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属七提要 壱 [楽理]

 扨て、ジャズではツー・ファイヴ進行という物に伴ってセカンダリー・ドミナントやドミナント7thコードの代理和音を配する事によって他調への転調をスムーズにして半音階的要素を強めるのでありますが、その図式は概して和音の響きを強固に映し出す世界観の上にソロ奏者がコードに準えた社会を想起して奏でているのが発端であります。


 処がジャズの世界もそうした「目紛しい」和音進行に逐一モード想起を充てるよりも、一部では微妙にモードを嘯いているとしてもなるべく少ないモード想起で、一つの矢で複数の獲物を捕獲するかのように音社会を捉えようとします。そこで、バップからモード・ジャズに社会は変わる訳ですが、モード社会における和音の在り方にスポットライトが当たらないと、それまでの和音充当と混同してしまいかねないので注意が必要なのです

 抑もモード・ジャズに於ては和音進行が動的なほどに勾配付けを行なう必要性はないのでありますから、進行感を伴う進行は避けても構わないワケです。

 処が、和音に乗っかるという様なまるで和音の構成音に凭れ掛かった様なアプローチを採っていると、ドミナント7thコードが持っていたオルタード・テンション・ノートという音の有り体が如何に半音階に近しく満たしてくれる様な音を提示していたのか、という事がまざまざと判ります。

 モード・ジャズになると劇的なコード進行が稀釈化する訳ですから、ドミナント7thコードのそれは勾配が強く働いてしまいます。もし使うとするならば本位十一度を許容するかsus4化させるかポリコード化させるかという風にして一度解体する必要性が生じます。それらの和声的な解体が齎す世界観はやはり「複調感」を伴う事になります。

 つまり、モーダルな雰囲気とはツー・ファイヴ・ワンという体を明確化させない様な仕来りでの和音活用が重要となります。そうなると、前回でも述べていた様に、トニック/サブドミナントとかサブドミナント on ドミナントとか、ドミナント on サブドミナントとか、トニック on ドミナントとも見て採れる分数コード、つまりポリコード化によって一旦世界観を見つめ直す必要性を生じさせる事が賢明な作業となるのです。

 ドミナント7thコードに依拠する和音の有り体とは、モーダルな社会に於いては逆に世界観を狭める様なものです。G7(♭9、#11、♭13)という和音が在れば、D♭△/E♭/G△(※E♭は単音)という風に見立てる事も可能なのです。つまり、二度ベースであるD♭△ (on E♭)の下にGメジャー・トライアドが存する様に捉えていいのです。こうする事で、アプローチ的にもGを母体とするような愚直な見渡しよりも、それとはトリトヌス関係として現れるD♭としての有り体が明確に見えて来る所から、基底和音のG△に依拠するよりも茫洋としたアプローチを採り易くなるのはお判りでありましょう。


 「輪唱」というものは「カノン」と呼ばれます。すると、あるシーンでは先行する主題がトニックに解決しているのに対して追っかけている主題がドミナント部を奏している事も有り得ます。これを和声的に見渡した時というのは、先のポリコード的解釈と何ら変わりがありません。

 初歩的な対位法では半音階的作法ではなく全音階的作法ですからトリトヌスの扱いもかなり厳格でありまして、トリトヌスの音に対して半音階的なひび割れを生じさせる複合トリトヌスというのは禁忌です。それが厳格ではなくなるのが半音階的全音階社会の到来があってからの事です。

 ジャズのポリ・コード化が対位法と結び付くものではありませんが、和音進行が明確ではなく静的でなくなった状態というのは結果的にポリ・コードとして表れ、それが更に巧みにモードが嘯かれる様になると、音階として捉えるよりも、テトラコルドが目紛しく変わっているというアプローチを見出す事ができます。

 換言すれば「ドレミファ」というテトラコルドともう一つのテトラコルドが「ソラ♭シド」とか「ソラ♭シ♭ド」に逐次変えるだけでも彩りは増すワケです。和音に縛られ過ぎた体系ではG7(♭9、#11、♭13)ではなかなか気の利いた旋法的な切り替えができませんが、ポリコードとして解釈したD♭△をDaugと変化させるだけでG7(9、#11、♭13)という揺さぶりが生じるのあり、D♭augに七度を与える時にC♭音を与えるという呪縛に囚われる必要も無くなるのです。

 つまりD♭M7aug (on E♭)/G△という時の有り体はGから見た時の本位十一度を得る事に等しいのですが、ドミナント7thに依拠する世界観を堅持しないのであれば、こちらの方がより自由度と複調性の世界が拓けているという事があらためてお判りかと思います。


 また、二度ベースというのは、二度音と上声部の和音に対しての従属関係が稀薄なので、先の様にD♭△ (on E♭)であろうがD♭M7aug (on E♭) であろうが、E♭音を根音とする基底和音を想定していない事には変わりありません。

 勿論、更に下方にあるG△の構成音として存する音をE♭の和音に対して考えれば全体としてはD♭△/E♭M7augやD♭M7aug/E♭M7augとして見る事も可能なのですが、基底とする和音を一旦稀釈化する事の方が重要なので、和音の組成の根源を求めてしまうことは結果的に勾配が強く現れる響き方をするので、この様にして表わしているのであり、上声部・中声部に二度/七度違いの分数コードを得る事の方がより中和化させるのであります。



 話は変わって「和音の有り体」という物を見た場合、時代を進めるほど和音の重畳は著しくなります。ジャズの場合は特に和音の有り体という響きに当初重きを置いた為、和音をどれだけ重畳させようとも基底に備わる母体の和音を阻碍する様な響き方を選択しなかった為、本来使われるであろう本位十一度をわざわざ和音の有り体の為に半音上げて変化させて増十一度音の方を選択するのですが、何度も述べている様に、本位十一度は複調を示唆し、複調感を更に強める音にもなるので、本位十一度を含む事は和音進行の勾配ではなく、旋法的な有り体として静的な和音の振る舞いとなるのであります。

 ジャズとて和音の有り体を強く欲する訳ですから、本位十一度が響く和音のタイプをそれまでのカテゴリーとは別の響きとして採り入れる事になります。そうした時の和音進行のためのフレージングとは異なるフレージングとなる為、結果的には調性がめまぐるしく変化する事に対応させる動的なモード奏法と、和音進行を動的にさせない事で旋法的な静的な欲求が働き、元々嘯いていた調と、そこに更に複調的な元の素因の旋法が絡み合う線が登場するモード奏法の2種類が生じる様になります。この後者のモード奏法をもう少し深く語る事にしましょうか。



 仮にイ短調(=Am)の曲にて貴方がAドリアンを想起して「嘯いて」いたとします。この曲の和音がAm7(9、11)というコードからAm9(on D)という進行をさせていたとします。このコード進行に於て構成音は殆ど変わりはなく、ベースが動的になっているものの、前後の和音の上部と下部が「倒置」し合うだけの関係で、実際は「静的」と呼ぶ事ができるでしょう。

 これら2つの和音進行感では、2つのコードに対してAドリアンという1つのモードを串刺しにして想起する事もできれば、Aナチュラル・マイナーを充てる事もできれば、最初のコードはAドリアン、2つ目のコードにAエオリアンを充てる、という様な事も考える事が出来ます。

 つまり、それらの対応は以下の4つに纏める事ができます。

Key=Amにおける
1・・・Am7(9、11)│Aエオリアン → Am7(on D)│Dドリアン (Aエオリアン)

2・・・Am7(9、11)│Aドリアン → Am7(on D)│Dミクソリディアン

3・・・Am7(9、11)│Aエオリアン → Am7(on D)│Dミクソリディアン

4・・・Am7(9、11)│Aドリアン → Am7(on D)│Dドリアン (Aエオリアン)





 結論から言って、先のコード進行において最も慮ったモード想起は「4番」であります。処がモード奏法を会得したての人々が陥り易いのは「2番」です。名うてのプレーヤーでも「2番」ばかりに拘泥する人達も少なくありません(笑)。それは何故か!?という事を語ることにしましょう。


 1番の想起は、これはもはやモード想起ではないです。単純にAマイナーというイ短調での、しかも自然短音階に依拠した体系から全く外れる事のないAエオリアンを愚直に充てているだけの事です。コードとは常にダイアトニックな和音が出現してくれる物ではありません。それまでの調性体系とは異なる組織由来であろうノン・ダイアトニックなコードに対してどういう調所属由来のコードであるか!?という事を瞬時に理解して、その想起した調性に基づく音並びを己の演奏に依って表現する事がモード奏法の入口なのですから、いくら2つのコードがダイアトニックなものであろうと、この様なモード充当は単にダイアトニックな音並びから何も嘯く事もないもので、ハ長調やイ短調という曲で白鍵を羅列するだけと同様の状況です。「嘯き」すらも視野に入っていない愚の骨頂パターンです(笑)。「ノン・ダイアトニック」な音が無いのだからコレで済ますという、ジャズ・シーンでコレをやった日には掌底食らう事でしょう(笑)。


 2番というのは、この進行でのイ短調をAドリアンとして一括して嘯くやり方です。「ドリア調」を体得するとほぼ間違い無く皆がこの手の嘯きを奏します。処がこの進行において2つ目の『Am7(on D)』コード上でAドリアン体系を堅持してしまう事に依る弊害は、Aドリアンで得られる特性音=F#音が先の2つ目のコード上で音価が、たとえ短い音で表れたとしても、そこで「D7(9、11)」あるいは「C△/D△」を示唆してしまうという事です。つまり、複調感が和音の有り体としては求められていない音を示唆して本位十一度の音を呼び込んでしまうのですね。この音を強固に響かせてしまう事で本来ジャズが避けている筈の和音感を阻碍してしまう事になるプレイとなってしまうのです。

 奏者にそうした配慮が行き届かない者が多いからといって、先の2つ目のコードを「D7sus4」などに変えてしまったら、今度は本来の和音のキャラクターが違う物となります。


 3番というのは、最初のコードでAドリアンとして嘯いてもおりませんし、2つ目のコードで嘯き始めた事で先の2番の様に本位十一度の音を示唆するプレイをする事になります。

 4番という物が最も慮ったプレイであり、随所にメリハリの利いたモノになります。それは何故か!?1つ目のコードではAドリアンとして嘯くので横の線としての嘯き方がメリハリとしてきちんと生じた上で、2小節目ではF#音を使わない体系であるので、経過的に表れてもF音で現れる事を想起したDドリアンであるため、そこで「Dm11」(=Dm7+長九度+本位十一度)を示唆するかの様に響いたとしても和音の有り体として阻碍するものでも、次の和音に対して勾配を得る強固なモノでもない裏打ちとなって、先行するF#音とF音との差異感でメリハリが生じます。

 奇しくもこうした例は、デイヴ・グルーシンの「Astro-March」の終盤、リズム・ギターのジェフ・ミロノフのプレイにこうした気の利いたプレイを見出す事が出来ます(※終盤5:20秒後付近に現れます。YouTubeでの再生数の多い方の物では5:22のプレイ)。

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 一方マーカス・ミラーは曲をEドリアン一発で俯瞰する様にプレイをしている事が判るので(「Dm9/G」では先行和音でのEドリアンの特性音である [cis] =C♯を弾かない様にしている事に加えモード・チェンジ後の [f] も弾かない様に細心の注意を払ってはいる様です)、マーカスのプレイしそうなC#音を奏している時にジェフ・ミロノフがF音を奏してしまうと、どちらもいただけないモノになってしまうのですが、ジェフ・ミロノフはマーカスを能く観察している為、気の利いた場所でC音を使える音脈でモードをサラリと変えるワケですね。

 単にこの当該箇所での2コード循環「Em7(11)→Dm9/G」での後続和音を先行のモードをEドリアンを堅持したままマーカスが [g] を弾く状況であると仮定した場合、それはEドリアンからGリディアンを弾いてホ短調の全音階を堅持しただけに過ぎません。しかし「Dm9/G」上ではそのコード構成音が示す様にモード・チェンジが自ずと喚起される事になる為、コードがアヴェイラブル・モードとして呈示する世界に靡こうとするのであるならば、ベースもイ短調の音組織での「Dm9/G」から想起されるアヴェイラブル・モード・スケールを奏する必要があるでしょう。

 然し乍ら狭義のモード奏法というのは、異なるモード体系でも他のモードをスーパーインポーズ=強行する事になるので、マーカス自身はご丁寧に「Dm9/G」上で [cis・fis] を明示せぬ様に音を選択して弾いてはおりますが、思惑としてはEドリアンを堅持して弾こうとしているのはフェード・アウト直前までのプレイを聴けばお判りになるかと思います。

 本当ならば「Dm9/G」でもEドリアンを堅持したいというそれを、私は先に述べた様に《Eドリアン一発で俯瞰する様に》という事を前提として語っているので、そこだけを読んで「これらのコード進行でEドリアンを貫けるワケねーだろ、後続和音はアヴェイラブル・モード・スケールから外れるのに左近治の莫迦が」とは決して誤解されぬ様お願い申し上げます。私が莫迦なのは百も承知なのでそこはあらためる必要はありませんが(噱)。


 こうした配慮がジェフ・ミロノフだけにしか見られないという所が残念な所ではないですか!過小評価されすぎですぜ、ジェフ・ミロノフ。お気に召された方はライターズでも聴いてあげてくださいね♪、と。


 先の「Astro-March」の当該箇所での2コード進行の実際は、「Em7(11)→Dm9/G」という型になります。コード進行を「原調」基準のディグリー表記で見れば「Ⅰm→♭Ⅶ/♭Ⅲ」なのですが、後続の「Dm9/G」は実際にはモード・チェンジしている為調域がイ短調音組織に転じています。原調の音組織からすれば平行長調の側の主和音上にある「♮Ⅶ」= [fis] を「♭Ⅶ」= [f] へ変ずる様に叛く状況であります。これを非常に恣意的に見るならば、原調=EmのⅣ度であるA音をルートとする副十一および副十三の和音が副次ドミナント化させつつ、その構成音の一部をオミットする事で断片化した事で生ずる分数コードとして生じた物として解釈する必要があるかと思います。

 即ち、「A7(9、11、13)」または「A7(9、11、♭13)」というコードを当初想起するも、その副十三の和音が第3転回形を採ると自ずと [g] 音をルートとする転回形へと成すのでありますが、その重畳しさが煩わしい(仰々しい)為、一部の構成音をオミットする事を企図する。[g] 音の3度上方の音が仰々しいと選択すると、自ずと [d] 音が分数コードとなる四度ベースの型を生じるので、「Dm9/G」というコードは、当初の副十三である「A7(9、11、13)」の13th音がイ短調側の音組織に変ずるので「A7(9、11、♭13)」という♭13th音を生ずる副十三を援用する形での「不完全和音」(※不完全和音とは、3度音程累積の充填の一部を欠いている状況の和音を指す)の転回形という形で判断する必要があるのが重要な見立てとなります。ですので、ベースそのものはEmキーに於て「Ⅰ」と「♭Ⅲ」という [e・g] の音度を行ったり来たりしているだけに見えるかもしれませんが、ベースの奏する [g] 音は確かに短調のⅢ度である「♭Ⅲ」であるも、ハーモニー形成の在り方として俯瞰する時には「Ⅳ」度由来で生ずる副十三和音を想定した上でモード成立を見立てる必要があるのです。

 ですので、2コード循環コード進行の後続和音「Dm9/G」という状況を生んだのは「Ⅳ度」=A音を元にするコードの転回形で生じた不完全和音ですので、コード・サフィックスを抜きにして見てみると「I → IV」という四度進行の循環で俯瞰して見立てる状況も必要なのです(IVの先は解決せずに亦繰り返す)。

 仮に、短調という機能和声社会でドミナントを経由して終止を標榜せぬモーダルな意味での調的な仕来りに於て単純な姿を基にするのであれば「I → IV」は「Im7 → IVm7」で良いのですが、概ねジャズ系統のアプローチは「ドリア調(ドリアン・モード)」として嘯く事が前提にあるので、ドリアン・モードを堅持する体系で進行させるとすると「Im7 → IV7」というタイプのコード進行でドリアンの特性音である主音から第六音が本位6度(長六度)の音を示唆する為にIV度上の和音はIV7に変化するワケです。

※西洋音楽での「ドリア調」とはフィナリスに対して上行導音を採る為、ドリアン・モードでの七度音は半音上がって導音化する事も視野に入っている事を指すので、茲での「ドリア調」とは単にドリアン・モードの音組織をムシカ・フィクタという可動的導音を採らずにモードを堅持するジャズでのモードの取り扱いでのモードのそれを表しているに過ぎないので混同なさらぬ様ご容赦ください。



 処が、「IV7」がその後四度上行進行というドミナント7thコードの勾配を使わずに循環するのがこの手のコード進行の最たる特徴(※重ねて言う様ですが、その「Ⅳ7」は「Ⅳ7(9、11、♭13)を生じさせた上で転回させ且つオミットして分数コード化させて異度由来の音度上のコードに見せかけているのであり、「Astro-March」の2コード循環は四度上行進行の応用例で生じている物であります。モード・チェンジも含んでいるので前後のコード進行でそれぞれ異なる調域でのダイアトニックな音組織を念頭に置く必要があります)そのものでもあるのですが、「IV7」上で気の利いた横の線(概ねジャズ系統界隈なら「リフ」)として出ておらず且つ和音を単純にバッキングで奏するタイプだと、ドミナント7thコードの通常の有り体として、進行する為の勾配の性格が強く表れてしまうのです。垂直的な和音の響きばかり「IV7」で奏されると「♭VII」の方面に行きたくなってしまう様な示唆があるのに、「I」へ戻る異和を生じてしまうものなのです。

 こうした時に「IV7」の勾配感を弱めるには、横の線、つまりリフ的なフレーズを配する事で更に経過音的に本位十一度音を用いるか、和音そのものの有り体を変更してしまうかという考えで操作する事がより重要な事になってきます。

 つまり、「Ⅳ7」を堅持してはいけない状況となり「Ⅳ7」(或いはその類型)ではEドリアンを堅持するAミクソリディアンを強行出来ぬ事になり、移旋する必要性が生ずるのです。

 また同様に「Im7 → IV7」という四度進行の度数を表わすディグリー表記を見ていただければ判りますが、実際はこのように度数として「1→4」を表わしてはいるものの、それはドリアン・モードを堅持する(ドリアンをスケールトニックとする為、長調でのII度や短調のIV度という見渡しをしない「I」という見方)為の四度進行ループとなっている状態であるというこのような進行に於ても「ツー・ファイヴ進行」と云われたりもするので気を付けたい所であります。つまり界隈ではドリアン・モードを堅持する類の状況を「ツー・ファイヴ」として表現している訳です。


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 他にもマーカス・ミラーの別の手法を他の曲において、この曲ではフレージングとしての横の線の甘さが出てしまいモード想起の長所を最大限に活かせてはいないものの、非常に興味深いモード想起をしている例があります。それがデヴィッド・サンボーンのアルバム『Straight To the Heart』収録版の「Run For Cover」の前奏部です。

 次の例の様に、「Run For Cover」のスタジオ・オリジナル版とは少々異なるコード進行が附随しているのが特徴ですが、これら4小節の繰り返しで最も注目すべきは、コード譜中のF7 (on B)の部分であります。
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 F7 (on B)の構成音は、B7(♭9、#11)とほぼ同じ構成音でありますが、前奏部直前の部分でFリディアン・ドミナント7th(別称:リディアン・♭7th)を奏する部分があり、なるほど、ここでのFリディアン・ドミナント7th想起は非常に興味深いモード想起であるとつい深く首肯したくなるのであります。


 その理由は、リディアン・ドミナント7thスケールを想起した場合、メロディック・マイナー・スケールのIV度上に現れるのがリディアン・ドミナント7thなので、メロディック・マイナー・モードのスケール・トニックを探る事ができる訳です。そうすると、Cメロディック・マイナー・モードという音社会で生ずるIV度上のFリディアン・ドミナント7thスケールという事があらためて判ります。

 つまり、元のキーEマイナーである訳なので、短六度上/長三度下の調域のモードを想起する事になる事に非常に近しい物として見立てる事が出来るのです。つまり、和音をB7(♭9、#11)として見た場合だと、単にオルタード・テンションが、基底となるB7に附随している様にしか見えませんが、Fリディアン・ドミナント7thスケールを奏する事で、和音の体が「F7 (on B)」である、という事がとても明確になると共に、複調性を伴った和音となっている事が判るのです。

 その複調性とやらが意味する事は、短六度上/長三度下の調域のモードを想起しているという事でお判りになるかと思います。コード・ネームがどうであろうと和音の響きは「B、E♭、F、A、C」に変わりはないのですから、B7(♭9、#11 omit 5)であってもF7 (on B)であっても同様に振る舞うでしょうが、マーカスがFリディアン・ドミナント7thスケールを奏する事で、B7系の世界観のモード(=ホ短調組織の属七)とは趣を異にするタイプの音脈を生ずるという事なのです。

 また、Fリディアン・ドミナント7thスケールはその半音下にホ短調を見る応答とも言えます。亦その異なる調域同士の応答は、Fリディアン・ドミナント7thがCメロディック・マイナーのモードに起因するモード・スケールであり、Cメロディック・マイナーを短調の変化と見た場合その平行調はE♭(=変ホ長調)にありまして、これも変ホ長調の減八度応答としてホ短調があるという図式を備えていて、ビゼーやR.シュトラウスなどにもこうした結果的に半音違いを結ぶ応答を「減八度」の脈として使っている例があり、こうしたアプローチは実に複調性を伴うモード想起であります。

 加えて「トリトヌスの枝葉」というのは12平均律に於いて1オクターヴ中に6組存在する事になりますが、今回そのトリトヌスの枝葉を見てみると、BとF、E♭とAという風にトリトヌスの枝葉同士が長三度間隔で生じていると見る事で、そこから等音程を見渡せば、次に音脈として使い易いのはE♭とAの枝葉に対して長三度間隔に更に隔てたGとC#に見付ける事が可能とも言えます。無論、拡張的な考えとしての在り方ですが。

 するとその新たな等音程は結果的にB→E♭→Gという風に長三度等音程で見渡したのですが、もう一方ではFとE♭に対してD♭という、全音(=長二度)間隔という、全音音程の断片として見えて来る所が面白い處でして、こうした側面を匂わせ乍ら(感じ取り乍ら)、単純にヘプタトニックをすぐに埋めてしまおうとせずにゆとりを持った見渡しをする事で色んなモード想起を兼ね揃えて置くことも可能となるのでして、マーカス・ミラーのそれはかなり「Astro-March」とは違う「気の利いた」モード想起をしている事となります。まあ、自分自身が作曲した曲であるから当然と言えば当然でしょうが(笑)。

 この「Run For Cover」のアレンジで言えるのは、一見B7(♭9、#11)と見立てる事による調的社会の見渡しと、「F7 (on B)」を見る事での見渡しで得られる世界観は違うのでありまして、ある意味では元のB7を歪曲的に見る事でこうした揺さぶりを与えてアプローチを採る事もひとつの応用例となることでしょう。このドミナント7thコードの捉え方は、三全音(=トリトヌス)で持ち合う代理関係の構造を巧みに利用していて、ドミナント7thを稀釈化というよりは直視していない(然し乍ら本位十一度を用いて薄めてはいない)使い方であります。


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 他方、ジェフ・ベックのアルバム「WIRED」収録の「Play With Me」のBパターンでは「稀釈化」の用法が見られます。つまり『IIm7 → IIm7 (on V)』としてツー・ファイヴを稀釈化させた進行が出てきます。これは、便宜上「II度」として表わしているのは実際のスケール・トニックですがツー・ファイヴ・パターンなのでこのようにしてディグリー表記を付しております。「Play With Me」の実際は「Dm9 → Dm7 (on G)」ですが。



 ジャズがドミナント7thコードを用いるにあたって「本位十一度音」を使用するものであるならば、先の「Play With Me」のコード進行ではDm9 → G11またはG7 (9, 11)またはF△/G△という風であっても何ら問題ないのです。2コード・パターンの2つ目のコードであるG音がベースにある時というのは、G音から見て本位十一度=C音が使用されている時の和声感は、その上方に本位13度音があっても、これは進行的な仕来りで勾配が付かないだけの事であり、それが色彩的に使われたり複調性を齎すモノであれば臆する事なく使える音脈なのです。

 更に付け加えれば「Dm9 → Dm7 (on G)」というコード進行に於て、それぞれの和音進行の勾配が稀薄であるからこそ、Dmから見た時の本位13度音(=h音=英名B音)、Gから見た時の本位11度音=C音や本位13度音を臆する事なく使える訳です。

 「Play With Me」の場合はヤン・ハマーのミニ・ムーグが横の線としてそれらの音脈をふんだんに使うのでありますが、仮に他のシーンにてマイナー・コード上においてフリジアンを示唆しない場合での長九度音を包含できる短和音にて本位十一度の使用を示唆すれば、そこに和声的に本位13度があった場合、一旦和声的空間は飽和状態ともなりますが、複調を示唆しているのでしたら13度音とて使える音脈なのです。

 仮に、短和音上で、アーサー・イーグルフィールド・ハルの様な増11度音が使われる場合なら寧ろ13度音は積極的に使える物ともなります。この和音については孰れ亦詳しく語る事があるでしょうが、マイナー・メジャー7th系列やマイナー7thコード類にて本位九度+増11度がある時の本位13度音は本位11度がある時よりも積極的に使える物であるという事は知っておいて下さい。

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 それらとほぼ似た和音の形式であるマイナー・メジャー7thコードを基底和音に長九度+増十一度音を付与した和音が坂本龍一アルバム『音楽図鑑』収録の「A Tribute To N. J. P. 」の一番最後の部分などでも使用例があります。



 同様に、マイナー・メジャー7thコードを基にして本位十一度音および本位十三度音を使用する例がジョン・パティトゥッチの1stソロ・アルバム収録の「Baja Bajo」において、冒頭のコードやトニック解決時にチックがシンセ・ストリングス系で曲中で使っていたりするので今一度紹介しておきましょう。奇しくもこのアルバム、24ビットリマスターされて2014年に発売されるので多少音質改善があると思われるので非常に期待が高まる所でもあります。




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