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アラブ・中東地域に於ける微分音 [楽理]

 先日私は、ネット上にて大変興味深い記事を見付けました。それは、新聞媒体のみならずファッション界にも広く影響を与える事でも知られるフィガロのネット記事であり、コトリンゴさんがインタヴュアーとなってティグラン・ハマシアンにインタヴューをしているという記事なのですが、遉ティグラン・ハマシアン。基礎となる音楽的土壌に於て普遍的に微分音社会に馴らされている為か、微分音の話題がごく普通に現われて来ます。

 専門家でも尻込みしてしまいそうな音楽的側面をごく普通にファッション的なカジュアルな話題として取り上げられているという事も瞠目に価するのでありますが、単なる好事家目線で語られている訳ではありません。

 それは、ある程度の器楽的素養を持たれる方でも理解に難儀するインタヴューであろうと推察するのでありまして、私が今回取り上げる話題は、中東地域に於ける微分音の実際をざっくりと語り乍らティグラン・ハマシアンが語ろうとしていた意味を判り易く説明しようと企図する物であります。

ティグラン・ハマシアンにコトリンゴが聞く、アルメニアと彼の音楽の魅力

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 アラブ諸国における微分音はひとつの例として、トルコ地域とは異なるペルシア地域──イランを始めとする国──では、「四分音」という風に、半音を等分に半分割した物が用いられる物の、実際のそれは単に半音の中庸という風なざっくりとした「標榜」である物で、その触れ幅は50セントという物ではなく五分音に近しい40セントや三分音に近しい物もあったりするのも現実です。


次の譜例はペルシア地域に於ける12種のダストガーの音階であるものの、実際にはオクターヴ跳越する音組織である為、記譜上の音よりもオクターヴ移高された音の実際は更に微小音程として異なるので注意が必要です。譜例は『ニューグローヴ世界音楽事典 第1巻 575頁』の物と阪田順子著『20世紀におけるペルシア伝統芸術音楽の伝承』(冬至書房刊)のもの。



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 アラブ全体を俯瞰して見た場合、それらの触れ幅のある微小音程というのは結果的に特定のイントネーションを標榜する微分的な純正音程であり、それは古代ギリシャから脈々と継承されるコンマ/リンマに基づいた体系から微分化されている物でもあり、今日のトルコに於てスピ・エズギがあらためて体系化した五十三等分平均律に基づく音律に於ける2オクターヴ内に有る49音に対して49種の音名を充てる49音律(五十三等分律からの拔萃となる)に内含される大全音(=204セント)を九分割した九分音が用いられる様になった訳であります。

 トルコ方面の九分音は純正音程比から得られる大全音(=204セント)から生じた物であり、他のペルシア地域では九分音には無い半音を半分として分割する音を標榜する(或いはその四分音を標榜とする触れ幅のあるイントネーションのある五分音など)音が存在するのが大きな違いなのですが、トルコ音楽の体系が分化していると考えて差支えない事でしょう。勿論ペルシア方面のそれはインド方面からの流入もあったでしょうが、体系的にはトルコ音楽が強く根差しており、そこから分化している訳です。

 抑もイスラム社会に於てはオクターヴの概念は無かったのでありまして、テトラコルドの重畳かペンタコルドの重畳という仕組みであった為、オクターヴを跳越している事は固より、中心音からテトラコルドを途中で変えた事によって戻って来る音が実際には近傍の音に帰着という状況も多々有る訳です。

 扨て、アルメニアという国は言語に於てはイラン語を借用する形で発展しつつも、文字は大主教メスロプ・マシュトツが考案したとされる体系がほぼ4世紀の当時と姿を変えぬ様に39文字(うち30音が子音)が使われるという非常に珍しい言語と云われる物です。宗教的にはキリスト教の影響も受けつつその後はオスマン帝国に取り込まれ、更にはトルコ人による迫害も受けて来た背景があるのですが、5〜9世紀の古期アルメニア語、11〜17世紀の中期アルメニア語、現代アルメニア語は文法的には夫々異なる物で、失われてしまった語法もあるのは、先のような過程を経て生じたものである事は云う迄もありません。音楽を耳にする限りではやはりアラブ諸国の「揺れる」微分音、特に九分音の性格が今回のサンプルとする先日Twitterでもリツイートされていた曲でも非常に顕著に現われており、上行形/下行形で異なる変化を生ずる4&5単位九分音が唄われているのが判ります。


Davit Tujaryan - Hars Tanem




 扨てこの曲の伴奏部は12等分平均律(12EDO)でのヘ長調(Key=F)を中心に記譜する事が可能なのですが、肝心の唄のパートはどのように「調号」を示せば良いのか!? という疑問を抱く方が居られるかと思います。それについては後ほど述べますが、この曲に関しては12EDOが混在する為、フィナリスとしてF音を採る方が望ましくなります。


 トルコ音楽は古代ギリシャ時代の大完全音列(=シュステーマ・テレイオン)を拝戴し、ギリシャでのメセーと呼ばれるA音に相当する音高をフィナリスと採る事もあるものの、基本的にはD音に相当するyegâhを基に49音律の音名が与えられており、中心音をA音やD音以外に採る移調を伴って記譜する物もあります。

 古代ギリシア時代では先述の様にA音を基とする音楽体系である大完全音列があり、それとは全く別系統にて楽器の調弦に伴ってフィナリスを採るという側面──ウードの指板上にて音名を充てるという体系──が併存していた事もあって中東方面の音楽体系は複雑化してしまった訳でもあります。とはいえ西洋の音楽がこれほどまでに普及すれば猶の事、西洋音楽と同化しても問題の無い体系と、それとは異なる体系との差別化を図る為の整備が必要となった訳ですが、この整備というのは20世紀に入って第二次大戦前の事になります。


 取り敢えず先の曲に於てはF音をフィナリス(中心音)と採る様にしてトルコ音楽独特のテトラコルド置換を行なっていけば、五線上では九分音に依る嬰変種の微分音記号を適宜表わせる物の、調号に「♭」を充てた場合、伴奏部の12EDOと明確に違いを示す必要があります。何故ならトルコ音楽に於ける一瞥すると「♯」「♭」という記号は、我々が通常用いるシャープ/フラットではなく次の例の様に、本位記号からの「♯」は4単位九分音を指しており、同様に本位記号からの「♭」は5単位九分音を指す事になるので、これらが厄介なのです。

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 唄のパートの調号を他のパートと同様に五線上の第3線に変種記号を1つ置くだけだと、この線上の音は実際には下属音の近傍として4/5単位九分音のいずれも移ろう事となる微分音が生じますし、それは他の音(上中音や下中音)でも同様に生ずる物なのです。こういう時、トルコ音楽はいずれの4/5単位九分音の両方を第3線上に併存させます。つまり先の例示した曲の歌唱部では、変種4・5単位微分音記号を第3線上に竝べて併記するのが彼等の標準的な記譜なのであります。

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 加えて、アラブ地域に於ける音階の総称を「マカーム」と呼ぶのは抵抗を感じておられる方も屢々居られますが、この抵抗感は本来なら器楽的な意味に於て取扱いを回避する事よりも、各国の政治・宗教的な側面を勘案したデリケートな側面という風に取扱う事が思慮深い取扱になるのですが、政治や社会思想への配慮をそのまま音楽に適用する必要はありません。何故なら現実にはトルコ音楽の規範とする体系から枝分かれして瀰漫しているからです。

 本来なら政治と音楽を明確に区別して取り扱わなければならない側が、両者の取り扱いの違いを混同して結果的には取り扱いに尻込みしている傾向がある悪しき側面が顕著に表れたりするのが専門的に取り扱われる事のない好事家が能く見せてしまう悪しき例であったりする物です。

 斯くして「マカーム」を音階の総称として呼び「バヤーティー」という名称を「旋法」の方で厳密に用いている所もありますし、エジプトでは「ナガム」と呼ぶ事が一般的であったりもします。いかんせん「バヤーティー」と呼ぶ事よりも「マカーム」という総称の方が今猶広汎に瀰漫しているので「マカーム」と称した方が理解がスムーズなのであります。

 所謂ペルシャ音楽と称されるイラン地域はトルコとは異なる物で、歴史的にアラブやトルコの政治的支配もあってペルシャ側独自の視点からの文献の詳細が知られていないという事に加え、イスラム以後はアラブの支配にあり独自の文化の発展が弱まってしまったという歴史的背景があります。

 そうして19世紀には軍楽指導の為にフランス人をイランが招聘した事を鑑みれば、嘗ての日本がドイツに学んだという事と似る物があると言えるでしょう。ペルシャ音楽に於ては12の旋法をマカームと呼んだり、その内の主要な7つの旋法をダストガーと呼んだり、残りの5つの旋法をナグメと呼んだりしたりします。亦、四分音を「標榜」とする微小音程も50セントの近傍とは採らずに24セント(=大全音の1/9となる)を採るのはトルコ音楽に準則している物で、トルコ音楽というギリシャから端を発する五十三平均律に依る大全音の九分音というのは、こうした異なる地域でも実際には反映されているのです。但し、ペルシャ地域での音程の採り方は五十三平均律のそれではなく十七平均律が基になっているという事実もあります。

 イラン音楽の場合は次の様に四分音の変化記号が存在します。但し、明瞭な四分音という訳ではなく触れ幅のある不明瞭な四分音というのは不文律として備わっているのが現実です。

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 前掲の地域に於ける政治・宗教的背景という事まで考えが及んだ時、音楽の部分はそれほど深い知見で探ろうとしていないにも拘らず、他のデリケートに取扱うべく政治的「配慮」が邪魔をして、言語の取扱いと同じ様な細かな違いが「マカーム」にあるのか、というと全くそんな事はなく寧ろ、「他国の不利益こそが我が国の利益」とばかりに西側に国境を策定させられてからの過当競争力が地域の治安をより一層悪化させて来たにも拘らず(アラブ以外にアフリカでも同様)、音楽の側面はというと、決して自国独自のスタイルが国毎に体系があるのではなく、アルメニアとてトルコのマカームの体系を享受しているのだとあらためて痛感させられた次第です。


 扨て、ティグラン・ハマシアンのインタヴューの内容を参考にし乍ら、記事の意味が不明瞭な側面を述べていきたいと思います。その為に前提として置いておきたい知識があるのでその辺りを語っておきましょう。基本的に


●「純正音程」を強く意識し乍らフレージングを進めてしまうと元の音に戻って来れない現実がある
●トルコ音楽を筆頭に中東では、逐次テトラコルドを変化させて曲調を変える


という前提知識が必要となります。その上で次の譜例を確認し乍ら詳述する事にしましょう。この譜例の最初のA音=440Hzを「1」としましたが、これが最初の規準とする音で「戻って来るべき」音であると理解しましょう。



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 その上でこの「1」を規準とした長旋法系統(※私が茲で述べる長旋法系統とは、長旋法(=長音階)のトライコルドを共有しつつ長旋法に近似する微分音をまとった旋法の事を一括りにして指している物です)のフレーズが [a - h - cis - d] という風に奏されたとしましょう。そこで生じた長旋法系統の特徴でもある [cis] より50セント低めた音を生じて「2」という風に変化したとします。そこでの4音列は [a - h - cit - d] という風になります。

 今度は、「2」を着地点として新たなテトラコルドを生成する様にしてフレージングされたとします。同様に長旋法系統の4音列を生ずるのですが、基となる「2」から始めるため [cit - dit - eit - fit] という4音列をを生じます。この際「3」という [eit]音から純正完全五度上方にある音 [hit] を生じたとしましょう。これを1オクターヴ(=純正完全八度)低めた音を「4」とします。

 扨て、この「4」の周波数を計測すると興味深い事が判ります。基の「1」の周波数は440Hzだったにも拘らず、そのa音よりも高位にある筈の hit音の周波数が429.9‥‥Hzと物理的に低くなってしまっているのです(!)。

 ですので、この「4」というhit音を中立長二度低めてa音を得ると、「5」というa音を生じてしまい、何と同じa音であり乍ら絶対的な周波数は440Hzよりも遥かに低い359.34Hzを得てしまう訳で、440Hzとの差は結果的に「195.45セント」も差異を生じてしまうので、実質これはほぼ「長二度」も違う事になる訳であります。この様な現実をティグラン・ハマシアンのインタヴューで述べていた訳であります。


 扨て、[cit] やら [hit] やらと、私が唐突に見馴れぬ音名を例示した事で戸惑う方も居られるかもしれませんが、この音名はゲオルギー・リムスキー゠コルサコフが四分音律にて用いている音名ですので、それを今回採用している訳であります。

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 これらの状況を踏まえると、「オクターヴが存在」「行って戻って来られる」音律体系というのは、西洋音楽界隈で純正完全五度を積み上げてしまうと結果的にオクターヴがずれてしまう状況を埋める為に「不完全」に五度音程を均して行く事と同様の道を辿る訳でもあります。
 テトラコルドを曲中に巧みに変えても戻って来れる以上、そこには純正音程だけで頼っては路頭に迷う事となる為強固な相対音感を求められる事は固より、結果的には等分平均律に靡いた方が基本位置の音に戻って来られる事となり、西洋音楽由来の12EDOと混用される様になるのは自明でもあります。但し12EDOに屈伏するのではなく、強固な相対音感が必要とされる事で非常に僅かな微小音程的イントネーションを知覚する音感が養われる状況にあるというのは疑いの無い所でありまして、中東地域というのは斯様にして敏感に微分音を知覚しているという訳です。

参考ブログ記事

 ですから、ティグラン・ハマシアンがインタヴュー中で述べている「八分音」というのは、四分音よりも更に細かいイントネーションの事ではある物の、それは純正完全五度を11回繰り返した時にオクターヴがずれてしまうシントニック・コンマを包含する事も指しているのでありまして、そのコンマを明確に聴き取るからこそ「戻って来れる」のでもある訳です。また、単にコンマとして認識するのではなく、ハマシアンは八分音の近傍という風な取扱いをしているという意味合いで解釈するのが適当ではないかと思います。とはいえ、八分音という体系を新たに埋め込んでも齟齬を生ずる事のない音楽体系の中で生活しているという風に解釈しても問題はないと思いますが、八分音という音が体系として整備されていないと思われる中でこのように八分音の取扱いが出て来るのは大きな驚きでもありました。


 今でこそWikipediaを見れば、微分音のそれを知る事ができますが、三分音/四分音/六分音/八分音などの表記を理解する事は出来ても決して一義的な体系ではないという事もあらためて知っておかなくてはならないと思います。とはいえ四分音に関してはWikipediaのそれに倣っても差支えないとは思いますが、六分音/八分音に関しては四分音と比較してもまだ完全には整備しきれておらず多くの表記法が存在するので注意が必要です。