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不協和の実感 [楽理]

 日本語には器楽的な側面とは異なる「不協和音」という、人間関係の軋轢を意味する言葉が存在している事もあって、器楽的な方面の「不協和音」ですらネガティヴなイメージを抱かれてしまうモノであります(笑)。


 器楽的な能力に長けた人ならお判りでしょうが、器楽的に習熟が浅い時ほど音の「うなり」を忌避する傾向が強く働くんですね。ですからオクターヴやユニゾンを除く完全音程でも現在の音楽シーンでは純正律で弾かれるシーンなどとてもレアな事なので、うなりの無さというものを強く要求してしまう人がいるの困りものですが、実はこうした協和音程の強い欲求の表れには未習熟な人ほど多いという事実に対しては、先の器楽的に長けた人が熟知している現実です。なぜ熟知しているのかというと、自身も嘗てはそういう時期があり、それを実感し乍ら音楽の難しい響きを体得してきた事でプロセスを作り上げているので、現在の立ち居振る舞いと同時に未習熟の頃もきちんと把握しているが故の熟知なのであります。


 そうしたピュアな時こそ反抗心は強いモノで、それこそ純然たる純正律なんて言うと文字からも真正な格式を備えた様に思えてしまうのも手伝って、オーセンティックな方面を礼賛してしまいがちになってしまうのではないかと思うのですね。子供というものは物事を知らないクセに自分自身のラクな方へ欲求を向けてわがままな姿勢を見せたりする事と一緒ですね。

 耳が未習熟な頃というのは長七ですら忌避したりするモノです。私が3~4歳の頃はピアノならまだしも、ギターで弾かれるメジャー7thの音の大半は、どんなにチューニングを合わせても長七が大雑把に聴こえてしまうフレットやら弦のテンションと弦高に依る不確かさが伴う音のズレが嫌で嫌で仕方の無い頃もありました(笑)。

 ギターという物は不思議な物で、自分自身の得手不得手が音やチューニングに無意識に表れる様な所があり、私が嘗て実感していた様なメジャー7thの響きの不揃いな感じなど、それらが総じて綺麗に響く様に弦高やらナットやら弦の材質やらネックの反りの調整などありとあらゆる側面を駆使して自分が感情移入しやすい様にセッティングすると、途端に綺麗に鳴ってくれるモノなんですね。これは弦楽器の特徴のひとつと言えるかもしれません。おそらくや弾き手のクセと楽器のクセがミスマッチとなってしまっている人もいらっしゃるのではないかと思います。


 ギターの不完全さを消失させ乍ら自分のコントロールが利く様にセッティングしてあげると途端にギター側に凭れ掛かるかの様にソチラの世界観に惹き込まれてしまうのがギターやらの弦楽器特有のチューニングの在り方であるかもしれません。

 
 ピアノの場合でなかなか不協和音程や不協和音が綺麗に響いてくれないのは調律の不確かさに起因するモノだと思います。音楽をこっぴどくやっている人間は別として、ごく普通にピアノを嗜む程度の人の家にお邪魔した時の九分九厘は調律にとてもルーズで、ついこないだ調律してもらったばかりで・・・などと言っていてももう狂い始めてしまっている事に気付かない人など非常に多く遭遇して来たモノです(笑)。


 調律にルーズなのに不協和音程は忌避する!?それが楽音の興味深い側面のひとつでもあるかもしれません。調律が甘いピアノの音が「汚く」響いてしまっていてもそれにルーズな人が、耳に厳しい類の和音は過度に汚く響いて汚いと思ってしまうという。不協和音を忌み嫌う様な人はおそらく調律という方面の厳しさに起因する、育ちの環境も影響しているのではないかと私は思う事しきりです。


 和音に鍛えられた人がその後「不協和音」を嗜好する様になるのは、平均律の空間ならば最も狭い音程である短二度(=半音)に脈絡を見出そうと脳神経が集積されるからでありまして、そのレベルを超越すれば微分音やピッチが段階的ではないポルタメントの様な音にも脈絡を見出そうと神経は更に集約され、それまで感じて居たであろう、うなりを強く伴う音の「汚さ」とやらに美しさを見付けて堪能するワケですから、ある意味では酒やコーヒーを好むようになるというシーンに投影できる事かもしれません。


 平均律であればオクターヴを12段の階段に区別したモノと形容できますが、先の様にポルタメントとして音が段階的ではなく「坂」の様に均されていた場合の事を考えると、そうした連続する均された音の差異をどの様に見出すのか!?というと、私ならばロック界隈であればギタリストの個性であるチョーキングやビブラートのそれに魅力を見出して、ジェフ・ベックやジョー・ペリー、デヴィッド・スピノザのチョーキングに惚れ込んだりするモノですし、クラシック界隈でもそうしたビブラートのひとつをも演奏の差異を見出して吟味する聴衆が居る事でしょう。


 楽譜でのトリルやターンの記号というのは本当は私は嫌いな表記でして、弾く事すら難儀する表記であっても曖昧には表現して欲しくはなく何らかの符割で表現されていて欲しいと思っている者のひとりではありますが、そうした、ある意味「曖昧」な記譜に、奏者が奏でる最大限の個性の表現という自由性が与えられているとも解釈は可能であります。つまり、弾き手に引き出しが多ければ多いほど表現に幅が出ます。弦楽器なら誰もが実感するであろう、運指の楽なポジションばかりで弾くよりも異弦同音を選んだり時には音質差を避けたりし乍ら追究する事もあるワケで、こうした違いを認識するのも醍醐味でありますが、やはり表情が変化するという所に最も注視するのが聴き手でありまして、その差異とやらは細かなリズムやピッチの揺れであり、今回は音程であるピッチの方に注目して語っている事は明白であります。


 楽音に対して耳や脳が未習熟であったとしても現実に色んな音へ直面する事は不可避でありましょうから、耳に馴染む協和音程ばかりを聴く事など珍しい事でありましょう。目先の不協和音程をどの様に「受容」しているか!?という事を実感するだけでもそうした音への面白さは理解でき、体得できるものなので、今回はこうして語っていくのであります。


 で、今回用意した例は、少し前に私がおフザケで作ったモノで、よせばイイのに初音ミクを用いて作った「君を睥睨」というタイトルのものでSoundcloudにもアップしてしまったモノですが(笑)、今回示す譜例では以前にSoundcloudにアップした簡易的なデモのアレンジとは少し異なり、以前のデモにはない追行句を付加させて語る事にします。この追行句は今回の「不協和音程」の為にアレンジを加えたモノですので、その追行句パターンを聴く事のできる更に簡易的なデモMP3を今回用意したので、確認の為にお聴きになっていただければと思います。

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 扨て、注目してほしいのはまず8小節一望できる譜例の方での6小節目の部分で白ヌキにしている小節です。このフレーズこそがメロディに対しての追行句でありまして、「なぜこの部分だけ二声で書かれているのか!?」と疑問を抱く方がいるかもしれませんが、二声にて表記せざるを得ないのはF音を目一杯伸ばして、次の音のE音発音後も鳴らしている、という表記にしているからですね。

 あたかも二声で表記されているモノでして、見かけ上の上声部と下声部の連桁がその後C音で連結させるのは表記上の見栄えのバランスを取ったモノであります。つまり、このC音の直前までF音は「掛留」される、という所が今回の最も重要な事柄なのであります。


 不協和音程には敏感であるにも拘らず、実は「うなり」そのものには最早無頓着となってしまっている人は結構多いモノで、それはまるで、嫌いと決め付けたモノはどんなに旨いモノでも不味く感じて食わず嫌いになってしまう様なモノでして、うなりという本質を本当は聴き込んでいない人が多いのも事実です。


 此処で言う「うなり」とは、F音とE音が半音でぶつかる事によって得られるうなりの事なんですね。


 でまあ、今回は楽譜を読めない人にも視覚化させて簡易的なピアノロール画面を用意したのでありますが(笑)、このピアノロールと実際の譜面の符割を無視した簡便的なモノではありますが、音の物理的な長さと物理的な音高自体は把握できるモノなので、その辺りはご容赦を(笑)。


 扨て、先の譜例にて表記されていた白ヌキ部分のフレーズを抜粋したモノがコチラとなります。
Score1main.jpg

 それを視覚化すると次の様になります。
PianoRoll1main.jpg


C音までは載っけていないので視覚化された方は実質G -> F -> E音という3つの音形を表しております。F音がE音の発音まで及んで音が伸びている事が判ります。音はもちろん半音で実際にぶつかり合うののですが、今回用意したデモで聴けるフレーズはオクターヴ・ユニゾンにしておりますが次の様に態と弾いています(笑)。
Score2.jpg

 それを視覚化すると次の様な例となり、F音はE音に及んでいない事が判ります。
PianoRoll2.jpg

 敢えて言うならばF音とE音がぶつかってしまう事を忌避してしまうリスナーに迎合してこのように変奏したとも言えますが、私としては本意ではないのです(笑)。半音でぶつかり合っている音が欲しいのが私の意図なのです(笑)。


 半音のぶつかり合いを生じさせつつも、半音のうなりを極力回避して旋法的な情緒として置換させるのが次の様な例で、こちらはE音の発音直前に装飾音符で表した表記となっております。
Score3.jpg

 先の装飾音の例を視覚化したモノがコチラになります。
PianoRoll3.jpg



 でも、この時点でも私の本意ではないのです(笑)。私の本意は最初の様なF音が掛留している音が欲しいのであります。


 私がその「掛留」とやらに拘るのには次の様な例が理由でありまして、「うなり」の作用が齎す効果を最大限に活かしたいからに他ならないのであります。


 私が本来意図しているF音の掛留のうなりの方に耳を澄ましていただくと、実音はE音に進むにも拘らず、絶対的な音高の高い周波数に対してやや低い周波数がもつれ合って引っ張られるかの様にうなりが作用して、それがあたかも次の様な譜例で鳴っているかのように聴こえると思います。
Score4.jpg


 F音とE音の半音が齎すうなりはどんなテンポであろうともうなりの速度自体は変わらず、実際にこのような譜例でどんなテンポでも聴こえるワケではありません。この譜例は抽象的なモノでもありますが、どことなくこういう、「うなりの実体」を探っているかの様に耳を澄ませていただけると助かるかな、と思います。


 こうした技法というのは色んな楽器であるモノで、実音が弾かれた音でなくともうなりが感じさせるモノというのは色んな所に潜んでいるワケです。ところが先の幾つかの例にもある様に、半音の掛留を行わせない演奏だと、私に意図しているうなりの作用は全く知覚する事は出来なくなるワケですから、是も亦音楽の醍醐味であり不思議な側面でもあります。

 更に言えば、このフレーズにある背景の和音はFmM9という和音ですので、A♭音とG音で作用する短二度とは別のF音とE音の短二度の情緒を悉くしつこい程に利用したいのが私の狙いなのです。だからこそ余計に強調したいが為にF音を掛留させるのでありますが、半音のうなりとは実は忌み嫌われかねない不協和音程でもありますが、こうした唄心を備えているのだという事をお判りいただけると助かります。

 更に言えば、先の背景の和音には二組の半音のぶつかり合いがあるにも拘らず(F音&E音、A♭音&G音)、このように一方に注目していただくともう一組の半音には忌避したくなる様なうなりはおそらく感覚からは消失していると思います。
 うなり同士が溶け込んでいるのもありますし、マイナー・メジャー9thという和音を綺麗に聴かせるには半音のぶつかり合いと長七度という音程への転回の使い分けがかなり重要となるヴォイシングが難しい類の和音ではありますが、旋法的な横の流れの方が強調されているので垂直的な和声感が少しだけ緩和されるといいますか、そうしたさりげない「誇張」があるのも事実なのですが、追行句以外での誇張は淡く中和されているのではないかと思います。


 最後に、今回語っている事とは無関係ですが、譜例8小節目の3~4拍目でのCm7(on F)にハープはG♭エニグマ・スケールをぶつけていますので、これは態とこのようにしているモノなので念のためご理解いただけると助かります。

 複調というならば、一方の調性だけが明確でもうひとつが曖昧な形では複調の最終形態でなかろう、という分析がブーレーズに依るストラヴィンスキーのアナリーゼでしたが、複調や多調は必ずしや全ての調性は明確ではなければならないのか!?というのもブーレーズ自身に依る世間への批判も同時に行っているモノとも思いますが、和声を追究する上で調性が明確になっていなければならないという事は決して無いと思いますし、ブーレーズの本意もそこには無いでありましょう。「謎の音階」とやらも調性自体は不明瞭なヘプタトニックのひとつなのですし、ハンガリアン・マイナーとてあれは変格の形ですし、正格の姿ですら調性という物はなくなってしまいます。あんなに情緒が深くとも。私の場合は、グラスの曇りを落としたくてゴッソリ用意したのがG♭エニグマだったという解釈で見ていただければ助かります。
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