SSブログ

Design/ジェントル・ジャイアントから見えてくる多様な世界 [プログレ]

 扨て、前回の続きとなりますが「Design」の冒頭の3声による2コードはAプロメテウスを成立させつつ、Aメロが入って来ると、Aプロメテウス・スケールでは生じないE音を明示するようになるので結果的にEメロディック・マイナーを生じる、という所までやりました。


01E_MelodicMinor.png
 その後に着目してもらいたいのはAプロメテウスが唯単に包含されているというコトだけではなく、Aプロメテウスと、その後それを包含しているEメロディック・マイナーのそれぞれが四度/五度という関係になっている部分でありまして、こうした別の調域が四度/五度セパレートしているのは対位的手法において非常に重要な事でもあるのでこうした音程関係をまず探る様に分析するワケであります。

 で、結果的にEメロディック・マイナーを生じたのであれば譜例としては次の様になります。つまり嬰種調号であるEメジャーの調号を用いつつGisはG音となるように並んだ音がEメロディック・マイナーとなります。

02E_MelodicMinor_custom.png
 現代的な記譜にすると、嬰種調号においてG音をナチュラルにしてしまうという特殊な記譜をFinaleでやってみましたが(笑)、正直言って私はこういう特殊な調号は読みづらいです(笑)。インパクトという意味ではかなり充分なくらい備えておりますけどね(笑)。まあ、調号がどうであろうとEメロディック・マイナーとやらがもっとインパクトを備えているのはこういう側面ばかりではなく他にも重要な点があります。

 前回でも触れていたように、今回提示しているEメロディック・マイナーの譜例から見えるモノで重要な点は、五線譜の第3線(真ん中の線)つまりH音部分を基準とすると上下に鏡像という音程関係が図形的に表れるというコトをあらためて強調する必要があります。なぜそこまで注目する必要が有るのか!?というと、過去にも(昨年春くらいに)、黛敏郎のNNNニュースのテーマで取り上げた事もあるように、マイナー・メジャー9thという五声体というのは5th音を中心に鏡像関係を生み、さらには上下にさらに鏡像音程を拡大させると、ハーフ・ディミニッシュ構造も包含しながらペレアスの和声も包含しているという、バイトーナル特有の世界観を演出しているというコトを取り上げたことがありましたが、ハーフ・ディミニッシュの体をトリスタン和音の一部と解釈すれば、今日のハーフ・ディミニッシュの体が出現した際に、そういうバイトーナルな世界に拡大させる技法というものを会得しておく必要性はあると思います。作曲技法のみならず理論的解釈としてとても必要なコトなのです。

※楽譜を図形的に見た時に第3線を基準とした場合、上と下無関係に第3線を飛び越える旋律があった場合、図形的に見比べた場合平行移動なのにも関わらず反行形を生んだり、その逆も然りという面白さがあったりもします。

 過去に黛敏郎の例でも出した鏡像形というのは3度音程累積を前提としているモノからでありまして、過去にも述べているように鏡像音程を作り出す手法は何も3度累積だけにとどまるモノでもありません。等音程など多くの手法は他にも沢山ありますが、いずれにしても重要な事は「多様な音空間」を演出しているコトに他ならないのであります。


05GGkyouzou_Em_BM.png
 でまあ、今回のEメロディック・マイナーの鏡像形を更に語ると、次の譜例で見ると顕著ですがEマイナー・トライアドとBメジャー・トライアドを別々に記載しているのはお判りでしょうか!?色分けしているのはつまり「バイトーナル」を視野に入れているワケですね。楽譜の第3線を中心に下方がEマイナー、上方がBメジャーという各々の和声は是亦「鏡像」なワケであります。まずソコに大注目していただきたいワケです。


 扨て、「Design」のイントロ四声のモチーフ部分を「図形的に」見ると、楽譜上では次の様に投影されることになります。各々のヴォイシングが反行するように形成されていて、属七の体がこうして転回され、さらに次の進行への対斜をこうして得ることで、属和音としての情感はとても希薄な世界観を演出していることに貢献しているのであります。メロディック・マイナー「モード」を演出する際、何も判りやすいマイナー・メジャー7thやオーギュメンテッド・メジャー7thやハーフ・ディミニッシュト9thの体を使うことなく、もっとシンプルな2コードでそうしたモードを示唆するという好例でもあるワケです。亦、こうした例を見るとドミナント7thの希釈化という事実が明らかになっているコトがお判りになると思います。
06DesignGraphical.png



 曲中盤では「In my day~」という、単純に聴いていると和声感が不明瞭にすら聴こえかねないボイスSEに聴こえるかもしれませんが、コレ実は、和声感が不明瞭ではなくコードが異端なので耳慣れない人にはそう聴こえてしまうだけでして、実ぁとっても高次なハーモニーなんですね(笑)。冒頭の「In my day~」だけを抜粋しても

In・・・A7 (onG)
my・・・G#m6
day・・・D#dim△7

 こーゆー風に、とまあコレだけで食い付ける要素タップリの高次なハーモニーでやんしょ!?(笑)そしてこのパターンの最後の方で「not for me~」のケツ部分はEbM7augだというコトが判りますね。

 因みにディミニッシュ・メジャー7thはその三度下に音を拡張した場合に、ドミナント7thを母体とする#9th、つまるところ良く知られる「シャープ・ナインス」のルートを省略した和声として使われるコトがたまにあります。その中で多くのケースはシャープ・ナインスのルートomitの体が大半なワケですが、この「Design」の場合、属七の体という垂直レベルで見れば何の変哲もないセブンス・コードでしかありませんが、向いている方角がドミナント・モーションを予期するそれとは違うモノですので、フツーのドミナント7th系のコードとは違う流儀で語らなくてはならないので、ディミニッシュ・メジャー7thが生じているからといってその三度下にドミナント7thの形を見付け出してしまうのは早計です。仮にそこでドミナント7thのルートを見付け出したとしても、そこで旧来のドミナント7th系の振る舞いはしない、という風にご理解いただければ宜しいかと思います。


 そこで次が真骨頂。美しいフーガの技法が見られる四声の楽節登場なワケですが、ココでの先行句「I thought everything may come to~」はやたらと明るい雰囲気で登場しますね!?これがまず大きな特徴です。

 この先行句はト調(Gメジャー)を示唆しているフレーズです。なんでいきなりト長調の方へ行くのか!?というと、別にそれほど突飛なものでもないのです。先ほど譜例で確認したと思いますが、下にEマイナー上にBメジャーを色分けしているアレですね。先の下声部のEマイナーの平行調はGメジャーとなります。これが本当の意味でのダイナミックな「平行調への転調」と云うに相応しいかもしれません(噱)。

 では、こーゆー風に複調(多調)が現れているのであれば先のBメジャーというのは何処に変化するのか!?という謎が次の追行句になります。

 2つ目に現れる追行句はロ短調(Bエオリアン)という風に解釈して下さい。つまり、先のBメジャーの同主調側へ動いて来たワケです。さらに3つ目の追行句は2つ目の追行句と同じ調域ですがニ長調のGリディアンを示唆するように織り成されているワケです。つまりこれらふたつの追行句は「平行調」で織り成されている構造なのです。

 これら3声を紡ぐようにして今度は、それらの調域を利用し乍ら絡み付く様に半音階的に紡いで来る脈絡が希薄な4番目のフレーズが登場します。4番目の声部は次の様に唄っています。

Ev-ery (H - C#)
thing come (D - E)
to me (E# - F#)

これらは次のように「紡がれ」ます。

Ev-ery (H - C#)→先行句(第1パート)のD音へ・・・B - C# - D
thing come (D - E)→追行句(第2パート)のF#音へ・・・D - E - F#
to me (E# - F#)→先行句(第1パート)のG音へ・・・E# - F# - G


 こういう風に織物のように紡がれて折り重なっているのがお判りになると思います。こうして四声が紡がれると全体では下声部と上声部に2つの四声体を見出すコトができまして、それが
F#m△7/G△7という四声体同士で多様な響きを演出するような音となっており、シンプルに解体すればFaug/G△という三声体同士でF#を持ち合う様に「併存」させるコトで多様な演出が可能となっております。このシンプルな解体構造となる「Faug/G△」という構造だけで見れば、過去にもドナルド・フェイゲンの「Tomorrow's Girls」で述べたように、謎の音階を示唆する分数コードにもなっているので、こうした多様さがあらためてお判りいただけるかと思います。とはいえ今回の「Design」を垂直レベルで見た時に謎の音階を生ずるワケではなく、そうした世界への「経過的」な示唆とでも言えばよろしいでしょうかね。対位的手法はこういうチラ見せが得意なワケです(笑)。

 古い言葉でのポリトナリテ(=ポリトーナリティー)というのがこうして垣間見えることになるワケです。ジェントル・ジャイアントでは他にもこうしたポリトーナリティーを垣間みるコトのできる非常に判りやすい曲で、アルバム「フリー・ハンド」収録の「Talybont」というのが良い例となるワケですが、「Talybont」は児童でも食い付けるほど優しいフレーズでありながらも異なる調域を使っているコトは未熟な耳にも判るくらい実に多様な演出をしているのに対して、「Design」ではこのように和声的にも非常に厳しい世界観を演出しているのがお判りになるかと思います。結果的に半音階的手法で「紡ぐ」というやり方は、各声部の音に対して「刺繍音」という役割を用いて脈絡を得ているモノでありまして、それが講じて調域外の音を生む、というのは対位法の世界においても充分有り得る音ではあるのですが、その中でもかなり高次なフーガの在り方だというのはお判りいただけるかと思います。

 そうして曲も終盤にさしかかり、エンディングもオーギュメンテッド・メジャー7thで終止する、という実に心憎い演出が施されているワケでありまして、こうした展開を聴いていると5分にも満たない曲の長さがあまりに勿体無く、もっと聴きたい!という欲望をかきたててくれるものでもあります(笑)。

 でまあ、このような和声的な「厳しさ」を演出するにあたって概ね決まっているのは、チャーチ・モード以外のヘプタトニックの情緒がふんだんに用意されているコトにありまして、概ねメロディック・マイナーというモードの性格には「寄り添う」モノでもあります。必ずしもそうではないのですが、メロディック・マイナーというモードが持つ鏡像の性格は多様な演出を施すためか、多様な響きにはコイツが概ね貢献する、みたいに思ってもらえれば宜しいかな、と思います(笑)。

 メロディック・マイナー・モードで生じるダイアトニック・コードでは先の例のように2種類のドミナント7thコードを生むのに、それを旧来のドミナント7thコードのように機能させないように振る舞う姿というのは今回の例で顕著なのではないかと信じてやみませんが、こうした属和音の振る舞いが結果的にドミナント7thの「希釈化」なのであります。

 で、更に言えばドミナント7thが「全音違い」で生じている、つまり長二度で出現しているという構造は、コレ、ずーっと強靭なまでにその世界を拡張していくと結果的に「属二十三の和音」まで拡張させるコトができるんです。私のブログ内検索で「属二十三の和音」と検索すれば概ね本記事の1年ほど前の記事がピックアップされると思いますが、属二十三の和音というのは3度の累積構造で23度まで累積させて12音全てを堆積させた構造というエドモン・コステールが提唱している属和音の体なのでありますが、これは3種類のドミナント7thを包含するコトになる、というのは過去にも語った通りです。属二十三の和音でGをルートとした場合結果的に自身のG7という姿と全音下にF7という構造に加えてGb7という構造を得るというコトですね。

 つまりメロディック・マイナー・モードで生ずる「全音違い」というのも属二十三の和音の一部だと見なした場合、IVとVの間にIV#の所に仮想的にでももうひとつの属和音の体を朧げに見出すコトも可能となるワケです。そうした音の現れが、先の「F#m△7/G△7」に見られる音だと思って下さい。

 その特殊な音は「Faug/G△」というシンプルな体でF#音を持ち合う音として理解すると、G音に対しての七度周辺にどういう多様な音が生じているのか!?というコトを思えば、属二十三の和音の一部の抜粋ということも理解するコトができますし、属二十三の和音は属和音の体として用いずに色彩的に用いているコトに等しいモノという風に解釈すれば充分ではないかと思います。

 
 例えば11thコードと称されるコードはG音をルートとした場合「G11」という表記ではありますが、実際には「F△/G△」6声のポリコードであるワケですが、G11はナチュラル11thとして機能しているワケですが、これをドミナントとして使うのではなくトニックとして用いるのがカッコイイワケですな。Gミクソリディアンの体としてであるもののGメジャーとして機能する時の使い方、という風に言えば自ずとご理解できるでしょう。
 その6声の使い方だと「重い」ので、ベースが単音で上がトライアドの例で「F/G」という構造とか、上が四声体でベースが単音で「F△7/G」という体でトニックとして機能させると、これを「Bb△7/C」という、BS&Tの「God Bless The Child」の使い方になるワケですな。

 シンプルに機能させれば、そうしたポピュラーな代表的な名曲に出会うように、紐解けばシンプルな体として見出すことができるように、そうした世界から拡張された音というのは耳に厳しいモノではありますが、その厳しさを飛び越えて情緒として自身に養った時というのは多様に響くワケなんです。但し、前々回位にも脳の報酬系のクダリで語ったと思いますが、脳が「報酬」を得ないコトには神経的に集積はしませんので、唯単に苦痛な音を延々聴いているだけでは報酬はいただけません(笑)。快楽を感じるようにならないと神経は集積化されませんので、心地よく聴こえる時こそが脳が報酬を得た時なので、そこを間違えずにきちんと聴いてほしいなと思うばかりです。
 こうした脳の鍛え方というのは、先のフーガの例で各声部の音を因数分解するかのようにひとつの音をきちんと捉えることで、シンプルなフレーズを見付け出すコトから能力は高まります。ホントなら若い時代からG線上のアリアとか、メインとなるようなヴァイオリンのパートに食い付くだけではなく、他のパートの音を抜粋して聴くという聴き方というのが巧みな聴き方なのであります。

 器楽的な素養が乏しい人間でも、自身が楽器を演奏することによってそのパートへの音が注力されることで、音のまとまりでしかなかったバンド・サウンドの中から自分の得意なパートからシンプルなフレーズとして見付け出すことで耳が鍛えられて行くように育つのと同じように、シンプルな体を見付け出す耳に成長させるのが重要な事なのであります。

 先のトゥランガリラ交響曲とて何も徒に例を出しているワケではなく、現代曲にあってトゥランガリラほど優しく食い付ける曲はないだろうと私は思っています(笑)。食い付きやすいフレーズがふんだんに用意されているからです。しかしトゥランガリラ交響曲を初心者にもオススメするような愚かな行為をやらかしてしまおうとは思っておりません(笑)。音楽の理論的側面で私が語っているようなコトに興味を抱く人というのは概ね音楽的な素養はかなりの面で有している人が多いと思います。そうした人がぶつかっている壁や疑問を払拭できるかのように語っているのが私のブログですので、私の言っている事が判らなければこうした構造を理解するのは相応しくないコトでもあるので、そうした理解で音楽に向き合って行けば宜しいのではないかと思います。
 ただ、ビールの味が苦手だからといってビールに砂糖入れたりしないでしょ!?(笑)。音楽の厳しさってそういうコトなんですけどね。