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黄砂、パネェっす! [楽理]

いんやぁ~、今日は黄砂スゴかったですね!
とりあえず楽理的な話題でもまーた始めてみよっかな、と。




鏡像ヴォイシング


今回はヴォイシングの鏡像化、つまるところ「ミラー・コード」の一例を取り上げてみようかと思うワケですが、ある部分を基準に見立てて上と下で等しい音程幅にてヴォイシングするということがミラー・コードと呼ばれる所以であります。無論、そういうコードにはひとつのコード・ネームで端的に表記できないモノも作られる可能性が高いワケです。




2010Mar_GmM9.jpg


このような上と下が等しい音程差にて「多旋法的」にモード・スケールを扱うと「ミラー・モード」となります。例えば二声にて上声部がCメジャー・スケールで、上声部の反行形として下声部はCメジャー・スケールと等しい音程差にて下行形を導入すれば下声部は自ずとFエオリアンとなるワケであります。この場合、Cを基準に二声が等音程として成立しているということとなります。

ポピュラー・ミュージック系およびジャズ界隈であっても多旋法という技法のそれがピンと来ない方は少なからず存在すると思われますし、逆にこのような世界感というのはクラシック界隈では珍しくありません。端的に表現するならば、複数の声部で異なるモードを導入しているものであっても、各声部の「旋法的な」フレーズの「情緒」がグイグイ引っ張ってくれるので、異なるモードが巧い事織り成すようにアレンジされていればその響きは強烈な不協和を生じるどころか逆に実に多様な和声の色彩が生じると思ってもらえれば理解しやすいでしょうか。

通常のポピュラー・ミュージックおよびジャズ界隈だと、その殆どは背景に成立している(概ねコード・ネームで表記されている)和声の強固な支配による「呪縛」が存在します。しかしながらポリ・モーダルなアレンジを導入すれば、そこが例えばポピュラー・ミュージックにおける「Cメジャー」という和声が成立しているシーンであっても、ある声部ではCから見たマイナー3rd(=増九度)の音、つまりこれはマイナー感を強く示唆する音が「旋法的」に現れていたりするシーンなど珍しくありません。

無論、その背景にある和声がよくあるドミナント7thを基にした「シャープ9th」(=ジミヘン・コード)を想起しうるメジャー・コードではなく、アイオニアンもしくはリディアンというモードが合うはずであろうシーンにおける「メジャー・コード」が現れているのに、ごく普通にマイナー3rdの音が経過的にではなく、ごく普通に現れる、というコトを意味しています。

モード・ジャズにおいては「多旋法」というよりも、インプロヴァイズにおいて多くの異なる解釈をソロのために導入しているのでありまして、容易に判別しにくいシーンの方が多いでしょう。

私の語りたいのは、多旋法的な解釈を導入しつつ、背景にある和声からも外れた音を旋法性(旋律がグイグイ引っ張ってくれる)によって導入することで色んなアプローチを探ってみたいな、という思いから来ているのであります。



で、とりあえず本題の「ミラー・コード」についてハナシを戻すと、ミラー・コードとは言葉通り上と下でシンメトリックな音程関係になっている以上、そこから構築される世界は実に多様で多くの可能性を秘めているワケでして、ひとつのモードにとらわれることなくポリ・モーダルな解釈を進めていくことも可能ですし、特にインプロヴァイズにおいては可能性が拡大すると思います。

今回例に出している音程は、2つの長七度音程を鏡像関係にヴォイシングさせている例です。譜例では「GmM9」と表記しているものの、実際は5th音をオミットしているヴォイシングとして構成され、2つの長七度音程を長三度(=減四度)隔ててヴォイシングさせている鏡像音程であります。


ミラー・コードとしている以上、それは上下にシンメトリックなワケなので基準とする所は必ずあります。その基準となる音が譜例の図に示している「1」の音のAb音でありまして、これは非和声音であり「概念的」な音であります。しかしながらこの「概念的」な音を対極に置換した場合、そこにはオミットしている5th音、つまりこのコードの場合のD音が出現することになります。なぜ「概念的」なのかと言うとそこには理由があります。

その理由のひとつには、これら2組の長七度音程が実際にこのようにヴォイシングされたアンサンブルとは別に「概念的」に捉えることによってアウトサイドな音の見立て方というのは大いに可能性が膨らませることで「アウトサイド」な音を想起する目的がひとつ。

その場合例えば、2つの長七度音程が実際に作られているケースではなくひとつの長七度音程のみが存在すると仮定した時だと、もう一方の長七度音程というのは「概念的」なモノとなり、すなわちそれを「鏡像化」するための基準を置くというのも同様に「概念的」となるのであります。

何故そのような見立てをする必要があるのか!?というトコロから語るとですね、長七度というのは転回すればこそ半音であり、それは完全八度内に収まる音程において最も広い音程且つ狭い音程だからこそ半音階的アプローチとして可能性のある見立てと解釈しているからなのであります。つまり、半音を長七度に転回させることで様々な「拡大解釈」を用いて想起しうる限りの音を生み出そうというアプローチとして用いようとするものであります。


ここで「鏡像化」について語ると、対位的&多旋法的なアレンジを導入した場合、そこには背景のコードの統率力を逸脱して「旋法ありき」としての牽引力が生まれます。これが先述の、「フレーズがグイグイ引っ張ってくれる」という風に表現したモノです(笑)判り易く言うと、横断歩道の白黒互い違いになっている「縞模様」というのは周期的ではあれど人それぞれ歩幅が違うので誰もが等しく均等に白い部分を踏んだり黒い部分を踏んだりするようには作られておりません(笑)。

これを音楽的に形容すると多旋法ではない通常の音楽の世界感というのは、白と黒が交互には訪れない横断歩道の紋様というものを意識的に且つ誰もが歩き易かろう幅で描かれているモノと思っていただければよいでしょうか。横断歩道というよりも池の中に等しく十二個の飛び石が並んでいるはずなのに、水面から顔を出してくれている石は必ずしもひとつずつ互い違いに突き出ているワケではないのに、多くの人は「歩き易い」飛び石の配置があるワケですね。

この飛び石の配置というのがフレキシブルに変化してくれるものの、ひとつのシーンでは必ず一種類の組み合わせしか出くわさないのが通常の音楽の「飛び石」のパターンです。多旋法の世界というのは2声ならば右足と左足全く別々の飛び石のパターンが同時に現れている、という風に形容できるかもしれません。


とまあ、余計に判りにくい形容になってしまったかもしれませんが(笑)、とりあえず着目したい部分というのは、あるコード表記の流儀に乗っかってアヴォイド・ノートに気を付けてモード奏法なんぞとやっているだけではいつまで経ってもアウトサイドな音は得られないワケでして(笑)、じゃあ多旋法的アプローチを導入するにしても、特定のフレーズに対して別のモードを当てるとなるとかなり緻密にアレンジする必要が出て来たりするのでインプロヴァイズの面ではどうするのか!?という疑問が生まれます。

誰かがソロ取っている間は他のパートは特定のモードひとつに支配されているワケなので、バックのアンサンブルのリフやモード想起を見越した上で、自分自身がソロを取る時に他のモードを想起する他ありませんな(笑)。

そういうシーンで留意してはいても、フレーズの旋法的な牽引力がグイグイ引っ張ってくれるようなフレージングを組み立てる必要があるのは避けられないワケで、ここにフレージングの難しさが生じます。こればっかりはセンスが問われてしまう所でありましょう。だからといって安直にアウトサイドな音を羅列するだけならば、これもまた別な意味で「アウト」なワケでありますな(笑)。


言ってみれば「アウトサイドな音」への欲求というのは、12音をどのように巧みに演出するか!?というトコロにかかっていると思うのでありまして、半音階=半音を転回した長七度を如何にして「別の解釈」を得るかというトコロに尽きると思うワケでして、今回このようなテーマにしているワケですな。縁遠いであろう、脈絡も希薄な音を呼び寄せようとする狙いのひとつに今回は「鏡像化」というのをテーマにしているワケであります。


先の譜例で示しているのは二組の長七度音程をそれぞれ「長三度」セパレートさせているものでありますが、鏡像化させているため鏡像の軸となる音が長二度は慣れた所、つまり非和声音として想起される所に出現し、それが「GmM9」というコードの本来の9th音とは違う短九度音の部分に存在する、ということになります。

二組の長七度音程が増四度離れている場合は、概ねメジャー7thを母体とする#11th音を持つコードを想起することができるでしょう。これを鏡像化した場合は三全音の丁度真ん中である長三度に軸があることとなります。

いずれにしても私の今回掲げるテーマは鏡像化に伴って「マイナー・メジャー9th」というコードを想起するのが前提となっているのでありますが、これには理由があります。

まずひとつに、チェレプニン・スケールという音階は非常に多くの「マイナー・メジャー7th」のコードをダイアトニック・コードとして形成させることが可能であるという所にあります。

但し、チェレプニン・スケールの「第1・4・7音」を主音とする九の和音は九度音が短九度となってしまうので「マイナー・メジャー9th」の音は得られないのでありますが、チェレプニン・スケールの「第2・5・8音」を主音とする九の和音の九度音は長九度なので「マイナー・メジャー9th」というコードを想起できることとなります。ここで注意が必要なのは、チェレプニン・スケール内にて少なくとも「6種類」のマイナー・メジャー7th系のコードは得られるものの、九度音についての取り扱い(役割)が異なってくるので、九度音を用いようとする場合、その取り扱いの「区別」を厳密に取り扱う必要があるということです。

こうした厳密な取り扱いというのはチャーチ・モードの世界においても特に珍しいことではなく、例えばマイナー7thコードの9度音の取り扱いにおいてドリアンかフリジアンのいずれかを想起しうるシーンが有った時、フリジアンの方では9度音は短九度となるためアヴォイドであるという事と同様です。つまり、特異なモード・スケールを扱っていなくとも、モード奏法を身に付けている者ならばこの手の厳密な取り扱いの違いというのは認識していることなので、チェレプニン・スケールやマイナー・メジャー9thというのはそれら自体あまり馴染みの薄いものであっても取り扱いとしては似たようなモノなのだ、という事を述べておきたいワケです。

扨て、今回の例の場合はのっけからマイナー・メジャー9thコードを想起しているワケですから、そこの拡大解釈から生じてチェレプニン・スケールを呼び起こしたいのであれば、チェレプニン・スケールの「第2・5・8音」をルートとするマイナー・メジャー9thコードとして想起しうるという事を意味します。

チェレプニン音階の場合、トニック、サブドミナント、ドミナントの扱いというのがバルトークの中心軸システムのそれとは扱いが変わって来ます。中心軸システムの場合対極軸が現れ二次対極も現れ、結果的には短三度音程ずつセパレートされている部分が同属として考えられるワケですが、チェレプニンのそれは違うというのは過去にも語っている通りです。チェレプニン・スケールの「第2・5・8音」を想起した場合、あるひとつのマイナー・メジャー9thコードをそれらの音の何処にあてはめるか!?という自分の立ち位置を理解する必要が出て来ます。コードそのものは等価であっても調的な重力が違うワケですね。

ただ、その「等価」であるはずのコードはそれぞれ増三和音の音程関係にてセパレートされているという所が実に判りやすい点でありまして、あるマイナー・メジャー9thというコードを想起した時のそれは「トニックなのか!? or ドミナントなのか!? or サブドミナントなのか!?」という立ち位置だけは留意していなくてはならないと言いたいワケであります。

とりあえず先の譜例で示している「GmM9」の上声部側の長七度音程ですが、上声部側の「Bb音とA音」だけを抽出して見た場合、マイナー・メジャー7th系のコードを視野に入れずとも長七度音程を内包している和声というのはポピュラーな所では次のような例になるかと思われます。


Gm9・・・m3rdと9th
Eb△7 (#11)・・・M7thと#11th
Bb△7・・・RootとM7th


ドミナント7th系のコード(オルタード・テンション含)を挙げればもっと数多くなりますが、ドミナント7thコード上にて生じるオルタードな音使いの情緒というのは左近治の場合除外します(笑)。背景にドミナント7thの情感を借りてそこで別の響きを得たとしても結果的に旋法的にはならないからです。別の牽引力が発生していて(ドミナント・モーション)、方向転換したい時に道路が進路制限しているような場面みたいなモンですわ(笑)。ですのでドミナント7th系のコードで生じる長七度音程というのは割愛しているのであります。

ある意味では先ほどのようなコードを想起する方が「一般的」だとも思います。しかしながらあるフレーズやら音程に対して鏡像化しようとする狙いはそもそも多旋法的なアプローチであるから故なワケですから、誰もが行き着きやすいコードを示唆するようであって実はそうではない世界を構築したいとすると、マイナー・メジャー7th(9th)などを想起しつつ、チェレプニンを想起する。さらにチェレプニンの持つ増三和音の関係のそれと、本来「想起しやすい」であろうマイナー9th系のコードをコンディミのような減七度音程関係と区別して使い分けると多様な使い分けも可能になる、と言いたいワケです。

方位磁石がN極を指してくれるからといって、常に行き先が北なのではありません(笑)。この見立ては通常チャーチ・モードでのモード奏法で必要な基軸の見立てでありまして、ドミナント7th系のコードがN極になってくれるのを利用して非チャーチ・モードを用いて「あたかも」別のドミナント7thを基軸と見立てるやり方などが通常の方法だとすると、今回のような見立ては全く違うモノであります。

楽音に対して何らかの情緒を持たせたとしても、そこには一旦「白夜状態」にして次は昼か夜かの情緒を決定するのはオレ!みたいな(笑)、そういう感覚で昼夜の偏りを一旦リセットして物事考えるみたいな、そういう見立てが今回のような例であるとも言えるかもしれません。もちろん多旋法的なアプローチを使えば、世界各地をリアルタイムに見ているようなモノで、時差を感じつつも同時に並立しているような世界同時中継のような世界感もあるワケです。こういう見立てで旋律に彩りを添えることができればイイのではないかなーと思っております。


でまあ、今回重要なのはマイナー・メジャー7th系コードを見出すことでもなく、想起する和声が本来のトーナリティーとは別の音を生み出すという結果的に多旋法的な世界の一部を垂直レベルに見るための材料の一つとして考えてみていただければよろしいのではないかな、と思うワケであります。今回はメジャー7thというコードが背景にありつつも結果的に旋法的に増九度(=マイナー3rd音)を使っているサンプル曲を初音ミクに歌わせてみたので(笑)、それを探っていただければな、と。

要所要所に左近治特有のヘンなコードちりばめておりますが、とりあえずサビの2verse目の上声部のシンセ・ストリングスのフレーズに注意してもらえればお判りになるかと思います。安直なデモですのでデモ自体のツッコミはご容赦を(笑)。