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ピコ太郎 [PPAP] 楽理的考察 [楽理]

 古坂大魔王扮するピコ太郎の「Pen-Pineapple-Apple-Pen (PPAP)」が巷間を賑わせておりますが、予想の遥か上を行く形容し難い程に奇異、全人類から見てもナンセンスに映るそれに、果てしなき笑いの輻射を感じてしまう私はついつい気に入ってしまったクチであります。ここで私が取上げるならば矢張り音楽面から語らないと、単に私がお笑いの世界からの方面から語っても何の意味も持ちませんので、楽曲面に於ける特徴などをこの機会に語っておこうと企図した次第であります。
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 私自身YouTubeにて、冒頭のフレージングを譜例と共にアップロードしているのですが、ド頭のオクターヴ・ユニゾンに依る8分音符のフレーズは、ARP Odyssey風の音でありましょうか。僅かにデチューンが掛かってピッチがズレており、アタックも少し緩やかな為、絶妙なヘロヘロ感が演出されているのが心憎い所です。この冒頭のシンセの8分音符部は4音×2節構造と成って居るのですが、この4音は某かのペンタトニックから抜萃される「ペンタトニック・ユニット」であるのが旋法性をふんだんに感ずる上で功を奏しているのが先ず特徴的な部分でありましょう。




 抑もペンタトニック・ユニットとは、《ペンタトニックを構成する断片》の4音であるのが特徴的な分類な訳でして、中心音からrelative(リラティヴ)にある音をオミットする事でペンタトニックの中心音が他の音へ中心音を転じてしまう事を避けて割愛され暈滃するという断片の形であるという姿なのであります。その理由として、中心音はそのモード・スケールの「Ⅰ」として振舞って欲しい音=フィナリス なのでありますが、Ⅰから見て下方三度(リラティヴ)となるⅥ度相当の音が副次終止音=「コンフィナリス」として機能してしまう事を避ける狙いから割愛される訳であります。

 断片という姿ではないペンタトニック(=5音音階)とて、実際には調性を持つヘプタトニックの音組織の断片ではあります。その音組織というのは教会旋法に括られる所の長音階/短音階およびそれらの変形のヘプタトニックを列挙する事が可能なのでありますが、それらの「調性感」の源というのは三全音の存在であります。音組織の中から三全音を省くという物が真正なるペンタトニックである訳でして、例えば幹音〈c-d-e-f-g-a-h〉という音組織の中から三全音〈f-h〉を省略した5音列は〈c-d-e-g-a〉であります。それを示しているのが次のex.1であります。
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 ex.1ではあらかじめ〈f-c-g-d-a-e-h〉という完全五度累積という形式にして表わしているのですが、この様な「五度音程」の累積がペンタトニックの源泉でもある為この様に表わした訳であります。完全五度音程を6回累積すると、両端の音(1個目と7個目)が必然的に三全音となるので、これらの両端の三全音を割愛した5音列が必然的にペンタトニックとなる訳です。

 また、この三全音を省略したペンタトニックの源泉となる姿というのは、約言するならば音組織の中から半音音程が消える事を意味します。つまり、調性感とはカデンツを経由する事に依るその過程での《解決》というシチュエーションにて大々的に生ずる半音音程に依る上行導音〈h→c〉下行導音〈f→e〉を無くす事でもあります。そうした調性感を司る三全音を消失しても調性感の残り香を感ずる様に振舞う強い音階の情緒を示すのが最たる特徴でもあります。そういう意味では仮に〈c-d-f-g-a〉と5音を抜萃しても、ペンタトニックという情緒とは異なる、単なる教会旋法からの5音の抜萃という風にしか聞えないのも特徴であると言えるでしょう。

 猶、その抜萃された5音列〈c-d-e-g-a〉は、各音どれもが中心音として振舞う事ができるのですが、中心音はいわば主音として振舞う事が出来るが故の「フィナリス」という名称が与えられる訳ですが、次のex.2のペンタトニック群を確認すればお判りの様に、これらのペンタトニック群から「ペンタトニック・ユニット」を得られる資格があるペンタトニックはex.2-1とex.2-3とex.2-4の3種類のみであり、他は主音から6度相当にあるrelative関係にある音が無いために、ペンタトニック・ユニットを構成しようとも、某かのペンタトニックである姿を類推可能になってしまうという訳です。
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 ペンタトニック・ユニットの重要性は、6度相当の音を省略しつつも3度・5度に相当する音が残る為に、背景の和音(=少なくとも3度堆積型)を基本的な形では網羅している為、強力な牽引力を伴う訳ですね。4音を用いても音階の断片を強力に扱うのは、背景の和音のトライアドの形を満たしているが故の事であります。
(※今回例示した5種類のペンタトニックの夫々が中心音とする音を根音とする和音を背景に映ずるという意味ではありません。ペンタトニックの中心音=フィナリスとする音は、某かのトライアドの根音 or 3rd or 5th音という「基本的な」和音である構成音の一部を背景に映ずるという意味なのでご注意を)


 扨て、翻って「恣意的」に4音を抜萃したとして、その4音をc音を中心音とした時のペンタトニック・ユニットとして振舞えるかどうかを考えてみますが、これは譜例に示す事なく思弁的に語る事が出来てしまうので文章のみで語ってみます。例えば〈c-d-f-g〉という4音を抜萃したとします。c音を中心音とする訳ですからその6度相当の音は「aかas」を類推する訳ですが、こうしたペンタトニックの型は先の5種には無い物です。何故なら中心音から3度音 =e音が無いが故に、音をシンプルに使っても調性感を伴わせる断片としては使えない恣意的な4音列だという事がお判りでありましょう。仮に背景に「Csus4」という和音にて先の〈c-d-f-g〉を抜萃すれば、便宜的な4音列は「恰も」ペンタトニック・ユニットの様に振舞えますが、抑もsus4という和音の響きで調性感を醸し出すというのは調性の対極にある響きであると思うので、これを態々例示する必要はなかろうとしたのはこういう意味を含んでいるが故の事であったのです。


 念のために附言しておきますが、旋法的な音楽観における「中心音」というのは「フィナリス」という風にも呼ばれます。このフィナリスは調性音楽における主音と同様の「中心音」の事でありますが、ペンタトニックという、音階構造としてはヘプタトニックと比較して「省略」されている状況であっても音階的な情緒を振舞える訳で、ヘプタトニックでなかろうとも「フィナリス」は生じます。突き詰めれば、2音しかない旋律のフィナリスは高次の音高がフィナリスであり、順次進行が3音継続する時のフィナリスは中央に存在する音がフィナリスと成るのも原則の一つです。

 加えて、日本におけるペンタトニックで忘れてはならない重要な事がもう1つあります。それは、日本においては一つのペンタトニック・スケールの中にフィナリス(=中心音)が2つある例もある、という事だけは忘れてはならないのです。

 例えばex.3は、幹音組織から得られるイ音を中心音(=フィナリス)として振舞うヘプタトニックからの全音階的ペンタトニック(※半音を含まない)の抜萃なので、この見方を変えれば《陽旋法からの全音階的ペンタトニックの抜萃》とも見る事ができる訳です。その際、前述の通り、日本旋法には同一の旋法に於てフィナリスが2音存在する事もある訳なのであらためてフィナリスを示してみると、そこには先のex.3の様にフィナリスが2種存在している、という事を示している物なのです。つまり、陽旋法という日本旋法の様な歌い回しを心掛けて旋法的情緒を意識して形成した場合、歌っている最中の節回しに依ってイ音で終止したりニ音で終止したりする様な、終止が一義的ではないという状況があるのを決して見過ごしてはいけないのであります。
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 余談ですが、琉球音階はex.4上段の譜例の様に示す事が出来、フィナリスは同様に2種存在し、ハ音に相当する「合」とヘ音に相当する「四」にフィナリスがあるのが特徴です。これら2種のフィナリスには半音で隣接する「導音」がありますが、実はこの導音は旧くは半音音程よりも広い中立音程である事は余り知られておらず、始原的な琉球音階ではex.4の下段に見られる譜例の様に、夫々は「ほぼ」150セントとなる物であるというのも重要な所であります。
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 扨て、唄う節回しの最中に終止音が移ろうというのはフィナリスが複数存在するが故の事でありますが、メロディーの音数がシンプルであればあるほど、中心音に相当する重力というのは先述した様に、2音であれば上位の音高がフィナリスたる様相を呈したり、3音の順次進行ならばちょうど2番目の中央に位置する音が振舞う様になる訳でして、そこでピコ太郎「PPAP」の冒頭の4音×2節に依る8分音符のヘロヘロなシンセのそれはあらためてペンタトニック・ユニットが齎す重力を見つめる必要性がありますが、調性を確定的にしていない「暈滃」のそれがポイントであり、下行形であるのも小洒落た物でもあります。上行形と下行形では旋法的に見て、開始される音からフィナリスに対して往々に隔てていく音程的距離と経る音の数が違う事があり、上行形と下行形とでは情緒がガラリと変容する事など珍しくありません。

 ピコ太郎のイントロの冒頭4音はC♯マイナー・キー(=嬰ハ短調)として理解する事が出来るのでありますが、それら4音は《主音→短調下主音→属音→下属音》という風に、主音から始まった中心音が下属音で「寸止め」されるかの様にして、このワンセットのフレーズを次の節ではオクターヴを低めてまた繰返すという所がポイントなのであります。

 下属音で帰結させている処が最大のポイントでありまして、例えば度数で見るならば音階構造というのは(ペンタトニックではなく短調としての)、〈主音〜下属音〉〈属音〜主音〉という2組の「テトラコルド」を類推する事になる訳ですが、フレーズの出だしとしては1組目のテトラコルドである〈主音・短調下主音・属音〉の3音を使い乍ら、次の節では「下属音」しか使わず、その下属音側のグループに含まれる主音が来て、他のモチーフが来るのかと思うと、またオクターヴ違いで繰返すという、もう一つのテトラコルドにある筈の音を削ぎ落としている為、非常に旋法的な情緒が深まるのであります。

 1つのヘプタトニック内に2組のテトラコルドを形成しているという風に俯瞰する事はとても重要な事であります。仮に、恣意的に抜萃した4音をテトラコルドに振り分けてみれば、それら4音が2組のテトラコルドに対してどのように音が分布しているのかが明確になるのがその理由です。

 
 例えば次のex.5の譜例は、ニ音(=d音)を中心音として強制的に見立てようと抜萃している4音列です。これらの4音は決して半音階の12音から抜萃した物ではありません。最終的には幹音から抜萃しているという原則に準拠して選んで来ている物であります。つまり、ヘプタトニックを類推した時必然的にハ調域の音組織を選ぶ事になるのですが、ペンタトニックがペンタトニックとして振舞う時の歴史から見るには、先ずは幹音に収まる体系を意識して構成する必要があります。
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 扨て、これら4音列を果してこれをペンタトニック・ユニットとして見る事ができるのか!? と分析する場合、既に確認できる〈d-e-a-h〉の4音列の内の「h音」が既に存在している事が判ります。すると、d音をフィナリスと採るペンタトニック・ユニットとして機能させるには根拠の薄い物となり、結果的にはこれらの4音列を某かのペンタトニック由来のペンタトニック・ユニットとして見立てるには、フィナリスはd音とは異なる別の音に由来を探る必要性が生じて来るのです。

 その場合、ex.5aの様な場合、「g音」の類推は[a-h]の2音から「h音」がフィナリスとして振る舞い、h音の3度下をリラティヴに見る事に依って生ずる事を類推可能な音、且つその類推し得る音は幹音に収まる物として見立てているので茲ではgis音が生ずる事はこの時点ではないのでg音を類推する事になります。

 もう一つの2音〈d-e〉から類推しうるフィナリスはそうしたら「c音」に成るべきでないか!? と推測される方は非常に賢明な方であると思います。処が、これら4音列のd音を「恣意的に」フィナリスとして扱おうとしている以上、 本来ならばc音をフィナリスとして成立させる方が〈d-e-a-h〉の4音列からペンタトニックの構造を類推する事が自然であるのに、実際にはそれは不可能となり、結果的にこれら4音列はペンタトニック・ユニットとして振舞う事はできぬ単なる4音列という事になる訳です。

 同様に、今度は〈d-e-g-a〉の4音列を提示した場合、a音のリラティヴ方面にあるf音およびd音のリラティヴ方面にあるh音と類推する事は可能ですが、その他に〈e-g〉間に類推しうるf音というフィナリスの存在がa音のリラティヴ方面に存在する音と強固に結びついてしまう為、これらの4音列はもはやペンタトニックではなくex.6-bの様な〈d-e-f-g-a〉という順次進行の抜萃または長音階/自然的短音階からの抜萃としてしか振舞う事のできぬ断片的な4音列の姿でしかないという事があらためて判ります。
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 このような「恣意的」なペンタトニック・ユニットおよび半音音程を含むペンタトニックに対しては、和声付けは既知の和声体系とは少々異なる様に振舞わないと、それに則した特殊な情緒は創出できず、某かの調性の薫りに屈服するという断片的な姿を見せてしまうという事をあらためて知ってほしいかと思います。


 ピコ太郎「PPAP」の特徴的な最初の4音列は、次の譜例ex.7で示される様に、下属音で一旦終決してしまう寸止め感を持っており、それでまた2節目の主音からのフレーズを繰返す訳で、弱進行感が伴う旋法性のある響きが演出される事となる訳です。
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 PPAPの最初の4音のペンタトニック・ユニットは、このペンタトニック・ユニットから類推し得るフィナリスは次のex.8の様に、gisを見立てる事が出来るのです。gisをフィナリスとする全音階的ペンタトニックを類推する、という事であります。ですので、曲そのものは嬰ハ短調であるのに対して、旋法的な意味ではフィナリスが嬰ト音にあっておかしくないペンタトニック・ユニットを用いるが故に、4音に依る2節のモチーフはcis音を2回繰返す事でなんとなくは主音への重力を感じつつも、残尿感を伴うかの様な弱進行的、或いは旋法的で情緒を嘯いている様に響くという性格が演出されるという訳です。
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 私の知人のひとりは、ピコ太郎「PPAP」の冒頭のフレーズを次の譜例ex.9の様に「誤解」していた物ですが、私が「ソレ、単なるペンタトニックやん!」とツッコんだモノでありました(笑)。然し乍ら、一般的に器楽的な能力は稀薄な人からすれば、この手のフレーズはex.9の様な重力に心を持って行かれてしまう(錯誤している)モノなのだとあらためて痛感した訳です。原曲のペンタトニック・ユニットから類推するペンタトニックを脳裡に浮べつつも、C♯マイナー・ペンタトニックという偽の姿(gisではなくcisにフィナリスがあるペンタトニックを想起しているという事)の情緒に負けて口ずさんでしまった、という例がex.9という悪しき例だった訳ですね。このような情緒に負けず、ペンタトニック・ユニットの本来の姿からフィナリスを類推する事は難しいモノなのだなあとつくづく感じた訳であります。
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 ピコ太郎の冒頭のそれの直後には32分音符に依る高速シーケンス・フレーズで、上行形メロディック・マイナーを忍ばせている所もなかなか思慮深いものと言いますか、嬰ハ短調っぽさを感じさせつつ、メロディック・マイナーにオルタレーションさせている「移旋」を伴わせているのが是亦心憎い演出であると思います。ゲーム音楽の効果音的な手法に近いと思います。


 折角なので、嬰ハ短調を2組のテトラコルドとして見る事にしましょう。すると次のex.10の様に見る事ができるのですが、冒頭から語った様に、「調性」という物はそのヘプタトニックで作られる音組織からの2組のテトラコルドに依って作られているのではなく、実際は5音のペンタコルドと4音のテトラコルドが組み合わさって生じているという事をあらためて知っておいてもらいたいと思うのです。
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 ex.10の譜例では2組のテトラコルドはそれぞれコモン・トーン(=共通音)を持つ事無く隔たり合っていて、この隔たり合った関係をディスジャンクトと呼びます。

 他方、共有している場合はコンジャンクトと呼ぶ訳ですが、調性というのはペンタコルドの核音をもう一つのテトラコルドをコンジャンクトして形成しているのが調性の姿なのであります。こうして西洋音楽の情緒は作られている訳です。これに関しては以前にもブログで述べた事があるので、今回あらためて詳述はしませんが、次のex.11の例を能く見ていただければお判りになる事でしょう。近親調への転調も、こうした関連性に置いて楽曲が彩られている訳であります。
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 半音音程を含むペンタトニックというのは、ペンタコルド+テトラコルドという双方からの断片を示唆し易くなる、という様相を呈するのであります。すなわち、半音音程を持たぬ全音階的ペンタトニックよりも、ヘプタトニックの情緒に近しくなるという事を示唆するのでもあります。勿論、恣意的に半音階から抜萃して来た5音列総てが調性に靡く物ではありませんが、調性とフィナリスという中心音たる嘯きという物をあらためて鞏固に脳裡に映じて貰い乍ら楽音を吟味できれば良いのではないかと思う事頻りです。


 扨て、ピコ太郎が何故これほどまでに全世界でウケたのか!? それは色んな考察もありまして、次の様な記事も大変興味深く読ませていただいた私でありましたが、楽理的部分に目を向けても「弱進行」感や旋法感があるというのが大きな特徴です。ベタな程に卑近であるそれなのに態々調性を嘯こうとしているのが滑稽でもあり(笑)、そんな事は楽理的な知識等なくともなんとなく、幼児ですらも薄々理解しているだろう事は容易に推察に及ぶ物です。

 私が感ずる事のもうひとつの特徴として、ピコ太郎のベッタベタな「なんちゃって英語」の律動や拍節感は、これまで日本国内で周知されてきた「なんちゃって英語」とは違い、ネイティヴに近い所が絶妙な部分であるかと思います。また、リズム構造も「弱勢」をメインにして、強勢で採る所が「pen」と「uhn!」というスキャット部である処が非常に特徴的であるのであります。


 例えばex.12に見られる歌詞のリズム構造ですが、これからも判る様に、拍頭は休符で入っており冒頭1小節目の強勢は「pen」のみで、これと同様の拍節感が2小節で続きます。そしてスキャット部も2拍の間を採って3拍目で「uhn!」とスキャットする訳で、茲で抜萃したAテーマ部(※本曲は楽節すら希薄なイントロとAテーマだけですが)では一つも1拍目の強勢で読むパターンは無いのです。あっても強勢は先の2つのみなのです。
(※文中で述べている強勢とは、「強拍にある強勢」を意味する物なので必然的に「強拍にある拍頭」を意味して事となるので、本曲の4/4拍子では自ずと1&3拍目にある拍頭という事を意味します。他方、「弱拍の弱勢」という言葉の意味はこの拍子構造ならば2&4拍目にある拍頭ではないパルス部分の事を指すので御理解のほどを)
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 更に、先の2小節目の8分音符5つ分のパルスで「I have an apple」と読んでい乍ら、これとほぼ似た構造の後続「パイナップル」の部分では、リズム構造が違う事が判ります。従来の「なんちゃって英語」の感覚でのリズム構造ならば、おそらく次のex.13の様に「I have a pineapple」という風にされていた事でしょう。
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 ex.12の「I ha-ve -a pine-apple」の部分の付点16分音符など、実際には、英語が母国語圏の人であってもこの様なリズムを態々念頭に置いたリズムで意識的に発話している事ではないでしょう。ほぼ無意識的にこの様な付点16分音符またはこれに近しい符割の構造を持ったリズムで発話(歌唱)しているのが実際でしょう。そうして無意識的に操る言葉をいざ採譜してみたらこれに近しいリズム構造になっている事を実感する訳でして、英語を母国語とする人の発話は、発音と同時に自身の発話の律動や拍節感の符割を意識している訳ではないというのは容易に推察に及ぶかと思います。

 このような、無意識に発話している付点16分音符で表した当該箇所は所謂「引き」のリズムですので、「引き」を意識する事なく「流れ」のリズムで自然と言っている様な発話ですので、通常の日本語の様に1音1音「モーラ」で区切られている発話のそれに慣れてしまっている人にとっての「なんちゃって英語」ならば、先のex.13の様に「I have a pine-apple」を充てただろうなと私自身は強く信じているのでありまして、ピコ太郎が従来の「なんちゃって英語」とは異なる、ネイティヴ圏に受け入れられやすい発話となっているのが、グローバルにウケた部分の一つであるとも言えます。勿論、そのウケている部分は、非常に無意味な前後の繋がりを恥じらいもなく強行している処が最も評価されているのだと思いますが(笑)。


 このような奇異でナンセンスなそれに、私は、平成の新たな文化や平成エロ・グロ・ナンセンスみたいな物を投影するのでありますね。政治に嘆息する現今社会におけるエロ・グロ・ナンセンスという風潮は実は日本だけではなく世界でも感じられている物でもあるでしょうし、このようなナンセンスな部分を見過ごす事なく、誰もが「嗤笑」しても誹りを受ける事なく嗤っていられるコンテンツをピコ太郎は提供したのであろうかと私は感じます。ピコ太郎には恐らく多くの属性を纏ったキャラクターであるかと思います。ヤクザ、オネエなどの属性ですね。まるで、物心ついた時からトルエンまみれでヤンキー時代を過ごして、果ては任侠の世界に入り男色にも目覚めてしまったかのような出で立ちで、何とも意味不明な英語を呟き始めるkinkyなオッサンが一々キャメラに一瞥呉れる目線が艶かしく面白い(笑)。コレがツボなのでありましょう。

 
 まあそんなワケで、ピコ太郎からも楽理的に学ぶ要素はこれ位はあるという事で、音楽の深みを存分に堪能していただきたいと思うのであります。