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非理法権天 [クダ巻き]

 高次な和声への興味の前にはまだまだ会得する必要のある響きがあるのは致し方ありません。どんな人でも言語を覚えるにしても簡単な言葉から覚えていくように、音楽も亦、簡単な響きから覚えていくのでありまして、いつまでも簡単な響きに執着しているとなると少々考え物ですが、音楽において「カンタンな響き」を好む人というのは、別の分野でやはり未成熟な性癖を持っていると云われるモノです。


wolfram_ec55.jpg 高次な和声を誰もが会得しろとは言いません(笑)。誰もが器楽的な技術を身に着けているワケでもありませんし、音楽を聴くコトでイッパイイッパイの人の方が多かったりするワケです。でもまあ、いわゆる「発言の場」というものが大衆に広く行き渡ると、余計なマジョリティで折角の作品が毀誉褒貶の嵐に苛まれてしまう側面など、なにもネットメディアが普及した今日のコトを言っているワケではありませんよ(笑)。宗教的束縛やらが解けて平均律が普及して、調性も崩壊しつつある二十世紀初頭辺りから、大衆は劇場やコンサートに足を運ぶコトが娯楽のひとつだったワケですよ。

 金出して足運んでいるワケですから客はそりゃもう高飛車ですよ。希代の高次な作品ですら彼らの耳にかかれば途端にヘッポコ扱いされていたワケですからね(笑)。それを思うと、色んなモノやメディアが普及したそんな百年後の大衆も、感性の方面では大して変わっていないじゃないかと思わせることしきりです。


 やがて蓄音機が普及して、その後レコードが普及して大衆の娯楽はさらに進化するワケですね。もちろん良い作品を「記録する」という方面は技術が進めば進むほど先鋭化します。かつては楽譜や伝聞だけだったのが録音物まで拡大しないと後世に作品を遺していけないワケですからね。

 最先端の技術とそれらのフィードバックによって得られる大衆の娯楽の進化。これはイタチごっこみたいなモノで、印刷技術がいくら進化しようとも紙幣に用いられている技術を超越してしまうようでは問題でして、大衆が大衆であるがために大衆は存在しているのではなく、知識を蓄えるストレージは大容量化したものの、それを吟味できる感性というのは昔と大して変わっていないのが事実なんですよ、悲しいコトに。
 だって、百年前の人達と脳の容量が違うってぇワケではないでしょう(笑)。


 一世紀ほど前の作品の良さをも吟味できない人が、自分の手が動きやすい場所に遭遇したツールとして、例えばギターとネットがあったとしましょうか(笑)。ある程度の器楽的心得があれば偏重的な手グセフレーズなど流麗に弾きこなせるモンです。言葉で例えるなら誰かが耳を傾けてくれるワケでもないのに忌憚無くブツクサ街中でほざいているのと変わりないのかもしれません(笑)。

 ケータイやiPhoneなどでも気軽に「ほざける」からと言って、自分の手足のように使いこなせる便利アイテムを用いて人の興味を良い側面で用いることの出来る人というのは限られてくると思うんですな。マジョリティというものが他人の興味があって初めて成立し得るはずなのに、駄々っ子のようにモラルを欠いてまでつぶやいてしまう人がいる。
 もしそういう人が音楽の楽理的側面を皮相的に語っているとしたらそれはもう悲劇でしょう(笑)。


 音楽の高次な響きに興味を示しているのに耳を鍛えることにイラついてしまうのはある意味仕方ないことなんですな。少なくとも親御さんや年長者の説教が、自身が子を持ち人生の修羅場を数回味わうくらいになるとそういう耳に痛い言葉をいつしか理解できて自分自身が言っている立場になっていることがあるじゃないですか。音楽もそういう風に耳を鍛えていくモノなんですよ。早い年代に高次な作品を聴いても決してイイのではないんですね。

 早くに習得したいからと性急に情報を焦り過ぎるきらいがあるのがネットが成熟しだしてからの悲劇的な側面と言えるかもしれません。もしそれが性行為だったとしたらそういうのがもっと低年齢化してしまうのかと思うと戦慄が走りますね。

 ケータイを出会い系としてしか活用できなかったりする悲劇もそんな負の側面に収斂してしまうワケですな。


 性急に音を求めようとしてもムダなんですが、厳しい響きをどのようにして比較的簡単に耳に馴染ませるように聴くことができるだろうか!?という術くらいなら左近治でも教えるコトは可能かもしれません(笑)。


 チャーチ・モードって言ったって、要はドレミファソラシドを並び替えただけですよ。7音音階。でも階名7つあってもそれらのチャーチ・モードに当てはまらない音列なんて沢山あります。それに当てはまらない7つの音階を非チャーチ・モードと呼ぶワケですな。非チャーチ・モードもチャーチ・モードもひっくるめて7つの階名で収まる総称がヘプタトニックなワケですな。

 それだけでもう頭痛めてしまうようではいけません。エドモン・コステールなど著書では351種類の音階を披露しているワケですからね(笑)。スケール博士は一所懸命エドモン・コステールをネットで検索するのでありましょうか!?そんなコトはムダ足なのでタイトルをお教えしまひょ。「Lois et style des harnonies musicales」ですな。
 但し、それだって全てを網羅しているワケではないですからね(笑)。興味のある方だけが手にしてみてください。

 メロディックなマイナーも方角変えて弾いてみると世俗的なんですなー。和声的に紡ぐと、どういうマジカルめいたモノがあるのかと、そういう方面を語っていくコトになるんでしょうなー。