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テレビCMのチカラ [テレビ関連]

先の震災から早いものでもう2週間以上が経過しました。被災されなかった人でも通勤・通学やら普段の生活に支障を来した方は多いのではないかと思いまして、私の周囲にも普段歩き慣れない人が電車にも乗れずにタクシーもつかまえられず疲弊しきっていた方もおりました。こういう時期ですので言葉を選びつつ語らなくてはいけない左近治ブログなのでありますが、普段から斜に構えたスタンスであるが故に、こういう時期となると一層の配慮が必要となりますのでついつい更新が遅くなってしまうのであります。



今回のブログ記事タイトルを見ていただければソレとなくお判りになるでしょうが、「こんな時にテレビの話題かよ!?」なんて思われてしまう方もいらっしゃるかもしれませんが、原発の事故を除けば誰が悪いなどと言っていられないこういう時期に、公序良俗に反しているモノでなければイチイチ他人の行動あげつらって感情的になられてしまう方を相手にするのもどうかと思いますので、その辺も考慮しつつ言葉を選びつつも語って行こうかなと思います。


停電やら日用品などの買い占め物流の遅延による不利益を被っている方々も多いとは思いますが、衣食住が確保され、ある程度の生活を確保できるとなると被災に遭遇された方と比べれば雲泥の差です。言葉を選びつつもなんだかんだ言って時間しのぎにカタストロフィに心を興奮させてテレビ観ている方も実際には多いのではないかと思います。スーパーに列を作る主婦の買い物の中の菓子類を見れば、まあ食生活に困っているワケではなさそうな人達が結構多いように感じたモノでありますが、別にこの人達に口うるさいコトを言いたいワケでもありませんので、その辺は誤解をしていただきたくない所ですな。


まあ、なんだかんだでテレビを視聴する平和は確保されていたワケですが、震災直後からのacによるCMの連発は多くの人があらためて痛感したのではないでしょうか。CMの影響力というヤツですね。


左近治自身Kクリ始めて長いモンですが、当初はTVコンテンツにかなり注力していたため可能な限り多くのTVチャンネルをレコーダーに録画していたのは今に始まったコトではありません(笑)。着うたにシフトするようになってからは昔ほどTVコンテンツを録画することは少なくなりましたが、なんだかんだ言ってビデオデッキのそれとは違うソレに恩恵をあらためて痛感していたモノでありまして、CMというものも中にはロングランのモノがありますが、2、3年程度では気付かないCMとしてのコンテンツの良さというものは昔から感じ取っていた所がありましてですね(笑)、それこそ番組本編等関係なく気に入ったCMを録画していたりすることもある左近治でありまして(笑)、私にとってCMカットというのは無縁なんですな。


普段私はCMそのものをある程度意識していたりするものですが、そんなコトには無縁の私の周囲の多くの人達は「いやぁー、acのCMすげーな!」とか話題になること多かったですよ(笑)。こんだけ多く流れるとアタマにこびりつく!とか(笑)。


「ぽぽぽぽ~ん!」が印象的なあのCMはいわゆるシャッフルの3拍子(もしくは9/8拍子)で、「魔法のことばで」の部分は平滑化された8分音符(もしくは2連符)の4拍子に変化させる所が実に涙ぐましいワケですな(笑)。なかなか気の利いたビート・チェンジなワケですね(笑)。

そうそう、「ありがとウサギ!」は結構ローカル・ブームになっておりますが、新たな友達作りには貢献していないようです(笑)。私の場合はなぜか大山のぶ代のドラえもん風の声にして喋ってしまいますが(笑)。



まあ、そんなこんなで冒頭はCMの話題にしたかったワケなんですけど、別にacのCMのコトについて語りたいのではなくてですね、今回はダイハツのCMに目を向けてもらいたいんですよ。ウエンツ君と西山茉希ちゃんの出ているヤツで、ウエンツ君がチャック開けっぱのヤツですわ。

あのCMって、いわゆるピアノの鍵盤でガツーン!とクラスターで攻める効果的な音の代名詞なワケですが、まあ心理的な意味で衝撃を受けるようなシーンの代表的な効果音なワケですね。だからといって多くのシーンで耳にするピアノのクラスターって必ずしもあの音と同じヴォイシングで奏でられているワケではありません(笑)。

ダイハツのCMの場合、まだまだ「ハーモニック」に鳴っている方でして(笑)、結構情感感じるコトができると思うんですな。それこそ左近治が先の例に挙げた謎の音階の全音階的総和音と比較して聴いても全く趣きが異なる音の群れ、という風に誰しもが聴こえてくれると思うワケです。


こうして考えると、耳コピの能力の優劣抜きにしても多くの人々はクラスターにおいても意外にも敏感に感じ取っている筈でして、その音の集合体がたまたまいつもとは違う非日常的な「型に収まっていないタイプ」であるからそれほど頓着せずに「変な音」みたいに選別して多くを探ろうとはせずに聴いてはいるものの、実は皮相的な部分ではきちんと感じ取っているのだというコトがあらためて判る例だと思います。


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ノーザン・ライツの和声だって、これを弾いてみればダイハツのCMのそれとも全く異なる雰囲気を感じ取ることはできるでしょうし、こういう音の集合体であってもきちんと計算されて和声であるというコトを知っていただきたいんですな。

半音階12音の内11音を使ったノーザン・ライツであろうとも、音の逃げ場としての開口部を作るためにわざと11音にしている技法とは違って、11音を使った色彩的な和声だというコトがお判りになるかと思いますが、実際の作者の意図はどうであるかは私には不明です(笑)。


光の三原色と色の三原色が違うのはご存知かと思いますが、それらが異なる長音階のペアだと例えることができるのであれば、ペレアスの和声ってある意味ではそれらの三原色を交えて白や黒を得るモノに似ているのかもしれません。

子供ってぇは特に男の子だと、勝ち誇ろうとする意欲があるためか色鉛筆の色の数競っちゃったりとか、そーゆー方面に走っちゃいかねません。喜ぶからといって沢山の何十色もの色鉛筆やクレヨンに目を輝かせ、結局手にしちゃっているのが蛍光色のヤツだったりして(笑)、それを見た親が

「あー、コイツやっぱり所詮オレの子だわ。この色選ぶよーじゃ画才あるワケねーわな」

みたいに感じ取れてしまうコトっていくらでもあると思います(笑)。


音楽においても似たようなコトってありまして、色鉛筆の数が重要なのではないんですな。数なんか少なくともそこから得られる多様な聴かせ方で彩られている楽曲をどれだけ早い内に興味を抱かせるかで、その後の子供の耳の習熟度は全然違うワケですよ。だから、音楽において幾つものスケール(音階)の名前を一所懸命メモったりして蓄積しても無意味です(笑)。スケールの名前を覚える必要は無くその音ひとつひとつの役割や成り立ちをきちんと理解しているコトが重要なんですよ。ですからナンタラ・スケールやら○○スケールだの、そんな音階に名付けられた名称を覚えるコトが最重要なワケではないのでありますよ。無論、共通の話題としてスムーズに会話が成立する程度の知識として備えておく事くらいは最低限あった方がイイかと思いますがスケール博士みたいな皮相的な連中には少なくともなっていただきたくはないと言いますか(笑)、そういう楽音の聴き方程度にはなってほしくはないな、と思う事しきりでございます、ハイ(笑)。


ま、ひとつ言いたいコトとして共通するコトはですね、私がジャズであろうがクラシックであろうがプログレであろうがクロスオーバーであろうが、それらを引き合いに出すことでジャンルの垣根など無関係に取っ払って楽理面を追究するコトで、音楽の素晴らしさを再認識することができればそれでひとまずは十分なのではないかと思っているワケですな。良い作品にジャンルや人物のバックボーンとかそういうのはとりあえず無関係に、楽音のみを集中して聴くとでも言いますか、そういう追究を楽しめればよろしいのではないかと思うワケでして、そんな面白さを追究していくのでありますな。