SSブログ

地中海の向こうに [楽理]

 新年あけましておめでとうございます。今年も亦この冗長ブログ、なかなか捗る事無く話を進めて行きますので読み手の多くの方は苦々しく忸怩たる思いを抱きながらお付き合いいただくコトは間違いないと思いますのでご容赦を(笑)。まあドMで底意地rotten to the coreで骨の髄まで出汁取ったら灰汁にしかならない左近治ではありますが、そんな私が楽理的な話をチョイとばかし進めて重要な事を述べようとするワケですが、ふと振り返るとそーゆー話題を振ってからもはや1年程経過してしまうという、これまた光陰矢の如しという言葉を実感してしまうのであります(笑)。ま、肩の力を抜いてハナクソほじりながら判るようなカタチで大事なハナシを進めて行くことが出来ればな、と思いますので楽理ネタを今年も楽しんでいただきたいと思います。


 では早速前回の続きを語って行きますが、和声的な側面で見る短和音と旋法的に見る短音階というのは、何れも長音階よりも用法が発展しているモノでありまして、短調というモノも実は曲中では世俗的な音として予期せぬ半音を配置してみたり、属音に乗っかる和声を属七の体に変化させたり、ポピュラー・ミュージックで云う所の短調のスケール・ディグリーのIII♭aug(古典的な方面では短調のIII度)というのも短調の世界独特の取り扱いに見られる幾つかの代表的な例だと思うのであります。


 短三和音は長三度よりも協和度が低く、特に古典的な世界だと「四六の和音」という転回形は忌避されてしまうモノだったりするんですが、とりあえず短三和音という振る舞いの議論はさておき、短和音を母体とする七度、九度、十一度という上方の音の取り扱いというのはこれまた結構オツなモノでもあります。

 特にマイナー9thの情緒というのは、短三度音と九度音とが齎す半音による響きが顕著でありまして、そのコードが成立している根音を主音とするとトニック・マイナー上にてマイナー9thを成立させているワケでして、今度はその主音をスーパー・トニック方向という長二度上に主音を移動させるとロクリアン/フリジアン的な旋法を選択する事も可能となるワケです。

 新東京音頭がマイナー9th系のコードの情緒を醸す曲だとすると、古くからある日本古来の陰音階などはロクリアン/フリジアンのように第2音に半音が現れるようになっている情緒を選んでいるワケでして、実はこの半音の「開き」というのはコブシという唄い回しやビブラートとしての微分音的な側面からも厳密に分類されているようでありまして、浪曲ひとつとってみてもその半音というのが平均律でいう所の100セントでは縛られるコトのない、寧ろ微分音を視野に入れる広い半音だったりするようですが、その半音の取り扱いについてもただひとつの種類には収まらないのが多様な日本における楽音の取り扱いなワケですな。この辺りは小倉朗氏の著書にて詳しく語られていると思います。

 ま、そういう難しい話は扨て置き、短和音は上方に三度音程を累乗させて行った場合、和声的に多様に演出できるのはナチュラル11th音が禁忌ではない所だと思うんですな。

 属七の体でもナチュラル11thは通常禁忌ですし、長三和音を母体とするコードだって11th音は#11thです。つまり、属七やメジャー・コードでの11thは自ずとシャープ11th音で累乗させるコトで「別の調域」を向くワケで、別の調域からの借用という情緒で手助けされているモノなのだとご理解いただきたいワケです。


 ところが短和音の場合は、ナチュラル11th音を持つため調域を維持することが可能。しかし和声としての安定的な振る舞いとして見ると、長和音の構造と比較すると不安定な構造で五度音に基準を来すように、水に浮かべてもピラミッドのように末広がりにはなってくれないモノだとご理解いただきたいワケですな。そうした五度音に重心を備える短和音は結果的に下方への鏡像をノン・ダイアトニック方面の根音バスを求めて和声的な発展を構築できる可能性に加えて、通常の上方の世界ではナチュラル11th音を「使える」和声として、上方と下方においてもとても可能性のある音組織を構築させるコトができる和音であると言いたいワケです。


 ハイパーな世界観を持つ方面では、マイナー・コードを母体にしていても11th音「#11th音」にして使うコトもあります。その場合はバイトーナルな世界を包含している和声であって、結果的に短三度違いでセパレートする短三和音のハイブリッド構造(例としてAmとCmというA音から見たCmの短三度の音はEbですが、A音から見た時、D#音は決してCmの3度の音としての音名ではないものの減五度ではなく増四度としてのD#音として扱うというコト)として見立てるという例を出したのが前回です。


 #11th音というモノになぜこだわるのか!?それはいわゆるブルーノートのひとつでもあるワケですが、ブルーノートという物が持つ独特の情緒を語ろうとするワケではなく、オクターヴの丁度中間となる対蹠点となる音の魅力というモノを使うコトで、音の世界観はどのような拡大を見せるのか!?というコトをあらためて確認することができれば良いのではないかと思うワケであります。

 楽理的に強烈に意識せずとも#11th音と減五度などほぼ同様に使っているのがごくごく普通のシーンでありましょう。わざわざシャープ11thと明記しているのは、元の完全五度音と#11th音が共存する世界を取り扱いたい理由があるからこそ#11th音を異名同音である減五度という風に扱ってしまうと完全五度音との共存が出来なくなってしまうワケです。だからこそ#11thに拘るワケであります。

 つまるところ、元の五度音が半音下がって変化したという情緒ではないコトを明確に区別するための#11thだというコトです。


 拡張された音世界において短三和音を母体とする場合、最も判りやすい例が短三和音が半音違いで上下に現れるハイブリッドな場合です。前回私がローカルなシーンで「マイナーなペレアス」と称したアレです。
 CmとBmという風に上下に六声の和音を与えれば結果的にCm△7 (9、#11)というコードを得るコトになります。無論それはコードネームとして便宜的に与えただけのコトで、バイトーナルな視点で見れば半音/長七度セパレートされた調域が併存しているという構造を想起するコトが可能となるワケであります。

 其のCm△7 (9、#11)という和声の表記そのものは、バイトーナルな世界を垂直レベルで同一視した時の和声であります。ここでの便宜的な表記の和声の七度は長七度なのでマイナー・メジャー7thを母体としておりますが、七度の音を短七にしてCm7 (9、#11)という構造に置き換えた場合のバイトーナルな世界はどうなるのかというと、CmとEbmという短三和音が短三度セパレートして併存という状況というコトを想起することが可能となります。

 つまり、バイトーナルな世界で下方がCmという世界があった時、上方のBmとEbmをたったひとつの音の使い分けで、上方の調域を長三度/減四度にシフトさせることも可能なワケです。


 それとは別に、ヘプタトニックの音階で対蹠点を持つ音階として真っ先に候補に挙げるコトができるのはジプシー系の音階を視野に入れることも可能です。大概は短音階グループとは別の、マイナー系の情緒を有するヘプタトニックを呼び起こす際にはジプシー系の音階を想起しやすいものですが、バイトーナルという世界を想起する時は、各々の世界観を巧みに使い分けたりする場合、音の扱いを7音に閉じ込めるのではなくそれ以上の音を使いながら相互に調域を使い分けるような使い方も視野に入れることが可能となります。つまりヘプタトニック同士の音階の組み合わせによるバイトーナルというモノだけではなく、8音以上の音階を想起して考えるコトも可能というコトを意味します。

2012C_Algerian.jpg
 そういうシーンを想起した場合、拡張的な考えとなるとアルジェリアン・スケールという8音音階を導くコトも可能となります。地中海を挟んでアフリカ大陸側のアルジェリアの音階でありますが、この音階はおそらくは平均律で律する音階ではなく微分音を用いて8音音階の体を作ることが望ましいのではないかという思いが個人的にはあるんですが、異端な音階として視野に入れた場合、アルジェリアン・スケールというのも視野に入れるコトが可能となります。
 なぜ平均律ではない音律を引き合いに出すのか!?というと、平均律というのは各音が均されている(100セントずつ)ワケで、8音というヘプタトニックよりも音数が多い音階でありながらも微分音によって深い情緒を得ようとしていた筈の音階を平均律で均されていた場合、ただでさえ音階を棒弾きというスケール・ライクに扱ってしまう輩が後を絶たないこの世の中に、半音音程が数多く連続して存在する特殊な音階を扱えるワケがなかろうに!と愚弄する方もおられるとは思いますし、それを考えると、一応は皮相的に扱わせないためにも最初に釘を刺しておいた方がいいかなー、という思いも少なからず抱きながら語っていた私なのでありますが、それはともかく魅力的な音階のひとつであるのは疑いの無い事実ですので五線で今一度アルジェリアン・スケールをご確認いただければと思います。


 この音階の構造的な特徴は次の通りです。

・増二度を含む
・属音と下属音の双方を含む
・導音を含む
・対蹠点の存在

 とまあ特徴を羅列したのでありますが、8音も音を稼ぎながら増二度という広い音程幅を持とうとする心意気が実に心憎いばかりですな(笑)。ま、冗談は扨て置き、例えばこの音階の構成音を五度圏の図で確認すると次のようになります。


2012C_Algerian_Cof5_Chiral.jpg
 緑色の線で表示されている所がCアルジェリアン・スケールの構成音を示しております。ここで今度は「和声的」な方面での特徴を挙げてみると次のような構造となっていることに気付かされます。



・Cm+Fm (四度/五度セパレートによる短三和音の併存)

・G△+B△ (長三度/減四度セパレートによる長三和音が併存する世界の包含)

・Eb or G or B aug (オクターヴを三分割する長三度による等音程の存在)

・D or F or Ab or B dim7 (オクターヴを四等分する短三度による等音程=減七の分散の存在)

・Cdim+Ddim+「Fdim or Bdim or Abdim」 (三種類の減三和音の包含)


 扨て、今度は先の五度圏で示したものを「図形的」なイメージとして記憶して下さい。あくまでも図形的に、です。その上で次はアルジェリアン・スケールの音の構成をクロマティックに図に表してみることにします。それが今度は青色で示しているものが音階の構成を示しているモノとなります。
2012C_AlgerianChrom.jpg



 先ほど「図形的」に記憶してほしいというコトを述べましたが、クロマティックに示した青色の図形と五度圏で示した緑色の図形をそれぞれBbとEという4時と10時で線対称、更なる線対称の軸として1時と7時の軸を2つ目の線対称として見ると上下と裏表が真逆の鏡像形になっているのがお判りでしょうか。これがカイラリティー(亦はキラリティー)という分子構造などに見られる対称形ですな。スタンリー・カウエルの2010年暮れの作品にも「Chirality」という曲があったのは記憶に新しいトコロですね。


 私がこうした音階を提示する際に五度圏とクロマティックを使い分けていた理由というのがそのカイラルという性質を後々示すコトだったからであります。

 比類無き完全五度を累積すればいずれはシントニック・コンマを生じますが回帰します。ヒンデミットのインターバル・トニックというのは、やがては半音階を網羅するであろう五度の調域からの累乗からの親和性の強弱を頼りに対位的な拠り所を推進させて十二音を用いようとしているものです。

 五度の累積に旋法的な情緒を見出すとするならば、半音階の方はそうした情緒を限りなく捨て去りニュートラルな世界でのやり取りなワケで、その半音階から抜粋した音が五度の累積ではどのような音程配置になるのか!?というコトをアルジェリアン・スケールによってその「カイラリティー」を確認してもらいたかったワケですな。

 チャーチ・モードは長音階をあらゆる方角から見た旋法であり、短音階もそれに含まれます。長音階を五度圏で確認した場合、完全五度の6回の累乗によって得られているモノでありまして、先の図のように五度圏で長音階を見れば「隙間無く」埋め尽くされているワケです。この「偏重具合」こそが音階そのものが持っている「情緒」と言えるモノでもありましょう。
 長音階をクロマティック側の図形で確認すると、規則性を感じさせることは希薄で、虫食い穴のように非構成音が散らばっているように配列されているワケですが、これをどうにか対称形の形を見出そうとするとドリアンとしての位置関係に対称性を見出すことができるようになります。


 つまり、音の世界の「対称性」というのは、半音階が中立的な響きであるのと同様に、偏重的な情緒とはまるっきり真逆の中立的な情感を備えているというコトを意味するワケです。


 アルジェリアン・スケールというのは五度圏で見てもある一定の偏重具合は備えているにも関わらず、クロマティック方面で見ても五度の累乗から生じる「独特の情緒」を鏡像として投影するワケですな。

 つまり五度の累乗の世界という共鳴的なペンタトニックの一部として操りながらクロマティック方面の音を利用するかのように選別する作業はまさに半音階的情緒と全音階的情緒(長音階の全音階)の行き交いを自由にさせているかのような振る舞いがあるワケです。


prayer4peace.jpg
 スタンリー・カウエルの2010年のアルバム「Prayer For Peace」収録の「Chirality」はまさにFアルジェリアン・スケールから生じた巧みな鏡像を用いた楽曲であるワケですな。

 このような鏡像を用いたアレンジは五線の上でも行われますし、例えば五線の第三線を軸にして上と下を「図形的に」ひっくり返すような音並びを演出することも可能です。長調の主要三和音と短調の主要三和音は実は五線の上で上下をひっくり返すような鏡像関係にあるというコトが強固な平行調という関係を見出すことができまして、エッティンゲンの二元論はそこから始まるワケです。そうして今度は調域外の音を生み出す半音階的指向の「完全な」ミラー・モードを生むワケですな。


 無味無臭かのように振る舞う半音階に対してどういう「抜粋」をすれば情緒を生み出すのか、というコトもヒンデミットのルードゥス・トナリスがヒントになるのではないかと思います。

 
 今一度アルジェリアン・スケールの音並びを確認してみて下さい。楽器歴が非常に浅い人であっても少し位曲を手なりに弾きこなすコトが出来るようになった人ならば、マイナー・キーの曲でこの音階に似た音列を扱ったりした経験はあるのではないか!?と思うんですな(笑)。勿論それは曲の全体から特徴的な音を抜粋してみたらこれに似たような音を扱った事があるという程度だと思いますが、いくら酷似する音並びを使っていようともアルジェリアン・スケールはそういう風に扱うモノではないのです(笑)。

 通常、半音音程がいくつも連続する音階というのは音階そのものの情緒が希薄になり、半音階としての中立的な振る舞いに近くなるため、情緒に手助けされるフレージングに耳を均されてしまっている人には全然面白くない響きとして半音音程の連続を扱ったりするモノなんですよ(笑)。使ったとしても経過的に半音の連結が突飛に聴こえない程度のフレージングだったり(笑)。Cアルジェリアン・スケールを用いたとしてもどういうキッカケを与えて扱うのかが判らず、半音の集中する部分は短二度の連続としてしかフレージングしないでしょうし、ギタリストならば弦飛びしちゃうモンだから(笑)、まず長七度や短九度のフレージングなんて選ぶ人ぁ楽器歴の浅い人には先ず存在しないであろうと想像に容易いワケです。

 つまり、半音階的要素を半音の連続程度でしか取り扱う事のできない輩があまりにも多いのが現状なんですわ(笑)。長短三度音程だって長短六度に転回させてフレージングすれば歌心がギンギン増すにも拘らず、運指の程よい楽さ加減が三度を選択させてしまうんでしょうな(笑)。その手の狭い音程でのフレーズの羅列が多いからこそ面白味に欠けるフレージングの創出に歯止めがかからないワケですよ(笑)。


 スタンリー・カウエルの「カイラリティー」を例に挙げれば、Fアルジェリアン・スケールに包含している長三度の等音程(増三和音の分散)というのはDb or F or A音でして、曲はまさにこの3つの等音程で八分音符頭抜きで最初の印象的な2拍が鳴ります。3拍目でC音が出て来ることで「おやっ、コレはもしかしてDb augmeted major 7thのブロークン・フレーズ!?」と思わせておいて、Fアルジェリアン・スケールにおいて半音音程が凝縮している所を間引きするかのようにクロマティックなフレージングを奏でて構築させているワケです。

 そういう氏のフレージングにあるように、アルジェリアン・スケールは先に列挙した用にオーギュメンテッドな構造はもとより減七の分散を秘めていたり、マイナー・トライアドの組み合わせやその他メジャー・トライアドなどバイトーナルな視点に依る組み合わせなど色々見立てを変えるだけで可能性に富んだ音階であることは疑いの無い事実でありまして、仮にこのスケールを使って半音音階の連続に取り扱いの難しさを感じた時は、一旦そのスケールに包含されている減七やオーギュメンテッドな構造が持つ情緒に手助けしてもらえばイイんですわ。フレージングを優先するのであれば、手前勝手な自分の運指のクセを優先させちゃあ愚の骨頂です。

 半音音程の連続するという、情緒の希薄な半音階的な雰囲気にかき消されてしまうことなく氏が先の曲でインプロヴァイズを繰り広げているのは、そうしたアルジェリアン・スケールに含まれる情緒を巧みに利用しながらジャズ的なフレージングを随所に鏤めているからこそ、アレだけ「唄う」ピアノ・ソロのフレージングが可能となるワケですな。そもそものメイン・リフこそが難しいモチーフであるにも拘らず、です。

 情緒の希薄な半音音階に飲み込まれそうになったら、先の減七やらオーギュメンテッドな分散フレーズを思い出して手助けしてもらう。または半音音程の連なりの「形」を五度累積から生じる共鳴的な音程の連続として変換させてしまえば、先の例に挙げた五度とクロマティックの行き交いを実感できると思います。つまり半音階的な所で戸惑ったらそれに呼応する形の五度の共鳴側に寄り添っている方の音がフレージングとして自然なベクトルなワケですよ。そうしたベクトルが目に見えて判る対称性がカイラリティーなワケですな。私ぁ2010年暮れにこの曲に遭遇してホントに眼球飛び出たモンですわ(笑)。


 まあ、こうした名曲の深部をようやく語っているワケですが左近治が遭遇してもう1年経過しちゃうんですな(笑)。目の前に音楽談義を重ねていれば1年経過する前に話題にすることは可能ではあるんですが、いざブログとして書き上げようとすると、話題をそこまでに持って行くまでの文字数があまりにも多く、なかなか辿り着けないモンですわ(笑)。

 とはいえ、特異な世界でありましょうが、こうした耳に厳しいタイプの名曲を少しでも多く取り上げることが出来ればという思いがあって書いておりますので、まーた小難しいハナシをしていきましょうかね、と。GGも控えておりますしね。