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インタープンクト [楽理]

9月から10月にかけて、ケークリの方で細々と曲をリリースしていたのでありますが、ブログの方では楽理ネタを熱く展開させていたつもりなので、手前味噌となる情報に関してはそっちのけになっておりました(笑)。


例えば、先月のリリースで顕著だったのはスコーピオンズの「カロンの渡し守」のジャズ・ロック風アレンジ(笑)。

私のイメージとしては、ジャン=リュック=ポンティがZETAのエレクトリック・ヴァイオリンにてメイン・リードを弾いているというイメージを持っているんですが、そもそも私がスコーピオンズの「カロンの渡し守」を生まれて初めて聴いた時の印象ってぇのが、いわゆるフリジアン・ドミナント(まあ、その後のインギーの世界に形容されるような)でギンギンのハードロック・サウンド!!なんていう風には全く聴こえず、自分自身の頭の中では完全にジャズ・ロック・サウンドに置換させながら聴こえて来たんですな(笑)。


その頃の私は渡辺香津美の「ユニコーン」のコード進行にも没頭している時だったので、妙にこうしたメランコリックな響きには食い付いていた当時だったので、そういう捻曲がった志向性を有していたため、スコーピオンズの楽曲であろうとも勝手に脳内で歪曲させていたイメージを作ってしまおうとしてリリースしたのが今回のモノだったんですな(笑)。


この手のコード進行というのは「V/VIb」という型が現れるので、和声を稼げばペレアスの体に発展させるコトも可能なんですな。そーゆーワケで私は今回のアレンジにペレアスをぶつけて来ているのはお判りになっていただけたかと思うんですが、いかがでありましょうか!?


バイトーナルなコードは極力和声の型として留めておいて、異なるふたつの旋法を対位的に用いるというコトはしておらず、今現在私のブログの方もそうした複数の異なる「旋法」を折り重ねる方では話題は出していないのでお判りだとは思うんですが、あまり耳にしない和声だとしても耳に馴染む筈だと思っているので私は敢えて「ぶつけて」みたワケです(笑)。


まあ、そうして10月に入りマイケル・フランクスの新譜から「Summer in New York」には勿論ペレアスが用いられておりますし、実は、バイトーナルな「毒」を僅かに2カ所鏤めているのをお気付きになっている方はなかなか鋭敏な耳をお持ちだと思います。この毒の鏤め方は、実はウォルター・ベッカーの「Door Number Two」のあの2拍の8分ブリッジと用法はほぼ一緒です。「Door Number Two」のブリッジ部に関して言えばバイトーナルというよりポリトーナルですけどね。


そんなバイトーナルな毒を鏤めつつも、秋とは思えぬ暖かさが続く今年の晩秋に目掛けて作ってみたいのは、宇宙戦艦ヤマトに出て来る「無限に広がる大宇宙」をリメイクしたモノをリリースしているというワケですな。

ベースが四分で動く所でコード・トーンの音域外の音を「旋法的」に奏でている箇所がありますが、これは昔からこうしてやっているコトでして、おかしくもなんともないモノです。コード・トーン以外の音、または経過的な短い音価である音を闇雲にコード・トーンとして建設するコトの無いように、そうした双方の面に注意しながら「ハイパーな」音世界の方面を見付けるコトが重要だと思われます。コード・トーンから外れていようとも調域外ではありません。コードからすればアヴォイドの方角の音を旋法的に用いるというワケです。


アヴォイド方角への音を忌憚なく旋法的に用いるには、旋法となる楽節そのものにメロディックな牽引力を持たせる必要性が出てきます。そうした「歌心」を備えているコトも必要だと言いたいワケであります。だからといって違いも判らずにアヴォイド・ノートを忌憚なく弾けってぇコトを言っているのではないので混同しないようにご理解いただきたいな、と。


こうした歌心を身に付けると、どのようにコード・トーンやモードから外れながらも「唄えるコトのできる音」というモノを導くことができるようになります。例えば短七度の音を内包する和声において「減八度」の音を使うとか。これは概ねルートとルートを半音下げた音を行ったり来たりさせるような楽節になるかと思いますが、その楽節の背景には短七度を包含する和声がアンサンブルとして形成されている、というコトが重要なポイントです。

そうした半音音程の行ったり来たりはそこから3度上のポイントでも同様に遊ぶコトができまして、「増九度と長三度」による半音の行き交いを長三度音を包含する和声を背景に行ったり、短三度を包含する和声において「減四度」を使ったりなど、「歌心」のオプションはこうした半音の行き交いから学ぶことで面白味が増すと思います。

そうした経験を耳や脳に会得させ、メロディと背景のアンサンブルの両方を強く意識しながら経過音的に使っていた「行き交い」を非常にテンポを遅めてみて覚えることも重要かもしれません。


よくある所のポピュラー界隈の「ブルーノート」で減五度の音と完全五度を「行き交う」フレージングなんて初心者でも知っている音ですよね!?そうした音と似た使い方なんだけれども、それを使う時、背景の和声を強く意識してね、と私は声高に語っているというコトをご理解いただきたいな、と(笑)。


但し、こればかりは経験がモノを言うので、耳が未熟な人にはどうしても不快な音の連続であるかもしれませんし、また、耳や脳がまだ成熟していない所に性急に理論面で頭デッカチになっても本当の意味で知ることはできませんので、その辺の割り切りは重要なポイントです。


半音階という音だって、もしかすると二つのホールトーン・スケールによるバイトーナルな世界として構築されている時だってあるかもしれない。異なる2つの全音音階のインター・プンクト(ファスナー状に互い違いに反行するもの)で形成されているのかもしれない。インター・プンクトの調域を超えた姿を同列で見ているだけかもしれません。

音には騙されることもある人間ですので、ただ単に単一的な調性の方角だけで判断してしまわないよう時には注意が必要でありますし、四全音を巧みに使い分けてそれをポリトーナルとして用いることで全音1つの半音10コという11ノート・スケールが現れる可能性すらありますが(笑)、ジョージ・ラッセルはポリトーナルな方かの説明はないものの、クロマティックに殆ど等しい11ノート・スケールを引っさげている根拠というものを我々はもう少し楽理面の造詣を深めながら深部を探らなくてはならないと思うワケですな。出来合いの理論を有り難く頂戴するだけではなく、組成そのものを探る下地が必要だというコトですわ。


Shikisaiscore.jpg前回のブログにおいても手前味噌&皮相的にバイトーナルを鏤めてみたモンですが、四度/五度で応答し合うエニグマティックとエオリアンは計算し尽くしてそれらの旋法を用いているのでありまして、各々が前回のようにただのスケール・ライクなモノではなく、もう少し凝った楽節で各々を絡めるともっと多様な世界として見えて来ると思います。長三度で応答し合うメロディック・マイナーだって面白いモンですし、いずれにしても四全音を含むバイトーナルな世界というのは「いつの間にか」半音階の総合とまでは言いませんが、かなり近付くコトになるんですね。


四全音をバイトーナルで考えるとそれぞれ5音をふたつの調域で持ち合うワケですが、11ノート・スケールはさらにここから1つ音が増えただけの世界なので、どこにもうひとつ加えるのか!?すなわち四全音を含むヘクサコード以上の音を持つ音を確定してあげれば自ずと作られるようになるワケです。


ホールトーンというものもスケールとして皮相的に扱うのではなく、2つの増三和音がスーパートニックの関係にある和音の混成として見ると多様にアプローチするコトが可能なように(増和音を短調のIIIb augとして置き換えてみる)、8音超~12音をバイトーナルとして見るともっと多様な世界を生み出すコトができると言いたいワケです。チェレプニン音階だって5種類のペンタトニックの総合なワケですからね。

最近私がチェレプニンのモードを導いたコトがありましたが、それはどういう出自となっているのかをもう一度おさらいしてみていただければな、と。それはそうと、前回のデモはあまりに安直ですが(笑)、極度に拒絶されてしまうような音にはなっていないと思いますので、またオルガン系の音を使っているという所がポイントですので、その辺を注意していただけると有り難いかな、と。

倍音が潤沢に含まれるアコピのような音ではなく倍音が比較的少ない音でやってあげた方が良い効果を生むため、ローズやオルガンを用いたりしているのがココの所私が気を付けてデモを作っているコトなので、軽さがある奇妙奇天烈なジングルとして皮相的に捉えてしまわないようご注意ください。なにはともあれ、シェーンベルクの和声法を片手にこうした世界観と和声観をじっくりと吟味して理解してほしいと思わんばかりであります。