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抃悦を科学する [プログレ]

柳原可奈子の表現というのは実に的確に表現しているモノでして、いわゆるギャル系の独特の手を打って喜ぶ様とやらが真に喜んでいるものかどうかも疑わしく思える動作が実に的確なのでありますな(笑)。


通常、手を打って喜ぶコトを「抃悦」(=べんえつ)と言います。では、なにゆえ我々は喜ぶ際、我々は手を打つコトが多いのか!?チンパンジーのパン君だって表情は人間のそれとは違っても手を打っているコトがあるようにも思える時があるモンです(笑)。


まーたプログレ系ネタになってしまって申し訳ございませんが、先日の「プログレ三昧」において実演された、アルバム版「クリムゾン・キングの宮殿」の完全再現生ライヴ(byアルタード・ステイツ)というのもありましたね。曲間やら息づかいまでも再現しようとするのは熱意の表れだからこそであります。世の中にはプログレだけではなくドレッド・ツェッペリンのようなバンドだってありますし、嗜好の度を強めると人間というのはここまで究極を求めるようになるんですな(笑)。


で、ココが重要なんですが、究極を追究する側だけが知り得るのではなく、好きな者であれば誰もがそれを感じ取っているという共通認識があるというコト。ここには器楽的な熟練度とかも全く関係なく感じ取っているはずなのに、人間とは不思議なモノで不得手な状況下で手順通りに学んでいると本来感じ取っていた繊細な部分をデフォルメして葬り去ってしまうような所があるんですな。きちんと情報として感じ取っていたはずなのに、正当な教育を受けてしまうとその感覚を失うとばかりに誤解してしまって、正当教育を否定してしまう反体制的になってしまう愚かな人たちはどんな世界にも存在するモノです。


脳神経レベルで言えば、きちんと認識していたはずなのに「根拠」のある条件で回路を結びつけることができなかったんでしょうな。その過程において自転車を乗る訓練をしていたら巧く乗れないのでそのまま放置してしまったというようなモンでしょうか。そんなトラウマを忘れ去りたいがあまりにトルエンやシンナーに手を出してしまう人間も存在しますが(笑)、この手のケミカルなモノって大脳辺縁系に色濃く作用するモノなんですが、この「通常とは違う」意識の変質というものが「Altered States」と呼ばれる状態にあるワケで、先の「プログレ三昧」でのバンド名もおそらくはこうした精神世界からの由来だと思われるワケですな(笑)。


変成意識というものは不思議なモノで、所謂爬虫類脳と呼ばれる古い層、例えば視床下部やら視床腹側部の経路との強固な結び付きをさらに強めるとも言われておりまして、また「爬虫類脳」というのはこれまたそれが古い層であるため馬鹿にした表現として用いられやすいのですが、実際には芸術方面ではこの爬虫類脳こそが重要なポイントでもあって個性を生む重要な部分だとも言われているワケですな。スタニスラフ・グロフなど実に興味深いコトを述べていたりするモンですが、原点回帰やら胎内回帰やらと表現されるその言葉も、まんざら単なる表現の一つではなく人間の性差としても現れる重要なステップを出産時の経験で得ていると述べている所が実に興味深いのでありますよ。自然分娩と帝王切開の違いで生まれてきた赤ん坊はその後どのような差異を持つのかは定かではありませんが(笑)。


まあ、こんな小難しいハナシは扨て置いても、一部のプログレ・ファンはNHK-FMの「プログレ三昧」という番組を通して、プログレを満喫したのであります。そこに器楽的な心得の熟練度やら耳の習熟度は無関係。喜びを共感すればなお楽しい。そういう状況にあったワケであります。

人は簡単で素朴なメロディーから音楽を意識するようになり、いつしか難しい旋律を拒絶したり一方では複雑怪奇な旋律を求めたりする者も現れる。結果的に迂回しながらも難しい世界に辿り着く者も居る。不思議なモンですね。最初から「音」は等しく誰にも同様に鳴っていたであろうに。しかも「等しい音」であっても人によってはその感じ方すらも違うワケですな。

たかだか電波になにゆえ情報を乗せるコトができるのか!?という疑問など全く無関係に、送り届けられた情報を素直に抃悦という形になって表れたという状況が従来にはなかなか見受けるコトができなかったコトでありまして、我々はプログレを難しく考えすぎようと過剰な演出を課しながら聴いていただけなのかもしれません(笑)。

そうやって肩の力を抜いて考えると、小難しく聴こえるフレーズも簡単に耳に溶け込むような、そういうイメージであらゆる音楽に触れてほしいと思わんばかりでありまして、プログレという音楽ジャンルに限らず、音楽という芸術性を嗜むというコトがどのような仕組みで嗜好されたりするものなのか!?という側面を考えるだけでも、より一層興味がわくというワケであります。