジミー・ヘイスリップの左手のスラップで特徴的なのはサムピングしつつも人差し指はピックを持つ様にして構えたままサムピングを施す所です。つまり、ピックを握った様なスタイルのままで櫻井哲夫は親指のアップダウン(に私は見えました)で弾ききったという所です。ピックは持っていなかったと思いますしサムピングと人差し指とのアップにも見えませんでした。ともあれ、その演奏の確かさを見聞きした時、曲が終わった時には平伏する位に敬意を表して憧憬の眼差しで観た物でした。あの時のあの演奏を観た人は他に数千人は居たとは思いますが、かなり幸運な観客ではなかったかと今でも思います。あの時代に初期のカシオペアの楽曲をやったという彼等にもあらためて敬意を表したいと思います。

※上掲のYouTube動画の再生ピッチは約32セント高いので、サンプラーに取り込む場合はピッチ・ベンド変化量が±2半音ではピッチ・ベンド・データを「-1278」とやれば、理想値を得られるかと思います。

 余談ですが、85年に私が観たカシオペアのライヴで櫻井哲夫がアルバム『Halle』収録の「Hoshi-Zora」という曲に於てフレットレス・ベースでスラップを繰り広げていた事があり、その音のお陰で、原田知世のアルバム『パヴァーヌ』収録の「ハンカチとサングラス」にて高水健司が奏するそれがフレットレスでのサムピング(&モノラル・デチューン・コーラス)である事が判明したのですから、テクニック面だけではなくエフェクト使用に於ても多くの手本となっていた事にもあらためて触れておかなくてはならないかと思います。







 本記事で私が辛辣な形で入ったのは「ブラック・ジョーク」であるからなのでご承知おきを。