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左近山峠 [楽理]

前回の記事は、当初のアップした翌日に再度記事内容と譜例を修正して補足説明をしているので、その後ご覧になっていない方は今一度ご確認をお願いします。前回の譜例の4小節目の最初のコードの所だったんですが、本来なら「Faug/G△」と表記すべき所を「A△/G△」としていたまま解説してしまっていたというワケです。無論サンプル曲と共にこうした表記と新たな譜例が正しいのではありますが、あながち「A△/G△」という表記が間違いでもなくてですね、上声部の「A△」の5th音を半音上げたという変化から生じることで得られるエニグマ・スケール(=謎の音階)をモードとするトーナリティーに近付くというコトを示唆する呼び込みであるという所を最大限に着目してほしいワケであります。


上下に長三和音を配置するハイブリッドなコード形式で九度違いとなっている所から上声部の5th音を半音上げることで、今度は7度違いとなる方向でエニグマ・スケールを示唆するという、通常なら非チャーチ・モードの世界の呼び込みなので結構縁遠く感じるかもしれませんが、実はこういう風にさりげなく呼び込むコトができるものだと語っているワケです。


非常に短い音価で、たまたま経過的にそうした変化音が生じるコトなどバロックの時代からも存在することではありますが(笑)、そうした僅かな経過音までをも「和声的に」支配された響きとして受け止める必要があると言っているワケではありません。そんな聴き方していたら身もココロも持たないでしょう(笑)。少なくともある音楽的なシーンで和声を与えようとする時のほんの少しの違いを際立たせているコトを声高に語っているというワケですので、その辺をうまく着目していただけると有難いです。私としては自分自身の確認作業の拙さが招いてしまったコトとはいえ、より重点的に語るコトができたと感じております(笑)。

まあそういう過去の話とは別に今度は非常に細かな音、すなわち微分音という音への欲求もさることながらソコは先ずグッとこらえて(笑)、通常の世界観からのハイブリッドな和声形式への世界にさりげなく飛び込むというような世界をもう少し語ってみようかと思います。




Turuhasi_et_Hamsand.jpg
今回用意したサンプルは全部で8小節ですが、2小節ごとのコード・チェンジなのでたった4つのコードしか使っておりません。トニック・メジャーとしてはAメジャーの体ですので譜例は省略された記譜となっておりますが調号でシャープを3つ与えているのは、そういうキーへの配慮からですね。まあサンプルを一度聴いていただければおそらくは殆どの方はAメジャーがトニックであろうと想起していただけるとは思うんですが、念の為に語っておくこととしました。率直な所今回のデモはペレアスの和声をもう少しポップな感じで導入したようなモノとして捉えていただけると有難いのでありますが、まあ小難しく捉えてほしくはないというキモチなんですよ(笑)。ドビュッシーのそれが「ペレアスとメリザンド」であれば、今回の私のサンプルは、いつも汗かきベソかき左近治のガテンな体をイジメ抜いている様に相応しい「ツルハシとハムサンド」という曲名にしてサンプルをお聴きになっていただければな、と(笑)。


早速デモの「ツルハシとハムサンド」の解説を始めますが、1~2小節目の「G△/A△」は便宜的なコード表記にすれば「A7(9,11)」と同じです。まあこういう表記については過去にも散々語っておりますので、今更語るのは無粋なのでやめておきますが、そういうこってす(笑)。但し、今回のような「上下」異なるハイブリッドな世界観を「より強調」するためにこういう分数表記はとても配慮されたモノだと私は自画自賛するワケですな(笑)。

その理由に、例えば上声部の「G△」という型が、次はどのような方へ行くのか!?というコトをハイブリッドなカタチとして表記を継続すると、その後の流れが判りやすいかと思います。音楽によっては上声部のG△がペダルになることもあれば、メジャーの体を保ちつつも平行にアチコチ動いたりと(概ねこっちの方が多いでしょう)、そういう「移ろい」をより強調することで今回の意図を掴んでいただければな、と思う事しきりであります。


で、そうこうするといつの間にか3~4小節目ではオーギュメンテッド・メジャー7thのセカンド・ベースのカタチが来るワケですよ(笑)。チョット前にもチラッと語ったことがありましたが、オーギュメンテッド・メジャー7thの体というのは短調における「IIIb aug△7」のカタチとして何百年も前から使われて来ている和声形式でもあるんですな。つまり、平行短調「側」の世界においてソチラの属七の体(C#7)を用いなくとも短調の感じを強調できる形式として重宝されているタイプであるワケですね。

一般的に現在ではこの短調側で生じる「IIIb aug」を「IIIb aug△7/IV」というカタチ、すなわち今回の表記同様のオーギュメンテッド・メジャー7thのセカンド・ベースのカタチとして用いる事で平行短調の世界観をより強調するような音として使うコトができるワケですが、平行長調からすぐにコチラの世界へ移ったからといって平行短調の響きが強くなるようには響かないと思います(笑)。

ある意味では属七の体を忌避したカタチで、こうした短調が主音への導音を得るために生じた変化音を常に維持してモード・スケールを変えたコトで世界観が変わる、そうしたコトでドミナントを避けながらも変化した方の響きを重んじるというのは和声が体系化されるずっと以前からこうして扱われていた語法であるのでしょう。それを手軽に今日使えるのも和声というカタチの体系化が進んでいるからでもありますが、時として左近治の場合はその体系化のカタチから逸脱するコトが往々にしてあるぞ、というコトを述べているワケですな(笑)。


まあこうして5~6小節目では性懲りも無くペレアスの体へと動きます(笑)。こういう半音違いの世界はどことなく音の収斂・輻輳という様を楽しんでいるようでして、最後に7~8小節目には下声部に短三和音が来るドゥアモルの和声へと動くワケです。

ドゥアモルの和声というのは、上下のトライアドの各構成音が半音違いになっているワケで結果的にはオーギュメンテッド・スケールを生じさせるコトもできる和声でありますが、私はドゥアモルの和声というのは必ずしも下声部に短三和音が来るモノばかりがその型ではない、と思っております。ただし、このドゥアモルの和声というのは下声部に短三和音を生じさせることで上声部と短九度を生じさせる。そうすることで、先の「収斂・輻輳」という世界観から音が剥離して行くような世界観を演出できると思うんですな。で、過去にも述べておりますが、ドゥアモルの和声が結果的にオーギュメンテッド・スケールを導くというコトは、半音違いの増三和音のハイブリッド形式をも生じさせるコトにも等しくなります(扱いはそれぞれ違います)。

ココでの例だと、上声部をF△ではなくFaugとした場合、下声部はC#mではなく「Eaug」と変化する、という意味に等しいというコトです。

ドゥアモルの和声と半音違いの増三和音、これらは垂直レベルで見れば和声の構成音としては変わりないかもしれませんが、そこに(上声部と下声部それぞれの)見出しているモノは全く異なるのはお判りですね。仮に「F△/C#m」というコードから「Eaug/Faug」という風に「進行」させたとしましょうか。構成音は奇しくも同じなのに「進行」とわざわざ語っている意図はソコにあります。上声部だけで見ても「F△ -> Eaug」という意味深げなメリハリを生じていますし、上声部と下声部の前後にタスキがけのようなメリハリも生じているのはお判りですね。


和声を垂直的レベルで見ればこそ同一の音であっても、実はこういうメリハリを付けることのできるという点がハイブリッドな形式のメリットなワケですな。無論、オルタード・テンションを沢山生じたジャズ的語法のそれも、コード表記が煩雑化するのを避けて「おそらくはこうするだろう」というコトを見越して「alt」表記で逃げるコトもあります。しかしこれこそがジャズの落ちぶれてしまった体系化の象徴的なシーンのひとつでもありまして、和声的な体系化によって伴奏を大雑把にして「逃げて」しまっている例だと思うんです。無論「alt」表記というのは便宜的なモノであってどこどこの特別な音に対してのみ作用するという表記法ではなく、あくまでも「フツーの音感持ってりゃ、こういう風に変化してくれるだろ」みたいな、「弾き手の良心に胡座をかいた」表記と言えるかもしれません(笑)。

まあよく居るじゃないですか。どっかの小売店とかで、「こんなに安月給なのに、きちんと接客して欲しかったら私に辛く当たらないで!」みたいな(笑)、一体どっちにプライオリティーがあるのか逆転してしまっている現象って、今至る所で目にします。そんな小売店の安っぽいふざけたモラルと音楽シーンの弾き手の自由度に胡座をかいたalt表記という体系化が招いた悲劇というのはとても似ていると私は感じます(笑)。故に、マニュアル化が招いた接客や体系化された音楽的語法というのは結果的に崩壊するのだぞ、と言いたいワケですな(笑)。もう一度紐解いてシンプルに見てみるととても奥深く、知るコトによって得られるモノが大きいのに、苦労を買ってでもせずに皮相的な理解だけでその場しのぎをするモンだから身に付くコトはない、と。大学の卒論とてネットからコピーみたいになっているのを嘆く現在ですからね。

色んな和声を聴かせても、そこから「横軸」として生じさせるであろう旋法的な動きというのは、ボキャブラリーが少なければチャーチ・モードの域を超えた旋法的な語法などなかなか表れるコトはありませんし、仮にそこでボキャブラリーとして皮相的に覚えてもなかなか使えないのが現状ではないかと思うんですよ。ミラー・モードとかテーマを与えてもアイオニアンに無理矢理フリジアン当てはめようとする愚か者がいるくらいですから、鏡像形の世界を教えるだけでも一苦労なのが現実です(笑)。笑い者にされてしまった人にしてみればこんな例をネットで検索して見付けた日にゃあ、それこそ私は恨まれてしまうのかもしれませんが、ハッキリ言います。自身の無理解に嘆き、ソコを恨み、悔やんでほしい、と。そういうコトを何度も繰り返すことが大事だと私は思うワケですな。自分自身ってカワイイですからなかなかてめえをシゴくコトなど難しいモンですよ。でもココで楽を覚えても何一つイイことなど無いんですわ。


まあ、今回のこうしたドゥアモルの和声における「メリハリ」を強調しているのも、実は前回のブログで改めて補足したコトと繋がるコトでもあるんです。

そのメリハリとは時として同一コードの機能が及んでいる楽節内やら小節内というミクロなレベルから、もっと大きなそれこそ曲の冒頭とサビの終盤とか、そういう前後のメリハリのコトを総じて述べているワケでして、例えば鏡像関係についても私が述べていることの多くは殆どはひとつの和声から見た鏡像関係として取り上げておりますが、以前に少し例を挙げたペレアスの和声が包含しているマイナー・メジャー9thのコトについて語っている時に黛敏郎の「NNNニュースのテーマ」を例に挙げたコトがありましたが覚えていらっしゃいますでしょうか?

黛敏郎の「NNNニュースのテーマ」については、上声部側に鏡像音程、下声部側に更なる根音バスの追究として求めた「両端の音」を、それぞれ紙テープの両端だと思っていただける有難いんですが、その両端をテープで止めて「輪っか」を作るようにして世界を連結するような和声的世界を感じ取る事ができる、と私は述べたかったワケですね。こういう風に当時の記事の内容をご理解いただいていると助かるんですが、おそらくこういう風に伝わっている方は、私の述べようとしていることを完全に掌握しているような方ではない限り無理なのかもしれません(笑)。少なくとも他人の戯れ言というのはなかなか自分自身の尺度の置き換えて判断する事の難しさを改めて感じていただきながら気を付けてお読みいただけると大変有難いと思うワケです。


ですので、メリハリを語るにしてもその都度生じている各々の和声内でのメリハリやら前後の和声との関係について今回は注目していたワケでありまして、だからといってもっと大きなメリハリを念頭に置いた上でハイパーな音楽観を語っているコトも念頭に置いていただきたいと念押ししているのであります(笑)。故に、当初例に出していた黛敏郎の世界観というのは私にとってとても都合の良い曲の例だったワケなので取り上げたワケであります。

いずれにしてもハイパーな和声観とやらが下方倍音列で生じる音並びや鏡像音程を包含している和声構造、また、半音階の世界に寄り添っているにも関わらず属二十三の和音は半音下の属和音をも包含しているという興味深い事実など。こうした音の色彩のマジックめいたモノが実際の世界にはどう影響を及ぼしているのか!?という事を語れればイイかな、と思っているワケですね。ところがこういう「色彩」は耳が肥えないと正直気にも留めるどころか習熟の浅い人なら忌み嫌う人が殆どだと思うんですよ(笑)。ビールが苦いからと言って砂糖入れませんよね(笑)。ビールが苦手だとワインに行きますか!?で、ワインに接する事が多くなると途端にワイン通気取りだしたりするワケですよ。音楽でもこういう状況なのが殆どでしょ。ワイン・セラー買うのが悪いって言ってるワケじゃないんですよ(笑)。ソムリエじゃないんだから皮相的なクセして音楽語った所で大半は説得力に欠けるワケだから、少しは箔付けてみてーなー、ってのが左近治のスタンスなのでありまして、その辺誤解されぬようご理解お願いいたしますね、と。


まあ、ついつい細かいコトを語るのが左近治の悪いクセなのでありまして、どうせ細かいコトなら微分音もたまには語ってみるのも良かろうか?!などと企てておりまして、実は。