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What would such this theory entail? [プログレ]

 ひとたびライフサインズの「Telephone」を聴くと、この曲がプログレッシヴ・ロックという事を一旦忘れさせてくれる「寛ぎ」を得られるタイプの曲だという事が判るでしょう。それは別にポピュラー音楽に迎合したかの様な何処にでも有る様な曲調というワケではなく、プログレを聴こうとするような心構えなど必要なく曲が本来持つ情緒の深みに素直に感情を移入できるタイプの曲だという事で、肩の力を抜いて聴く事のできるという意味であります。


 そんな感想を書く前に述べておきたい事があります。ライフサインズの公式コメントの方から私のブログをご紹介いただき、私の酷い英訳の文章はこれにて完全に英国圏の目に触れる事となり、日本の恥となってしまっているのですが(笑)、そんな酷い英語力を超越して多くの方々は好意から私の意図を読み取ろうとしている事が伝わってきておりまして、日本語での日本人向けの文章ですら判りにくい文章を披露する私に対して日英問わず大目に見てくれているようでもあり感謝しております。私がこれほどまでに鉄面皮で厚顔無恥であるからが故にポジティヴで居られるのかもしれませんが、まあ私の馬鹿加減はあらためてココに極まれりという感じです。

 居直っている訳ではなくきちんと顧みれば、読み手の好意に依って初めて成立する様な文章というのは確かに理解しづらいと思いますし、思いが首尾よく伝わった所で客観的な好意が介在した果ての理解である為、元々の真意と意図が見えなくなる事で不安を助長させるのも事実です。感情の無いロボットに対してこちらが手を貸さなくては身動きも取れないようなロボットなど普通ならまっぴらゴメンのはずです。日本語での私のブログなどアイロニーを含んだ物も多い事に加え「新たな嫌がらせか!?」などと思われてしまいかねませんが、私が先日ライフサインズの英語版を披露した事に悪意は全く無く、彼らの素晴らしいハーモニーをレコメンドしたかったからが故の行為だったという事をあらためて強調したいと思います。

 また、念のためにあらためて誤解されぬように申しておきますが、ライフサインズの注目すべきハーモニーやアレンジは誰彼のパクリだの過去の名だたる作曲家の焼き直しだのと理解されては困ります。それらと用法は全く異なりますし、同一と決めるのは早計です。理論的な下地があろうがなかろうが、音楽の感性が行き着く果てというのはなぜこうして不思議なシンクロニシティの様な側面があるのか!?という事をいずれ語りたいが故に挙げていた例の列挙だったワケですね。

 例えば、完全四度音程を幾多も累積させていけば、これはCircle of 5thのBackwardでもありますし、累積を重ねれば重ねるほど最終的には半音階を得られる事になります。故にモダンな音楽理論方面での解釈に於ける四度累積和音というのは、それが最終的に「短二度」音程へ収斂する為に「二度和音」と形容されるのであります。


 不協和を伴う集積された和音の類というのは二度音程を含むモノです。和声的な空間など通常12個しか無いのですから集積を増せば増す程空間が狭まるのですから当然ですね。

 理論的な知識などなくとも耳や脳が鍛えられて集積された和音を好んだりするという「欲求の果て」というのは何故二度に収斂しようとするのか!?という事をあらためて強調したいのでありまして、ライフサインズのメンバーの理論的知識の有無などを議論しようとしているのではなく、彼らの欲求通りに生まれて来た注目すべきハーモニーをきちんとレコメンドしないと彼らの仕事に対して非礼ではないかと思ったワケでして、その凄さとやらを表面的にしか感じ取らずにフンフンと多くの他のどうでもよいアーティストの曲と同様の聴き方などして欲しくないが為に敢えてこうして語っているワケですね。

 過去にも私の取り上げる注目すべきアーティストというのは、どういう音を根拠に私が賞賛しているのか!?という事を取り上げて来ているので、継続して私のブログをお読みになられている方は既に私の音楽の向き方と語り方はお判りになっているかと思いますが、今回は新たに外国からの読み手の方もいらっしゃるため、私の意図がなるべくきちんと伝わる様にあらためてこうして私のブログの特徴を書いているのはご容赦ください(笑)。

 とはいえ、これ以上酷い英語を披露するのは水の中で呼吸をするよりも苦しい事なので(笑)、日本語できちんと書いて行こうと心に決めて次の題材を語って行こうと思います。ライフサインズの各曲解説を終えたら、ライフサインズでの和声的な特長を振り返り乍ら「二度和音」とやらをきちんと語って行く予定ですので、Edmond CostereのDominant 23rd和音(cromatic total=半音階の総和音)などをもう一度語り乍ら、我々人間が辿る和声的な欲求の果て、とやらを分析していこうではないかという趣旨で語って行く予定で、そのプロセスにライフサインズを語る事も必要になってきてしまったというワケです。ついつい楽理的な話と結び付けてしまって楽理的など無関係に音楽を楽しみたい人には厄介なネタだったりするかもしれませんが、私も嘗ては音楽理論に縛られたくないという反駁を音で示そうとしていた一人でしたが、今はこういう事を語っているという事が不思議でなりません。私の英語力などまさに愚か者の極みでありましたが、A fool sometimes learn rarely caseという事でlet me goしてやって欲しいと思います(笑)。英語を操る方からしたら私に英語等「Never ever do!!!」と言われるかもしれませんが(笑)。でも、態とこうしてやっている事でもあるのでその辺りもほんの少しだけ裏を読み取っていただけると幸いです(笑)。


 扨て、ライフサインズの2曲目「Telephone」は、のっけからニック・ベッグスのスティングレイでのサムピングと思しきオクターバーを通したオクターヴ・ユニゾンというリフが絶妙で、スローなテンポでありつつも過剰ではないニック・ベッグスの16分音符のリフが際立っているので曲が冗長に感じないというのが大きな特長でもあります。曲調としては拍子も4拍子をキープしていてプログレという括りを取り払ってごく普通の一般的な曲としても聴こえる位叙情的な曲に仕上がっているかと思います。曲想の深みというのは調性感を備えつつも和声感に酔いしれる事のできるハーモニーでグイグイ惹き込む様な感じですね。徒に多くの和声を用意しているというワケではなく入念に仕上げられております。このようなごく一般的な心構えで聴く事の出来る様な曲であっても非常に心奪われる特徴的な和音の使用があったりするのも素晴らしい点なのですが、それに関しては後述します。

 そうした寛ぎを感じさせてくれる理由の背景に、拍子は常に4拍子を貫いている所に「聴きやすさ」というファクターが潜んでいるのでしょうが、実は背景ではニック・ベッグスが両手を駆使してタッピングし乍ら広い音程跳躍のレガート奏法を聴かせていたり、その一方ではスティングレイのサムピングと思しきオクターヴァーを噛ませたローエンドのパンチの聴いたリフを聴かせてくれているメリハリを付けています。でも、この曲は唄モノであり、そうした曲想を邪魔することなくニック・ベッグスのソロ演奏の様に出しゃばり感など無いままに聴かせているのは素晴らしい所で、特にレガートでのベースの部分など本当によく作られていると思います。

 テンポが遅い割に曲を長く感じさせないのがLifesignsの特徴的な部分でもありますが、それはシーン・チェンジを巧みに使い分けてメリハリを付けているからでしょうし、本曲のニック・ベッグスの様に、実は細かな符割でもさりげなく忍ばせる事で要所要所で曲の緩急があるのがポイントでしょう。


 そして本曲に於いて最も注目したい和声的側面が、CDタイム4:09~から始まるコードがC#m/F△という、まさしくドゥアモル和音であるという所です。本来ならこうしたバイトーナル和音というのは耳に慣れない人には厳しく響く類のものだと思います。ペレアス和音も同様に耳に厳しく響くとは思いますが、そうした難しい類の音に耳が慣れるとこうした和音というのはとても心地良く響くのだから堪りません。
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 先のブログの記事に於いても例に挙げた様に、ドゥアモル和音とペレアス和音というのは、それぞれの構成音同士が半音音程で寄り添い合うモノです。ペレアス和音の場合は各構成音同士が完全に平行関係であるため長七度/半音(=短二度)なのですが、ドゥアモル和音の場合はペレアス和音と比較するとひとつだけが半音上に存在する様に成立するのが特徴的な所です。次の様に視覚化させると半音音程の寄り添い合い方がお判りになるかと思います。今回のこうした視覚化はC#m/F△という実例に沿ったモノであります。
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 バイトーナル和音の類というのは音楽に関して知識が浅い場合、なかなか遭遇しない事も手伝って、仮に遭遇したとしても浅い知識での和声感覚が折角遭遇した和声を自身の備えている尺度にラウンドロビンしてしまう所もあったりするので気を付けなくてはならないと思います。特にライフサインズの場合、こうした特徴的な和音をあざとく使うのではなく、そうした特徴的な和音すらをも丁寧に聴かせる様に組み立てているので、実際に遭遇しても仰々しい和音の様には聴こえずスンナリと聴けてしまうように入念に作られているので聴き手は返って注意が必要です。ごくフツーに聴く事の出来る様に仕上げられていてもスンナリと聴き逃してしまってはいけません。