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博引旁証 [楽理]

 ジェットコースターとか乗り物に例えるなら何でもイイんですが、一番身近な例だと車とか電車とか。そういう乗り物に乗っている時「横G」(=遠心力)を感じる時ってありますよね!?


 まあ、そんな「横G」そのものが日常生活に密着しすぎていて意識しない方だっているとは思いますし、「アラ、やだ!赤道付近に行ったら体重減ったわ!」みたいにビンカンな方もいらっしゃるかもしれません(笑)。
 一応気に留めていただきたいのは、そんな横Gが生じた時の身の委ね方です。


 通常、横Gが加わればその牽引力に伴って身を委ねたり或いはその力に耐えようとしたりするものです。特に電車の場合、混雑しているような時などは吊り革や手すりに掴まるコトすらできずに可能な限り「牽引力」から耐える必要性が生じたりと、そんな場面に遭遇することを思えば想像に容易いかな、と。

 音楽、特に調性を意識する時の一定の進行には顕著ですが、多くの場合は調的な牽引力に「身を委ねる」ことで解決先を探っているワケですが、身の委ね方としては先ほどの乗り物の例と比較するとかなり依存度は高いと思うんですな。どちらかというと「耐えようとする」力は希薄だと思います。


 私は今回、この「耐えようとする力」を音楽のシーンにおいては「調性が希薄」な世界のワンシーンという風に形容しようとしているのでありますが、音楽の場合は必死に堪えているワケでもなく、強力な牽引力に身を委ねるばかりでなく、「何故、そちらに耐えようとするのか!?」という風に捉えていただけると有り難いワケです。つまり、強固な調的な重力がかかっているけれどもその牽引力に何処か耐えようとしている姿勢を仮に客観的に投影してみたとしたら、その堪える姿勢は完全な正姿勢を保ってはいないのだけれども「拠り所」は別の所に存在する、みたいに考えて欲しいというワケです。


 車のシートって、実はカラダに接する面が多ければ多いほど結果的にラクなんです。あらゆる牽引力に対して本当はどこか堪えようとしているからこそそれが積み重なると「疲労」になるワケです。車好きの人がシートを交換してまで運転を楽しむ人が居たりしますが別に気取っているワケではないのでありますな(笑)。


 ある程度経験を伴うと「堪え方」みたいなのも判るようになって、「この辺で牽引力発生するんやろ?」みたいに予想できてしまうワケですな。音楽の調的な力というモノもそれに似たようなトコロがありまして、常に調的な重力に身を委ねて聴くことよりも、自分の姿勢の方にプライマリー・バランスを置いて聴いたりする人も居るモノです。つまりそれは音楽的な経験が多かったり、身を委ねてばかりの聴き方を好まないという自分自身なりの聴き方を備えている人が有している感覚だと思っていただきたいワケですな。


 あまりに出口が見えない道だと不安になるかもしれません。ホントは近道だったり安上がりだったりするんでしょうが、深夜メーターになったタクシーで知らない道を行き来されると不安を抱くようなシーンに似ているかもしれません(笑)。ある程度「慣れ」があってもなかなか出口が見えて来ないと不安になったりもする。調的な牽引力がトコトン希薄になればなるほど、止まり木とすべく足元の場所は極力狭まっているようなモノに感じるのかもしれません。

 そうした「極限状態」に近い所まで調性が希薄になる状況すら耳が習熟してきた人は好むのだと理解していただきたいワケですな(笑)。調的な解決というよりも、その窮地に経たされた場面での「打開策」を持っているから不安を抱くことなく聴いていられるようなモノだ、と。その「打開策」という根本を会得するにはどうすればイイのか!?というと、これは経験が伴うワケです。

 言葉でも同じように、意味は同じであっても簡単な言葉だったり小難しい言葉だったり色んな言葉が存在していたりするものです。ところが言葉ってぇのは便利なモノですが「どうも」とか「すいません」などに見られるような言葉は、もはやそれそのものに大した意味を感じておらずに「使っておけばイイや」みたいな程度に使ってしまっている日常のシーンなんて非常に多く目にすると思いませんか!?反省の色など全く見えないのに「すみません」しかしそれに声荒げるのも面倒だから許容しているシーンなど(笑)。

 つまり、「すいません」という言葉ひとつが音楽での体系化されたコードのひとつと置き換えるてみると、形骸化されすぎていて、よくよく考えるとコイツの使い方とか気に入らない、という風に見えて来たりするんですよ(笑)。使って悪くはないんだけど、形骸化されてしまって誠意すらも感じないような状況に酷似しているかもしれません(笑)。


 通り一遍のコトを判っている人からすると、そうした形骸化された言葉に誠意を感じることが無かったりするのと同じなんです。音楽のコードとやらも。ハイパーな世界であろうとも使い方を限定してしまって体系化されていけばやがて形骸化と枯渇化を生むんですな。皮肉なモノです。
 しかし幸いなコトに、多くの人はまだまだそうしたハイパーな世界を知らないから「使える」ワケです(笑)。

 音楽における「誠意」って何!?

と思われるかもしれませんが、例えば私が今「Bm/Cm」という上下にマイナー・トライアドという比較的珍しいハイブリッド・コードを提示したとして、コレを皮相的に使ってしまうような人いますよね。知った風な感じにもなっちゃったりとか(笑)。誠意が無い状況というのはこういうコトですね。別に左近治に気を遣え!ってコトではないですよ(笑)。皮相的な理解でしかないのにそれをさも理解しているかのように使っちゃうようなの。こういうコトに対してのコトを言っているワケです。


 咀嚼した表現をすることもなく何処かからの文献を引用するワケでもなく、自分の言葉でエッティンゲン関連を今此処で語っても無駄なワケです(笑)。というよりそうした書物をこうして取り上げるだけでも研究する余地はありますし、本当に研究したい人は手に取って学ぶコトでしょう。

 下方倍音列というものを例えるならば、先の乗り物において横Gがかかろうとも身を委ねようとするのではなく正姿勢を保とうとする方のこらえる力だと思っていただきたいワケですよ。

 通常の調的感覚は上方の倍音列とのひしめき合いによって調的な起承転結を生じるワケです。それは通常得られる進行方向への牽引力だと思ってもらえればイイと思うんですが、「堪えようとする力」というものは、そういう状況に差し掛からないと感じるコトができないように、あらゆるシーンを想定すれば「堪える力」を思わせるシーンは、カーブの横Gばかりではないコトに気付く、そういうモンだと言いたいワケです。

 例えば車が前方に発進しました。よくよく考えれば車に乗っかった以上はその力に堪えてまでその場に留まるコトは困難であろうから車を行かせているのでありましょう。反作用とでも言うべき方角を視野に入れると、「堪える力」を生ずるシーンをひとたび想起するとそれは実感しやすくなるものだと言いたいワケです。


 Cメジャー・スケールの下方倍音列はFナチュラル・マイナー・スケールを生じます。Fの平行長調側で例を出さないのは、ハ長調という調域で生ずるトニック・メジャーの鏡像形がFマイナー・トライアドを生じ、同様にハ長調の主要三和音の各々の和音の鏡像形がヘ短調での主要三和音になるからAb(変イ長調)ではなくFマイナーで語っているコトはお判りでしょう。

 ですが、Cメジャー・スケールを弾いていてもFナチュラル・マイナー・スケールの音が聴こえて来るワケではありません(笑)。Cメジャー・スケールとして生じている「音列」としてのバランスはCメジャー・スケールとしての情緒だけで存在しているワケではないのです。

 Cメジャー・スケールに「音階」としての情緒を考えれば、それ以上でもそれ以下でもない紛れも無いCメジャーの姿ですが、その音並びを唯の「音列」として見立てた場合、その音列は必ずしもCメジャー・スケールとして成立するための音として用意されているワケではない、というコトを考えていただきたいワケです。


 Cメジャー・スケールから生じる「ドレミファソラシド」の音を使って曲を作ろうとする場合、曲中のあらゆる局面において常にその音7つを奏で続けているワケではないですよね(笑)。和声的に「解体」すると断片的には必ず「抜粋」した形になっているワケです。

 そうした「抜粋」した音として「ドミソ」があった場合、この「ドミソ」は、本当にCメジャー・トライアドとしての形だけにしか用意されていない姿なのだろうか!?と考えてほしいんですな。

 「この曲はハ長調の曲で臨時記号も用いてはなりません!」と先生に言われた状況下に置かれている状況なら、相応しい世界観があるワケですが、必ずしも音楽はそうではなく、「ドミソ」という立ち居振る舞いも本当は自由なワケです。

 そうしたあらゆる状況下において形骸化された世界を省いていくと、下方倍音列で生ずる世界が見えて来るようになるモンなんですわ不思議と(笑)。その「ドミソ」はCメジャー・トライアドのために用意された音だけではなく「FmM9」という音の為にも用意されていた一部だったのだと気付かされるコトもある、というそういう例です(笑)。


 FmM9という仰々しいコードが現れたとしても、それはCメジャー・トライアドに対して出来たFマイナー・トライアド+CメジャートライアドというC音基準の鏡像の形なだけであって、本当ならハ長調の主要三和音の鏡像は「Fm、Bbm、Cm」になるので、他のコードを視野に入れ続けると「FmM9」というコードでは首尾よくモードが収まらなくなってしまいます。

 但し、重要なのはCメジャーからFマイナーという世界を結びつける事なのでありまして、その世界を見付け出すことによって、それだけに限定すればCハーモニック・メジャーを見付け出すのかもしれませんし、Fマイナー側の世界をもっと純朴に扱うように配慮すれば「Bb音」の登場するようになるのかもしれません。元々はハ長調側はH音を包含するワケですが、Fマイナー側を世俗的にしなければFマイナーからのナチュラル11thとして素朴に扱う必要が出て来るかもしれません。


 そうした取り扱いを考えた時、Fマイナー側の世界では四声体として考えた場合「FmM7」は変わらないワケですが、H音として上方の世界を維持させて取り扱うか、下方の世界を意識して「Bb音」を取り扱うかによって「FmM7」に付随させる11th音がナチュラル11thになるのかシャープ11thになるのか!?という双方の可能性を生ずることになります(どちらが良い悪いとかどちらが正しいとかは全く無関係です)。

01minor_pelleas.png 仮にH音を維持させる世界観を選択した場合、FmM7というコード(F、Ab、C、E)の9th音はG音、11th音は#11thとなりB(=H音)となります。この6声体を三声体ずつのハイブリッドとして見た場合、上にEマイナー・トライアド、下にFマイナー・トライアドとして見ることも可能となります。私はコレをローカルなシーンで「マイナーなペレアス」と呼んでおりまして、こういう語法はジプシー系音階から生ずるダイアトニック・コードにおいて遭遇するモノです。コレを今回譜例にしたモノが今回のfig. 1にて見られる通りです。


02hougan.png そうして考えると次には四声体FmM7に付随するナチュラル9th音+ナチュラル11th音としての構成ですが、それがfig. 2です。ハイブリッドの体として見た場合は、下にマイナー・トライアド、上にディミニッシュ・トライアドという風に構成されるコトからもお解りになる通り、減三和音を包含しているということは属七の体を包含しております。但し古典的な取り扱いを除けばマイナー・コード上でのナチュラル13th音の取り扱いという、今日では忌避されることなく応用される例がある通り、この場合でも忌避する必要はないとは思いますが、母体にマイナー・メジャー7thがある場合の11th音の取り扱いに2通り例があるのはこういう所からあらためて理解できるかと思うんですな。過去のブログ記事では詳細には触れませんでしたが、こーゆーコトだったワケであります。


 同様に、今度は母体となる四声体がマイナー・メジャー7thではなくマイナー7thという極めて一般的なコードの場合も考えられます。そのコードに対して9thとシャープ11thを付加すると次のようになるワケですが、先の2例とは全く別の意味で考えていただきたいので次回にでも触れるコトにしましょう(笑)。ただ、過去にも述べている通り、マイナー7thを母体とするコードにナチュラル11thではなくシャープ11thを付加させた場合、ルートが示唆する調域の短三度上のマイナー領域を包含している世界を想起し得る世界になると述べたコトがありましたね。Am7(9、#11)というコードがあったとしたら、AmとCmが混在するモノだ、と。

 つまり先のふたつの例は半音違いのハイブリッド・コードを生み出しているので、今回のそれとは別に考えていただきたいという狙いはソコにあるワケです。

 「半音違い」というふたつの世界が混在するバイトーナルな想起においてココん所力を入れて語っていたワケですが、バイトーナルそのものを見てみれば何も半音違いばかりではなく色んな組み合わせが考えられるワケですね。旋法的にも和声的にもさらに彩りを増すというワケです。

 エッティンゲンの云う下方倍音列という実際には聴こえてはいないけれどもそちらの重力というのは元々は平行調同士の成立から端を発するモノです。長調と短調それぞれの平行調はなぜその音程関係にあるのか!?

 それを進めていくと音程構造がまず逆(和声の構成音のそれぞれの長短の成立具合が上下逆)だという所。そこから今度はノン・ダイアトニック方面の根音バスの追求によって和声を拡大するという意図の現れもしくはその「発端」というものを求めて行くと、ハ長調を例にすると、その音列の鏡像関係となるモードからの牽引力が起因していると考えてもらえればよいかと思います。そもそもそういう方向へ和声の拡大という力が増したのは、音律が平均律となり元々存在する和声の強固な輝きが弱まったからでありましょう。
 一旦キッカケを見付けると、途端に新たな世界の語法は飛躍的に輝きを増して成立するものでもありまして、和声の拡大はこうして今も続いているのでありましょう。

 次回は、今回敢えて語ることのなかったマイナー7thという四声体を元にした場合の9thとシャープ11thの配置について述べるコトにします。