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根音バス、覚えてる!? [楽理]

 今回も亦前回の続きを補足的に語る事としますが、今回はチョット趣向を変えて「出題形式」として、前回のブログ記事の要点をテストの様に問いかけて語る事にしてみました。こういう風にすると、あらためて体系が判る事もあるので、騙されたと思ってやってみてください。解答例は譜例の画像に記載しておりますので、今一度「大前提」が蔑ろになっていないかどうか!?という事も自分自身への診断チェックとしてやってみて欲しいと思います(笑)。


 出題形式としては次の通りです。



問1:左記ex.1に示す三度堆積による六聲の和音は十一度和音として構成される轉回形の一つの体系を示すものであるが、この和音の根音バスの音名を英名表記で求めよ.


問2:左記ex.2に見られる六聲の和音に對して、ハ調域内のロ音(英名:B音)を加えると其の調域に於ける全音階和音の綜合となるが、そうした出現を「綜和音」と呼ぶ場合、この綜和音が安定的に得られる場合のヴォイシング例を基本形で記譜せよ.亦、安定的存在の理由を答えよ.


問3:ヨナ(47)抜き音階として知られる音階は、長音階の四度と七度音を省略して用いられる音列の事であるが、この音列に對する調性の有無を答えよ.亦、その理由を答えよ.


test.jpg

 とりあえず出題に関して補足的に述べておきますが、問1に関してはハ長調のII度に出現するDm9(11)の轉回形でしかないので、「Dm9(on G)」と表記した所で、元々のDm9(11)の轉回でしかありませんし、ドミソをソドミとやっても機能が変わらないので、敢えて「根音バス」として出題すると、喉元に刃を突きつけられたかの様に正答が見えて来るワケですね(笑)。態々ここまでしなくとも賢明な方なら前回のブログで既にご理解されてはいると思いますが、視点を変えて根音バスに目を向ければこういう風に理解が及ぶ、という事をあらためて語っているのです。


 問2に関しては「Dm9(on G)」というカタチの根音バスは結果的にD音を導くのですから、この先にある綜和音の体を出題しているワケですね。つまりIV度上で生ずる事が答であり、それが求まるのはどういう理由なのか?という事も訊いているという、少し意地悪な出題です。


 綜和音を「安定的」な体におしやっているという事は、13度音程(三度堆積に依る和聲空間の最果て)の最も遠い所にトライトーンを配置させる事で、属七の包含を暈そうとする様な意味合いで述べているのであります。そのトライトーンに由来する「ヨナ抜き」音階に調性が無いのは至極当然でありまして、ペンタトニックに情緒はあっても調性が無い、と述べられるのはこういう所の理解から端を発するのであります。

 また、ペンタトニックの各音が完全五度累積のタイプにならない物は人工的な物が殆どで、音列の体系としてとても「未成熟」な体としてザックリとしたテトラコルドの原型に収まるような琉球音階とは少し譯が違うモノでもありまして、こういう所の理解の重要性をあらためて強調したい思いから出題した譯です。


 音楽の詳しい事など知らない人ですら、「ヨナ抜き音階」という4度と7度が省かれた音列を耳にしても調所属を理解するものです。それどころか、調性内に於いて、調性外の音が1音でも放たれた事で違和感と差異感を認識するのが当然なのであります。

 ハ長調のドレミファソラシドという体系の中に於いて突如1音だけ「ファ#」が出て来ても、そこに差異感と違和感を生じたりするのは当然で、この差異感というのはト長調の調域という調所属を朧げ乍らも判断している事に等しいのでありまして、調所属とやらに對して7音使い果たすまで気付かぬ鈍感な音感の持ち主であれば音楽をやらない方が賢明だと思います(笑)。

 ヨナ抜き音階を聴いて、調所属を確定できないとして「朧げ乍ら」調性を獲得し得る感覚があってこその感性であり、7音聴く迄調性が判らない様な人間ならペンタトニック聴いてもチンプンカンプンな譯ですね。こういう風に成り下がらない様にして音楽を聴いて欲しいモノです。



《補足》  長調のIV度上で13度音がアボイドでないとはいえ長調のIV度上で三度堆積に依る七声和音を忌憚無く使う事を推奨しているのではありません(笑)。ヘプタトニックの世界に捉われる枠組みに於いて、根音にどのような機能がそこにあったとしても、「総和音」という全音階の総合はトニック、ドミナント、サブドミナントが全てある状態なので機能が中和しますので、仮に長調のIV度上で七声の全音階和音の総合を得ても、それがサブドミナント機能を維持することは無く、むしろIV音が「I度」という変格化を招いているだけの和音になるでありましょう。

 その辺りを混同することなく長和音上の本位13度音の在り方と、七声としての十三度の和音のあり方というのを誤解を招かないよう区別して理解されたいと思います。前者の長和音上での本位13度の在り方が意味するのは、長調のII度上で生ずる本位13度(こちらは通常アヴォイド)も同様に、「複調」由来を視野に入れたモノと明記しているのはその為ですので、単一の調性内での十三度の和音の在り方と混同せぬよう注意されたし。

 十三の和音の前提にあるのは、オリヴィエ・アランに倣えば、長音階の総合、和声的長音階の総合、和声的短音階の総合、旋律的短音階(上行形)の総合というたった4つの総合(長調・短調双方ともトニックでの)としてしか総和音としての扱いを体系化しておりません。

 パーシケッティの方も調的機能に注釈を与え乍ら、スーパー・ロクリアン・トータル、ハンガリアン・メジャー・トータル、導音付きホールトーン・トータル、フリジアン・トータルやらを例に出しておりますが、パーシケッティの示唆する所も結局は「変格化」なのでありまして、ヘプタトニックが視野に入っていればそうした使用は通常滅多にない事という注釈付きで語っているのでいずれも参考になるかと思います。注意されたいのは、七声としての和音使用と13度音の付加使用を皮相的理解に依って混同してはいけないという事で今回あらためて追記しておきました。興味のある方は先の著書に目を通す事をオススメします。

 奇しくもパーシケッティの著書「20世紀の和声法」内では、今回私が取り上げた松田聖子の「瞳はダイアモンド」のイントロのコードに似る様に、ト長調の総和音とも言える七声の和音(十三の和音)を取り上げており、こうした調性内での音の「飽和」は四度音程を用いた和音でも同様という事で話が進むので、私が取り上げているのはそうした狙いがあるからです。

 三度音程で累積させる和音というのは調性社会と倍音列に補足され易い仕来りに放たれている音とも言えますが、四度累積の場合、そうしたファクターから逃れながら累積を進める事が可能となります。四度和音の果ては二度の集積を生みます。また、四度音程の使い方の巧みな作曲家の一人にヒンデミットがおりまして、私がなにゆえヒンデミットの名前を頻繁に取り上げるのかを、今此処であらためて理解していただければ助かります(笑)。