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プログレ三昧 [プログレ]

2010年8月8日にNHK-FMで放送された、半日以上に及ぶ時間を割いてプログレについて談義する「プログレ三昧」という番組。私自身全編に拝聴できなかったものの、その一部でも聴くことができたことに嬉しく思います。先ずこれだけは言っておかなくてはなりません。NHKさんありがとう。それと、プログレを愛してやまない方々のご協力と熱意に感謝する次第です。


放送中、どこかで誰かが耳にしているであろうプログレ・ファン。声を届けているのはラジオ出演者ではあるものの、数々のリクエストに対して的確なコメントを添える出演者の思慮深い言葉に、目に見えぬ聴取者は間違いなく日本のあちこちでそのシンパシーを感じ取っていたに違いありません。シンパシーとやらが目に見えるかのように脈動・拍動・呼吸という具合に息吹を感じたのは、少なくともラジオというメディアでは初めて感じることが出来ました。


お昼から放送が始まって、当初私は所用もあって車中で聴き始めたプログレ三昧。しかも、あまりにもベタな所は選曲せずに「お〜、コレ拾ってくるか!」みたいに聴いていた左近治。


まあ、そうして日課となっている私の散策は午後3時になってから。まあ概ね2時間くらい近くの公園まで足運んでカラダ動かしてきましょうかね、というワケで、久々に取り出したカード型タイプの携帯ラジオと、それ用の電池を近くのコンビニで購入し公園に足を運ぶコトに。


私、ラジオというメディアをここ四半世紀ほど忘却の彼方に葬っていた感さえ否めません。携帯ラジオを所有していたとはいえコレ、アトランタ五輪の時にどうしてもリアルタイムで日本とブラジルの試合を見れずに居た左近治がどうにかして情報を得ようと考えだした当時のアイデアが、携帯ラジオを手に入れるコト。つまり、アレから14年経過しているワケでそれ以来このラジオを使うコトはありませんでした(笑)。


左近治がラジオに夢中になっていた頃というのは少なくともAMラジオならばタモリのオールナイト・ニッポンまで遡らざるを得ません(笑)。初代ウォークマンが出た頃くらいまで時代は遡るワケですわ(笑)。そうしてFM放送はエアチェック。チューナーはケンウッド製のバラコン。7素子ほどのFMアンテナ立てて7C-2Vのケーブル引っ張って受信。コレ全部一人で作業しないと気が済まない左近治でしたからね。中には電気工事の資格者でなければ法律違反となってしまうような行程があったかもしれません(笑)。

まあそれでもFMエアチェックにご執心だったのは1983年くらいまででしたでしょうか。その後はFM放送を聴く機会は徐々に減っていったモノでして、皮肉なモノですがFM横浜が開局した辺りから反比例するかのようにFM放送を聴く機会は激減したと思います。FM放送というモノの魅力うんぬんではなく私自身の社会的な営みの変化が齎したモノであるのでしょうが。


そうしてプログレ三昧を聴きながら近くの公園まで体を動かすことに。家に帰ってくる時には大体10km位は体動かすコトになっている計算。まあその時間内に一体何曲かかるのか!?みたいな所に私の興味はありました(笑)。

そしたら公園を出る時の午後4時半過ぎに来ました。「Mumps」が(笑)。まさかラジオでフル尺で聴けるとは思いもよりませんでした。カンタベリー系にあってもハットフィールド&ザ・ノースというのは「奇跡的」な名バンドと形容されるモノでもありまして、その彼らの「Mumps」ですから言うコトありません(笑)。Mumps無しのカンタベリー系など出汁も具も無い味噌汁みたいなモンですわ(笑)。


私のiPodには4ツ星と5ツ星の両方を足したプレイリストがあるんですが、4ツ星+5ツ星で983曲あるんですね、今確認してみたら。

で、そのプレイリストの表示は再生回数の多い順で表示されるようにしているんですが、「Mumps」ってそのプレイリストの第2位なんですな(笑)。iPodをお持ちの方ならお判りになると思うんですが、再生回数ってきちんと聴き終わらないと回数にカウントされねーワケですな。しかも「Mumps」という20分超の曲が2位に付けているというのは、私のiPodは一体どれだけ「Mumps」を掛けてきたのかというコトが自ずとお判りになるとは思うんですが、まあ「Mumps」が掛かった時はとても嬉しいものでした。

また「Mumps」というのはどことなくその人の生き様を投影しているような(しかもポジティヴに)曲の雰囲気やら構成になっているように思えまして、左近治自身が経験してきたこれまでの苦労やら充実感など、それらが全て凝縮されたものというモノを一挙に表現しようとも不可能なワケでありますな。この世に生を受けてまだまだ生きていかなくてはならない、そこには苦労だけでなく楽しみも勿論あるワケですが、それらが全てストレスになっているのかというとそうでもありません。とはいえ「ここまで辿り着いた」という達成感と充実した倦怠感というようなモノは備えているかもしれませんが、それを赤裸々に普段から第三者に語ろうとは思いませんし、ましてや家族の前ならそういう自分の姿を隠して自分の背中を子供に見せる!みたいな美徳があるかもしれません。

「Mumps」という曲は、そんな人生の充足感や倦怠感から一気に癒してくれるような、しかもそれが全知全能型のように作用するモノだから副交感神経全体が一気に癒される解放感を伴うワケですな。理由も無くつい涙が出てしまう。私も一昨日公園から家に向かう際、「Mumps」を聴きながら人目もはばからず目から涙が幾つも落ちてきました。

「Mumps」という曲に出会うまでの昨日。それまでの人生の経験での喜びや苦労など、全てが癒されるような至福の時間を味わうことができたような気分でしたね。


広く認知されているはずなのに、プログレという音楽ジャンルはポピュラーな場所で語られるコトの少ないテーマです(笑)。同人と呼ぶに等しい連中が集まればひとたび花をワンサカ咲かせるのはプログレだけに及んだモノではないでありましょうが、音楽の志向度や熟練度、または所蔵としての大小や器楽的な方面での理論的な側面を排除した信念が人それぞれ見解が違うために、ややもすると衝突しやすいテーマであるかもしれません(笑)。哲学持っちゃってる人もいるワケですからね(笑)。多くは楽理的な側面を無視した無意味な哲学だったりするんですが(笑)。

同人と呼べるに等しい者同士が集まれば、マニアックなジャンルにも華が咲くシーンというものはあるものです。プログレというジャンルも概ね「マニアック」な世界なのでありますな。

しかしながらここ近年は、いわゆる一般受けしそうなポピュラーな音楽ジャンルが衰退して音楽の嗜好性が多様化しているのもあって、NHKのBSでは熱中夜話でプログレのネタを扱われたり、タモリ倶楽部で「スターレス高嶋」という括りで出演していたり、この手の深夜番組系が題材にしているとは言えど、プログレ・ネタを面白おかしくTV上で扱おうというちょっとした「くすぐり」みたいな所は感じ取っていたので、「いつかはどこかが取り上げたりするんだろーなー」的に考えていた左近治なんですが、そこで一気に来ちゃいました!「一日中プログレ三昧」と。ラジオ番組とはいえNHKさん、ホントに最近侮れません。


ラジオというメディアは「映像」が無いワケですね。イメージ出来るものも幻にしか過ぎません。ただ、イメージをいくらでも膨らませるコトが可能とはいえど、語りからイメージが形成されるものですから、そこから飛躍したイメージを抱くのではなく映像がある時以上に語りが色濃く存在して脳に伝わってくるようなモノを感じるワケですな。つまりイメージは「こうやって今語り合ってるんだろーなー」みたいな「具現化」されたイメージを抱きながら、語りに対してとても耳が傾くという、映像がある時よりも注力されている様をまざまざと感じ取るコトが出来るモンなんですな。

私の知人にCDショップ関連企業に勤めている方がおりましてですね、その方に言わせると所謂「落語」というジャンルはCD業界にとって無視できないコンテンツだそうで、CDショップという店を展開する際、落語というジャンルは結構侮れないモノなのだそうです。

そういう人たちが言うのだから落語というコンテンツが結構回転率を挙げてくれる商品なのだというコトに間違いはないでしょう。で、私が普段聴くような、いわゆるプログレ・ファンの間においても知っている人が極めて少ないような有名どころとはかなり隔絶されたモノとなると、落語はおろか演歌系やらにも遥かに劣る回転率だそうです(笑)。「落語と演歌の回転率ナメんな!」という位雲泥の差だそうです(笑)。専門性を打ち出して特化ジャンルを扱うようにしない限りは、売り上げ的にはまず「見込めない」ほど売れないのがプログレなのだそうです(笑)。


かつて、私が初めて耳にしたプログレというのはジェントル・ジャイアント(=GG)の「So Sincere」でありました。無意識に耳にしたのを含めればエクソシストの「チューブラー・ベルズ」なのは間違いないんですけどね。当時、YMOに心酔しつつある私を窘めるように、親類が持ってきたレコードにGGが含まれていた(それをカセットに録音しなければならなかった)のが、そもそもの始まり。

しばらく日数を置いて親類の一人が私に確認をしてくる。「GGどうだった?」と。

自分自身音楽的な感性を高めたいと少々背伸びしたいキモチもあり、GGなんて当時の私の心の琴線に触れるどころか脳細胞が有刺鉄線状態になるほど拒絶していたのが真相だったのでありましたが、「うん、良かったよ。Playing The Gameは聴きやすかったからこういうのなら聴けるかも」みたいに言っちゃったモンですから、次に私の下へ持ち込まれたGGは「Three Friends」だったんですな(笑)。

しかし、この「Three Friends」に収録されていた「Prologue」。コレは私にドンピシャでありました。つい言っちゃったんですな。「こーゆーのが聴きたい!」と(笑)。


まあ当時はこの親類の一人に相当弄ばれた左近治だったんですが(笑)、当時の私は無理矢理ギター片手にコード弾かされながらレコード談義しなければならなかったんですよ。そうすると押さえるのも難儀なコードにいつの間にか心も体も覚えていってしまう(笑)。で、私がメジャー7th系やマイナー9th系、リディアン系(メジャー7thシャープ11th系)もクリアしているコトを見抜くワケですが、彼の見抜いたのは、その後の私の欲する「多旋法的」な響き。これを見抜いてくれていたからこそ、その後私は多くの年月を費やすコトなく親類を通じて良き作品に出会すコトが可能となったのでありますが、「多旋法的」なモノに興味を欲しているであろうという推察で私の元へ持ってきてくれたアルバムに収録されていた曲が次の通りです。


Talybont / Gentle Giant 「Free Hand」
Mood For A Day / Yes 「Fragile」

「こういうのが好きなんだろ?」とさりげなく紹介された曲たち。これらたった2つの楽曲がその後の私の楽理的な部分にも火を付けてしまうモノになるとはこの時点では到底思いもよりませんでした。また同様に、この「多旋法的」なものに対して朧げながら嗜好の度を強めていると察知してくれていたその親類は同時に私がセカンド・ベース(2度ベース)という分数コードも同様に好んでいるということを察知していたというのも後になって判ったコトであります。


こういう曲折を経て、いわゆる○大プログレという代表作を聴きながらも、自分の好みとすり合わせて選別し、やがて自分のこなす楽器がドラムからベースへと変わった時に音楽の嗜好度は劇的に変化したモノであります。とはいえ大別すればこの辺りの時代から私の好む曲のタイプの根幹部分はそれほど変わりはないのも事実であります。


私自身においてもプログレに出会った経緯という紆余曲折を語るコトができるモンですが、例えば、プログレ三昧でフル尺を堪能出来た「Mumps」には、その曲そのものに人生の曲折を投影できるかのような四部構成になっております。楽曲への思い入れが強ければ強いほど、リスナー側はアーティストの意図せぬイメージをその楽曲に植え付けるモノでもあります。ただ、そうして聴き手側の「自由な発想」によって構築された身勝手なイメージというのも実は間違ってはいないとは思うんですな。どのようなイメージであれ、楽曲の持つ大きな潮流が形成してくれるであろう大局的なイメージが物の見事に用意されているかのように「設計」されているとも感じるコトができます。

プログレにおける「様式」というのは、アーティスト側が意図せぬイメージであったとしてもリスナー側がイメージを構築できるような「絵心」を養うために存在するものだと私は思っております。


キング・クリムゾンというバンドは○大プログレ・バンドの中でも私は特別視します。クリムゾン以外の○大プログレというのは、誰もが通る道だけれども時を経ると「あー、こんな時もあったね」というようにスルーできてしまうくらいになってしまいがちなのでありますが、クリムゾンというのはいつ聴いてもその立ち位置が変わらないんですな(笑)。

プログレを形容するに当たって、自分がそれに対してテーマを課して「絵を描こうと」した場合、どういうイメージを持って絵を描くことができるのか!?プログレを聴くというコトはイコール、このようなイメージをどういう風に曲を解釈しながら構築していくことができるか!?という部分を養うか否かでプログレに対する没頭度というものを伺い知るコトができると思います(笑)。

誰もがありきたりなイメージを共有しうるタイプの○大プログレの有名どころというのはそれが決して悪いワケではありませんが、例えて言うなら、クスリを服用しようとしているワケでもない寧ろ拒絶しているのに「ハミ」を圧迫されればすぐに口開いて医師に投与されたクスリを吐き出すコトなく服用してしまう犬・猫の悲しき行動にも似ているような気がするんですな(笑)。少なくとも自分の意志で服用するか否かは決めたい、みたいにいずれはそう育ちたいのが本音でありましょう(笑)。

とはいえ中には違法なクスリを服用することに意思決定する人も中にはおられるかもしれません(笑)。薬物体験者に言わせれば、その手のクスリに冒されている時というのは得てして複雑なモノではなく、実に単純なモノが本能レベルに深く作用するのだと。厳しく難しい和声よりも純正律の二声の音やら、限りなく素朴な形が好まれるようであります。クスリの効き具合によっては複雑怪奇なモノも時として必要なファクターでもあるようですが、コレばかりだとイカれてしまうようでもあります。ニコチンやアルコール依存症の方がそれらに深く依存する様を見れば、ケミカルな世界の依存度というものはコレよりも深刻なモノであり、一旦結び付くとより強固なモノなのでしょう。

それと、ドラッグ体験者が言う必要なファクターというのは「日常の世界の雑踏」だ、と。まあ、ピンク・フロイドの手法もこういう所にあるワケでしょうな。楽曲においてはプログレ界隈においては単純明快なブルージィーな曲が多かったり、そのくせSEにはやたら注力していたりする様を思い浮かべれば、言わんとするコトは朧げながら理解できます。井上陽水の「夢の中へ」の歌詞もあれだけ素朴な歌詞というのも頷けるモノがあります(笑)。

GGのアルバム「ガラスの家」収録の「Runaway」や「An Inmates Lullaby」の歌詞がなぜあそこまでシンプルで素朴(素朴過ぎるが故に暗喩が込められているダブル・ミーニングの存在)、且つ「Way of Life」の最後の素朴なオルガン・トーンの白玉、面を変えれば(レコード時代)拍の位置が錯綜するような「Experience」など、これらの曲順や構成がいかに薬物依存の方に指示されているのかという声を諸外国のGGファンから教わったコトがあったモンですが、なるほど、言い得て妙な感じになります。

こういうドラッグへのイメージというのも左近治の勝手なイメージなワケですが、誇張することなくどこまで現実味を持たせるのか!?みたいなイメージを抱くことという「絵の描き方」という手法を身に付けるのはプログレを聴く上で重要なコトであるとまざまざと感じるワケであります。

プログレ三昧の中で、最近のプログレ・ファンはアニメを発端とする開拓層があるというコトが語られておりました。私の場合アニメやゲームに没頭する人たちを蔑視するワケではありませんが、ゲーム音楽やら音効的BGM(つまりアニメ音楽のBGM系やらの多く)というのは、「台本どおり」の効果として発揮しないと成立しない世界なので、聴き手が絵を描くような自由度とは違った世界観があるように思うワケですな。その延長でプログレを「台本通り」に聴いてしまうと、おそらくは○大プログレの定番曲辺りでのイメージ共有&構築程度にとどまって、他の多様な作品においてはかなり難しくなってしまうのではないかと思うワケですな。

私自身、大昔の元カノに車中でGGの「Knots」を聴かせたコトがありました(笑)。無論、プログレ心は一切無縁、強いて挙げればチャカ・カーンが好きなコトくらいが私との共通点くらいなモノで、ルーファスまで話が及ばない程度の共通点を持つ音楽的な接点。その彼女にGGを聴かせたヒトコト。

「トムとジェリーの追いかけっこみたい」

うむぅ・・・。確かにケリー・ミネアーの木琴ソロ部分まで聴いていたのは間違いないが、このGGの多様な世界を「アニメ系の音楽」としてヒトコトで語ってもらわれてしまったのは後にも先にもこの彼女くらい(この人はアニメ好きでもなんでもありません)。


アニメやら映画のサントラだって、非日常的なシーンを音楽として表現するために色々複雑な曲を書いていたりするモノですが、かといってプログレ全体が総じてそういう音を形容しているワケではなく、もっと多様でドラマがある筈ですが、「トムとジェリー」に置き換えられてしまったGGの「Knots」。この感想を耳にした直後の左近治は言葉を失ったもので、放心状態にすら陥りました(笑)。ココまで乖離している感想を「シンパシー」と表現していいのかどうかは不明ですが、いずれにしてもここまで思いにズレを生じているコトを感じ取った左近治は、そう遠くない内に別離が来るであろうと予感したモノでしたが、やはりその予感は現実のモノとなったモンです(笑)。


題材として語られるコトを散見するようになった「プログレ」。ここ1〜2年の間には某TV曲のニュース内で初めて坂本理氏の姿を目にしたコトもある左近治。所蔵CDであろうと思われるCDの山の中でSG抱えながらインタビューに応じているその様が妙に脳裏に焼き付いております。ディスクユニオンの吉祥寺ジャズ館の在庫よりもCDの数有ったんじゃないだろうかと思ったモンです。山田五郎氏も「プログレ三昧」の中でさりげなく坂本氏について触れておりましたね。この手のジャンルのライナー・ノーツや雑誌ではよく目にする機会が多いものの、なかなかお姿というのは目にするコトが出来なかった左近治。それが何らかの形でTVで見かけられるというのは、いずれにしてもこの先プログレ界隈を題材にしたコンテンツに触れることができるであろうと感じ取っていた左近治。それがNHKによって実現し始めた現在、となっているワケですな。


プログレ系に限らず、昔のエバーグリーン的な作品というのは10〜15年くらいで輪廻しながらこの世の中に流通するモノです。いわゆる世代交代を見越した商品展開というのもそこには存在するのでありましょうが、TVでもラジオでプログレ・ネタが扱われるようになったからといって、「絵を描くこと」もできない乖離されたイメージしか抱けない新参者が独自の解釈によってプログレ界隈を熱くするというコトだけは有り得ないコトでありましょう。新規参入者は歓迎しますが、だからといって新たな人たちの独自の楽しみを押し付けてもらっては困るような世界観がございましてですね、この辺をご理解いただけると助かるかな、と。何もせぬとも一般的には死んだように息を殺して活動するプログレでございますので(笑)、決して虫の息ではないものの、それをわざわざ見つけてきて人工呼吸やら胸に電流流してまで活力を生もうなどとお考えにならなくともプログレはプログレ流に生かせてやってほしいと思わんばかり(笑)。衰退しているように見えても衰退はしておりませんから(笑)。


プログレ三昧の終盤の選曲というのは、その手の耳や絵の描き方しか知らない方が没頭してしまうであろう曲たちで埋没させていって幕を閉じるかのような演出があったように感じ取ったのは私だけではないでしょう(笑)。ああいう暗喩も感じ取ってナンボなんだろーなー、とあらためて感じる左近治であります。