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マイク・マイニエリに学ぶ投影法(3) [楽理]

 ジャック・シャイエの下方倍音列に関して懐疑的な論述がある事は後に詳しく語る事にしますが、しかし読み手がシャイエのそれを完全に真に受けてしまってはいけない矛盾点もあるので、シャイエの言葉に強く依拠して単なる思弁的に下方倍音列とやらを断罪する様な理解に陥ってしまってはシャイエやリーマンのいわんとする事を何も掴めないでありましょう。


 自身の浅い見聞と素養に対して後押しをして呉れるかの様に否定的に語られる論調に対しては必ず演繹が成立するかどうかを見なくてはならないのでして、逆の方向からシャイエの発言を鑑みると、シャイエ自身も矛盾に陥っている事が判りますので、何れそうした所を語って行くので、投影法という音脈を懐疑的に考えぬ様あらためて念を押しておきたい所です。


 扨て本題に戻り、マイニエリのプレイを語る事にしますが、次は3番のFメロディック・マイナーの部分です。この「さりげない」メロディック・マイナーというのは実に巧妙なプレイなのであります。抑もマイニエリのフレージングのモチーフは、上行形の順次進行に依る3音を巧みに音形を変えてモード・チェンジをして来ておりました。茲でも「f - g - as」という3音の音形が短旋法を示唆するのでありますが、其の直後に奏される「e音」が心憎いのでありますね。つまり、このf音から時の長七度音=e音がメロディック・マイナーを示唆するという理由や、Fm7というコードを背景にしてなぜ長七度音=e音を有するFメロディック・マイナーを使う事が出来るのか!? という部分を詳しく語って行こうと思います。
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 私個人としてはメロディック・マイナーという音脈はとても好きな使い慣れた音脈であるので、Fマイナー的音楽背景にてFメロディック・マイナーが現われると、同時にメロディック・マイナー・モードという音組織が鏡像を内在している事を容易に推察するのであります。

 投影法という用法を抜きにしてFm7に対して他のマイナー組織(茲ではメロディック・マイナー)をインポーズさせているのは容易に理解できます。つまり、短和音の誘引に依拠して用いているという事は容易に推察できますが、全音階的理解など、背景にあるFm7音の短七度音=es音とFメロディック・マイナーで生ずるe音が合致せずぶつかりあってしまうではないか!と大いに疑問を抱く人が多い事でありましょう。

 真のモーダルな状況に於いては長調や短調というどちらか一方の世界観を固守する必要はありません。調性社会ですら短調の終止音はピカルディの3度の様にして長和音で終始させていたという時代もあった位ですから。加えてこの状況は調性社会ではなく投影法に依るミラー・モードの併存状態です。つまり異なる調性由来の音組織が併存している事で、従来の全音階組織と比較すると、長・短両旋法的な両性具有性を伴って「可動性」が現れる事がモーダルな音組織や和音一発体系に生ずる調性の逸脱の脈絡だと理解して欲しいのです。

 仮にハ長調とハ短調を混合させた場合、「両性具有」という性格が最も顕著に現れるのはe音とes音です。これはCエオリアンとCアイオニアンを混合させた例ではありますが、その2つの旋法に対称的構造は見られません。通常投影法にて用いられる構造は対称性を伴わせる為、安易にCエオリアンとCアイオニアンが混合する例は投影法では先ず使われません。あくまでも「両性具有」を判り易く呈示しただけの事です。

 扨て、「可動性」という風に述べたのは理由があります。可動性という言葉が意味するのは、「それらのどちらでも良い」という状況を示している音の出現という意味なのです。つまりハ長調とハ短調が両性具有となった場合の最も顕著な可動性の現れるe音とes音のどちらを使用しても構わない(若しくは同時使用も)という状況が投影法によって構築された音脈だと思ってもらえれば良いのです。

 すると、Fm7という和音に対してFメロディック・マイナーというのはe音とes音が可動性を伴っている訳ですが、どちらを選択しても良いですし併存も可能な状況であるのです。こうした当て嵌めがスーパー・インポーズと呼ばれる最たるモノなのです。可動性を伴っている事がスーパー・インポーズの最低条件なのです。

 単純にe音とes音とやらを見れば長七度と短七度が同居しているかのように映るかもしれませんが、こうした音組織を用いて来ると能く判って来る様になりますが、長七度と増六度が同居しているかのようにして夫々の旋法由来の音を同列に見ると、非常に多様な音組織に依る高次な和音集積や複調の為の見立てが可能となるので、異なる7度音同士が併存しているのではなく、敢えて度数を変えて見立てる事も必要な状況なのです。そこまで拘る理由は何故かというと、これはエンハーモニック・トランスフォーメーションという、異名同音を巧みにこねくり回して既知の体系を跳越する手法にも置き換える事のできる発想の転換の一つとして重要な見立てであるからです。

 G7 -> C△ という風な解決が既知の体系ですが、エンハーモニック・トランスフォーメーションを行なうとG7はg、h、cisis、eis(g、b(=英名)、c##、e#)と解釈され、その和音はB△(=H dur)に解決するという風に進行するのがエンハーモニック・トランスフォーメーションの最たる特徴です。こうした状況をも見越す事が出来るので、スーパー・インポーズという役割はきちんと理解しておかなくてはならないのです。国内の音楽図書でインポーズという名称はそうそう目にしないものですが、元はシェーンベルクが自著『Theory of Harmony(英版)』にて語っている語句であります。日本で出ているシェーンベルクの『和声法』(新版含)は原著『Harmonierehre』の物ではないので注意が必要です。国内刊行物で出版された『Harmonierehre』は、山根銀二著の『和声学第一巻』で、これは途中までしか訳されておらず以降は未刊のままになっているのが現状ですので注意されたし。まあ、このシェーンベルクの国内刊行物に関しては何れ詳述する機会があると思います。


 今一度本題に戻り「可動性」を許容する事が投影法に依る最たる物なのですが、取り扱いが非常に難しい可動性のある音は、前回の記事でも語った様に短三度と減四度とに依る音でしょう。これは能くあるブルースやジャズの、メジャー的旋法性を主体にした背景を主にしてマイナー的要素のある組織とは異なり、マイナー感を主体にメジャーの様に聴こえる減四度が併存するという、非常に取り扱いの難しい可動性のある音なのです。が、しかし、マイニエリのプレイを聴いて違和を感じたでしょうか?そうは感じないと思います。動機が明確である事に依って移旋というアプローチが随所に効果を現しているからであり、これは西洋音楽の対位法に置き換えても見ても先行句の在り方と追行句が移旋として現われるそれとも同様に置き換える事ができるゼクヴェンツのそれと近しくもある、動機の導出の素晴しさがあるからこそ成立する訳です。単純に音使いをアウトサイドさせればイイという物ではないのです。計算づくであるのです。

 処がジャズというのはインプロヴァイズこそが真骨頂である筈で、「計算づく」であればそれはインプヴィゼーションではないのではないか!? と宣う人もおります。然し乍らインプロヴァイズとは、プレイヤーに備わる多くの音楽的語法からリアルタイムに作曲する様にして生まれるフレージングこそがインプロヴァイズであるため、プレイヤーの意図せぬ音がそれこそ脳からマトリクス状にして創出される無秩序な音というのはインプロヴァイズとは亦趣きを異にする物であり決して同一視できないモノです。抑も無秩序がインプロヴィゼーションの深遠であるとするならば、多くの奏者は器楽的な側面から逃れる事は出来ない運指法の束縛や筋肉の緊張・弛緩に伴う心理的尺度の変化、音高の高揚に伴う心理的変化と、近接感を一切排除した協和的音程を排除した恣意的操作を以てして奏さない限りはインプロヴァイズに到達し得ないと言うのと変わりなく、その恣意的操作は最早インプロヴァイズではない計算する事がまどろっこしいだけという単なるうっちゃりたいだけの簡素な「計算づく」であるのは言う迄もありません。自身の意思と異なる状況がインプロヴァイズであるならば、秩序がある状況はインプロヴァイズが作り出した世界ではないという事になります。つまり、ジャズのインプロヴィゼーションというのはプレイヤーが備える多くの語法から生み出された一音一音の重み、という事を意味しており、私が今回マイク・マイニエリのソロを取り上げるのも、その素晴しさと語法の確かさ故であるからです。


 扨て、先の様な取り扱いの難しい可動性というものは、ブルース/ジャズの起源の様に長三度と長七度が可動的変化に依って生じたという歴史については過去にも語っている通りでして、その可動性はすんなりと半音階的に短三度と短七度に変化したのではなく元々は微分音的な可動的変化が半音階組織に依って吸着され均されていったものでありまして、投影法に依って生ずる可動的変化はあらゆる音で起こります。

 投影法に依って得られる両性具有的な音脈として得られる物で特に顕著なのは次の通り。

◆短三度と減四度(見かけ上は短三度と長三度)
◆長七度と増六度
◆短六度と長六度(=本位六度)
◆短九度と長九度
◆増四度と完全五度

 結果的に凡ゆる音程にて可動的変化が見られる様になるのは全音階という空間を超越しているので、全音階以外の音脈である「未開」の半音階組織を脈絡とするのは自明であり、それ等の中でもとりわけ取り扱いが難しいのは先述の通り、短三度(短旋法を基とする)と減四度。それに加えて、長七度と増六度(見かけ上は短七度)という所を特徴的な例として挙げる事が出来ます。短調的な性格を醸し乍ら下行音形で九度音を短九度にしてフリギア終止というのは非常に昔から行なわれている事であり、逆に言えばかなりポピュラーな例になるでありましょう。重要なのはそれらの可動的変化はどちらの音を選ぶのか!?という様なよもや丁字路を左右どちらに曲がる様な二者択一の選択を迫るものではなく、併存が可能な状況であるという事を最も強く意識していなくてはなりません。

 Fメロディック・マイナーのスケール・トニックであるI度上の和音つまり主和音を、3度音程累積の五声体で構成を為せばFmM9(f、as、c、e、g)というコードを生じます。これは下声部にFマイナー・トライアド上声部にCメジャー・トライアドが生じている状況で、FmM9の5th音を中心に音程関係が鏡像となっている所に最も注意を払って投影法と向き合わねば今回こうして語る意味がないでありましょう。

 FmM9という和音は基底和音としてFマイナー・トライアドを持つのは至極当然であり、そのマイナー・トライアドを誘引材料として投影法という手法を根拠にして短旋法的な他のモードを短和音という和音を足掛かりに吸着させるのがこうした投影法の最たる特徴として捉える事が出来るのです。そこでFmM9というコードを上下に夫々2つのトライアドに解体すると前述の様にFマイナーとCメジャーのトライアドに解体できるのでありますが、茲での投影法ではFmM9をトニックとするモード、つまりFメロディック・マイナーを基のモードとして捉え、投影法に依りその鏡像を見立てると次の譜例の様な便宜的な名称を与えたドリアン♭2というモードを得る事ができます。それら2つのモードを奏者が両旋法を混淆として捉える事が「両性具有」の発展的なアプローチでありまして、Fメロディック・マイナーを指示しておき乍らドリアン♭2で生じる第七音がE♭音(=es音)を得ている所が最たる特徴でありまして、つまり両者を混淆とさせたプレイをした場合、F音から見た時の短七度音と長七度音が共存する状況となります。これは先述にもある通り、長七度と増六度というの共存から得られた可動性に依る音脈と見る事も出来る訳です。とはいえ3番が示す範囲ではe音とes音の両者を共存はさせておらず単にFメロディック・マイナーを奏しているだけではありますが、投影法として見立てている以上、こうした状況でも投影部分を「予期」しておく事は重要であります。(つづく)