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ロンドン五輪 なでしこの予選リーグについて [Football]

 今朝方、私はあるツイートに対して激高していたのでありましたが、タイムラインを汚すのもアレなのでこうしてブログで思いを語ることに(笑)。写真は、嘗て故長沼名誉会長と川淵元会長のチェアマン時代から頂いた手紙で今でも私の宝であります。記者の方からすれば日常的なお付き合いなのかもしれませんが、私はサッカーを含めスポーツを近視眼的な視点では観ていないというコトだけはお判りいただけたら幸いです。
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 ツイッターの方では何をそんなに激高していたのかというと、なでしこの南ア線の戦いぶりに見られる日本の著名なジャーナリスト二人の視点が違うモノですから、それを他のライターが決を採っているワケですね。自分の意見というのは述べていない所にそうした記事を論うのはどうかと思ったのですが、更にはそのリンク先に某巨大掲示板で世間の声の動向を見ているというツイートが飛び込んで来たモンですから私は激高したワケですね。


 私はツイッターをやる人や某巨大掲示板に居る人を総じて蔑視しているワケではありませんが、強力なまでの牽引力を備えた文章力と事実を兼ね揃えたマジョリティーを目にする事は稀にしか遭遇しないモノです。ツイッターであればフォローしている人の呟きには興味深いツイートが多いのですが、掲示板の方でそうした声が得られるのは稀でして、クリック数稼ぎで動乱の方ばかりが先走ってしまっているようかの手法に、嘗ての掲示板の在り方というのは最早存在しないと思っております。余談ではありますが、ネット掲示板で非常に機能していたのはサッカー・マガジンさんが運営していたサッカー・フォーラムが理想的なスタンスだったのではないかと信じてやみません。


 扨て、後藤氏と大住氏の両氏の記事の視点が異なるのは別に構わないのです。勝負事に正視したり斜に構えてみたりする方向性もあって然るべき。嘗ての長沼氏の「勝つな!引き分けろ!」という指示がメダルに繋がったというのはサッカー・ファンなら誰もが知る所でありましょう。

 ただね、私は最近のネット上での議論というのは、短絡的に二者択一化という極分化や二元論を持ち込むきらいがあり、私はこうした考えに強く拒む所があるんですな。というのも、本来共存可能なコトをわざわざ対極に存在するかのように当て嵌めてしまうのはいかがなモノかと。そういう風に論ったつもりがなくとも、読み手の多くは先ず間違いなく二極分化して考えてしまって、「白黒」や「善悪」かのようにしか判別しなくなってしまうのであります。自分の感覚にそぐう「是」とするものが「善」に置換されてしまい、そうでないものが「悪」に置換されてしまうという短絡的な考え方がネットが普及してからは非常に多いのであります。そうした所に、自分が手を焼く事もなく自分の意見は棚上げにして、サッカー界の重鎮二人の言葉をただ単に論って、その動向は、それを知るツールとして最も簡便的なSNSやらネットに頼るという宇都宮徹壱さん。私はあなたの寄稿する記事の殆どに頷いて記事を読み、ツイッターでも早々にフォローさせていただいておりましたが、今日の手法にて見限りました。残念です。


 そもそも大住氏や後藤氏の見解はどちらも共存できるものでありまして、視点が異なるからといってそれを水と油かのように誤解を生みかねない対極に持ち込む所に配慮や愛情を感じないのでありますよ。従来なら宇都宮氏の記事には日本サッカー界の隅々において深い愛情を感じたモノですが、それを感じ取ることができなかったワケです。


 私が危険だと感じ取る点はただひとつ。今回の私の率直な意見として、引き分けを狙うことなく勝負を仕掛けてトドメをさして欲しかったのが私の感想。ただし、JOCやらはメダル期待競技というコトもあり支援金やら支出があるでしょうし、ましてやサッカーは開会式よりも先に始まるので五輪の制服を着用しないのはどういうコトか!?という声すら上がるのが日本サッカー界の常。制服の着こなしひとつにすら揶揄されてしまうスノボの世界とか、国歌ひとつ唄うにしても茶々入れられるのが常でして、そうした外野の声をいつも衝立てのようにして自分の親父ギャグを活かして稀釈化させるのが佐々木監督の良い所なんですな。その佐々木監督が真っ先に批判の矢面に立つ事を即座に察知するほど世間はなでしこに注視するようになってしまった。しかもW杯で優勝したのだから金メダルも当然!という風に思われてしまっているのも事実。

 そういう期待感ばかりが膨らんでしまっている時、「いつかは負けることもある」という視点でその後もなでしこを見守ろうとする人達がどれくらい居るのか!?というコトを考えると、勝負事とはいえ、視点の違う記事を論っているヒマなどないんですよ。勝負事において語っている事なら視点は違えど「日本よ負けろ!」という声が出ない限り、本当の意味での「対極」軸が出現するワケではないし、そうした対極への反駁など起こり得ないのであります。つまり、「海と山、どっちが悪い?」などというディベートの手法が成立するようなモノでもないし、徒に馬鹿共はディベートの手法を採りたくて仕方がないのか、議論をする言葉のボキャブラリーばかりが先行してしまうのが関の山で、肝心な事を語れぬことに収斂するだけであり、収斂する先が判っているなら、共存可能なコトをいちいち「さあ、アナタはどちらに靡く!?」みたいに煽っても仕方なかろうに、と唾棄したくなるのが私の率直な見解ですよ。

 ブラジルを見下しているワケではありませんが、ブラジルに与することなく対戦して、準決勝を確定した方が確かに楽な戦いとなるのは事実でしょうが、そこまで手を尽くしてブラジルと移動も無く対戦してよもやなでしこが敗戦してしまった時、勝負事ばかりに目が行っている連中の目を覚ました上でそれでも尚なでしこや日本サッカーに目を向けて愛でる視点やら記事のひとつでも用意してんのか!?と言いたいのが私の見解なんですよ。

 男子も含めてメダルの可能性も見えて来たからといって、メダル欲しさに勝負事ばかりに目を向けるのではなく、着実に一歩を踏み出さない限り、徒に沸点が上がる熱気が冷めた時、本当に配慮のある思慮深い記事を書いて世間を煽らずに愛でることができんのか!?と言いたいワケですな。そこまで先を見据えられるのであらば今回この時点で無責任な決を採ろうとするような行為は起きないモノなんですよ、ホントはね。物書きだから後からどうやっても巧い事書いてみせる、程度じゃダメなんですわ。それこそ無責任極まりない。足を運んであらゆる世代のサッカーを見て来ているのであれば、もう少し配慮してやってもイイだろうよ。俺なんぞメダルの有無なんか無関係に日本を応援してやってるわ。それが普通だろ。メダル欲しさに語る言葉が変わるようなヤツに日本サッカーを応援して欲しいとは思わない。メダルなんぞ無関係に男子も女子も臆することなくサッカーしてこい!コレが私の意見だよ、宇都宮さん。


 メダルが伴えば流石に喜びは増幅するでしょう。そもそも私はサッカーにメダルを期待するような時代を経験していなかったコトもある古い人間ではありますが、それでも1981年のトヨタカップ以降私はサッカーに足を運ぶ事を覚え、都並さんを観に行ったり釜元さんの現役引退を観に行ったりしたモンでしたよ。贔屓のチームなど無関係にサッカーを応援していたモンです。まあそうして、チョットしたコトでJのサッカーのとあるクラブチームの練習を記者とは違う側面で同行したコトも数少ない経験乍らも貴重な体験をすることがありましてですね、私はそんな経験があるからこそ余計にサッカー愛が深まったワケですな。


 チョットしたご縁で練習に同行できる機会があり、私の場合は誰もが見ていないような裏側、例えば罰走している選手と並走してみたり、故障している選手とリハビリに同行したりそういう時間を共有できたコトが嘗てあったワケなんですね。

 特に故障選手のリハビリに同行し乍ら一緒にエアロバイクを漕いだ経験は忘れ難いモノでしたが、最初は私は選手の邪魔にならない様に傍で別行動を取ろうと思っていたんですが、選手から声が掛かって「一緒にやろうよ」と言われ、一緒に漕ぐコトに。ですが、私は選手のペースを乱さない為にも45分のバイクトレに10分に1度一言二言と言葉を交わす程度で邪魔をしないように配慮していたモンでした。

 時間が経過していくと共に負荷が高いリハビリに呼気が粗くなり、私が側に居なければ人目も憚らず肩で息をするかのように呼吸をしていた方が良かったろうに!と思ったモンでしたが、わざと人目に触れるプレッシャーをも想起して私を帯同させたのかもしれません。しかしその横顔にはリハビリから解放された時の五体満足を取り戻す時のギラついた眼光がありましてですね、それからリハビリは何日か一緒に帯同したモンでしたが、治りが遅くて、その眼光が大人しくなるコトが如実に判るんですね。どこかに淋し気な様子も兼ね揃えているとでもいいますか、今後への不安も同居しているリハビリ。そういうのを目の当たりにしていると、ケガが元で選手生命を余儀なく終えることになる人も出て来ている中で新たなチーム作りを一方では光のある世界があって、酷な世界を確認するコトができたモンです。リハビリひとつにもこうした陰と陽があるのに、そうした同居することはない二極分化はライターやらは語ることが出来るのか!?と言いたいワケですな。

 手前勝手な視点の違いだけをあたかも極分化して「善悪」や「白黒」かのように隔ててしまう。雌雄関係だってオスとメスはどっちになることもできないけれど共存しなければ次もない、共存可能な関係なのに、ほんの少しの記事の視点の違いを極分化してどうするよ!?一方が日本をコケにしているスタンスで書かれていてもう一方が日本を応援している記事なら二元論はあって然るべきだが、いずれも日本を応援しているコトなのにわざわざ分断してしまうような視点を持ち込んでどうするつもりなんだよ!?と言いたい。安っぽいディベートの類で生まれるモノなんか何もないんだぜ。


 そもそもサッカー分析を生業とする者がSNSなどの声知りたさで大衆迎合する必要など無いと私は思うワケですわ。そういう声に靡く必要があるのならそれをまず明確にした上で、自分の意見を語ればいい。他人の意見を論う必要などない。

 そもそも大衆の中には良いも悪いも判らないような、白黒や善悪すら判らないような者が大勢いることを忘れてはならない。そんな彼らも「好き嫌い」という「二元論」だけはハッキリしているものだが、確固たる理由がなく嫌いになっているケースもあり、嫌いだと抱いていてもそれを好きにさせるくらいの気概を持って接するのが愛情である。ただ単にそいつらに白黒も判らせずに靡いていただけでは自分自身が本質を見失いかねない時の迷走でしかない。自分の言葉で語ることができずに大衆に迎合するなど本末転倒。悪とやらは数が大挙すれば善になるのか?そういう原点が判りさえすれば自分がどう発言し、他人の発言を引用すれば良いのかが判るだろう。

 ボキャブラリーだけに身を委ねて書き連ねるだけなどどこに真実があるのか。大衆ですらシンプルな言葉で「好き嫌い」だけは明確にするぞ(笑)。身の程など無関係。身の程自覚する前に自覚することなど山ほどあるのだよ。