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道化師のTonnetz [楽理]

 ジャズ界隈では特に頻繁に遭遇するであろう「ドリアン・モード」という体系。つまりこれは、短調の音組織にて形成される第6音(主音から短六度の音程)を半音上げた長六度として変化させる事で「ドリア調」として奏する「嘯き」の事を指しているという訳でありますが、これまでも何度も述べておりますしモード奏法の基本中の基本でもありますから茲に疑問を抱く方は少ないかと思います。少なくともジャズ/ポピュラー界隈の音楽理論方面にある程度明るい人であるならば、このドリアン・モードの解釈に異を唱える人は居ないでしょう。


 私が先頃説明していた事は、ドリアン・モードの「モード」としての旋法性を強く押し出す際での和音進行では、仮に「I → IV」の2コード循環を延々と繰り返すような場合、IV度上の和音上に生ずる七の和音である四声体はドミナント7thコードを形成してしまうため、この和音は包含するトリトヌスによって次の和音の進行のための勾配を作るため、I度の和音に戻る連結よりもIV度から♭VIIへ四度進行しようとしたり或いはIII度への半音階的勾配を生じる強い性格が現れてしまうため、和音の有り体を欲しつつモードの旋法性を利用するとなると、和音の性格を稀釈化させる必要が生じる為に、分数コード化・ポリコード化・和音のマトリクス化・sus4化など、本位11度音程を視野に入れたドミナント7thコードそのものを稀釈化させる解釈が生じて、そうしたやり方が現今社会でも広く使われるようになっているという事を述べていたワケであります。

 DマイナーというキーにおいてDドリアンで嘯く。この旋法性が最も端的に現れる2コード・パターンはDm7 -> G7なのですが、Dドリアンの特性音=h音を包含してくれるG7ではあるものの、この和音はCやFis方面への勾配を和音の有り体としての情緒として映ずることが容易なため、本来意図しない方向へ連結の勾配を作ってしまう(Dm7 -> G7 -> Dm7 -> G7〜という和音進行なのにCやFisに連結したがる)のを回避する、という事を意味しているのであります。


 モードという旋法性を強く演出したい場合、それはカデンツというトニック、ドミナント、サブドミナントという機能を経由した和音連結では調性としての性格が強く現れ、それらの体系と異なる旋法性が強く出なくなってしまうため、旋法性の方での和音の取扱も調性社会のそれとは少々取扱いが異なるという風に知っておけば良いワケです。とはいえ、要所要所で和音を欲するのは、和音としての響きが欲しいが故に和音を与えてしまう。では旋法性を打ち出したい時の先の「G7」はどうすれば良いのか!?


 それが、先にも例に挙げていた事だったのです。例えばG7を「F (on G)」にすれば、和音の有り体としてh音を使う事はなくとも、上声部Fメジャー・トライアドに対して強く「Fリディアン」を明示しておけば、Fリディアンの特性音=h音が「F (on G)」上にて求められている音だという事が即座に判ります。余りに仰々しくh音を扱えば、トータルな和声感としては「F (on G)」上でG7を基底とする和音の香りは出て来るでしょうが、G7ではないという使い方が重要なワケです。

 和音としての「F (on G)」をひとたび耳にした場合、この和音にh音を附随させる音として「着色」しようとは思わない筈なので、線としての経過的な音としてh音を使うという動機になるのであります。この辺は和音の有り体に敏感である必要があるので、自身の和音の捉え方に好き嫌いが生じている人だと理解に甘くなってしまう述べ方であるのですが、和音の捉え方を克服してもらわないとこうした私の表現にピンと来ない人も居られる事でありましょうが、そうした熟達に甘い人にまで判らせる為に説明している訳ではないので、その辺りはご容赦願いたいな、と思います。

 ところで、変格旋法としての嘯きは例えば長音階の第7音が半音下がって「ミクソリディアン」だの、長音階の第4音が半音上がっての「リディアン」だのと色々あるものですが、非常に旧い社会の仕来りにおいてはミクソリディアン(=ヒポミクソリディアとしての)の第7音が「導音」化して長音階化させるという体系もあったワケで、正格な方向からみればト調としてのGミクソリディアンがGメジャーになるのはハ調域から見た属調方向への長音階化という事もあったというワケですから、なるほどロクリアンが実際にはフリジアンの嘯きであるというのも実に腑に落ちる所だったりもします。


 扨て、短調をドリア調に「嘯く」と言いますが、実はエオリア調としての自然短音階の姿はバッハ、ヘンデルの時代になってそのように短調の仕来りが変わったというのが真相の様でして、それまでの短調は「ドリア調」の事を指していた様なのであります。




 有名な渡鏡子先生に依れば、大バッハ以前には、変種調号の変種記号2つの「ハ短調」や、嬰種調号の嬰種記号1つの「イ短調」の楽譜も普く存在していたというのですから驚きであります。それを考えると、旧くから存する民謡の「グリーンスリーヴス」は、ドリア調こそがオーセンティックな姿であり、グリーンスリーヴスのエオリア調は異質な物なのだな、という事にあらためて深く首肯してしまうワケですな。

 能く、電話の待受などでグリーンスリーヴスの「エオリア調」版を耳にする事があり、妙に苛ついたりするモノですが(笑)、なるほどと思うことしきりです。


 ドリア調が先にあったにも関わらずエオリア調に取って代わられる様になったのは、おそらく和聲体系を「揃える」為だったからでありましょう。IV度上に生ずる和音は長三和音であって欲しくない。短三和音に変化する、と。こうすることでドゥア(=長)とモル(=短)の構造が揃い、短調での属和音は導音化という「可動性」を伴い、下主音を逐次導音化させる事で短調という世界を豊かにさせていたワケですね。


 しかし不思議な物で、19世紀末辺りになると短調の属七和音が齎す勾配が避けられた用法も見られるようになったのか、単なるエオリア調、つまりV度上の和音はVmという短和音のままという用法が見られる様になったのだとか。こうなると短調の世界というのは

 ドリア調→エオリア調(逐次和声的短音階と旋律短音階に可動的変化を伴う)→エオリア調(逐次和声的短音階と旋律短音階とジプシー調が加わり可動的変化を伴う)→エオリア調→世俗音楽界でのドリア調としての嘯き


 という輪廻が起きているというのも不思議な所です。


 抑もドリアン・スケールというのは音並びは教会旋法に基づくヘプタトニック・スケールの中では唯一、上行形&下行形にて「対称形」の構造が見られる体系なのである事に注目しなくてはなりません。

 処が旧い社会でのドリア調ではそこに附随する和聲が無かった。しかし、後年のドリア調では和聲が附随し、和声の不協和音の充実が豊かになった処で、さらに和音体系が複雑化した。そこでドリア調を維持するにあたり調性が稀釈化されていく方向になる、というのは能々考えれば確かにそうした変化は今更乍ら感慨深いモノでもあります。


 この様な背景を凝視しつつ今一度私が何度も述べて来ている事を振り返ってみましょうか。不協和音には対称的・均齊的構造が現れるのが特徴です。ドリア調というものは不協和なものでもありませんが、対称構造を有している。ドリア調を堅持しようとして特性音をふんだんに活かした和音進行を、例えばDm7 -> G7と循環コードの進行を行なうとしても、G7という和音の有り体は少なくともCに行きたいのにドリア調を堅持する為にDm7へ戻らざるを得ないという、和音からすれば少々無理を強いられるこの自然な調的な運びの「蹂躙」はDドリアンの第六音=h音が握っている性格なのでありますね。主音から見れば長六度、本来の短調の音組織からすれば第六音は短六度の筈ですが、この六度の音は調的な動きの「蹂躙」として作用しているのがお判りでありましょう。


 ドリア調の持つ「対称的構造」をもっと判り易く図示してあるのが今回の例で示しているTonnetz。これはtoneとnetsという意味を持つフーゴー・リーマンのネオ・リーマン理論に於ては特に重要視される音組織の呼称なのでありますが、日本語で表わすならば、はくちょう座の網状星雲よろしく「網状音組織」という風に呼んでおけば間違いはなさそうでしょうか。
Tonnetz.jpg

 まあ、そんな呼称に関してはどうでもよいことでありまして、今回のTonnetzにおいて、私は音名を紫蘇色とターコイズに分けておりまして、ターコイズのそれを「視覚的」に見た場合、「平行四辺形」の様に見えるかと思います。D音とD音とで傾いた線分を矩形で「閉じる」という組織。つまりこの平行四辺形という対称構造がドリア調の持つシンメトリカル(対称的)な構造を意味するのでありますが、この図では左に傾いた左旋性のある平行四辺形として見える物を今度は右傾きにした所で(例、FとF#を結ぶ)その平行四辺形の持つ音組織は全く異なるモノなので、カイラリティーが存在するというのも興味深い所です。

 左に傾くという事は四度方向に対して「閉じる」という事であり、右に傾くというのは五度方向に「閉じる」のですが、調性社会としてのヘプタトニックを維持してくれないので、矛盾する「閉じた」世界なのでありまして、形だけは閉じていても調性社会を維持するものではない「はみ出した」閉じ方であるのが右傾の平行四辺形を生むという事がお判りになるかと思います。またこの右に傾むく右旋性の方は五度方向への音脈を欲するかのようにはみ出した構造なので、結果的に、横の線(=図の線分そのものではなく旋律を意味する)が属調方向への音脈を頼りに「移旋」したりする横の線の誇張が五度方面の調性組織に現れるというのが、閉じてはいるけれども本当の閉じたものとは異なる物だという事があらためてお判りいただけるかと思います。


 奇しくも我々はカイラリティーを実感する時はD型グリセルアルデヒドとL型グリセルアルデヒドとの両者の性質の差異を見付けてしまうものですが、地球上の全生物のアミノ酸はL型で、DNA情報を乗っける核酸はD型であるというのも興味深い所でしょう。

 こうしたカイラリティーが音の網状組織で見ても現れるのは不思議なもので、五度累積方向の右旋性が齎すヘプタトニックを超越する8音目の音脈は、やはり横の線の誇張から生じて、そこから生じる体系で和音が変化すると考える事ができ、一方で左旋性の四度累乗側は、和音がさらに集積を求めるようにして枝葉を付けるようになるというのも、これは決して偶然ではないでしょう。更に言えば、右旋性のヘプタトニック組織を超える8つ目(またはそれ以上)の音脈は、物理的構造では閉じてはいても、実際には閉じ切れていない音脈として現れているのであり、横の誇張で属調側へ音脈が近しいのはこうした所に依拠するモノでもありましょう。


 扨て、今回のTonnetzを見ると、亀甲状の背景に藤色と淡い黄色と2つの色で分けているのは理由があります。藤色で囲まれる三角形は、その最初の音組織が短3和音(マイナー・トライアド)を示しており、淡い黄色の方は長3和音(メジャー・トライアド)を示す三角形を構築しているのであります。決してどこぞの左翼が原発反対だのとシュプレヒコールを送っているのを図示しているワケではありません(笑)。

 それらの三角形を、ハ調域におけるDドリアンの対称構造の中でも同様に長三和音と短三和音を互い違いに持ち合うように形成しているのがお判りになるかと思います。長三和音の底辺が下方にあるのも今回は敢て、メジャー・トライアドの各構成音の音程が下方ほど広いという事で、短三和音はその形状は天地が逆になるという所も配慮して作っているのです。前回私がネオ・リーマン理論にて図示したそれは態と視覚的なゆさぶりを伴わせない様にして天地を逆にしておりますので混同せぬよう御注意を。


 扨て、ハ長調のダイアトニック・コード群というと、メジャー・トライアドとマイナー・トライアドをそれぞれ持ち合うのは判りますが、もうひとつ和音体系がありますよね!?そうです。ディミニッシュ・トライアドがあっておかしくありません。それでは、Tonnetzの図内のターコイズ色はどういう風に位置するのかというと!?

 そうです。ディミニッシュは閉じた構造では出て来ません。単なる直線、つまりこの図で左傾「\」の線分上に現れるのであります。左傾の線分上の音は、つまり短三度等音程ですのでディミニッシュ構造が現れることになります。
 亦同様に、右傾「/」の線分上は長三度等音程というオーギュメンテッド構造が現れる事にもなります。

 この右傾と左傾の線分が交差するのはもちろん水平軸なのですが、水平軸の列は垂直には300セント離れていて、横行に500/700セントの間隔があることになります。

 右傾・左傾の線分を150セント上方にずらしたり、又は左横行に250セントずらした体系があったとしたらどうでしょう?微分音を用いる為の音脈というのも結果的にはこうした構造上に均齊的に現れる様にも利用可能だという事です。
 
 そんな微分音など視野に入れなさんな!と罵られそうですが、右横行に約22セント程ずれた姿がシントニック・コンマなんですよ(笑)。図で表わすとしたら滲むような形でピントが合っていないかのようにダブってしまうので文字だけでしか説明できないのというのが残念至極でありますが(笑)。

然し乍ら一応今回はブルースやジャズの歴史に伴う属七から端を発しているので、微分音は視野に入れずとも基底トリトヌスに半音で寄り添う別のトリトヌスがどう寄り添うのかというのをあらためてTonnetzで確認することも出来ますね。例えば左傾線分上に在る「C - A - F#」。これはすぐ左に隣接する「F - D - B」で生ずるトリトヌスが在る(このトリトヌスがハ調域のトリトヌス)という事が判りますし、図では掲載範囲を超えてしまいますが「B♭ - G - E」という構造も「F - D - B」に隣接している事が同様に判ります。

 和音進行の勾配には直近に隣接するのではなく間隔を置いて出現する事が望ましくなるというのがあらためてお判りいただける事でしょう。つまり、G7において(#9、13)と(♮11、dim15)の出現頻度が少なくなるのは和音の勾配が均されてしまうからであります。

 とはいえ、複調的な使い方なら問題ありませんし特に(#9、13)には♯11thよりも本位十一度つまり(#9、♮11、♮13)の方が望ましくなりますが、これだとG7という基底和音に属するのではなく複調の体としての性格が強くでるのはお判りでありましょう。つまりG△の上に「C7」を生じる断片に近しくなるのであります。これがポリ・コードではなく単体の和音だとすると、基底和音を阻碍しております。ポリ・コードの解釈の場合は忌避する必要はありません。ともあれ、複調感を演出可能な音脈を探れる感性を伴っていれば、この程度の事で苦悩してはおらぬでしょうが。

 もう一つの例として本位十一度ではなく増11度音を附加する体でG7(#9、13)を発展させるとG7(#9、#11、13)という風になりますが、それは「B♭ - G - E」という短三度等音程の断片が見て取れるので、Tonnetzから探るとやはりこれも亦複調(他調のエリア)である事は明白であり、基底トリトヌスに隣接する構造であるというのがあらためて判ります。すると、和音進行の勾配の為に使う音として必要なテンション・ノートでしょうか!?そこまでドミナント7thコードに拘っていないと和音外音の音脈を奏することができませんか!?と疑問符を付けたくなってしまうんですね。

 つまり、ジャズがモード・ジャズに変化した時点で、和音進行が稀釈化してポリ・コード化、ハイブリッド化、マトリクス化が進む静的和音構造上で手をあぐねてしまう事を意味するんですよ(笑)。コードの有り体に拘るがばかりに、バップ以降のジャズに全く対応できなくなってしまうというワナを、コードの有り体と仕来りに有り難がっているジャズ屋どもは自ら静的な世界をも転がす様にしてジャズに旧来の色でしか音を「描く」事ができない事を証明してしまっている様なモノなんですね。ですから、少なくともsus4的解釈と、等音程の枝葉の音脈の在り方を熟知していない事には話がなかなか進まない可能性が高まるのが悲しい現実でもあります。
 

 今度はハ長調域にて主和音と下属和音に短七度音が附与されたという事をもう一度振り返ることにしましょう。つまり、ハ長調域に於てE♭音とB♭音が附与されたという事を意味します。

 すると今回のTonnetzの図からは少々判りにくいですが、C - E - Gというメジャー・トライアドを生ずる三角形の右下、つまり左傾の線分上の仮想的な所にB♭が現れます。同様にFメジャー・トライアドには右下角にE♭音が現れる事を意味します。こうした近接的な関わり合いに依って音の新たな脈をブルース/ジャズの先人達は使ってきたというワケです。

 但し、本来は長三度音と長七度音が「可動的に変化」というのが正しく、この「可動的」というのは半音階的にきっかり変わるというモノではなく、微分音的に変化するという「可動的変化」を意味するものでもあります。その後五度音も可動性を伴い、C調にてE♭、G♭、B♭という「可動的変化(微分音的変化)」に依ってブルーノートは生じたワケであります。この辺りの件は伊福部昭著の『管絃楽法』にも述べられている事なので殊更新しい見聞ではありません。

 ただ、私は嘗てのジャズ社会を知らないので推測でしかありませんが、上方倍音の音脈を黒人の鋭敏な聴覚が可動性を伴って導入してきた、という歴史はアフリカン・ミュージックのそれをひとたび聴けば深く首肯せざるを得ない解釈なのでもありますが、私個人は移調楽器の読み違えもあったのではないかと思っています。つまり、アルト&テナー・サキソフォンやクラリネット類、とくにクラリネットは多種存在しますし、一般的には、長二度低い、短三度高いという楽器のスコアというものを「複調的」に奏して、それほど悪くはなかったというシーンも有ったのではないか、と思っております。勿論鋭敏な聴覚と解釈すれば美談のままで済むのですが、私の解釈からすれば少し後ろめたい様な背景を伴っているので、実際そんなシーンがあったとしても忘れたい過去として葬り去られようとしてしまうかもしれません。とはいえ、「可動性」を見出した事が大きな発展であるのには間違いないワケですから、そのような可動性に伴う社会では和音が「硬く」変化していき、主旋律の背景の重畳しい和声を欲しがったがために和音体系が整備された、というのがジャズの急速な発展となったのは間違いないでしょう。

 まあ、そんな背景を鑑みてあらためて感じるのは、先の濱瀬元彦著『チャーリー・パーカーの技法』におけるsus4導出に寄る本位十一度の取扱を既にチャーリー・パーカーが使い分けていたという所は非常に興味深い所で、和音体系に有り難がるだけでなく、その後のモード社会をも先取りしていたアプローチがあるのは目を見張るモノがあります。


 次は「滲み」やらを語ることになりましょうか。