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基軸を見つけるために [楽理]



扨て、手前味噌ではありますが、Kクリにて11月13日にリリースしている左近治の楽曲は5曲あるワケでありまして、それらを中心に語るコトといたします(笑)。


とはいえ楽理的な側面において、今後語る予定である「旋法の基軸」においてとても重要なヒントが隠されているのでありまして、その辺りをignoreしちゃうと取りこぼすコトにもなりかねないので注意が必要ですのでご容赦くださいね、と。


まあ今回リリースした5曲の内、1つはステップ・シーケンス的なベース・ペダルにアッパーのコードをかなり「弄った」ものとか(笑)、あとはただ単にアンビエント系なモノが2曲、それとハイブリッド・コード系のジングルが2曲、という合計5曲の構成にしているのでありますが、楽理的側面から見て今回取り上げざるを得ないのが、ハイブリッド・コード系の2曲なのでありまして、このふたつを取り上げるコトとさせていただきますね。


1つ目のハイブリッド・コードは「EFX Hybrid Chord 01」という曲名にしておりますが、こちらに使われているハーモニーというのは、左近治ブログを継続してお読みになられている方ならすっかりお馴染みの、「左近治の大好きコード」でありまして(笑)、過去にもこれと似たような和声は、グリーンスリーヴスのジャズ・アレンジやらSD(=スティーリー・ダン)の「Deacon Blues」のイントロのコード進行におけるアドリブの可能性やらなどで用いた和声にごくごく近いモノであります。

コード表記となると便宜的な表記となってしまうのは致し方ない部分があるので、その辺りをポピュラーな音楽体系と混同してしまうと余計に混乱しかねないので、この辺りのご理解にも注意が必要なのでありますが(笑)、まあ、率直な所、「EFX Hybrid Chord 01」に用いたこの和声というのは、今後語る予定であるGG(=ジェントル・ジャイアント)の曲「Free Hand」の楽曲構造の楽理的説明において欠かせないモノとなるので、興味のある方はignoreしてしまわないようにご理解願いたいな、と。


このコードを便宜的に表記すると、上がC7sus4下がDb7という「C7sus4/Db7」というモノになるのでありますが、上下各々のコードを「ドミナント7th」という風に見ると、長七度(または半音)セパレートされたドミナント7thを垂直レベルに同時に鳴らしている、という見方をすることが可能となりますが、仮に「ドミナント的」な見方でこれらを同列に見たとしても、各々のそれが長調におけるドミナントを指すのか、あるいは長調の平行調である短調におけるドミナントの位置なのか!?ということまでは明確化してはいないものの、あくまで上下のそれぞれが必ずしも「長調を基にした」ドミナントではない、というモノであるコトだけは注意しておいてください。これについてはいずれGGの方で詳しく語ることになりましょうが、まあ、そーゆーこってす(笑)。


「んな、いけずな説明しねーでとっとと答えろ!」と思われるかもしれませんが(笑)、ココでひとつ重要なコトをもうひとつおさらいで語るコトにしますが、それも併せてご理解いただくとして例に出しますが、例えば過去にチック・コリアのプレイを題材にして語った「ミクソリディアン+エオリアン」に関する技法。

この技法というのは結果的に同一コード上において「I-IIb-Vb」というコンバージョンをフレキシブルに行っているということを指し示すコトでありまして、旋法的に解体すれば「ミクソリディアン+エオリアン」というハイブリッドな旋法として、あくまでも垂直レベルでそれらを見た場合、そういう2つの旋法の合わせワザという風に解釈できる、という意味だったんですね。


では、仮に「C7sus4/Db7」のアッパー部をFマイナー・キーのドミナントのsus4、下をGbメジャーのドミナントとしてみた例(必ずしも見方はこればかりではありません)とすると、両者の旋法は調性からもかなり近親性が希薄な音程関係で成立しているモノとなりますが、異なる旋法を同列で垂直レベルで発声したハミ出た音というのが和声的にどういう風に成立するのか!?という所が重要でして、こういう見方をすることがモード・ジャズの発展的な世界でもありまして、変格旋法をより多様にするために対位的に導入したモノなど、それらの技法によって構築される世界で生み出される音というのは、登山ルートこそ違えど同じ音(道)にありつく、というようなものを形容していると思っていただければ幸いでありまして、左近治はこーゆー所を逐一語っているのでありますな。


前にも言いましたけどジョージ・ラッセルのリディアン・クロマティック・コンセプトというのは旋法的な見方ではなく、リディアン主体でスケール・ディグリーを構成して、そこで生じるモード・スケールでの発展的な飛躍をシンプルに見立てようとするモノでありますが、ある意味では東京から大阪行くのに飛行機使って到着したいいけど、景観は全く見えなかったモノに等しいようなことでありまして、景観をじっくり眺めながら旅をしたいのならリディアン・クロマティック・コンセプトを覚えるコトなくとも同じ音得られますよ、と言いたいのが左近治流なワケですな。こういうクセを備えた方が会得したり出てくる音としての感性を磨くのに月日が費やされる可能性は高いですが、こっちの方を会得した方がより深みを知るコトができる、と私は言いたいワケです。とはいえリディアン・クロマティック・コンセプトを否定するつもりはまんざらございません(笑)。


箱根や千畳敷行ってロープウェー使う人だっているでしょうし、まあ、そのロープウェーがリディアン・クロマティック・コンセプトだと思っていただいても宜しいでしょうし、じっくり登山する方が好きな人だっているでしょうし、それを嫌う人だっているでしょう(笑)。


ただ、「音の景観」というのはじっくり眺めてこそ意味がある、と私は思っておりますけどね(笑)。音価としてはとても短い局面であろうとも。


早いハナシが、異なる旋法を同列に垂直レベルで導入した時の世界というものは、どのように解体すれば説明がつきやすいものなのか、という術を知る方が覚えやすいのではないかな、と思うワケでして、左近治はそうして語っているワケであります。


で、「EFX Hybrid Chord 02」という曲も実は3つメジャー・トライアドの複合形と、異なるベース音を用いた和声でありまして、C△、Eb△、Ab△とベース音にDbという構造になっているのでありますな。

上記の3つのメジャー・トライアドの内2つの「Eb△、Ab△」というトライアドは、音程関係が完全四度(または完全五度)という親和性の高い音程関係であるので、ポピュラーで想起しやすいチャーチ・モードのスケール・ディグリーにもフィットする音程関係にメジャー・トライアドが存在する、ということになりますが、いずれにしてもCメジャー・トライアドというのはハミ出てくるワケであります。


チャーチ・モードのアイオニアンを例に出せば、メジャー・トライアドはスケール・ディグリーで言えば1・4・5番目に存在することになります。仮に今回の「Eb△、Ab△」を当てはめると「1・5」or「1・4」と想起することができ、Cメジャー・トライアドは異なるモード、としてハイブリッドとして想起するに容易い構造となっているワケですな。ソコでさらにベース音にDbを付加する、と。


ココまで語れば、異なるモードを同列に垂直レベルに見た時の和声としてどういう風に成立させてどのように因数分解できるようなモノなのか!?という視点を養うだけでも音楽的な幅は確実に広がります。


この異なるモードを同列に導入するにしても、そこにはやはり基となって備わっている情感と親近性を利用しながら構築せざるを得ないシーンがあると思うので、基軸すら判らなくさせてしまうような技法ではない限り、どこかに調的な軸を聴かせながら異なる旋法を同列に鳴らす、という方法はある程度限られてくるモノでもありますが、この技法すらも会得できずに単一指向型のモード奏法を会得してしまって知った気になっちゃってるなんちゃって音楽理論屋さんや音楽屋さんもかなりの数を輩出させてしまっているのが現実なんですな(笑)。


まあ、例えば、Aマイナーの曲をAドリアンで「代用」しましたよ、と。


これで延々誰もがAドリアンで弾く、と。コレが単一指向モード奏法の最たる例。コレが悪いってぇコトじゃないですよ(笑)。ただ、理解がここまでだとそれ以上の情感を生み出すことは無理です(笑)。


ただ、誰もがAマイナー・キーでAドリアンを代用したとしても「Aマイナーとしての」基軸が曲の情感に備わっているからこそ「Aマイナーっぽく」聴かせることができるのでありまして、単一指向系のモードであろうとも、この基軸の感覚があるからこそモードを導入できたワケでありますから、ここから発展するにもやはり基軸の感覚は持っていなければダメなんですな。

じゃあ、今度はAマイナーの曲をAドリアンで代用してギター・パートがソロ弾く時に「俺だけGドリアン弾くからね♪」というシーンがあったとして、コレもアリなワケですね。ただこの場合、異なる旋法が同列に垂直レベルに発生するコトとなるシーンであることに注目です。


今回左近治が用意したハイブリッド・コードの曲はいずれもそういう世界の「解体前」をよりふんだんに和声的にちりばめた世界と思っていただいて結構ですし、GGの「Free Hand」でもチック・コリアの手法であろうと、ハイブリッド・モードの世界観だの、全て同じベクトルを向いたコトである説明にすぎないワケでありまして、ここに誤解が生じてはまずいワケですな(笑)。こういうコトを知らないとマイルスやコルトレーンやらショーターやハンコックのCD持ってるクセして何にも理解できていない、というコトに等しくなってしまうので注意が必要なワケであります(笑)。


とはいえジャズの世界は音の情報量が多いし、演奏者自身のモード・チェンジは同一コード上でもその選別というのは常にアレコレ変えてくる。

ジャズの世界の「自由きままな」発想によって生まれるインプロヴィゼーションの演奏者の能力に等しい或いは上回るスキルを持ってして聴いている方などごくわずかでありましょう(笑)。その領域に達していないスキルの人は必ず「取りこぼす」音があるワケでして、取りこぼしが少なくなるであろう、極端にインプロヴィゼーションの度を強めずに和声的に導入している音楽を聴けば、私の形容する世界観を理解するには早道だとも言いたいワケですが、単一のモードを導入した世界ではハミ出す音総てを羅列してそれら総てを和声的に導入してしまうのは早計であるのも事実です(笑)。


GGの「Free Hand」に用いた私のアレンジでは、無論和声の導入でハイパーな音使いになっているのは間違いありませんが、垂直レベルで見れば更にハミ出している音が成立しております(笑)。

闇雲にハミ出す音を和声に導入しているのではなく、ハイパーな音使いな音のために必要な音を和声的に導入し、そこからさらにはみ出す音はあくまでも変化音的に導入させているのでありますが、この辺りの和声的導入の「餞別」というのは、この手の和声にトコトン馴染んでいないと、杓子定規的に考えるのは到底不可能でありますので、この辺りの和声的感覚も養わないといけない部分なので、ここを取りこぼすと大変なことになりかねないので注意が必要ってことです(笑)。

これを判らないと結局は「何使ってもイイんだ」程度な結論しか導けなくなってしまうのが実情でしょうからね。こうならないためにも注意が必要ってぇこってすよ。