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ピカルディの3度とは!? [飛び道具]

 扨て、前回までは数々の「アウトサイド」な音への脈絡を見付けようとする「ひとつの」例を挙げていたワケですが、旧来の和音進行の体系に対して易々と置換出来るモノでもなく、ただ単純に別の脈絡(縁遠いであろう調的関係の意)を探る道筋を見付けて、その後は自力で組み立てなくてはならないという厳しさは備えてしまっているかと思います(笑)。つまり、●●のコードの時には△△のスケールを当て嵌めればどうにかなるんだ!という体系化とは全く異なるモノなので、楽典のイロハを覚えている最中の人には全く無縁の類だったりするかもしれません(笑)。


 私が文中で何度も念を押してはいたものの、おそらくや旧来の物(ごく一般的なコード進行の意)と置換が可能なのではないかと勝手な憶測を繰り広げてしまう様な人は少なからず存在したのではないかと思うのですが、旧来の曲の仕組みで置換しようとしても旧来の曲のそれが調性にぶら下がるタイプの曲でしたら始めから無理があるというモノです(笑)。少なくともモード・ジャズの類の曲に無理矢理置換してみる位ではないと理解はなかなか難しいと思いますし、それでも置換は不可能だと思います。なぜかというと、シンメトリカルな構造が調的システムな体とミックスし合った時にどういう因果関係を「触手」達は持って来るのか!?という所が最大のポイントなので。

 喩えるならば、ある料理を調理中にローズマリーを施すようなモノで、ローズマリーの「枝葉」は、芯となる幹はいわば協和的な音程の比喩、同様にローズマリーの枝葉がそれにぶら下がる他の脈絡の希薄な音という風に捉えていただくと判りやすいかな、と。ローズマリー本体を食す為に調理しているワケではなく、ローママリーに依る味の変化を楽しむのが本来の目的でしょう。II on Vの和声の形が何らかのメジャー9thに置換できるんだ!と馬鹿な考えに収束してしまう様なら憶えない方がまだマシです(笑)。一生ローズマリーや葉ショウガだけ食ってろ!と言いたくなるってぇモンです(笑)。


 因みに、調的な情緒深い世界というのはシンメトリカルな構造というモノは通常見当たりません。調的な世界の枠組みであるそういう「整列」に依って調的情緒は初めて調性が豊かになるというのは不思議な所ですが、長調と短調が出来るとココがシンメトリカルな構造の始まりとも形容できるワケです。以前にも語った様に、長調の上行形での各音程の「全・全・半・全・全・全・半」という並び方は、下行形が短調の主和音の五度に収束する形で上行形と下行形でシンメトリカルな体となる、という所から端を発するワケです。しかしそれらのシンメトリカルな構造というのは長調と短調を上下に合成して投影させて初めて見出せるモノで、単一の調性を取り扱っている際にはシンメトリカルな構造としては反映されていないコトなので、前述の私の解説はそうした所から語っているコトです。

 古い枠組みではひとつの調性だけを取り扱ってきたので和声の発展はある程度の所で収まっていたワケですが、短調も長調もあらゆる多数の調性が複合化した対位法の追究が進むと、シンメトリカルな構造から色んな音の脈絡を見付けて来る様になったというのがハイパーな音の始まりとも言えるでしょう。

 四分音という微分音を欲しいからと言って四分音分等しくピッチだけが低い長音階を単独で弾いてしまえばコンサート・ピッチがやたらと低い長音階を弾いているだけの愚行でしかありません(笑)。取り扱うにはもっと他の方法があるというワケですね。物事を知らない連中というのは「体系」に拘りすぎるきらいがあるのですが、だからといって無秩序であってもいけないと思いますし、やたらと体系化にしがみつこうとするのもどうかと思うのでありますな。或る意味ではマニュアル化社会的な理解とも言えるワケですが、体系化を学んで皆等しく同じ振る舞いを身につけたとしたら社会はどういう風に映るモノでしょうかね!?コンビニの対応ってどこも杓子定規ですが、イレギュラーなシーンできちんとした対応ができる人に皆総じてトレーニングされているか!?というと大多数は無理だと思います(笑)。粗相のない言葉を仕事上獲得しただけの事で、誠意ある言葉が臨機応変に出て来る様な対応が出来る人の方が少ないという意味ですね。


 シンメトリカルな構造を含め、等音程(等比音程含)という構造は単独で形成するよりも、既存の調的システムの協和音程と組み合わさって用いられる事で色彩が深まるというのは以前にも述べた通りで、こうした技法については国内では松平頼則の時代から予言・体現されていた事であります。とはいえ現代音楽というシーンでしか用いられない様な技法ですら何れは不自由なく使われる時代が到来するとは私自身思うことしきりです。

 まあ、いずれにしてもsus4やらツーonファイヴの形が同機能(和音を構成するカデンツの包含の意)のメジャー9thに置換可能とかそういう馬鹿げた理解をしない様に念を押しておかなくてはなりませんが、通常の音世界では少しばかり逸脱してしまうかのような和音を私ならどういう風にまぶしてみるか!?という例も挙げ乍ら今回は語って行く事にします。先頃譜面を使い乍らもアップした事のあるサンプル曲「君を睥睨」という初音ミクに唄わせているというアレですね。まあ、初音ミクの絵もあらためて見てみるとしっかりコチラを向いて「睥睨」しておりますが、歌詞は何の意図も脈絡もありません(笑)。只唯単純に初音ミクに唄わせて作っただけの何も考えていない曲で、コード進行とやらは以前から持っていたネタを流用し乍ら作っているモノです(笑)。


 今となってはアニメ音楽(=アニソン)系統で「体系化」されていると言っても過言ではないコード進行の技法のひとつである「ピカルディの三度」。嘗て私の同級生は「ピカールの3度」とか答えてしまっていた事もありましたが、まあ器楽的な方面に「磨き」をかけるのはイイことかもしれませんが、摩耗するほどシゴキを入れてはいけません(笑)。ま、そんなハナシは扨て置き、ピカルディの3度というのは、マイナー・キーの曲がトニック・マイナーに終止しようとするシーンでトニック・メジャーとして「嘯く」という、コレこそがピカルディの3度の最大の醍醐味なのでありますね。


 近年、テレビメディアでこうした技法が取り上げられた事があるのは私の知る限りでは意外にも「タモリ倶楽部」に於いて「日本ブレイク工業社歌」が取り上げられた時の萩原健太氏の「メジャーで終わる」というコメントがピカルディの3度抑もを表現したコトなのでありますが、まあ、確かにピカルディの3度というのはアニメ界隈ではよく使われているのかもしれません。しかし私は古いアニメしか知らないので例を挙げる事ができないのですが、「バビル2世」だとピカルディの3度ではなくその直前に同主調に転調しているのでチョット違うのです。近年の「味楽るミミカNo.1」もやはり少し違うのですな。




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 私がパッと思い付くのはダリル・ホール&ジョン・オーツの「Maneater」こそがピカルディの3度の代名詞的なポピュラーソングなのでありますが、意地の悪い人は「季節が、君だけを返るゥ~♪」という風に、「マンイーター」に対してBOΦWYの曲を唄ってしまったりする人も居たりしますね(笑)。


 BOΦWYの方はピカルディの3度まで「遵守」していたかどうかは不明なので何とも言えない所がもどかしいのでありますが(私自身がBOΦWYをよく知らないだけ)、まあ、「マンイーター」と言えば超が付くほどの有名曲なので知らない人は居ないと思われるので言及はこの辺でとどめておきますが、短調の曲がトニックに於いてトニック・メジャーで嘯くというソレは、苦難の道のりを歩んで来た末の達成感みたいなシーンを投影できるから他ならず、多用されるワケでありましょう。




 アニメやら特撮ヒーロー物でも、主役が苦境に陥り、それを乗り切る時に「ピカルディの3度」を聴かせると、その演出にあらためて頷かされるのではないかと思います。

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 私も嘗ての学生時代で部活動の時(炎天下でも水を飲んではいけないという70sスポ根時代のことで、それ以前の汗かき礼賛ムードは兵役苦行礼賛時代とも言えます)にピカルディの3度とは違うのですが、壮絶なシゴキの後の達成感の時に「ここ、ジノ・ヴァネリのブラザー・トゥ・ブラザーの《アレ》な!!(直前のマイナー・コードのパラレルからのGM9へ解決する部分のコト)」とか言うと、当時の同級生には器楽的な心得が無いクセに判ってくれる部員が居たモノで(笑)、別の機会にでもジノ・ヴァネリを題材にあらためて語ろうとは思いますが、いずれにせよ、音楽の演出というのは世界全体で見ても状況変化などではそう大きな差はなく共通理解が存在する様です。

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 スティーリー・ダンなどとても顕著になりますが、所謂モーダル・インターチェンジという物が顕著に用いられるワケですが、モーダル・インターチェンジというのは同主調からの調的情緒の借用のコトであるワケで、ピカルディの3度というのはコレに属するひとつなのであります。


 モーダル・インターチェンジというのはあまりに色々あり過ぎて列挙しきれないほどだと思いますが、ドミナントを経由せずにサブドミナントからサブドミナント・マイナーと進行してトニックへ戻るパターンはとても体系化されおりまして、嘗てはビートたけしのスーパー・ジョッキーの番組テーマにもなっていたフューズ・ワンのアルバム「Silk」収録の「Sunwalk」という曲のテーマがまさにサブドミナント・マイナーですね(IM7 -> I7 -> IVM7 -> IVm7)。

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 因みにこのメンツ、スタンリー・クラークやヌドゥーグ・レオン・チャンクラー、トム・ブラウン、スタンリー・タレンタイン、ジョージ・ベンソンやらと結構なメンツですのでお聴きになられていない方は是非とも耳にしてほしいと思います。余談ですが、本アルバム収録の「Hot Fire」は日テレの刑事ドラマ「大都会パートIII」のテーマ曲がまんまパクっていたコトが懐かしくもあります(笑)。

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 他方、スティーリー・ダンの「King of the World」のイントロのC -> D -> Eは「♭VI△ -> ♭VII△ -> I△」という流れです。メジャーの仕来りでは通常「♭VIと♭VII」は出現しないので、これは他調性からの借用であり、マイナー側からの借用なのでありますね。




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 古くからの(クラシック音楽)仕来りでは、曲の様式の為に調性を確定させる事を必要としてしまう事もあります。関係調やらを経由して(他の楽章やらで)元の調性のトニックで終止する形式とか色々決まりがあったりするワケですが、そもそもメジャー7thで始まりメジャー7thで終わる、という曲を最初に披露したのがラヴェルと云われるぐらいですから、それですら相当新しい、クラシック界に於いてもまだまだ新しい訪れなのだという事が実感できます。ラヴェルの時代から半世紀ほど経過すればエレキギターを手にする時代ですからね(笑)。

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 とまあ、先の私が作ってみた「君を睥睨」という曲に用いている和音やらについて色々語ってみる事にしますが、この曲に調性を与えるとするならばDマイナー(=ニ短調)が最も適切なのですが、曲中、Dマイナーに行き着く所は一度もありません(笑)。

 抑も曲中では色んな調の情感を借用して移ろっている状況で、なかなか調性を確定できる状況ではありません。Dマイナーという調性を与えたい意図があるのならば、クラシック音楽の流儀からすれば終止する和音の在り方やら手直しする必要はあるでしょう。然し、形式に収まらない体として自由に曲を書いて、本当に作り手が意図している調性というものを鑑みた場合、この曲はDメジャーではなくDマイナーにあるという事を述べていく事になるのでその辺りをお付き合いいただきたいな、と。


 扨て、早速コード進行表を見てもらい乍ら解説する事にしますが、この曲の「Dマイナー」という性格を最も露骨に反映しているのはAパターンの最初の2小節なのです。モード奏法を体得している人でなくとも、Aパターンの2小節目の「Am7」の部分では、仮に九度音を与えた場合にここでは長九度が相応しくない、長調の仕来りで云うならば「III度」に相当するフリジアンが与えられる場面なので、九度音はアヴォイドであり短九度として生ずるワケで、私はその長調の枠組みの平行短調として先の2小節を想起しているワケです。

 長調の「恰も」IV△ -> IIImという進行は、平行短調での♭VI△ -> Vmに等しいという事を意味します。平行短調にて出現したVmはV7という属七の体ではないという所もポイントです。この「Vm」の体がDマイナーに解決していないにも拘らず仄かに投影してくれているのであります。

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 しかし、コードは直ぐに他の調性の情感を拝借し、マイナー・コードのパラレル(=同種の和音が平行に動く)が続く様になっていて、結果的にDマイナーに行き着いて良さそうな所を「Dメジャーで嘯く」という小節に私はピカルディの3度と注釈を付けているのです。お気付きとは思いますが、コード・サフィックスの上部に傾いた調号を与えているのは、それこそが想起している調性という意味です。調性の変化がない所はそのまま継続している、という意味ですね。

 ※余談ですが、先のジノ・ヴァネリの「Brother To Brother」でのGM9に行き着くまでの平行も同様の短和音のモノで、スティーリー・ダンの「Your Gold Teeth II」も顕著な例に挙げられます。

 Aパターンが「メジャーで終わる」ワケですから本来ならDマイナーの真正なる姿に戻してあげる方がイイのですが、私はさらに嘯きます。その「嘯き」は他の調性の拝借ではなく「暈し」を使います。

 調性の暈しのひとつとして「ツーonファイヴ」を使います。即ち、Dマイナー/Fメジャーという調域でのツーonファイヴを意味するので、Fメジャーの調域での「B♭M7 (on C)」でBパターンは始まるのであります。その「暈し」から今度は直ぐさま嘯いて上声部のB♭メジャーをB♭マイナーに嘯きつつ、これも他調のツーonファイヴとして使っていて、ツーonファイヴを連続して使っているワケです。そこで一旦着地点をA♭△に求めていて、ここでのA♭は実際には転調している事になります。


 今度はA♭△をマイナーに嘯くという風に想起した場合A♭マイナーではなく異名同音のG#マイナーの調域を使って嘯き、G#マイナー(=嬰ト短調)での短調のIII度であるBaugの2度ベース(=2ndベース)を用いて「暈し」つつ、B♭mトライアドとC#mトライアドの二組の短和音に依るバイトーナル・コードをさりげなく用いているのであります(笑)。ここは決してB♭m7(♭5)ではないのであります。B♭mからすれば恰も完全五度音と減五度音の両方を併存させている様な音になっているワケです。


 Bパターンの5小節目は短調での「♭VII△/♭VI△」という六声の終止形で用いられる「暗喩」を想起させる類の演出のモノですが、私はここでは足を休めてはいるものの夕暮れを見つめ乍ら歩を進める様な感じを想起しています。

 直後足を躓かせてしまったかの様に「FmM9」を忍ばせておりまして(笑)、ここでは単純にFマイナーをトニックとする調域を見つめるのではなく、実はCハーモニック・メジャーを想起する様に注釈を与えております。ハーモニック・メジャーという其れ其物がリムスキー=コルサコフに倣えば「混合長旋法」である為、「ヘ短調とハ長調の併存」から生ずるCハーモニック・メジャーという「片割れ」とも云えますが、ここではふたつの調域を想起せず唯単純に単一の「Cハーモニック・メジャー」というモードを想起します。


 そうしてBパターンの最後のコードはIV6/Vの形で、構成音だけ取ってみれば今迄散々ツーonファイヴの形を表記してきたワケですからココでも「Cm7 (on F)」とでも与えてやれば良さそうなモノを態々「E♭6/F」として表記するのは「徒にこねくり回すにも程がある!」と短絡的な人ならばミソを付けて来るかもしれませんが、その直前は属七の体C7が腰を据え、少なくともFの方面に四度進行して解決しようとした所でのコードでの在り方が必要でして、解決先でも結果的に私は嘯いてはいるものの属七の体が記した「轍」はきちんと使ってあげようとする配慮からこうした表記になっている事に加え、次のAパターンへのド頭のコード「B♭M7」への進行もスムーズにする為のコードであって、構成音こそはツーonファイヴと同一であっても「IIm7 on V」の形式と「IV6/V」は耳で聴いてもコレだけ違うのだという事をあらためてお判りいただければ幸いかと思います。「C7を亦Cm7に戻しちゃったの!?」という風に聴こえない所が最大のポイントです。次の和音連結も視野に入れた場合、ここでは「IIm7 on V」という形にはなりません。

 とまあ、今回強調したかったのは「IIm7 on V」と「IV6/V」の明確な使い分けだったのですが、おフザケで作った曲とはいえどういう風に私が毒をまぶすのか!?みたいな側面がお判りいただけるだけでも徒に私がヘンテコなコードを話題にしているのではないという事を少しでも理解いただければ是幸いです(笑)。

 で、YouTubeの方にアップした今回のサンプル曲は、コード解説には載っけていないコーダ部を動画内で確認できるようにしておきました。最後の2つのコードはペレアス和音とドゥアモル和音の連結で終わっている(D#△/E△ -> B♭m/D△)ので、その辺りもご確認いただければ幸いです。