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Sesqui tone(三分音)を語る [楽理]

 今回は、ジェイコブ・コリアーが自身のインスタグラム・フォロワー10万人達成時にデモ演奏を披露した特徴的な「2/3半音」というボイス・リーディングを聴いて感化されて書いた物であり、その特徴的な音律として微分音律のひとつの体系である三分音=18EDOを語る事にした訳です。


 この方面はあまり広くは知られていない事だと思うのでありますが、三分音は嘗ては一般的にSesqui tone とも呼ばれたものであり、他には Third tone などとも呼ばれたりします。全音音程を等音程分割している等分平均律に依る物で、三分音体系で有名なのはブゾーニでありましょう。

※「嘗て」が意味するのは、後述する1967年のユーゴスラビアの学会で発表された三分音の事であるものの、現今社会で sesquitone というと1.5半音=150セントの方と認識される事が多数であり、倍数接頭辞を利用するのであるならば三分音の単位微分音は1単位三分音=trient tone, 2単位三分音=two trient tone と呼ぶべき体系となるでありましょうが、いかんせんこうした微分音体系は未整備である為、取り扱う人々が思慮深く共通認識を有する事が肝腎であろうと思われます。

 三分音というのは十八等分平均律=18EDOなのでありますから、オクターヴが18等分されてしまう事で全音音程を3分割されるのであれば従来の半音は不等分に分割される事にもなり跳越してしまうのであります。

 1オクターヴには2種類の全音音程が生ずる事になります。全音を三分割するという事は2種類の三分音律体系を準備する事となる訳で、この音律体系で有名なのがブゾーニなのであります。

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 ブゾーニといえば『新音楽美論』『新音芸術美学草案』という論究が国内では二見孝平訳にて『新音楽美論』というタイトルで共益商社書店から上梓されているのですが、今回話題にしている三分音という微分音律は『新音芸術美学草案』にて書かれている物です。初版は昭和4年1月という古い書物なので、ブゾーニのこうした側面を知りたい方は柴辻純子氏に依る桐朋学園大学研究紀要第17集の紀要論文『ブゾーニの《新音楽美学試論》』を読まれる事をおすすめします。


 扨てブゾーニの「三分音」は、全音音程を3等分割する事を前提とする物なので、1オクターヴに2種類の全音音階が発生する以上、その三分音は2種類が生ずる事になるので、等分平均律の観点からすると18EDOではなく36EDOという事になる訳です。


 ブゾーニは五線譜ならぬ六線譜を用いて、三分音体系(※実際には36EDO)に依る記譜の煩わしさを克服しようとして企図したのでありますが、この六線譜が示すのは従来のト音記号やヘ音記号などで知られる [シ - ド][ミ - ファ] 夫々が半音という不文律は全く適用する必要の無い物で、譜面の各々の線と線は全音音程であり、同様に各々の間と間も全音音程であるという事でありまして、嬰変の変化記号は夫々が「+67/-67」セントを示す物という特殊な状況を示している訳であります。

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 三分音および六分音というのは、自然七度と非常に近しい音程を生ずる物です。自然七度というのは純正音程である訳ですから、どんなに六分音に依って生ずる音程が近傍値となって現われようとも、整数比で生ずる純正音程ではないのですから、純正音程を厳格に取扱う人はこれらをも厳密に区別しようとします。殊にベン・ジョンストンの数字を附与するそれは界隈で能く知られた物ですが、我々が通常、純正音程(=概ね完全音程の側)を標榜し乍ら平均律を奏する事がある様に、自然七度を標榜しつつ六分音の近しい音を奏するという事に何の誹りを受ける必要などありません。

 九分音や六分音では得られない微小音程のイントネーションを得る為に四分音や五分音が生ずるのも中東地域ではごくごく自然な事でありますし、九分音の方が純正音程であるにも拘らず、それを標榜しつつも、異なる体系を生じて独自のイントネーションを創出しようとするのは、国家間の思想・宗教観が音楽をねじ曲げてしまうのではなく、逆に音楽を更に分化させる要素となっている訳であります。

 ですので、「純正音程に靡くべき」とか「六分音と自然七度は厳密に別けるべき」という議論は、シーンに依って状況が変わる訳であります。純正音程を標榜しつつも近傍値で許容される場面とそうではないシーン。それらの前提を踏まえていないと、いざ微小音程を取扱おうとする際に路頭に迷いかねない事にもなるので注意が必要でしょう。


 ブゾーニが新たな音脈として三分音を提唱したのは、音楽の歴史を振り返ると其処には不等分平均律があった事もありますし、その過程では既にタルティーニは三分音を示す微分音を用いていた事もあります。

 無論、史実をもっと遡ればニコラ・ヴィチェンティーノが1561年に31音音階を発表していた訳ですが、こうした事実は固より、実際に微分音を取扱おうとする際には、単に既知の半音階に対して僅かな色付けとなる様な世界観なのか、それとも、まだ知る事の無い全く新しい音楽的世界を知る事ができる物なのか!? という疑問と欲求が起こる筈です。概ね後者の欲求が先にあり、前者が現実となって現われて来るのではないでしょうか。

 既知の半音階の中に異なる微小音程が具備されている方が、音響的な作用としてより強固な色彩を観ずるのは、やはり知覚の側面にて低次の完全和音や協和音程の為の「標榜」が感覚的に備わっているからでありましょう。この「感覚的」という語句の意味は、「なんとなく」という意味ではなく、誰もが意識する事なく完全音程や協和感を知覚出来る能力を意味する物です。画才がなくとも色を知覚したり、器楽的素養が浅くとも楽音を知覚できれば同様の、万人が備わっている健常的な能力の事であります。


 誰もが備える能力が無垢な状況であるならば、澱みなど全く無い状況こそが真正と思い込むでしょうが、経験が強化される事で無垢な状況は甚だしく予見を呈するので「ひねり」のある状況を欲する様にも成ります。微分音を用いた音楽的色彩とは間違いなくそうした「ひねり」のある状況でありましょう。とはいえ鐘の音というのは協和音程だけの集合体ではなく複雑な音響体でもありますし、金属感を感ずるという事自体が微分音を感じ取っているが故の事実でもありましょう。


 こうした事を前提として踏まえておくと、先のジェイコブ・コリアーのそれは、半音階を強化した為に用いている微分音なのであり、半音階の「微小音程的移高」という捉え方がより精確な理解なのであります。着地した地点では単に別の半音階体系なのですね。そこにも微分音を附与すれば完全なる微分音に依る粉飾が生ずるシーンなのでありますが、それは今回のデモでは用いてはいない訳です。


 とはいえ、「微小音程的移高」というボイス・リーディングがどれほど難しい物かは、器楽的素養無関係にそれが難しい物である事くらいは「感覚的」に判る事でありましょう。それを平然とこなしてしまっている所も瞠目に価するのでありますが、音楽的造詣の深さはさる事乍ら、その提示の仕方というのが実に巧みで、過去の先蹤を拝戴しつつも押し付けがましい物ではない所に好感が持てます。ジャズやポピュラー音楽しか聴かない人に、突然ブゾーニの話をしても忌避されるでしょうし、そういう事をせずに逆手に取って興味を惹き付ける様にしているジェイコブ・コリアーの音楽愛は素晴らしいと思う訳です。


 今回私がジェイコブ・コリアーのデモ動画を採譜するに当って参考にしたのが1967年旧ユーゴスラヴィアの国際音楽学会でのSesqui toneの表記法であります。尚、動画内の譜例2小節目拍頭最低音のE音は私の記譜ミスでありまして、デモの実際には用いておりませんし、奏される必要のない全く無関係の音であります。Finaleの操作ミスと確認ミスでこの様になってしまいまして混乱を招いてしまいますがご容赦を。



 この表記法で注目すべきは、微小音程となる単位微分音の音程の呼称なのであります。例えば嬰種の1単位三分音は「セミ・シャープ(semi-sharp)」であり、同様に嬰種2単位三分音は「セスクイ・シャープ(sesqui-sharp)」という語句嵌当なのであります。

 通常ならばでは四分音などは1単位四分音=クォーター・シャープ(quater-sharp)、3単位四分音=スリークォーター・シャープ(three-quater sharp)などと呼んだりする訳ですが、完全に半分に等分割できない時の、先の様な語句嵌当は確かに能く配慮された語句嵌当だとつくづく深く首肯するのであります。尚、補足しておきますが先の三分音での2単位三分音で示されたsesqui-flat に用いられる変種変化記号がタルティーニ・フラットでもあります。


 これらの前提を踏まえて、先の旧ユーゴでの学会に於ける三分音表記方法での2単位三分音に用いられる嬰種変化記号というのは、四分音でのトリプル・シャープと混同されてしまわれかねない物でもある為、私は今回次の様な微分音程用の嬰変の変化記号を用いた訳であります。

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 今回の私の表記を一瞥すると、「きっちり三分音/六分音として微分化されていない!」と思われる方も居られるでしょうが、ジェイコブ・コリアーのデモは67セント移高しているのですから、次の様に読んでいただければ自ずとそれがsesqui tone で進行している事がお判りになるかと思います。その理由は、「quasi semi〜」から同様の異度の「quasi semi 〜」に跳躍してみて下さい。絶対値としては66だと云われるかもしれませんが、それが1単位三分音の音程だという事はお判りいただけるかと思います。

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 同様に、通常の十二等分平均律(=12EDO)での嬰変の変化記号と「quasi semi〜」間も1単位三分音なのであり、「sesqui〜」から重嬰の音程も1単位三分音だという事がお判りいただけるかと思います。変種の方の種類を省略しているのは、アロイス・ハーバが矢張り、その後嬰種の変化記号を優先する様になった事を踏まえてそれに倣って嬰種を強化した訳であります。


 「セスクイ」なんて聞いた事ねえよ! と思われる方も居られるかもしれませんが、研究社のリーダーズ英和辞典(※研究社の新英和中辞典だと 'sesquicentennial' しか掲載が無いので注意)でも目を通していただければと思います。念の為、私も他の英和辞典を調べてみましたが次の様でした。

【sesqui】の掲載
三省堂 ウィズダム英和辞典 初版 ×
東京書籍 アドバンスト フェイバリット英和辞典 初版 第4刷 ×(※'sesquicentennial' と 'sesquipedalian' の掲載は有り)
大修館 ジーニアス英和辞典 第4版 ×(※'sesquicentennial' の掲載は有り)
南山堂 医学英和辞典 第2版 △ (※'sesquioxide' 'sesquisulfate' 'sesquisulfide' の各説明に3:2の比が書かれている)
旺文社 オーレックス英和辞典 2010年重版 ○

 という訳で、今回のジェイコブ・コリアーのデモを採譜して私が模倣したデモに於ける変化記号について語りましたが、このデモで用いているのはNIのMassiveとMKS-80を背景に、NIのAbsynthのリード音を附与しております。MKS-80の揺れが無ければこういう風には鳴ってくれません。それでもジェイコブ・コリアーのクワイアーのハーモニーの方が綺麗に聴こえるのがあらためて素晴らしいと思える部分なのでありますが、私のデモのアルペジオは一部類推しておりますのでその辺はご容赦を(笑)。