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渡辺香津美とジャコ・パストリアス [楽理]

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 扨て今回は渡辺香津美の話題を語ることにしますが、私のブログでは不定期乍ら氏を話題にする事は比較的多いと思います。渡辺香津美を引き合いに出す理由のひとつに、私のブログ開始当初にまで遡ると、その後のスティーリー・ダン(=以下SD)のアルバム「Two Against Nature」収録の「Almost Gothic」に使われるコード「V7 on ♭VI」の用法が、渡辺香津美の初期作品「オリーヴス・ステップ」収録の名曲「Inner Wind」にて用いられているコトを言及している所に和声的な妙味を見出していただきたいと思わんばかりです。その和声の方は、アッパーに現れる属七の体をメジャー・トライアドに簡略化させれば、ペレアス・コードの断片(実際にはペレアスの方はドミナント的に使いません)を見る手掛かりを見付けることもできるでしょう。


 すなわち、シンプルな和声の体として紐解くと、通常の古典的な和声空間で得られるダイアトニックな「仕来り」とは少々異なる形を見付けるコトができる、という所に気付いてほしかったからこそ私はブログにて初期の頃からそうした和声の方面の魅力を語って来たワケでして、当時の渡辺香津美の「Inner Wind」を語っていたのはKクリの方でリリースしていたコトもあってそれに合わせていたモノでもありましたが、その当時からいつかはペレアス・コードについて語らなくてはならなくなるだろうな、という見通しで語っていたモノでもありました(笑)。

 ただ、ウォルター・ベッカーのソロ・アルバム「サーカス・マネー」のリリースが無ければ、こうした厳しい類の和声空間を語るのはもっと後になっていたかもしれません(笑)。それくらい出し惜しみしても咎められるコトなどまずなかろうという世界観でもあるので(笑)、態々奇を衒うかのように皮相的な理解をされるのも勿体無い題材なので、語るなら判りやすい所の題材を引き合いに出さない限りは、この手の世界観というのは理解されにくい所があるので私としてそうした逡巡があり記事をひとつ書くにしても一応は読み手の人達に配慮しているのであります。


 渡辺香津美にスポットを当て乍ら私の過去の記事と、今日語っている和声空間を結び付ける題材とは何か!?と言いますと、和声空間についてアレコレ語る以前に音楽的に語りたい音源が発売されるコトと合わせてついつい語りたくなってしまったワケなんですな。その音源とやらが、つい先日発売されたジャコ・パストリアスの「Word of Mouse Band 1983 Japan Tour feat. Kazumi Watanabe」という2枚組のアルバムであります。


 このアルバムは渡辺香津美が所有していた、コンサートのPAから録音されていたカセット・テープを元に編集されているモノで、デジタルな視点で周波数帯域を見ればこそ12kHz辺りでロール・オフしているものの、情報量がきちんと録音されているので(レベル合わせが巧かった)、なかなか秀逸な一品となっている所に私はついつい目を細めてしまったワケですな。やたらとスペックだけに拘る人からすると、FM放送よりも下の周波数帯で切れてしまうのは如何な物か!?などと思うかもしれませんが、CD黎明期の頃の録音物なんてゲインを稼ぎきれないまま「ペッタンコ」になって貧弱に収まってしまっている作品も少なからずある中で、こうしたキッチリと録音されているモノには一定以上の評価を与えて然るべきだと私は思います。

 通常、コンサート・ホールでは客席側のPAとは別に観客の目に触れずに楽屋の方に分岐しているPAもありまして、概ね録音物が伴う方の作業というのはコチラ側での作業と編集になるのは今も昔も同じだと思うのですが、アーティストへチェックのための録音物というのは色んな方面で流出してブート音源として出回ることも少なくないのも確かです。大手レコード会社の配分だと少な過ぎて儲からず、アーティスト側が自身の立場を秘匿してブート市場に流通させるという噂も実しやかに囁かれたりするものですが、先の渡辺香津美が所有していた音源から起こされた物はブートではないので、その辺りも注意は必要かと思います。まあオフィシャル・ブートレグに近いモノではあるかもしれませんが、ジャコはこの時もそうでしょうが、その後ドラッグ依存度が高まって行くので、時代を考えれば最期の輝きを放つ(実際には衰えが見えますが)のが1983年の録音物なんですな。

 その後ケンウッド・デナードとナイト・フードをリリースするのが85年位でしたでしょうか。当時のギター・マガジンの寸評ではビッグ・ネームにぶら下がろうとするだけのケンウッド・デナードの姿勢に辛辣なコメントを寄せていた事を思い出したモノでしたが、ケンウッド・デナードのその後のマーカス・ミラーぶら下がりを見れば、まさしくこの人は、斜陽にあるビッグ・ネームを虎視眈々と狙うジャズ界のハイエナの様な嗅覚は備えているかもしれません(笑)。


 1983年5月と言えば日本じゃYMOの「君に、胸キュン」やラッツ&スター、チェッカーズやらが流行していた時。トレヴァー・ホーンもその後秋口にABCの「Look of Love」で、デジタル時代の到来を見たモノでしたが、ウェザー・リポートの来日やシャカタク、マンハッタン・トランスファーの来日の記憶が私にとっては色濃かったのが1983年の夏だったでしょうか、ってもう29年も前のコトなんですね(笑)。

 そうして渡辺香津美は名作「Mobo」をこうした競演の後に作り上げるコトになるワケでありますが、今回このような話題作のリリースに絡めて、私もあらためて渡辺香津美の他の作品を「聴く」という動機を得ることになったワケでして、実はそこに大きな発見があったのであります。


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 私は渡辺香津美の作品はアナログ時代は全て聴いております。他の作品を「聴く」というのは、つまり、CDリマスター盤を聴くというコトを意味しておりまして、私はこれまで渡辺香津美の過去の作品はアナログ時代から散々聴いておりますので、記憶にこびりつくほどの強固な過去のイメージを持っているので、リマスター盤を収集してはいてもいちいち耳にすることなく未開封のままになってしまっていたりすることは、渡辺香津美に限らず多くのアーティストにあるモノです。少し前にも渡辺香津美のBOXがリリースされましたが、殆どは未開封のままでした(笑)。


 あらためて15枚組BOX盤の「KYLYN」を聴く機会を得たのは、先のジャコとの競演のアルバムに端を発したモノで、1983年当時、バンド連中とKYLYNの「ソニック・ブーム」をやろうというコトになって採譜をするコトになった私は、このアルバムの「ソニック・ブーム」と1983年というものにチョットした因果を感じ取ったモノでして、そこでリマスター盤のKYLYNを聴いて新たな発見をするコトに至ったワケで、喜びもひとしおだったんですな。
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 私の持っているKYLYNのアルバムはアナログ盤か、CDはかなり昔の「28CY-2367」という品番のやつだったのですが、リマスター盤の方はミックス全体がPan Lawの様なパノラマ感を感じるような、通常のニュートラルなパノラマというのは左右どちらも丁度45度付近の同レベル程度の異なる楽器のフォーカスって曖昧に聴こえがちだったりしますが、Pan Lawにするとその辺りのメリハリが浮き立つように現れて来るので、特にソニック・ブームのバッキングに回る香津美のギターのカッティングなどでは旧盤では埋もれやすい音像だったのですが、全く別物の様に聴こえるほどで、しかも300~600Hzという1オクターヴほどの周波数帯が全体に渡って太くなっているので、メリハリがきちんと出ているんですな。坂本龍一のアコピも旧盤だと埋もれる所が多いのですが、明確に聴き取れまして、嘗てKクリでリリースしたソニック・ブームの時にこのリマスターが発売されていればと思うことしきりです(笑)。


 1983年という時代はCDプレーヤーはオーディオ専門店とかでは1台だけ見掛けたりするような時代でもありました。しかし本当の意味でCDの録音のためのノウハウやコンバータ類の特性など、やはり当時の音というのは、アナログの特性を活かしきった音である程度音圧を稼ぐかのような手法で録音されたデジタル録音の方が成功していたのではないかと思うのですが、現在ではデジタル録音の方法論はかなり確立されてきたコトもあって、こうしたパノラマ感ひとつ取っても非常に繊細でその違いを実感出来る様になりましたし、CDという媒体はまだまだ可能性を秘めているものだなーとあらためて実感するワケですね。

 こうした違いを実感できずに漠然と良い音に触れようとしてもあまり意味は無いと思うワケでして、それこそSACDを求めてしまったりとするのも早計かな、と思います。カセット・テープ由来の音でも今ではCapstanを使ってワウフラ除去したり、ワウフラが非常に少ない機器で録音されたモノでも実際にはワウフラは機械的には認識可能なので、そうした除去技術も相まって(今回のジャコの音源はどう施されているかは判りませんが)、とても良い音に仕上げられるモノなのですから、音楽なんてスペックだけで語るモノではない、というコトを今回まざまざと実感した次第です。