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属七提要 參 [楽理]

 先頃から私が述べている言葉のひとつで「ジャズはトリトヌスに5音を嵌当する」という点に於いて理解は進んでおられるとは思いますが、それでもなんとなくピンと来ていない人が多いのも実際ではないのかと思います。所謂ドミナント7thコードの代理という「裏コード」という、ジャズでのその振る舞いとやらを、嘗ての西洋音楽と勝手に同一視してしまう近視眼的理解をさせてしまうようなのがウィキペディアに普通に載っていたりするワケですから、これは目も当てられません(笑)。


 以前にも私は当ブログにおいて「増四度と減五度の違い」など色々語っているワケですが、ではジャズ/ポピュラー理論での「裏コード」の在り方というものを一応語っておいてから、それに伴う陥穽をあらためて白日の下に晒す事にしましょうか(笑)。

 例えばハ長調組織における属七=G7の代理コードはD♭7である、という事。これはトライトーンがエンハーモニック(=異名同音)で等しく持ち合い、夫々の和音の音程関係が三全音というオクターヴ内における対蹠関係であるが故に「裏コード」と呼ばれる所以なワケですが、悲哀な事に、ウィキペディア日本語版では、ナポリの六度が現状の属七の使い方と同様の用に例を挙げられていて(笑)、なるほど、こうした理解ならトリスタン和音もハーフ・ディミニッシュと同様と思ってしまうワケだとつくづくそうした滑稽な理解に失笑と嘆息が漏れるワケですね(笑)。

 ジャズ/ポピュラー界隈が和音の有り体にこだわっている限り、ドミナント7thコードで生ずるトリトヌスは減五度なんですよ。転回すれば増四度ですが、音の嵌当は絶対に5音なのです。まだ判りませんか?

 ドミナント7thコードの構成音である長三度音と短七度音がトライトーン(=トリトヌス)を生じさせているワケですね。なぜなら、ジャズ/ポピュラー界隈は和音の有り体に拘泥しているワケですから、そのコード上で生ずるトリトヌスというのは、他のテンションノートを除いた所でも属七という基底和音のトリトヌスとて「五度音程」それは減五度という音程なので、5音を充てる為の五度音程なのです。

 ドミナント7thコードの3度と7度間の五度音程を五線譜上でわざと4度音程で書いたり6度音程で書く事ありますか?(笑)。そんな体系じゃないですよね、ジャズ/ポピュラー界隈ってぇのは。

 つまり、G7の代理コードというのは偶々異名同音でトライトーンを持ち合っている同種の属七D♭7というものが都合よく現れただけの事で、D♭7というのは、C音の存在というのは完全に見捨ててしまっているコードなんですよ。だって、D♭7の七度音はC♭でしょう。H音では決してありませんよ、異名同音ですが(笑)。

 ですが、ナポリの六度を例に挙げれば、それはD♭から見た「増六度」である所に依拠した体系なので、C音を見捨てる事はありません。その上でD♭から見た「増六度」=H音を生じる体系である、という事を忘れてはなりません。

 つまり、D♭7というコード体系にてそれにモード・スケールを充当させる際、都合よくC音まで包含させるヘプタトニックのスケールを当てはめるとするとエニグマティック・スケール(=謎の音階)が視野に入るワケですが、増六度の音をD♭7の七度に無理矢理当てはめてしまう考えは、そもそもジャズ/ポピュラー界隈の理論とやらがあまりに狭量で形骸化した閉塞に遭遇する事にすら気付いていないというのが実際なのです。


 勾配を有り難がるだけの世界観で十分ならば、私のブログを茲まで読むことも無かったでありましょう。とはいえ、私がどれほど慫慂しようが、その先に己自身が体得する事が無ければ他人の言葉など理解していない事と同じなのです。

 いつまで経っても磨かれない感性に本当は忸怩たる思いを抱えつつも、我が身可愛さに己を責める事はしない。しかし、他人の言葉には激昂する。激昂する為の推進力が正のベクトルの為だと思い込み、自身はいつまで経っても磨かれない。ストレスが源泉なのであれば音楽的感性が磨かれないのは当然の事でありましょう。だからバカどもは、怒れるネタ元となり得るブログやSNSの短文などを引っ切りなしに探し出して炎上させようとしてしまう。そんな愚かな連中が私のブログを2ちゃんねるなどに書き込んだりするのもその手馬鹿どもの常套手段でありましょう。

答を見いだすことさえ出来ればストレスにすらならないモノなのでありますよ。真実が無い、真実を受け止められない脆弱な理解にしか及ばないからこそいつまで経ってもストレスを抱えているワケですな。まあ、勾配ジャズとやら聴いててもいいんじゃないですか、己がそこまで求めているのであれば(笑)。ただひとつ言えるのは、それを当ブログと一緒にするんじゃねえぞ、と。