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R u takin' it out on me, dear? [プログレ]

 2013年4月末、フレッド・フリス率いるマサカーが来日したのは記憶に新しい所でありますが、アルバム「Killing Time」収録の同名タイトル曲のメイン・フレーズに微分音が使用されているのはあまり知られていない事実であります。
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 少し前にも私はツイッターで呟いていたのでありますが、微分音というのは四分音でありまして、24等分平均律という風に考えても良いでしょう。「Killing Time」のギター・フレーズに於いては右chと左chで二聲のギター・トラックに分かれておりますが、實はセンターにも參聲目の部分音が現れるので、後述の參聲目を表すMIDIノート・ナンバーでの符割を参照していただければ幸いです。


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 扨て、今更乍ら私は「Massacre」という言葉に興味を持ち、「殺し」を意味する単語を拾ってみると意外にもこれほど拾って来たので備忘録代わりに今回のブログのネタにしちゃいました(笑)。別に實生活に於いて多大なストレスを抱えてしまってこうした語句に興味を示しているのではなく、あまりにも非日常的な語句であるからこその知的好奇心に由来するモノでありますので、気分を害されぬ様ご理解いただけると助かります。

 他国語故にあらためてこうした知的好奇心が芽生えるモノでもありますが、子供達の夏休みの自由課題にでも出来そうな「殺し」に関する英語の語句の多さにあらためて驚かされる思いであります(笑)。


kill  【殺す】
massacre 【虐殺する】
slaughter 【大量殺人】
slay 【屠殺する】
murder 【殺人を犯す】
drown 【溺死させる】
suffocate 【窒息死させる】
assassinate 【暗殺する】
poison 【毒殺する】
strangle 【絞殺する】
execute 【処刑する】
hang 【絞死刑にする】
suicide 【自殺する】
abort 【中絶する】


 中絶や堕胎も殺人なのか!?と思われるかもしれませんが、少なくとも欧米だと相当罵られるみたいですね。宗教的倫理に反する行為という認識の為、「abortion」というのはiOSのSiriに問い合わせても明確に答えてはくれません(笑)。


 嘗ては強姦やら非合法な罪人を、圖のようなT字型の拷問の台に中央の穴に首を、両端の穴に手首を入れられて曬し者にされていたというのでありまして、その木製の台には「FOR UNLAWFUL CARDINAL KNOWLEDGE」と書かれ、これが「F.U.C.K.」の語源なのだと訊いた事があります。
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 とまあ本題に戻りマサカーの話題を語る事にしますが、massacreという単語でさらに「Killing Time」なのですから、その言葉の重みとやらはとても痛烈に伝わって来るモノであります。


 因みに、先のMIDIノート・ナンバーで示したリズム譜の数字ですが、抑もMIDIノート・ナンバーに小数点はありませんので(笑)、あくまでも半音の更に半分である四分音を明示したいが故の小数点を表記なので、此処迄言わずとも意図は通じているとは思いますが念のために語っておきます。


 扨て、「Killing Time」の四分音の与え方というのは、微分音を使っている事だけに註意するのではなく、ベースのビル・ラズウェルはB♭音のルートを刻んでいるので、B♭に對しての二度音程というトーン・クラスターを形成していて、そのクラスターの一部は半音よりも狭い1四分音での「二度音程」の空間をも形成しているので、とても「鋭く」音響空間を塗り潰しているのでありますね。
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 フレッド・フリスの微分音への欲求というのはこればかりでもなく、ナット側で生ずる弦長に對して共鳴的な音を得る為にピックアップを付けたりという実験的な事もアクサク・マブールで模索していたりと、多種多様な事を繰り広げていて、高次な現代音樂的素養も備えている人なのでこうしたアプローチを忌憚無くやってのけているのが素晴らしい所でもあります。

 
 例えば、ヘンリー・カウのアルバム「In Praise Of Learning(邦題:傾向賛美)」収録の「Living in the Heart of the Beast」でのギター・ソロに於いてはとても速い音の明確なトリルが表れますが、トリルとかトレモロというのは一見簡単そうに見えますが明確なトリルというのは實は意外にも難しかったりするモノで、そうした演奏技術に裏打ちされたプレイも聴かせてくれるフリスの超絶プレイというのはこの際こうして色々とレコメンドしているのでありますが、私としてはやはり微分音という空間への衝動を確認できる事こそが一番嬉しいモノでもありまして、30年以上も前にこうした音世界を繰り広げている先人達にはあらためて驚かされることしきりです。




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 私がマサカーの「Killing Time」を耳にしたのは85年の辺りでしたが、単にチューニングをズラしただけと思い込んでいたそれを四分音と気付いたのは91年頃の事でしたので、悔しさ一杯だったりした事もありました(笑)。ただ、リアルタイムにマサカーを見聞き出来たとしても四分音活用という所まで註視出来る様な人は極々限られた人であろうとも思いますが、そうした限られた人達の間で語られる様な事を話題に取り上げてみたいモノでもあります(笑)。

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 四分音の活用と言えば、最近の私のブログではブーレーズの「Doubles」を取り上げたばかりなので記憶に新しい所と思いますが、16等分平均律を採用したスティーヴ・ヴァイのアルバム『Sex & Religion』収録の「Down Deep Into The Pain」という曲もあり、曲中盤以降で随所に聴く事が出来ますが、16等分というと3四分音(=75セント)が1ステップ刻みとなるので、2ステップは150セントとなるので、ブーレーズの「Doubles」でも用いられた空間をコチラでも聴く事ができる譯であります。奇しくもこの曲は講談社ブルーバックス刊小方厚著の「音律と音階の科学」でも詳しく取り上げられているので興味のある方は是非目を通される事をオススメしますが、著書では従来の音律の枠組みに於ける完全音程や協和音程を残しつつ新たな音律の可能性を探っているという物でもあるので興味深い題材と思われます。



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 微分音の空間に耳が鳴れると、例えばジャコ・パストリアスの「トレイシーの肖像」で出て来る第11次倍音(完全四度よりおよそ1四分音高い)に對してとても鋭く微分音を聴く事ができる様になる物で、耳に馴染まない時はチューニングを合わせようとする衝動に駈られるばかりで、狭い音程という音響空間を聴き取ろうという正当な欲求に働かないモノであったりします。
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 こうした例は通常の十二平均律での短二度(半音)音程に耳慣れぬ頃の受容にも置換出来るモノで、長七度や短二度や短九度音程を持つ和音の響きを脳が獲得する様になると心地良く聴こえて来る様に、微分音でもそうした心地良さが表れるモノだという事を知っておいていただきたい理解であります。聴き慣れない音程というのは脳が勝手に聴き慣れている音の脈絡へと置換しようとしたり排除してしまおうとしてしまうモノなので、こうした情緒を見出すという事は、厳しい音響空間に耳(脳)が慣れていて神経が集積されているからに他ならないのであります。 この様な音響空間を欲する人達の頭の中というのは即ち、そうして「集積」されているのでありますね。



 そうした「集積」というのが樂音の音程的な呼称としては「音塊」(=トーン・クラスター)という言葉が相応しいモノとなるので、単にニューウェイヴ・ムーヴメントやパンクス的な振る舞いでああした音響空間を生んでいるモノではないという事を自覚するべきですし、四分音空間がパンスク方面の人でも刺激できるのは、聴き手が微分音と認識していなかろうとも充分に刺激的な音であるという良い見本なのであります。KoRNとてダブル・チョーキングで狭い音程の二度を徒に使っているだけではないのでありますね。


 「狭い音程」の刺激はこれからももっと増えて来るでありましょうし、半世紀後くらいのジャズはそれこそヴィシネグラツキの様に二台のピアノを用意して1台は微分音オフセットでズラした調律での演奏形態が標準化するのかもしれません。というのも、ジャズの世界では和音を司るのはピアノが主役でしてごく偶にギターが付随する程度で、一人のパートで和聲を彩る事ができるのは鍵盤奏者の役目となるので、こうした形態の「限界」がジャズの音響的空間の今現在の停滞状態を招いているのだとも思えるのでありまして、何れは異なる調律が併存する楽器の持ち替えやらも珍しくなるのではないかと思います。クラシック音楽界ではこうした所が實はとても柔軟だったりします。音世界の構築の様式には厳格な物が求められたりしますが今一度あらためて微分音へ視野を拡大してみる事をオススメします。

 2013年6月にはN響で酒井健治に依る做品が披露されますが、こちらも微分音を駆使した做品だと思われるので要注目です。酒井さんはツイッターでフォローさせていただいており、いつも真摯にご返信いただけており、この場で敬称を省略してしまうのは気が引けてしまうのですが、他のアーティスト同様文頭に於いては敬称略とさせていただきました。