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8つ目の「階名」 (3) [楽理]

前回の答ですか!?

ポピュラーな世界の和声ってなぜ13度の表記が最大限だのだろうかというコトへの疑問ですね。


答は23度まで扱えますよ。


こうした、左近治のブログの中で「とても気になる語句」を散見するコトとなったら、ソコに注視してくれればイイのです。そのギモンに対して純朴にギモンを抱いていただければ、私のブログを継続して読まれていらっしゃればいずれは腑に落ちますので、その辺長い目で見ていただけると有難いのでありますな(笑)。


ペレアスの和声というのをもう少し別な方角からアプローチしているのは、私がその手の和声を耳にしたのは高橋幸宏の「Elastic Dummy」(※坂本龍一作曲)とブレッカー・ブラザースの「A Creature of Many Faces」(※ランディ・ブレッカー作曲)辺りになるでしょうか。


まあ和声が23度まで取り扱えるコトがどうであろうと、それはいずれ明らかにしていきますが、いずれにしても12音という音全てを垂直レベルのひとつの和声として見立てるのは、三度の幾多もの重畳もしくは完全四度音程の11個の累積のいずれかになるワケでして、完全四度音程累積の方ではこれまたユレが提唱していた和声なのでありますな。

23度まで取り扱うこの和声は何を隠そうエドモン・コステールが取り扱うワケでありますが、いずれにしてもこの手の「高次な」部分の方角にきちんと目と耳を向けていただくと、これまで取り扱ってきた「低次な」方の音楽で生じていた疑問とやらをいともカンタンに払拭できる位になるのではないかと思っておりますが、殆どの人というのはこのような「低次な」世界の靄から出ることが出来ずにもがいてしまっているようなモンなんですな。そこから一所懸命難しい音分析しても曖昧にしか理解できぬのに(笑)。ところがこういう世界を知るとひとたび知ると、それまで「アウトサイド」だとカンタンに片付けてしまって特定アーティストの個性としてしか理解していないような音をも大きく包含してしまうほど大きな世界観を制御できるというコトに気付くコトができると思います。


では、そういう方面はなぜあまり語られないのか!?


ここまで辿り着いている人が少ないから語るのも面倒臭いんでしょう(笑)。また、音楽的な説明というのは器楽的な方面とは別の、言葉の方の咀嚼と説明が巧い人が説明しないと本当の伝えたいコトがなかなか伝わらない事があって、五線譜から皆誰もが情感を感じ取ってくれれば一番イイでしょうが、五線譜のコミュニケーションをマイノリティーだのと片付けてしまいかねない輩も居るワケです(笑)。そいつらの言い訳は五線譜を判らない人間にも伝わるように伝えてみろ、と言う筈なんです(笑)。

Pelleas_Melisande.jpg
大概の人はその時点で説明したくなるので、わざわざ高次な音楽の聴き方を指南するようなコトまでしなくとも、そこまで辿り着いたモノだけの喜びにとどめておいた方がよっぽどよかろう、という風に解釈されて今まで来ているのかもしれません(笑)。ただ、音楽というものが無秩序に制作レベルにおいても、殆ど無能な人ですらも「ある程度」のモノを作れるようになってしまっている現在、ポピュラー音楽としての在り方も体系化してしまっている以上、本当の高次な音楽を曲解されたままではマズイだろうな、という思いもあって、ホントは面倒臭いこういうシーンを語っているのが左近治であると思っていただければコレ幸いでございます(笑)。

ま、難しいコト抜きにして肩の力抜いて楽理的な話題を提供出来ればイイのではないかと思っているのでありまして、「んんっ!? 左近治の宣うこのコトバ、ミョーに気になるッ!」ってな感情を抱いていただければ継続してお読みいただければいつしか答を得るコトができますよ、というスタンスなのが私なので、その辺ご容赦願いたいな、と(笑)。