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8つ目の「階名」 [楽理]

皆等しく「ド レ ミ ファ ソ ラ シ ド」は知っておりますね。学力相当アヤシイ人でも健常者なら間違いなく身に付けている「感覚」でありましょう。


階名は7つ。2つの半音と5つの全音を使って12個の音から抜粋された音並び。多くの人はこの「配列」を好むワケであります。

「こんな当たり前のコト、今更語る必要ねーだろ」

と思われる方もいらっしゃるでありましょうが、或る意味私は次のように問いたいワケですな。

「音楽理論においてもハイパーな世界観を語る所なんて、きちんと金出せばその手の理論書は絶版にもなっておらず目に触れるコトができるのにわざわざ左近治のブログ見る必要無いでしょう」とね(笑)。


どこの馬の骨かも判らないようなのが胡散臭いシーンの世界観一所懸命語ってるぜ、みたいに嘲笑されても構わないんですが、音楽をやる上でこのようなチョット特殊な世界観とやらに何らかのヒントを得て辿り着いた人もいらっしゃるでしょう。大事なのはその数少ないであろうという世界観を語っている事への興味や動機。こればかりはきちんと重要視してその後の正否をきちんと学んでいただきたいと思うばかりであります。

あまり一般的ではない「超」が付くほどのマイナーな世界観を嗜好する事をマイノリティーと形容するコトがありますが、一般的な市民権を獲得しているようなポピュラーなモノではないために好意的には理解してもらえないこのような世界観を、自身の感覚では理解できない事は蔑ろにして、理解し難いモノを忌避して排除してしまおうとする動きというのはどんな世界にも存在します。異端な物事というのは何時の時代でもそんなモンです(笑)。絵画だって音楽だって、保守的というポジションを超越して、それこそ「封建的」とも呼べる時代だって既に存在していた事でありましょう。

一般的な大多数という「潮流」は、それ自体大した価値が無くとも時としてパワーを得てしまう所があります。その「見極め」に必要とされる感覚が脆弱な場合、人はついつい大きな潮流に乗ろうとしてしまいます。常に少数意見やら人と違う事を志向するコトが良しとする事ばかりではありませんが、ある一定の音楽的教養を有してきて、その延長に左近治のような世界観を語っている所に辿り着いた方にはとりわけそのキッカケを大事にしてもらいたいと思わんばかりであります。少なくとも左近治は間違ったコトだけは述べませんので、大きな潮流に飲まれて埋没することが無いように、ひいてはそこで得た興味や探究心を大事にしていってほしいと思わんばかりです。


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でまあ、「階名」とやらにハナシを戻しながら語るとですね、ココには興味深い事を話題にするコトが出来るんですが、今から1000年も前に時の音楽家達は「八つ目の階名」とも呼ぶに等しい世界観を既に有していて、それを本当に導入しようとしていた事があったんですな。それはどういう事かと言うと!? (つづく)