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ハーフ・ディミニッシュト9thから理解したい世界観 [楽理]

 前回でも語っていた、トリスタン和音をハーフ・ディミニッシュとして一義的に捉えていない多様な解釈。こういう解釈の拡大こそが音楽を発展させる岐路ともなる訳ですね。


 つい何ヵ月か前は、ポピュラー音楽界での代表的なハーフ・ディミニッシュの用例のひとつとしてジェフ・ベックのアルバム『There And Back』収録の「El Becko」を取り上げましたが、あの冒頭のピアノのヴォイシングは市販のバンドスコアの誤りからではあるもののトリスタン和音そのものでもあるという所が興味深い所です(「El Becko」の実際の冒頭のハーモニーは高音部がロ長調および低音部がヘ短調という複調から齎されているハーモニーです)。

 まあ、ハーフ・ディミニッシュの方を話題にしたいので茲では話を進めますが、所謂トリスタン和音を三度音程堆積型の和音へと転回させてしまうと、それはハーフ・ディミニッシュの和音つまり「導七」(または半減七・感七とも呼ばれる)の和音と呼ばれる類の和音として一義的に見る事もできますが、だからといってトリスタン和音はハーフ・ディミニッシュであるというのはあまりに矮小な一義的で形骸化した見方でありまして、それは正答である様で最早正答ではない、というのが正直な所であります。

 ハーフ・ディミニッシュの取扱いが本当に巧く決まるのは、ジャズ/ポピュラー界隈では9度の音を付与する取扱いです。通常のチャーチ・モードでのヘプタトニック社会では、ハーフ・ディミニッシュ上の九度音は長調・短調両方の由来であっても九度音は短九度音程なので基底和音を疏外するアヴォイドなのですが、メロディック・マイナー・モードが視野に入っている場合は九度音は長九度音程となる為アヴォイドにはなりません。すなわちハーフ・ディミニッシュト9thという和音の取扱いを巧妙にすると実に深みが増すのであります。


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 ポピュラー音楽界隈でハーフ・ディミニッシュト9thを大膽に使い、且つヒットさせたのは冨田恵一編曲に依る中島美嘉が唄う「Stars」が好例でありましょう。中島美嘉が9th音を唄うので非常に顕著であります。

 「〓 ただ見つめ合えた瞬間《とき》 煌めくよ」の「煌めくよ」の「き」の所ですね。Gm7(♭5、9)/B♭というハーフ・ディミニッシュト9th(=マイナー9th♭5)。



 ちなみにベース音がB♭音であるという事はB♭m6というコードで、そこに中島美嘉が7度音を唄っているとする表記が良いのでは!?と思われるかもしれませんが、つい先日も6thコードにおける6th音の限定進行音という振る舞いをやったばかりですのであらためて述べるには丁度良い機会ですので今一度語っておきましょう。しかも今回は基底和音が短和音での6thコードでもあるので。

 もしもB♭音を根音とするマイナー6thコードとした場合、B♭から見た7度(AかA♭)という音に、後続和音の為に6th音が順次進行して貰い度い、という意図の現われが6thコードの6度音の在り方というのは先日語ったばかりです。茲ではB♭6コードとしてしまうとボーカル・パートが唄う7度音との併存なので、6thコード表記は好ましくないのです。ですから私は中島美嘉のバンドスコアとか目にした事が無いのでそちらがどういう表記になっているかは存じ上げませんが、そのバンドスコアが仮に違う表記だとして私はそれに倣うつもりは毛頭ありません。

 何故なら、Gm9(♭5)/B♭という表記が一番仰々しくなく充てる事が出来るからです。とはいえ、これは私が楽理的分析として能く用いる「和声的」な表記ですから、「和音的」な表記でしたら、中島美嘉が9th音を唄っているので、背景に表される和音は「Gm7(♭5)/B♭」でも構わないのであります。


 然し乍ら、パート譜だけをこの和音表記で渡してしまうと、ハーフ・ディミニッシュ上での長九度の出来があるモードというのはメロディック・マイナー・モードを簡単に示唆する物なのですが、肝心の9度音を省略してしまうと、ここではメロディック・マイナー・モード内で処理して貰いたい筈の所で、ごく普通のチャーチ・モードで生ずるハーフ・ディミニッシュと同様の理解をされてしまう可能性が非常に高いです。こうした場合、音符やコード表記に加えてB♭メロディック・マイナーをモードとするVI度のダイアトニック・スケールを併記したりすれば大丈夫なのです。これらの表記が結果的に仰々しくなってしまえば、和音表記としてGm9(♭5)/B♭を充てざるを得ない事もあるでしょう。

 音楽というのは「共通理解」で共感し合う物です。ですから手前勝手な押し付けがあってはいけません。少なくとも其処に自身の手前勝手な主観で一義的に捉えることを防ぎつつ、他者との伝達を脚色なく行う事が重要なのですから、色んな現場でのローカル・ルールに多様に対応できる柔軟性を持つのも重要な事です。こんな事で逐一ピリピリしていた日には、大家の作品は人夫々の表現の仕方があるのでそれに対応する事すら出来なくなってしまいます。自身にとっての読みやすさや解釈のしやすさの基準というのは何処かに具えつつも、もっと振れ幅の大きい、他者の書く譜面のクセを糧にするかのような貪欲さで音楽に挑む事が肝要だと思いますし、それに依って自身の表現の幅も自然と広がるものです。

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 猶、マイナー9th♭5th(ハーフ・ディミニッシュト9th)を他にお勧めできる曲としてはゲイリー・バートンのアルバム『Reunion』にて全面パット・メセニーが参加しているのですが、メセニー本人の楽曲も数曲提供されており、その中の「House on the Hill」と「Wasn't Always Easy」でも使用されているのでお勧めです。長らく再発されておりませんでしたが2014年に廉価にてリマスター再発されているので是非共耳にされる事をお勧めします。但し、全体的にヤワな音楽観では難しく響くアルバムでもあるので注意されたし。









 他方、オーセンティックな方のハーフ・ディミニッシュ(つまり、長九度附与の無い四声体である体)が顕著に表れる曲のひとつに、ドナルド・フェイゲンの『Maxine』を挙げねばなりません。このAメロのド頭のコードが「C#m7(♭5)」なのです。

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 加えて、マキシンでも頻出するドミナント7thコードは「多義的」な部類に入る方の物が多く、これはブルージィーさ(ドミナント7thコードが進行感を演出せずに多義的に横の線として纒う旋律の中心音の取り方で振る舞いを演出する事の意)に更に深いジャズの芳香を醸すので素晴しいコードワークであるのですが、こうした作品にあってもハーフ・ディミニッシュの使い方というのは西洋音楽側での多様なトリスタン和音の解釈とは異なり、ポピュラー音楽界隈では意外にも一義的な捉え方をしている(素直なアプローチを採っている)ものであります。

 というのも、通常のポピュラー音楽界隈でのハーフ・ディミニッシュの取扱とやらは動的進行をしやすくする為に用いられている訳です。3度累積に依る和音の基本形には完全音程が包含されていない訳ですから当然、転がりは強くなるのは自明です。そこで今一度確認してもらう事にしますが、次のex.1では左がトリスタン和音、右がハーフ・ディミニッシュ・コードを表している物です。左側のハーフ・ディミニッシュ・コードの基本形の各音程間の数字は半音の数を表している物です。

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 亦、下図のex.2では、トリスタン和音の同義音程として各音程を四度音程として解釈して、凡ての音程が四度に依る不等四度音程として多義的に捉えたもののひとつの例です。各音程を見て貰えれば一目瞭然ですが、「増四度・減四度・完全四度」という風にある訳です。

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 音楽とは和音の音だけが奏されている訳ではありませんし、和音構成音を用いつつ和音外音を奏する楽音を聴いております。ジャズというのは和音外音の多様な解釈こそが凡てなのであるのは言う迄もありません。四度音程というのはテトラコルドを形成させるには都合の良いものであり、先の3種の四度音程の中で一般的に出現頻度が少ないものは「減四度」というテトラコルドを持つ旋法ですが、この不等四度から生じた和音に対して一義的なモードを充てるのではなく、四度音程夫々に対して、異なるモードの断片=即ちテトラコルドを充てるという見方をすると更に多様な解釈になるのであります。

 一般的な音楽世界観であるチャーチ・モードに於てハーフ・ディミニッシュ・コード上に現れる九度音は短九度でアヴォイドですが、長九度が取扱える状況というものを一義的にメロディック・マイナー・モードを想起するばかりではなく、多くの他の嵌当可能な非チャーチ・モード出自の音と捉える事はとても重要であります。例えば、九度音と四度音程を形成するのは5度か13度です。5度音を12度と捉えれば、9度と12度との四度音程にテトラコルドを想起するという意味はお判りいただけるかと思います。新たな音脈が爰に存在する訳です。

 9度と13度音の五度を四度に転回させるのもテトラコルドを想起可能ですが、元々和音構成音として存在する七度と根音の2音がテトラコルドの内の2音を埋めてしまいますので、テトラコルド想起の可能性が狭まります。処が9度と12度音との間の4度として捉えると、9度より上は広大な空間である訳ですのでテトラコルド想起の可能性は増すのは自明であります。
 


 不等四度の話から戻りまして、ハーフ・ディミニッシュに長九度を附与した世界観というのは、動的進行というよりも、平行への欲求が湧いたり上声部と下声部との入れ替え、つまり「倒置」の欲求が湧いたりするものなのです。

 例えば、先の「Stars」を例にGm9(♭5)を例に挙げれば、これがAm9(♭5)やFm9(♭9)という平行の挙動が薫って来る予感を醸したりする、という意味です。

 加えて、倒置という意味では、Gm9(♭5)というのは下にG音を根音とするディミニッシュ・トライアド(=Gdim)と、先のG音と三全音音程関係にあるC#を根音とする増三和音(=C#aug)が生じていると見る事も出来る訳です。つまり、この上と下とがひっくり返ると、単純にC#augとGdimがひっくり返る様になるだけではなくて、和声的に安定的な体を持たせようとすると非常に多様性が生じます。特にC#音を根音とした時のC#augが下にありGdimが上方にある時には、夫々の和音の体が既知の和音の体を為す事が困難なので、C#を根音とする硬減三和音に対して上方にB♭音とA音との長七度音程を作り、その長七度の間隙が音脈の為のスペースの様に見える事もあります。


 加えて、C#augを多義的に見て、A音とF音夫々を根音に取るという事を考える場合、A音が根音の時はドミナント7th系のコードとしてA7(♭9、♭13)omit5或いは「A7aug(♭9)」という表記になります。そして、F音を根音にした時は、下声部にFaug上声部にE♭△の断片(E♭音は実際に無い音)が見えて来る様になるという見方も出来る様になります。何故なら、F音から見た時の上方のB♭音が本位11度に響くため、ドミナント7thコードの本位11度音タイプというこれは複調的な響きを示唆するもので、倒置以前の和音の体Gm9(♭5)は、そのリラティヴな方向に新たな音脈としてE♭音を見つけるのであれば「E♭7(9、#11)」という体を見つける事も出来、一方でこの和音の断片がGm9(♭5)でもあると謂えるのでもあります。

 とはいえ総じてハーフ・ディミニッシュに長九度音を附与した和音の体は未完成の体であり、リラティヴ方面に探って来る事が本当の姿であるとは言いません。何故なら、ジャズの耳として変に慣れ切ってしまった者はドミナント7thコードの「動的」な響きに対してやたらと煩い物であります(感情に易しいからに過ぎない)。そうすると、E♭7(9、#11)という和音は、9度音がオルタレーションしない所に複調的な薫りを醸すのが最大限の魅力であるのに、茲にドミナント7thコードの動的勾配を入れられると、単純にA♭方面やDの方面に進行しかねず、「先が読める」陳腐な薫りを漂わせかねないんですね。

 というのも、E♭7(9、#11)というコードでは、初心者が扱いやすいであろうオルタード・スケールなどは本位9度の存在のお蔭で使用不可になってしまうんですが、13度方面でよせばいいのに余計なオルタレーションをしでかす輩が必ず居るんですね(笑)。こういうのを防ぐ意味でも複調的な響きを演出させる時にはポリ・コード即ち分数コードで持って表したりする方がそいつらの馬鹿の一つ覚えのオルタレーションを抑制させつつ、背景のコードの響きをじっくり大事に聴かせてアプローチを採らせる事が可能となるのです。

 和音表記というのは重畳しいほどモード想起が楽でありますから、そのモード想起に慣れ親しんでいる事が当然のジャズ界隈の連中が、安易に一義的な捉え方でビジネス的に対処されたら困る事が往々にしてある訳です。処がそれをやると途端に萎縮してしまうプレイヤーも実は居たりするのです。ジャズ演ってるクセに(笑)。

 然し乍ら、萎縮して呉れる様なプレイヤーというのは実は吸収力が高く、真摯に向き合って呉れる人が多いものです。その真摯な向き合いが、ほんの少しだけ多義的な捉え方を与えてあげると、例えばハーフ・ディミニッシュ上で途端に飛躍した演奏を見せてくれる事も多々ある訳です。一義的に捉えないからなのですが。

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 西洋音楽の人達はトリスタン和音を多様に解釈している事は何度も触れている事から判る様に、ハーフ・ディミニッシュという和音を一義的に捉えないという事がどれほど重要なのか!?という事は前回のナティエに関するブログ記事を参考にしてもらう事にしましょう。