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属七提要 肆 [楽理]

 扨て久方ぶりのブログ更新となる譯であり、今回は前回のブログ記事の流れに沿って「滲み」を語るのでありますが、その「滲み」とやらが意図しているのは微分音的な空間の事も含めての事だったのは言うまでもありません。


 そうした滲みは得てして「不協和音」から見せる均斉的な構造から生ずるものであるものなのでありますが、その「滲み」というのは微分音を視野に入れた色彩的・音響的な滲みとも形容し得るものですし、半音階的な滲みと形容し得る色彩的・音響的世界も勿論存在するのであります。

 不協和、且つ均斉的な構造がポピュラー音楽的な視点からすると、それはドミナント7thコードを視野に入れておくと存在が際立つものですが、所謂ポピュラー体系に則った知識からだとなんの変哲もない「和音外音」に対してオルタード・テンションの理解を持ち込んでしまう向きもあるので注意が必要なのです。そこで今回は、オルタード・テンションとしての解釈を許容してはならない振る舞いを例に挙げる譯でありまして、題材として『君が代』が必要になって来るのであります(笑)。


 まあ、頭は左巻きで思想は左寄り、DNAは左旋性(大ウソ)の私が「君が代」考を繰り広げるのもアレなんですが、こんな私とて仮に学校で君が代斉唱を強要されたとしても舌を噛み切ってまで己の政治・社会的思想を貫こうとするスタンスなど執っておりませんし(笑)、サッカー日本代表の試合会場などフツーに皆と一緒に唱和しているモノでございます。国歌「君が代」を音楽的に考察するのであらば尚更の事、そういう側面を歪曲的に見る事はできませんし、音楽的な面から嘘や曲解を伴ってはならないので、今回は敢て君が代から学ぶ事の出来る部分を詳らかに語る、という主旨なのであります。


 扨て、いざ君が代を考察するとなると今回私があらためて考察に利用したのは現代音楽大観の冒頭なのでして、これは旧仮名遣いの古い資料(現在は復刊が為されております)なのですが、この手の考察となると一般的に目に触れやすいのはウィキペディアであります。私もあらためてウィキペディアと現代音楽大観を讀み較べた處、ウィキペディアではかなり要点を拏攫して展開しており、学究的素地は充分なほど具えていると思います。


 そういう譯で君が代に関して話を進めて行く事にしますが、当初の君が代はフェントン氏の作曲に依る次の譜例の様な物であったとの事。
Kimigayo_Fenton.jpg

 その後国歌として制定される林廣守作曲の君が代は海軍を発端とする要望から誕生したのでありますが、フェントン氏の場合は氏自らが薩摩藩士26名に軍楽講習を行なう中で国歌の必要性を唱えていたという経緯があります。同氏は、1870年9月越中島での薩長4藩の大調練に間に合わせて先の譜例の曲を書くのでありますが、1876年になって軍楽楽隊隊長中村祐庸から、フェントンの君が代は日本人の歌唱に適さないという考えから、林廣守作曲の『君が代』が生まれる事になるのです。

 作曲者は林廣守となってはいるものの実際は、奥好義(おくよしいき)と林廣季(林廣守の子)の合作だったという風にも謂われており、この曲に対してエッケルトが和声付けを行なったというのが、君が代の歴史なのであります。

 この君が代が神聖不可侵の歌として扱われ近代国歌として適切な歌かどうかという議論は等閑にされ、後に1904年9月3日付の大阪朝日新聞の天声人語にて
「皇室の歌あり、国民の歌なき国民も亦不自由なる哉(かな)」
という風にグサリと突く。

 鋭いジャーナリズムに依る指摘のそれも日清・日露・第一次大戦で隆起する富国強兵論が掻き消し、その後日本の敗戦に依ってあらためてこの天声人語が重く響く事に據り、保守層の原理主義連中は行き場の無い怒りの矛先をこうした鋭いジャーナリズムを敵視する事で自身の稚拙な感情の興りを是としてしまうのでありまして、遣り場の無い怒りを鋭いジャーナリズムに向けたくなるのは何時の時代の愚かな政治屋が見せる態度なのでありましょう。第二次大戦中には自らの命が危うくなれば、軍用機を使わず朝日新聞の社用機で逃げ惑った連中がですぞ(笑)。


 そんな背景を語って漸く本題に入るとします。私が今回題材にするのは勿論エッケルトの和声付けを行なった編曲の方であるのですが、是も亦、エッケルトの当初のアレンジと、現今社会に於て広く知られているアレンジとは少々違う様なのでそこを先ず取り上げてみる事にします。つまり、アレンジが2種類あるのですが、どちらもエッケルトの手によるものなのかどうかは判りません。


 「現代音楽大観」の譜に依れば、エッケルトが編曲した当初の物は、歌詞が「ちよにやちよに」の部分は次の様になっております。注目部分は4小節目第3〜4拍目です。
Kimigayo_sinkyu1.jpg


 現在では次の様になっているのであります。バスの下声部の赤色の音符が変更点となります。

Kimigayo_sinkyu2.jpg

 楽理的解釈を行なうに際してこの当該小節部3〜4拍は3拍目はD7と捉える事ができそれが4拍目のe-mollに解決しているのです。

 而して3拍目の和音は「D7でよいのか!?」
 赤色の音符はD#(dis)ではなくE♭(es)音が適切なのではないか!?

 という二つの疑問が生ずるかと思います。これらが、特にポピュラー音楽に準えた知識だと陥穽に嵌りかねない部分であるので、それらを徹底的に説くという譯です。


 

 扨て、先のバス最下声部の赤色の音はd -> dis -> eという連結を行なっており、dis音は「経過音」として扱われます。しかし1オクターヴ上のd音は「掛留」したまま最低音が転位を行なっている事となります。

 この最下声部の動きは単なる経過音ではなく、「弱勢部に現れる上行倚行音」というのがより適切な解釈でありましょう。茲で現れる和音外音、つまりdis音は上声部d音との「減八度」を仄かに表わすのであります。

 例えば減八度の使用例は「トゥーランドット」などでは非常に顕著ですが、ドビュッシーの「ペレアス」のそれとは似て非なる物です。


 更にこのdis音が何故es音でないのか!?という理由。これは確かにポピュラー音楽体系に準えれば「D7」というコード上の短九度として見る事も可能な音である為、一見すると「D7(♭9)」の短九度の音が下声部に生じた体系であると誤解しやすい、しかもdis音ではなくes音と解釈したくなるのはコード体系のオルタード・テンションのそれを由来とする所から生じ易い「誤解」なのである事を肝に銘じなくてはなりません。

 ではなぜ、es音としてではなくdis音して見なくてはならないのか!?という事を語ると、dis音を生じた際、譜例上では僅かな垂直的断片ではあるものの、「減七」の和音を生じさせているからなのです。

 つまり、「dis、fis、a、c」なのですが、この「減七」を減七の和音のままとして解釈するのはまだ誤りなのです(笑)。減七和音の異名同音的変化、実はこれは四分音的変化という要素も含んでいる事なのですが、四分音的変化が半音階に均された結果として覚えてもらっても結構です。

 喩えると、ピアノならば結果的に半音階に均されるのでピンと来ないかもしれませんが、弦楽奏者の場合は半音階的要素の強い楽曲となると特にフレキシブルなピッチ変更を都度演奏中に他の奏者と合わせ乍ら律するのです。そうするとピアノ上では全く同じ音となる出現頻度の高いfisとgesでも、弦楽奏者では違う取り扱いとして区別して奏する事が多々在ります。そうしたシーンを加味した上で、減七を単なる減七として書くのではなく、減三和音に対して六度音が附与されるという減七和音の異名同音的変換のそれを少なくともケクランは自著『和声の変遷』に於いて「四分音的変化」の一つとして例を挙げているのです。

 余談ですが、純正律での上主音と下中音間での五度音程は他の完全五度と異なるのは当然とも言えますが、五度音程ばかりに固執するとピタゴラス音律にもなりかねませんし、都度変更されるピッチの在り方の難しさというのはもっと難しいものです。これらを克服しつつ平均律という尺度も備えておく訳です。

 減七の異名同音変換というのは次の譜例を見れば、減三和音に対して六度音が附与された見方というのが能く判るかと思います。赤色の音が6度音となります。
dim7.jpg


 すると、どういう解釈が良いのか!?という事ですが、茲での「減七」の発起は異名同音的変換、つまり四分音的変換を視野に入れる事が必要であり(あくまで實音を四分音として奏する必要はないものの)、ポピュラー音楽の人達に判り易く咀嚼する表現にすれば、「マイナー6thフラッテッド5th」(=minor 6th flatted 5th)という解釈をしなくてはならないのです。


 こうした、マイナー6thフラッテッド5thの見方は、七度音の存在を慮っているからであるが故の振る舞いです。「減七度」の解釈だと、増二度という間隙(かんげき)を他の音が縫う事は矛盾した取り扱いとなってしまうからです。このマイナー6thフラッテッド5thは、奇しくも先頃刊行された濱瀬元彦著『チャーリー・パーカーの技法』の中にて随所に現れる和音ですから、彼の意図する物が結果的に七度音を慮った上でのアプローチを詳悉に述べているが故の表れであるのです。それをあからさまに濱瀬元彦が慫慂しないのは、読者への自発的な理解を深める為の配慮であろうという事が読み取れるものです。それが判らない者は得てして著者を断罪したり読みづらいなどと怒りの声を挙げるものですが、学ぼうとする気持ちが足らないが故の無学な連中の言い訳であることは明白なのです。

 学び取ろうとする気持ちが不足している連中は、目先の本に答が書いてあっても見抜く事は出来ないのです。読譜すら難儀するような連中が音楽的な正答を見付け出すという事は非常に難しいでしょうし、楽理的素養の薄い連中が楽理的側面を見抜く事も是亦難しいのも至極当然の事でありましょう。


 つまり、先の「dis、fis、a、c」は結果的に「dis、fis、a、his」と見る必要があり、D#、F#、A音に対してB#音(記譜上はC音)が掛留されている状態であり、最下部のD音は弱勢上行倚行音として次の4拍目のe-moll(=Eマイナー)の和音に対して「減七の和音」的に半音の勾配を持って連結しているという動きなのです。


 減七として看做してしまうと、七度より先の音程が無いので、掛留として備わっている音の存在が矛盾してしまいます。つまり、記譜上ではC音がそのままの状態であるものの、dis音が生じた瞬間にそのC音が「B#音」という風に変換される認識を持たないといけないのです。


 そうするとこのdis音が生ずる直前のC音は、実は2拍目のバス上声部で生じているh音からの「誇張」として「B#」に膨らんでいる感じは、理論を持って聴かずともその「誇張」や「高調感」という膨らんだ感じ(B -> B#)という感じは耳で瞬時に判る筈です。


 ピアノでは異名同音は結果的に同じ音に均されてしまうので、先の減七の和音の異名同音的変換もピンと来ないかもしれません。こういう音の採り方は室内楽を聴く事で違いを認識する事が強化されると私は感じております。オーケストラだと全体に埋没されやすいので室内楽の方が際立つかと思います。勿論室内楽とてあからさまに四分音的解釈を微分音として忌憚無く聴かせているのではありませんが、ピアノの様な固定化された尺度の置き方が違うのは判るかと思います。

 しかも、その後の微分化する四分音的解釈はこうした減七の和音に枝葉を付けるかのような根拠から発展している物でもあり、12平均律が視野に入っているならばその半音階上の調的な近親性は五度圏にて表わす事が可能ですが、アロイス・ハーバの新和声学では、四分音準拠の24等分平均律の近親性は650セントによる過大増四度圏で図示していたりもしますが、半音よりも細かい「勾配」がどのようにして作用するか、という事を踏まえた上で、24等分平均律上では6つの長三和音があるとも考える事もできますし、均齊化された音がどのように「収まる」のか、という事も、微分音社会を理解する事で半音階社会の勾配をあらためて能く理解できる事もあるのです。


 それでは最後に、君が代の全小節を載せた譜例を用意して置く事にしましょうか。ま、靖国に赴くならば、靖国を天橋立と思って覗き込んでみるのもイイかもしれませんな。中指立ててケツメドに接吻とか、そこまでは言いませんが(笑)。

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【追記】  松本民之助先生の著書『日本旋法』掲載の君が代の解説に依れば、先の楽譜とも少々異なるエッケルト版のアレンジの楽譜が載せられております。加えて、4小節目上声部に現れるロ音=h音は、実際は変ロ音に近い微分音との事。「非平均律(率)」と述べているので(カッコ内は原文を尊重)すが、それが三分音や四分音、または五・六・八・九分音なのかどうかは不明。しかし雅楽に依拠する音律ならば発生し得る微分音は自明となりますが、それが現今社会に広く膾炙する物とは異なるので、敢えてこうして別個に注釈を付けておきました。