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Lighthouse/Lifesignsについて語る [プログレ]

 よせばいいのに私は自分自身の拙い英語力を披露してまで英語でのライフサインズの感想を語るという愚挙を世界にアピールしてしまったのでありますが、日本語ですら読みづらい私の文章構成力を前にしたら、そんな人間の駆使する英語を読む事などさぞかし骨が折れる作業であろうと容易に推察が可能なのでありますが、私自身がライフサインズを大層気に入った事に依るエネルギーが齎した欲求の果てがそうした行動だったワケであります。


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 アーティストに最大限の敬意を払うのであれば伝えるメッセージが拙ない物であったり未熟であったりしては逆に配慮を欠いてしまうという批判もあるかとは思います。でもそれは私に対して賛意が希薄であったり悪意を持つ人であればあるからこそ私の行動を批判するのではないかと思いますし、私の全ての行動が読み手の善意に凭れ掛かっているモノでもないと思える為、私の思いを正直に行動に移す事にしたワケです。ひとつ事を済ませる度に思うのは、完璧な仕事をこなす事というのは非常に難しいモノであり、特に私が英語を駆使して楽理的側面を語るという事は未来永劫無理な事かもしれないと実感させられたのも今回のブログを通して理解できた事です。

 然し乍ら、日本語版が用意されていない音楽理論の著書など私はこれまで多くの書物に目を通して理解してきたつもりですので、なるべくなら自分の伝えたい事を明確にしようと終始心掛けていたのは事実です。

 ライフサインズのアルバム全体のコードワークを見ても非常に良く練られておりまして、興味を惹き付けられる類のコードは満載だった為、こうして今回語ることにしたワケであります。
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 ライフサインズのジョン・ヤングが用いる最近のシンセ類やレコーディングに用いたと思われるDAW環境というのは、音から察するに間違いなくそうした環境で制作されたモノであり、レジェンド化された様な作品達と比較すると、人間味のある揺れやバンドが備える独特の拍節感に図太く墨痕を記したり、またはそうした図太い拍節感すら覆い隠す事ができる程の個性の強い演奏力という演奏が嘗ては用意されていてそれらを楽しむ事のできた作品とは違う作品の組み立て方になっていると思います。それこそ言葉の悪い人ならチープに聴こえるとかノッペリ感を指摘する人がいるとは思います。

 しかし数ヶ月前のドナルド・フェイゲンのアルバム「Sunken Condos」でも有った様に、音はアナクロニカルな志向なのに拍節感はDAWの平準化されたビートを基にレコーディングされている為、揺れは少なくそれに対しての批判が有った様に、人間何かしらのケチを付ける時というのは判りやすい所からケチやミソを付けたりするモノですが、然し乍ら音楽の深みである部分例えばコードの成り立ちなどをきちんと指摘できる人は限りなく少なくなるのが現状です(笑)。つまり読み取れないからこそ誰もが判りそうな所でしかケチが付けられないモノであり、検証できていないにも拘らずそんな所を語っても仕方なかろうと思うのが私の考えであるので、そうした声を黙らせる為にはきちんとした傍証を用意してこうして語るワケですね。今の世の中において昔の作品の様な揺れやグルーヴを求めて仮にそのように作ったとしても今度はヘタウマに聴こえるのが関の山だと思います(笑)。

 そんなヘタウマ感が演出されてしまうのを避ける為にも、現代のレコーディング・シーンが位相面でもシビアに録音できるからこそ輪郭が極めて明瞭、しかもマイキングが少ない録音物になるとドラムだけが浮き立つのを回避する反省から結果的に演奏がカッチリしたモノにならざるを得ないのが現代の録音なのであります。但し、ヘタウマ感の演出は総じてマイキングに要因があるのではなく、かなりのレベル以上の演奏力を繰り広げられる能力を持つ人達が演奏をする際に生じる各奏者ごとの揺れや一定のズレや形態で生じる独特のズレなどを演出または消失させる上での工夫に起因する事のある事象であるという物なので誤解なきようご理解下さい。

 現代のレコーディング環境や特定機器の音質キャラクターなどから生じてしまうキャラクター感が出てしまうのは仕方ない所でありましょうし、シンセのアルペジエーター・フレーズをポルタメントに依るシークエンス・フレーズを用いられると嘗ての古い音にはなかったそれについチープなイメージを抱きかねないのは私にもありますが、それを凌駕する位のハーモニーの下地を無視してはいけないのでありまして、ジョン・ヤングが徹底的に練り込んでいるであろうコード進行を例に挙げて行こうと思い今回取り上げる事に。


 1曲目のLighthouseでは私がつい食い付いてしまうのは冒頭のC△/D△でして、Dから見立てた時のリディアンの方角というのが心憎く、メランコリックな短調の情緒を深く出すのかと思いきやこうした和声でメリハリを付けるそれに「ツカミはオッケー」という感じでついつい聴き手としてはニヤリとしてしまうモノであります(笑)。以下に挙げていくコード進行の中に於いて、かなり短い音価(とはいえ8分音符ひとつ分程度)の中での経過的に連結させるディミニッシュ系の音で繋ぐのはジョン・ヤングの今回のアレンジの特徴の様で、連結させる際にかなり丁寧に和音を配置している事でそんな一瞬の中でもコード表記せざるを得ない場所が多発してしまって読みにくい物となっているかもしれません。

 例えば次の様なコード進行D♭6(9) -> Cm7 -> B♭m7 (on D♭) -> Cm7 -> E♭7(#9)...と続く進行がCDタイム2:30の所で確認できますが、E♭7(#9)という、ドミナント7thを基とする表記からすると母体となる長和音をベースにアッパーでの見かけ上のマイナーの音=#9th音が存在するのがシャープ9thの一般的な使い方ではありますが、Lighthouseでは違います。
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 E♭mの響きが最初にあってそれを掛留させ乍ら注釈を付けた譜例の様にその後アッパー(=上声部)Gdimを併存させて鳴らしているのであります。構成音からするとE♭7(#9)と同様なのですが、一般的なシャープ9thと異なるのが面白い所でありまして、こうしたE♭m感を本来ならそのまま演出するのが普通のアレンジだとしたら、その後の音に対して細かくディミニッシュをぶつけて来たりハイブリッドな響きを演出させようと随所に細かくアレンジしているのが今作のジョン・ヤングの最たる特長なのであります(譜例2~3小節目)。


 譜例のその後の7/8拍子でのド頭のコード「E♭7 (on C)」というのは、これは構成音を列挙すると下からC、E♭、G、B♭、D♭という風になりまして、このコードはまるでCm7に♭9thを付加した様な和音であり、通常のモード社会に慣れ親しんだ者からすればマイナー7thコードを母体に短九度の音というのはアヴォイド・ノートなのでありまして、チャーチ・モード上で現れるダイアトニック・コードにおいてIIm7とIIIm7でのモード・スケールの取り扱いの差異で実感させられるコードであり、通常マイナー7thに於いて短九度音というのはアヴォイドなので忌避すべき音なワケですが、表記をこの様に変えてしまえば単にそうした和音が存在してしまうという例なのではなく、これはれっきとしたメディアント9th(=mediant 9th=中音の九)という和音なのであります。
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 メディアント9thというのは先のチャーチ・モードでのダイアトニック・コードの例にある通り、長調のIII度、つまりハ長調を例に挙げればEm7というEをルートとして生ずる5声体の事を意味するワケですが、確かに通常の理解ですとアヴォイド・ノートなのですが、これを先の使用例の様に「G7/E」という風に解釈すると、その後の使用に於いても疑問を繙く事が可能になるのであります。

 こうした和音を態々用いる意図は!?と疑問を抱く人がいるかと思います。その理由は、チャーチ・モード上では生じない音を呼び込む為の音組織として用いるからに他ならないからです。
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 例えばチック・コリア・エレクトリック・バンドの2ndアルバム「Light Years」収録の「Flamingo」という曲のキーはDマイナーです。コード進行は次の様に「Dm7 -> B♭7/G」という風に進行させているのが特徴的でありますが、母体の動きだけを見ればDマイナーに於いてドリアンの響きを演出させる「Im7 -> IV」というよくある延々としたツーファイヴの省略形でもあり、そうした一連のコード進行においてDマイナーから見た時の#4th or ♭5thの音を更に欲しているが故のコードで「B♭7/G」という和音を用いる事が最大の醍醐味であるワケでして、B♭7が内包している7thであるA♭音というのがDから見た時の#4th or ♭5thなワケでして、Dマイナーというのをマクロ的に見た時のマイナー感の嘯きというのを更にブルージィーに演出したいが為に#4th or ♭5th音の導入も行いたいという現れから生じているコードなのです。
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 それを便宜的に表記するとG音由来から3度累積にしてしまうとマイナー・コードを母体に♭9thが生ずるのは不都合が生じるので、こうした回りくどい♭VI7/IVという形で表記(せざるを得ない)しているワケですね。


 ある意味ではメディアント9thは現在ではマイナー・キーでの♭VI7/IVという使い方が一般的であるという認識を持たれていた方が宜しいでしょう。メディアント9thというのはアヴォイド音を包含しているが故に、調的な色彩を感じる際に、意図せぬ方角から音が鳴ったり光を浴びたりするかの様な効果がありまして、メディアント9thという和音すらも包含してしまった例が、先にも紹介したフランツ・リストに依るコラール音楽作品55の「枯れたる骨(不毛なオッサ)」でのホの旋法の総合というEフリジアンの総和音を例に挙げましたが、これこそがメディアント9thをも包含したモノなのです。



 「枯れたる骨」をひとたび聴けば、その総和音の部分に、予想していた方角や調性感を超える所から声が聴こえて来るかの様な効果がある様に聴こえると思います。暗闇で跪き、神に祈りを捧げているかのように。闇の中で光を欲し、どこからか光が放たれるか判らないけれども、光が放たれそうな場所を予想しつつその方角へ手を向けて祈りを捧げていたら予期せぬ場所から神が後光を伴って降臨して来たかの様な。
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 この様に、一般的なコード体系から逸脱している和音など実際には多くの用例があり、メディアント9thの存在も知らないままに同じ構成音を有する便宜的なコードを唯単にやり過ごしたり非難したりする様であってはならないという事をきちんと理解しなくてはならない部分だと強調しておきたい所です。


 ライフサインズの使用例は、「枯れたる骨」や「Flamingo」と比較しても物理的に現れている時間が短い為気付きにくい部分かもしれず、短い音価だからと知識をやり過ごしてもいけない部分でありまして、先の説明にもある通り、調的感覚から以てしても「予想外」の響きを演出するモノであるが故に安定的ではない不安定な響きを演出するのは間違いないので、そうした和音を忍ばせているのがなんとも心憎い演出だという事をあらためて強調しておきたい部分なのであります。一般的なコード表記の体系に収まっていないタイプの和音だからといってこれを無闇に批判するのも愚かな事ですし、メディアント9thという存在を知った上でマイナー・コード上での短九度の取り扱いをアヴォイド・ノートとして知識として有しつつも、本当のメディアント9thの使用例を知識として知らなくては、音楽理論やコード理論など何の役にも立たない事と等しいのであります。

 本屋で小遣い程度の値段で売っている本が全てを列挙してくれているワケでもなく、今や電話帳の様なサイズでコード表記が網羅されているのもありますが、メディアント9thや総和音まで丁寧に扱っている事など、まず無いでしょう(笑)。せいぜい体系に収まっている理解で体系に収まらぬ音楽を耳にした所で、体系に収まってしまっている理解が均質化させてしまうのがオチなのですから、何を学ぶべきなのか今一度整理しておいた方がよろしいかと私は思います。


 
 加えて、LighthouseのCDタイム6:30以降でのブリッジではペレアス和音を示唆させてくれるコードが出現するのですが、ここでのペレアス和音は、前のコードがサスペンデッド(=掛留)する事で生ずるもので、仰々しくペレアス和音を垂直的に明確に響かせているモノとは少々異なりますがペレアスの風合いを感じさせるには十分なモノであります。
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 C△ -> E♭△ -> Gm/D△ -> F△/E♭△ -> D△/E♭△...と続いてその後C#△/D△という風に。扨て、此処で現れる「Gm/D△」というコードは実はとても興味深いモノで、このハイブリッドの体の上声部と下声部を倒置させる(=ひっくり返す)と、「D△/Gm」という構造は下から「G、B♭、D、F#、A」という風になり、これはGマイナー・メジャー9thであり、倒置の有無に拘らず和声的な体は「GmM9」ではあるものの、Lighthouseの例ではその「GmM9」を態と倒置させて上声部にDメジャーの風合いを強く際立たせているのは、GmM9が齎す独特な響きを中和させて忍ばせている使用という風に述べる事ができるでしょう。
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 ドビュッシーのペレアスとメリザンドでは「D△/E♭△」という風に2つのメジャー・トライアドの各構成音が長七度/半音で寄り添う6声の和音でありますが、前述のハイブリッドな体を下から構成音を列挙すると「E♭、G、B♭、D、F#、A」となり、GmM9という音が内包されているという事がお判りになると思います。
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 つまり、マイナー・メジャー9thという世界観とペレアス和音の世界観は異なる物ですが近しい物であり、通常の調的な世界観では得られぬ和声感の演出という例をこの機会に知る事はとても良い事だと思われるのでこの様に例を挙げているのでありまして、ペレアス和音という者を仰々しく扱わなくとも、こうしたさりげない例を見ると、やはりジョン・ヤングはかなり意図して「淡く」使っているのだという事があらためて判ります。

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 今回のブログ記事の英語版では坂本龍一作曲の「Elastic Dummy」やマイケル・フランクスの「Summer in New York」というペレアス和音の実例を挙げておりますが、それらは私の過去の記事で既に語っている事でもあり、スパイロ・ジャイラの「Incognito」でのマイナー・メジャー9thコードの例もやはり過去に扱っているので、あらためて此処で述べる事はしませんが、譜例に用いた画像はあらためて参考になるとは思いますのでこの機会に掲載しておきます。
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 そうしてLighthouseの方のCDタイム9:08では次の様なめざましいコード進行が続くので、こちらも亦興味を惹き付けるモノであります。

F#m -> E#△/F# -> F#M7aug -> AM7 (on E) -> B♭dim -> A△/E♭sus4 -> A△/E♭m -> Dm9 -> B♭7(9,#11,13) -> Dm7 (9,11) -> B♭7 (9,#11) -> A♭△/B♭ -> F#mM9 -> A△/E -> E♭m7(♭5) -> E♭7 (#9,11) ※ナチュラル11thに注意 -> Dm9 -> A♭△/B♭△ -> Dm9 (11) -> A♭△/B♭△...


 という風にマイナー・メジャー9thやらオーギュメンテッド・メジャー7thは出て来るし、「A△/E♭m」というコードも出て来ます。ついでに語っておきますが、ドゥアモル和音というのがコレでして、ドゥアモル和音というのも上声部の和音の構成音と下声部の和音の構成音のそれぞれが「半音」で寄り添い合うものの、長七度では寄り添い合わない和音です。

 ペレアス和音の構成音同士は全てが「平行」して長七度もしくは半音で持ち合いますが、「A△/E♭m」というのはバイトーナル方面ではエレクトラ・コード(長三和音同士が長六度/短三度離れて併存)を経由して、長三和音は自身の「調域」の平行調方面の平行短調・平行長調を共有し乍ら姿を変え軈ては譜例の最後のペレアスに辿り着き、ペレアスが包含している上声部の長三和音が自身の調域の平行短調へ変化した時にドゥアモル和音が見えて来る様になるという事を意味します。

 譜例では最初のコードがLighthouseに出て来る音であり、その和音ひとつを抜粋しても調的な因果関係はこの様に発展させる事が可能という事を意味しております。一つ目は結果的にエレクトラ・コード由来でありプログレ界に於いてエレクトラ・コードが最も有名な例はUKの「Danger Money」での曲冒頭の「C#△/E△」が顕著でありましょう。譜例3つ目の和音がエレクトラ・コードであります。

 エレクトラ・コードが今度は変化を遂げると長三和音が二全音離れた和音を形成し、これがアート・ベアーズや先のドナルド・フェイゲンのSunken Condosでも取り上げたバイトーナル・コードの例です。
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 とまあ、ひとつの曲にこれだけの和音が凝縮されている曲というのも凄いモノでして、和音連結の隅々にこうした一面を垣間みる事のできるLighthouseの作りはかなり入念に凝られたモノであるという事があらためてお判りになるかと思います。それでいて和音の響きは唯単に異端な音なのではなく、曲の情緒に深みを与えている「唄心」のある使い方になっているという所もジョン・ヤングのアレンジ力という物が和音そのものをよく熟知しているからが故のモノで、唯単に和音に酔いしれただけの使い方だとエディ・ジョブソンの様に当てこすり的な使い方をして来るものですが、ジョン・ヤングのそれは周到に和音を連結させて呼び込む所がポリフォニー音楽的な要素を備えていると実感させられます。是非とも堪能すべき曲のひとつでありましょう。
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