SSブログ

無窮動 -The Perpetuum Mobile- [楽理]

 2011年も残り後僅かとなりました。今年発売された新譜関連はというと、例年になく左近治は新譜の購入は少なかったのが今年でした。色んな方面の出費も重なっていたのだとは思いますが、近年新譜を購入するのは少なくなっているのは確かです。というよりも、発売されてすぐ買うというよりもゆっくり品定めする習慣がいつしか根付いてしまったのかもしれません(笑)。


 年が明ければ2011年の数少ない新譜関連からベスト10を発表しようと企ててはおりますが、今度はかなり偏りそうな気配がしますねー(笑)。とはいえ昨年の今頃だってスタンリー・カウエルの新譜の登場でランキングを塗り替えてしまった例もありますから、まだまだ2011年、気が抜けない所でございます(笑)。再発絡みでは意外とオイシイニュースが飛び込んで来ているんですけどね。話題は新譜ですからね、新譜。
 
 2012年のお楽しみな新譜はというと、2012年4月にニュー・アルバムを予定しているエリザベス・シェパードは大注目のひとつですね。私自身はコレにかなり注目しております。エリザベス・シェパードを超えるような新譜は出て来るのであろうか!?という基準で、もう来年を見据えている左近治であります(笑)。


 とりあえず本題に入りまして、ツイッターの方ではエドモン・コステールについて語るなどと呟いていた私でしたが、なにゆえ今エドモン・コステールなの!?と思われる方も多いと思うんですが、まあ知らない人の方が多いでしょうし、和声の変貌の著者として知られている事が多く、属二十三の和音まで視野を広げていただけるとコチラとしても助かるんですが(笑)、別にエドモン・コステールという人物について語ろうとしているワケではなくてですね、ハナシの持って来ドコロとして先ずは「題名のない音楽会」について語らなくてはならないんですな。2011年初春の頃まで遡ります。


 ツェッペリン、あるいはジミー・ペイジのファンならば知っている人の比率は高まるであろう民族楽器でハーディー・ガーディーっていうのがあります。私、ハーディー・ガーディーのサンプル音源は昔から探求していたりするんですが(笑)、いわゆる「絶滅危惧種」的扱いのレアな楽器なので、題名のない音楽会ではそれを取り上げて、さらには「世俗的な音」を用いて実演までしてくれちゃったワケですね。


 この「世俗的な音」ってぇのが実は今回の大きなポイントでして、「世俗的な音」というのは高貴な宗教音楽やらには組み込まれなかった音楽的語法でありまして、やがてそのような音を忌憚なく採用するになるのは、多くの楽曲の旋律が予期せぬ所への半音の導入を施すようになりながら、多くの人が曲に対して重心を取りやすい所を聴かせながらその特徴的な音を刷り込ませ、対位的な壮大アレンジの中に溶け込ますという技法に発展していくようになります。この辺りの扱いは当時のクラシック界において誰が発端なのだろうか!?という議論はありますが、代表的なのはリストとバルトークになるそうです。勿論彼らの時代よりも遥か以前に調性の外の音はふんだんに使われておりますけどね。その組んず解れつ感はやはりチト違うんです(笑)。


 で、とりあえず「題名のない音楽会」におけるハーディー・ガーディーの実演では途中に「わざと」世俗的な音を滑り込ませるんですよ。例えばラヴェルのボレロのように特定の「一発コード系」において色々旋法的に遊ぶような感じとでも言えばイメージしやすいでしょうか。Cメジャーで遊んでいたのにCミクソリディアンやCリディアンを弾いていけば、それぞの旋法での特性音が基の調からは外れる調域外の音なため「調子ッ外れ」的に聴こえるワケですね。私がケークリでリリースしている着メロ版の元祖天才バカボンBGM#2なんてまんまそんな感じなんですが(笑)。

ec55mix.jpg まあそうして元の調性から調子を外すかのように旋法的に扱ったとしても先ほどの取り扱いはまだまだ教会旋法(=チャーチ・モード)を扱ったワケですわ。では「ド レ ミ ファ ソ ラ シ ド」というフツーの長音階を次のような旋法にして弾いたとするとどうでしょう!?

「ド レ ミ ファ ソ ラ♭ シ♭ ド」

 Cミクソリディアンの第6音が半音下がっているようにも見えますし、色々考えてみると非チャーチ・モードだというのが判ります。さらに色々考えると、Fメロディック・マイナーからのモードだというのも判ります。


 こういう旋法を交えながら旋法的に「遊ぶ」と色んな彩りが出て来るワケですね。世俗的であったり、彩りを増すように。ラヴェルのボレロだって旋法を変化させているというのはお判りだと思いますが、旋法的な妙味とやらに今一度着目してみると非チャーチ・モードの音列にも様々な情緒があるワケです。


wolfram_ec55.jpg 先のFメロディック・マイナーの第5音のモードを敢えてWolframAlphaで検索させてみましょう。するとWolframではFメロディック・マイナーとは出てきません。古い楽典でのメロディック・マイナーの下行形の取り扱いに配慮しているのでありましょう。但し、真っ先に現れるスケール名には「おやっ!?」と感じるコトでしょう。


 その呼び名はおそらくエドモン・コステールの第55番目の旋法(混合長旋法)に配慮されている物だというコトが朧げながら推察に容易いのでありまして、何もメロディック・マイナーとして扱わずに、そこから生じるモードとして使えば元の音階の音形であるメロディック・マイナーの上行形と下行形など無関係に取り扱えるワケであり、結果的にこうした非チャーチ・モードのヘプタトニックの扱いって、古典的な世界であっても古くから存在して取り扱われていたのだということがあらためて判るワケなんですわ。

 つい先日、NHKで毎週放送されていた坂本龍一のスコラ~音楽の学校~においてチラッとクラシック音楽について語られておりましたが、世俗的な社会では色んな音楽的語法がありながらも、それとは別の世界では宗教と貴族社会による厳格なまでの様式の中に音楽があって、人々もまた信仰心というものがより強固であったために「秩序」を表現する律した事象を具現化する文化(=音楽)に対して疑念よりも先に信頼(信仰)から始まっているため、そうした厳格なまでのやり取りをごく普通に受け止める背景があったワケだというコトを語っておりました。

 つまるところ、ある厳格な様式においてはそれに遵守しなくてはならない。つまりそうした方面の音楽理論というのは勿論厳格な様式を作り出すために構築されているモノなので、結果的にそれらが厳格ではない拡大された音世界に社会秩序が向かう時新たな定義が必要となったワケですね。
 残念なことに、そうした拡大された新しい音世界を語る音楽理論関連の本は殆どが絶版なのが国内の現状でしょうか。悉く駆逐されているかのように(笑)。


 但し、拡大された音世界を皮相的に知ることは出来ても、それらを深く理解&咀嚼するには古典的な世界を知ることよりも遥かに難しいのでありまして、感覚が磨かれないとそうした世界の美しさを知ることができないのも事実なんですな。
 
 今年は結構「ペレアスの和声」について語っていましたが、そこにタイムリーなことにマイケル・フランクスがリリースした新譜「Time Together」収録の「Summer In New York」があったモノでした。ハイパーな音であっても、何気なく聴いていても特異な和声だと気付かせるコトなく溶け込ませていると思うんですね。あたかも「ペレアスっ!」みたいな使い方はしておりませんし(笑)。

 でも、その「Summer In New York」の使い方よりももっと以前にそういう和声を使っていた人が坂本龍一作曲の「Elastic Dummy」ですね。高橋ユキヒロの1stソロ・アルバム収録の。


 就中、音楽をより深く理解する人間ならば、ちょっとした音の変化には気付かないといけないと思いますし、そうした普段あまり遭遇することのないような響きを見付けてナンボだと思うワケですわ。


 だからといってペレアスの和声が終着点ではありませんし、今年はたまたまペレアスの話題が集中したようなモンですね。音楽の深い部分を語るならばまだまだこんなモンでは済みません(笑)。私自身まだまだ語ることが多いワケですからね(笑)。とはいえ振り返ってみるとコアな話題なだけあって、ブログ上で語るには同じような話題を2~3年継続していなくてはいけないデメリットもあるというのがチョット考えドコロですなぁ(笑)。


 あと、先のWolframの検索結果とか見るとナンタラとカンタラの混合云々みたいな呼び名を散見するコトができますが、こうした呼び名ってWolframではそれぞれのスケールの四度/五度の混合という風に音程関係に配慮したモノとなっているのも注目です。こうした合成された音階は特に珍しいモノではなく、バルトークのミクロコスモスでは頻繁に出てきます。今回のブログ記事タイトルも実はミクロコスモス135番に倣ったモノであります。



オススメの本:Mathematical Theory of Music / Franck Jedrzejewski