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これぞ分数コード! [楽理]

 扨て、これまで幾度となく非凡な分数コードの使用例・使用曲を取上げレコメンドしてきた訳でありますが、分数コードを使わない人からすればそれそのものが凡庸な用例とは異なる曲想を抱くかもしれません。とはいえ分数コードとて、その中でも多く使われる類のものは概ね限られて来るものでもありまして、そうした響きから得られるものが何れは卑近な響きに聴こえる事は決して少なくはありません。


 然し乍ら、分数コードの最大の魅力というのは機能和声進行を暈す所にある訳ですから、弱進行・転調感とも違う、正視しない様な楽曲の「横顔」を見る様な気分にもさせて呉れる物です。

 とはいえダイアトニック・コード群から得られる分数コードの使用例など概ね限られて来るものでして、そこに如何にしてノン・ダイアトニックな響きを忍び込ませるか、という所も重要なポイントですが、所謂セカンダリー・ドミナントで生ずるノン・ダイアトニック方面への「導音欲求」というのは、その前段階の和音からなんとなく「来るぞ来るぞ」という感があるのは否めません。その予想を起さずにノン・ダイアトニックのドミナント7thコードが現れたりするだけでも、この衒いの大きさはドミナント7thコードに耳馴れた者(それが下方五度進行をしないタイプのドミナント7thコード使用例であったとしても)からでも、その鮮やかさに一層耳が注力される事もある物です。

参照ブログ記事

 今回用例として取上げる曲は山下達郎のアルバム『Pocket Music』収録の「土曜日の恋人」という曲であります。嘗てはフジのひょうきん族のエンディング・テーマにもなっていたりもしていたので(EPOじゃなくて)黄金期のフジにて使われていた楽曲なので知る人は少なくないであろうかと思います。今回の曲は一般的にも知られているであろう、且つ耳に馴染んで居乍ら、楽理的側面を探究するとそこには複雑な和音進行が忍ばされていたという事を知れるという曲であり、私の中の分数コード使用例の曲としてもトップに位置付けられる位素晴しく非凡な和音進行を見せてくれる1曲である事は間違い無いと信じて已みません。

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 今回は抜萃部分のデモも作りましたし、コード進行も用意したので早速コード進行の方から次にコード譜を確認してもらう事にしましょう。
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イントロ〜A〜Bという3パターンのコード進行を載せておきましたが、その中でも詳しい注釈が必要な所に番号を振っておりますので、番号順に説明して行く事にします。

 まず1番のコード「G#m7(on C#)」は、この曲は嬰ヘ長調(=F#)なので、Ⅱ on Ⅴ(=ツー・オン・ファイブ=Ⅱ on Ⅴ ※ツー・ファイヴではない)という4度ベースの分数コード(オン・コード)である事が判ります。その後の2番目のコードは非凡です(※元来4度ベースはⅣ6/Ⅴという2度ベースからの変形でもあります)。

 その2番目のコードは「Gm△7(on C)」。なかなかこの和音の使用例は遭遇しないでしょうし、非常によく練られた和音であると思います(※ハットフィールド&ザ・ノースの1stアルバムに収録の「Calyx」冒頭から3つ目のコードが、マイナー・メジャー7thコードの四度ベースの型です)。



 ポリ・コードで考えれば「B♭aug/C△」の断片とも考えられるので、それを思うとドナルド・フェイゲンのアルバム『Kamakiriad』収録の「Tomorrow's Girls」の冒頭「Eaug/F#△」にも似た類の物ではありますが、時代を遡ってみても達郎が先であるという所が心憎いじゃありませんか。私が音楽界広汎に識らないだけかもしれませんが、私の知る限りに於て「マイナー・メジャー7thの4度ベース」の使用例というのは本曲以外に知りません。探せばあるのかもしれませんが私の知る限りではこの使用例は「土曜日の恋人」以外に知りません(※後年の作品としてのマイナー・メジャー7thコードの4度ベースの使用例となる楽曲は有ります。近年の作品で照らし合わせて抜粋すると、ユニヴェル・ゼロのアルバム「Phosphorescent Dreams」(邦題:『燐光』)収録の6曲目「L'Espoir Perdu」(邦題:「絶望の淵」)内でも使用されています。当該和声となる物は「CmM7 (on F)」という風に聴く事が出来る物です(拙稿PDF『UZPD』46頁参照)。

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 尚、山下達郎のアルバム『Spacy』収録の「Candy」でのAテーマでの埋め込み当該箇所は、主音=C音を「♯11th」として応答させる様にして、「G♭9」上で響かせる様にしております。一部界隈ではこれを「Caug/G♭」と解釈している所もあるようですが、松木恒秀が特に [b] を響かせているので、このコードは紛れもなく「G♭9」構成音= [ges・b・des・fes・as] ですので注意をされ度し。


 本コードを「F♯9」と解釈しない理由は、[fis] をルートとするドミナント7thコード類型としての♯11th音は「B♯」というB音から派生する変化音なのであって決して「C音」なのではありません。無論、「異名同音」としては [his] [c] の両者は、鍵盤上では物理的に同じ位置であるものの、取り扱いは全く異なります。ボーカルが「主音」を唄う以上、それは導音=H音がさらに半音上がった [his] では決して無く、[c] を♯11thとして見立てるには、コードの本体としてのルートは [fis] から見た増四度ではなく、 [ges] から見た増四度であるのです。

 また、Ⅴ7 (9、♯11)の第3音をオミットすると結果的には「Ⅱm△7/Ⅴ」の型を生じますが、オルタード・ドミナント・コード系統の型に非常に近しいとはいえオミットした第3音が必ずしも、ドミナント7thコードとして原型を類推した時の第3音がメジャー3rdであると決定づける訳には行かないのです。場合によっては「Gm7 (9, ♯11)」というコードからマイナー3rd=B♭音がオミットされているというケースも有り得るのでありまして、このような珍しい短和音種はそれこそアーサー・イーグルフィールド・ハルの『近代和声の説明と応用』で紹介される和音をも視野に入る事にもなります。同時に、マイナー・メジャー7thコードのⅣ度ベースを生ずるという事は、必ずしもオルタード・ドミナント・コードから省略された不完全和音ではないという事も同時に念頭に置く必要があります。


 強調しておきたいのは、こうした非凡な響きがごく自然にポピュラー音楽に使われているという所。茲が大きなポイントではないだろうかと思わせて呉れる訳です。又、このマイナー・メジャー7thの4度ベースを挟み込む事によって、当初のツー・オン・ファイヴも本来なら機能的に言えば調性が確定していない暈された状況であるのですが、ツー・オン・ファイヴにある程度馴れている人ならこれを耳にしてもある程度はⅠであるF#の方のベクトルを向く事は可能な訳です。

 そのベクトルがリセットされ3番のコードが出て来るのですが、本来なら嬰ヘ長調の属音で現れて良かった筈のB音を根音とする和音が実際には同位和音側(※同位和音は同主調の音組織を意味する)の属和音しかもそれが導音欲求化していないエオリア調のV(F#マイナーのドミナント・マイナー)として、ツー・オン・ファイヴ型のコードが調性を変えて出現するかの様に出て来ているにも拘らず、劇的な転調感は希薄である所が最大の魅力であるとも言えるでしょう。




 しかもそのドミナント・マイナーに対して短調側の「Ⅰ on Ⅳ」して見立てる事が可能なツー・オン・ファイヴ型「Bm7(on E)」を使って来るのですから、これもまた素晴しい展開です。

 これら4小節をもう一度リピートして、異なるツー・オン・ファイヴ型の進行を忍ばせつつAパターンに進むという訳です。

 扨て、茲までの流れで特に3番目のコードに於てあらためて述べておきたい事があります。3番で使われるツー・オン・ファイヴ型のコードは(※上声部と下声部との機能の実際がどうあれ、総じてツー・オン・ファイヴ型と述べている所は御注意を)、もしかすると「D6/E」と表記してもおかしくないのでは!? と思う方が居られるかもしれません。

 何故なら私は過去にも6thコードの取扱いをこっぴどくやっているので、D6という和音の6th音を限定上行順次進行させるとするとCかC#の音へ進んでもおかしくないのでありますから、後続の「G#m7(on C#)」がその条件を満たすのではないか!? と疑問を抱く人が居るのではないかという懸念を今こうして述べているのであります。

 併し茲では「D6/E」は相応しくありません。A音を根柢とする和音へ行くならば「D6/E」が相応しい表記になるでしょう。併しここでは「Bm7(on E)」が正確でありましょう。何故なら後続和音のC#は基底のベース・パートが持つ音であって上声部に限定進行音とならない状況にあるのは明白だからです。D6はノン・ダイアトニック(F#メジャー・キーからみれば♭Ⅵ)であるので、これが少なくとも弱進行しており且つ英名B音から順次上行進行するという動きであるならば初めて「D6/E」が成立しても良い状況であると述べたのはそういう理由からであります。


 そうした前提を踏まえてAパターンの2小節目で出て来る4番のコード「A#m7(on D#)」というのは、ツー・オン・ファイヴ型のコードで有り乍ら、パッと見では「Ⅲ on Ⅵ」でもあります。これは実は平行短調側(つまりD#マイナー=嬰ニ短調)でのツー・オン・ファイヴなのです。しかもこの平行短調=嬰ニ短調の属和音が導音欲求を起さずⅤ度はドミナント・マイナーとしてのエオリア調の解釈というのが望ましいものなのです。何故Ⅴ度となるベースが単音なのに態々和音を想定してまでエオリア調と見立てる必要があるのか!? というと、いくらベースが単音であろうと、上と下の世界もモード・スケールを想起した時に、エオリア調としてではなく導音欲求を与えてしまうと、このコード「=A#m7(on D#)」にて生ずる和音外音をフレージングする時に「E#音」を使ってしまいかねない想定をしてしまう怖れがあり、それを避ける為に導音欲求を起さずにエオリア調を堅持した物でないと、折角の和音の響きを疏外するからなのであります。

 ですから、セカンダリー・ドミナントの情緒に馴れ切ってしまった人が、導音欲求の現れていない所に対して機能和声的な捉え方をしてしまうと、折角の分数コードの響きを疏外して、機能和声的な使い方になる事に等しいので、それを避ける為にこの様に詳悉に述べている訳です。


 扨てそうしてパターンを次のBパターン迄進めます。すると2小節目の5番を振ったコード「E9」という本位9度音を持つ「E9」がある事に気付きますが、ノン・ダイアトニック(E音という音度はF#メジャーに於ける♭Ⅶ)で現れる「長属九」が生じた時、コード表記に与えられていなくともモード・スケールの想定の時には必ず必要となるので、その11度音が「増11度が相応しいか本位11度音が相応しいか」という事を瞬時に見抜く必要があります。勿論殆どのケースにおいてノン・ダイアトニックで生ずる長属九の11度音は増11度音を充てる事が相応しい物であるでしょうが、即ち長属九+増11度というのはメロディック・マイナー・モードでのⅣ度の和音でもある訳ですから、非チャーチ・モードであるモード・スケールとなる訳ですからこの取扱が重要になってきます。惰性でチャーチ・モードの音並びを弾かない様に注意をしなくてはならない所です。


 扨てBパターンの4小節目の6番と振っているコード「G△7(♭5)(on A)」ですが、このコードは今回最もこっぴどく説明する必要がある物でありましょう。

 この「硬減長七」の2度ベースというのは最も非凡とも言える用例でして、ここから後続和音「D△9」へ弱進行している所も見逃せない点です。この後続和音「D△9」を「G△7(♭5)(on A)」という和音から既に想起していた場合、おそらくそれが最も「卑近」なアプローチとなるのですが、それはつまる所ニ長調の音組織を早々と想起してしまう事に等しい状況であり、この状況を是としまった場合、「G△7(♭5)(on A)」という和音は実際には「A7(9、13)omit 5」という型にて後続和音に対して明確な下方五度進行をしているアプローチとして見立ててしまう状況と見做す事になるでしょう。それが次の図版で示している物です。

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 併し、それを「卑近」と呼ぶのは訳があります。「G△7(♭5)(on A)」という上声部和音構成音が持つ「D♭音」は決して「C#音」であってはならず、G音から見た5度音であるべしというスタンスが私の採るアプローチであります。

 卑近な用例として、或いは無難に収まるモード・スケールの想起とやらが「G△7(♭5)(on A)」上にてニ長調の音組織を想定しておく事が九分九厘のケースで想定されるアプローチでありましょう。しかし私の耳には茲の和音は決して「A7(9、13)omit 5」とは聴こえず、「G△7(♭5)(on A)」という硬減長七が生じて、それに見合うモード・スケールとして和音外音はC音を有するモードを想定する事が重要であり、私の耳には和音外音としてC音が相応しい状況であるという判断の下にて茲に「G△7(♭5)(on A)」という硬減長七の2度ベースを充てたのであります(※「硬減」を想起している時点で長三度と減五度の間に完全四度があるという状況を想起している事になる)。


 そうすると G△7(♭5)(on A) -> D△9というコード進行に於て、音組織は次の例の様に変化(転調)しているという事を意味しているのです。

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 私が今回こうして示している側で見られるモード・スケールとやらには一般的に相応しいモード・スケールの名称を与える事は難しい物なので、どのようなモード・スケールの名を与えれば良いのかというのは私自身もそこまで拘泥はしておりません。というのもこうした耳馴れない類の音並びというのは往々にして方々で体の良い名称を何の躊躇もなく充てられてしまう事が常であり、市民権を得られていない自由空間に対して己の色を落としたいとばかりに語句の嵌当ばかりを急いてしまう悲哀なる向きが世俗音楽界隈では蔓延る性質があるものですから、私はいちいちそれらに追従しないスタンスを採る為、この手の事に拘泥しない訳であります。スケールの名称があるのが重要なのではありません。

 そのスケール名が試験に出る可能性があるので覚える必要があるというシーンなら致し方ないでしょうが、試験に出て試験に受かったからといって音楽人生を保証される訳でもないのですから、おそらく殆どの場合は音楽の魅力があまりに大きく音楽界隈の知識を得る事が自分自身を高めてくれる事に昂奮し、その魅力に取り憑かれているので多くの知識を得ようとして名称に拘泥するというのが多くの人達の基本的スタンスでありましょう。そうした名称を得るに当たってWolfram|Alphaやらを用いれば某かの名称を幾つか引っ張ってはこれるでしょうが、それとて沢山の可能性がありすぎて一義的な答を導く事は出来ない事であるのも明白であります。こうしたケースに対して一義的な在り方そのものが無粋であるので名称を充てない事の方が無難であったりする訳です。

 本題に戻りますが、少なくとも私の耳にはこの部分のコードは、幾ら後続和音に「D△9」という和音があるにしても、その前の段階からニ長調の音組織を早々と使うのではなく「G△7(♭5)(on A)」の和音外音にC音があるという状況が最も良い判断であると思っているのです。


 今回のこうした特殊な点を取上げたいが為に、これまでにスパイロ・ジャイラの「A Ballad」でのドミナント7th(9、13)の用例や下方五度進行をしないそうした例を語っていた訳なのです。今回の山下達郎の「土曜日の恋人」の一連のコード進行は機能和声的ではなく、寧ろベース・ラインが機能和声的な流れでフレージングしている訳です。この「カウンター的」な上声部の和音進行とベースの機能和声的ラインのバランスはこの曲がポップスである為には重要なバランスなのではありますが、この曲に対してもう少しジャズ的アプローチで掘り下げた場合、明確な下方五度進行を行える所などなく、今回こうして声高に語った部分も決して「A7(9、13)omit5 -> D△9」という風に見立ててしまってはせっかくの弱進行のそれを疏外する事になる訳です。ですから機能和声的なアプローチではないアプローチで見る事の方がベターであろうという判断で、こうしたモード想起をしている訳です。


 この様な特殊な和音外音の想起をしていると、他のケースで「完全四度・減五度」「短三度・減四度」「増六度・長七度」などにある様な、通常のヘプタトニックではなかなか遭遇しない、モード想起に於て逡巡せざるを得ない様なケースを更に深く理解する必要があるという事を痛切に問われるのでありまして、こうした特殊なケースを想起出来るようになるほど、それまでは耳が見過ごしていただけ、という事に気付かされる事になるでしょう。機能和声で凝り固まったしまった感覚が、特殊な例を態々オーセンティックなアプローチであると歪曲してしまう訳です。この歪曲が頭の中で蔓延っている間は、こうした特殊な例を相容れようとはせずに曲解が招いてしまい、特殊な使用例を是としないきらいがあったりするので気を付けなくてはならない部分でもあるのです。

 とはいえ私は山下達郎本人ではないのですから、原曲のそれを妨げてまで私のアプローチを採れなどとは申しません。仮に「土曜日の恋人」に於てジャズ的アプローチを採る様なシーンがあるならば、私の採るアプローチのそれの方が卑近になりませんよ、と勧めているだけの事であり、原曲はどうあるべきなのか!? という議論は無駄な事であるのは御承知おきを。

 
 そうしてBパターンに現れる最後の7番のコード「D△9」というのは、茲でニ長調音組織であるつまりはジャズならDリディアンを充てても相応しい所で敢えて茲はDアイオニアンを堅持して欲しいという事で態々7番として書いているのです。

 茲でDリディアンを充ててしまうと先行の和音は「G△7(♭5)(on A)」であろうが「A7(9、13)omit5」としてもどちらの和音の余薫をも薄めてしまいます。ニ長調っぽさを感じさせつつ先行和音ではそれを嘯き、D△9の所で弱進行であり乍ら着地感を与える方がベターであるという判断にてこの様に語っている訳です。


 勿論、ジャズ的アプローチを本曲のコード進行を使って採る場合、D△9上にて杓子定規にDリディアンを執拗に避けろと迄は言いません。然し乍ら原曲の和音進行を存分に発揮するには、D△9上ではDアイオニアンを充てる事が自然であると言えるでしょう。ジャズ的アプローチが幾ら自由な選択であるとはいえ、折角の原曲の響きを妨げて迄、または歪曲してまで奏してしまうアプローチを是としてしまうのであるならば、そうしたシーンに「土曜日の恋人」という曲の外面を纏ったコードなどもはや必要なくなってしまいかねない、原曲の響きを無視するという事はいずれそうした方向を向いてしまうのです。多義的解釈を許容出来る所と、一義的な解釈に留めておく事が良い場面もある訳で、それらを見定めない様ではモード・スケールの想起など結局は卑近な物を充てて行くだけのアプローチに収まるのが関の山となってしまうのです。


 今回私がこの曲の分数コードがなぜ特殊なのか!? という事は色々な面でお判りいただけた事でしょうが、この曲に限らずこれまで語っていた分数コードの用例の非凡さにもあらためて目を向け乍ら再考してもらいたい所です。

 抑も分数コードは「Fractional chord」という名称が与えられている訳ですから、それは字義通り判断すれば「断片」的コードであるのです。

 狭義に於て分数コードというのはアッパー・ストラクチャー・トライアドを語る時に分母にコード・サフィックスを附与するとか、単なる和音の転回形となる場合に分母が単音構造の分数形式を充てるとか、上下に和音を充てるハイブリッド・コードとか、上と下とを合成してもチャーチ・モードに収まらないポリ・コードとか、単音のベースであろうとも上声部が示すモード・スケールを準えないonコード形式など色々ある訳です。少なくともこれらの5種類総てこの様に理解している人が稀だと思います。

 何故かというと、非チャーチ・モード組織を多く取扱う様になると、ポリ・コード形式に収束してしまうからです。水野正敏は自著『水野式音楽理論解体新書』に於てオン・コードは上声部のカウンター・ラインを意味する物として語っており、これは確かに首肯すべき内容ですが、調性を一義的に判断しない様な判断を視野に入れると、アヴォイド・ノートに便宜を図ってアッパー・ストラクチャー・トライアドとやらを組成する事に配慮する必要などなく、そうなるとアヴォイド・ノートを避けて組成された和音は虫食い孔の様に存在するバイトーナル和音的にも構成され、それで出来た上下の和音を合成した時には一義的なモード・スケールを充てる解釈には及ばず、結果的にハイブリッド・コードは多様なポリ・コードを生み、そのポリ・コード表記はシーンに於ては上声部下声部各声部に於て異なる調所属のモード・スケールを呈示する必要があるともなれば、そのポリ・コードは結果的に上と下では別世界であるので、カウンター・ラインなど作ろうと企図しなくてもカウンター・ラインとなってしまう事もある訳です。

 併し、本来の「カウンター・ライン」とは上声部や背景に存する調体系に「背く」ラインですから、真のカウンター・ラインというのは複調にあるのではなく、複調という別の調性にも背く物であるのが真のカウンター・ラインな訳です。

 ですから、複調という状況に於てそれらからもカウンター・ラインを促される時のonコードとやらはどうすれば良いのか!? という風に考えざるを得ない状況を生みかねませんが、onコードは結果的に上声部のモード・スケールを準え乍らも実は上声部のモード・スケールに準えるばかりではないのだが、殆どのケースでは上声部を準えている表記になってしまっているというのも事実なのです。

 これらを能く考えると、私が単なる転回形で済むケースの、例えば「C/G」という表記を一切していない理由が自ずとお判りになるでしょう。それらはきちんと使い分けているのが私の分数コード/onコード表記の一貫した部分であり、何度も同じ説明はしませんが、非チャーチ・モード体系で多義的解釈の元ではポリ・コード形式に収まって行く様になるもので、その中で下声部の仰々しさが省かれ単音化してonコード化しているという前提で充てている訳でもあります。でも、この手の説明は過去にも何度もやっていますし、取上げる度にこんな事をいちいち語っていても仕方ありませんし、私のこれまでの表記ルールはそうした逸脱した世界を前提にしてのルールであるにも拘らず、その辺のサルでも判る音楽理論とやらのそれと同じ土俵で考察されてしまっても一般的な視点で比較すれば異なる部分はあるでしょうし、そうした矛盾点を己の頭で処理しきれないからといってこちらを論って悪罵の声を挙げられてしまってこちらも甚だ迷惑な事でもあります(笑)。分数コードなどの表記例についても多義的で柔軟な解釈に依って理解していただきたいと思わんばかりです。