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オーギュメンテッド・メジャー7th [MONDO]


前回は、ついついオーギュメンテッド・メジャー7thコードについて触れたくなりまして、ケイ赤城の作品「The Return」の出だしを例にしてみたワケでございますが、オーギュメンテッド・メジャー7thの和声的な彩りは色んな性格があるものでして、「同じ和声なのにこうも雰囲気が異なるものか!?」と思わせてくれる曲も色々とあるモンです。
オーギュメンテッド・メジャー7thというのは、通常のメジャー7thコードの構成音である第5音が強制的に半音上がったモノでありまして、それは想起するモードの音並びから生じるワケでして、メジャー7thコード上に「b13th音」が出現せざるを得ないモード上にて5th音を簡略化して生じる和声とはまた異なる、というコトだけは念頭に置いてください。


しかし、たまたま見かけたポピュラー系の音楽のコード表記においてb13thが出現したことによって5th音をオミットして生じたモノなのか、あるいは強制的に5th音が半音上がるモードを導入しているシーンかどうか、ということをきちんと明確化して表記されているかどうかは知りません(笑)。

前者の場合はウォルター・ベッカーやSD(=スティーリー・ダン)の「Green Earrings」の2ndテーマ後のエリオット・ランドールのギター・リード・オブリ中のメジャー7th上でのb13th導入くらいでしかポピュラーな所では出現しないでありましょうし、大半のケースは「強制的に5th音がシャープする」というケースが多いのではないかと思うのですが、この辺りの識別はいくら出音が同じだとしてもきちんと選別できるようにしておかなくてはならないと思う左近治であります(前から口酸っぱく語っておりますが)。


まあそんなハナシは扨置き、今回は「The Return」のイントロとは毛色の違うオーギュメンテッド・メジャー7thの曲をピックアップしてみよっかな、という思いもありまして話題を繰り広げてみようと画策している左近治なのでありますが、ジャンルからすれば相当縁遠いところにカテゴライズされるであろう人物を取り上げてみることに(実際にはそれほど遠いモノではないと思うんですが、CDショップの陳列的視点で見た場合の縁遠さ、って意味として解釈してくださいね)。


でまあ、今回取り上げるのはスティーヴ・ヴァイ。


つい何ヶ月か前に、左近治のタンスの引き出しの裏側から久方ぶりに救出されたCD。それが、スティーヴ・ヴァイの「Flex-Able」というのは記憶に新しいのでありますが(笑)、亡きランディ・ローズの後にアルカトラスに参加するスティーヴ・ヴァイの頃から私は耳にしておりますし(笑)、ベース弾きである私はそれと並行してタラス(笑)のビリー・シーンなども耳にしていた時代でして、これから数年経過してこのふたりはデイヴ・リー・ロス・バンドで一緒に同じ釜の飯を食うコトになるワケですな(笑)。

まあ、この辺りの経緯とやらは私が語るのも無粋ではあると思うので今更詳しく語っても仕方ないのでありますが、先のアルバム「Flex-Able」というのは、まあレコメン耳でも聴くことのできる多様な和声感の演出が鏤められており、併せて醸し出す世俗感という所にとっても魅力があるものでして、スティーヴ・ヴァイという人のハード・ロック系のギタリストとしてカテゴライズするには勿体無いほどの多様な音楽性を随所に感じ取ることのできる好アルバムだとあらためて痛感させられるワケであります。


ザッパ・フリークであり、実際にザッパに可愛がってもらい、それ以前はマハヴィシュヌ・オーケストラに狂い、ジョン・マクラフリン・フリークであったというスティーヴ・ヴァイは元来はロック心を有したクロスオーバーな系統のギタリストであったというのも有名なハナシで、ジョー・サトリアーニに師事していたというのも今更無粋ですが語っちゃいますね(笑)。



確かに「Lovers Are Crazy」「Salamanders in the Sun」という曲を耳にすれば、ザッパ・フリークであったろうというコトは容易に推察できる曲でありますし、ジャン・リュック・ポンティの音やらをも想起しやすい、ロック主体の音ばかりではないザッパ特有のアンサンブルに似た音楽性を投影することができるモノであります。

まあ、ザッパ色というのもさることながらヴァイ特有の和声感覚というのを垣間見せてくれる時というのは、背景の世俗感も相まってカンタベリー系、特にGongのラジオノーム3部作辺りの音をもイメージさせてくれる軽妙でありながらも高次な音楽を聞かせてくれるような雰囲気を随所に感じさせてくれるワケでありますな。

前述の2曲もさることながら、「Call It Sleep」「Bledsoe Bluvd」も非常にヴァイの多様さを印象付ける良い曲なのでありますが、中でも今回取り上げたいのが「Bledsoe Bluvd」なのでありますな。


その前に、さきほどゴングを引き合いに出したのはですね、超有名アルバム「Angel’s Egg」収録の「Oily Way」の二声によるポリ・モーダルの世界の「ハミ出し感覚」とか、「The D-Day DJ’s Got the D.D.T. Blues」のような世俗感&レコメン系によくあるような軽妙なアヴァンギャルド感のような世界観をイメージしていただければ、ヴァイの「Flex-Able」を知らない人でもイメージを抱くに容易い形容になるかな、という左近治の思いからこのように表現しているのであります。

これを機会に「Oily Way」をガッツリ分析していただければ、異なる声部での複数のモード想起やらはご理解いただけるのではないかと思いますが、GGのケリー・ミネアーを分析する前に、ゴングのこちらの方を分析すればさらにジャズ界における高次のモード導入を手っ取り早く会得することができるものであろうと左近治は思っております。食わず嫌い&聴かず嫌いをせずに楽理を学びたい方にはマスト・アイテムですので蛇足ながらレコメンさせていただきました(笑)。


で、本題のヴァイの作品「Bledsoe Bluvd」でありますが、もうコレはどう聴いてものっけからオーギュメンテッド・メジャー7thの分散フレーズで構築されているワケでありますが、前回のブログで取り上げたケイ赤城の「The Return」と比較しても、これほど異質なモノとなるワケですな。無論「AM7(+5)」と「EbM7(+5)」という違いはありますけどね(笑)。


ヴァイの場合は5th音を移ろわせるんですな。AM7(+5) → AM7(-5)という風に。AM7(-5)というのは正確にはAM7(+11)の5th音簡略形と解釈して宜しいと思われます。


ハード・ロック系ギタリストして名を馳せた人を軽視すべきではありませんが、「ジャズ屋」の多くは楽理的側面が前面にアピールされない音楽ジャンルを見下すような人が存在すると思います(笑)。

よもやロック界においてこのような和声的感覚を備えている人がいるというのに、最近のジャズ屋と来たら目も当てられません(笑)。スティーヴ・ヴァイという音楽的なバックボーンを知っている人であればそれにミソ付ける人がいなくなってしまうというのが大半のケースではないかと思うんですが(笑)、ジャズ屋として多少なりともいきがっている精神備えているのならソコでバックボーン知ったところで平伏すことなく納得しうる音出してみろ、と言いたいのでありますが、覚えたところでこの手の人達というのは何のジャンルをやらせてもセンスから溢れだして構築されるような音というのは決して生み出されないのがいかに多いことか。実に嘆かわしい現実でもあります(笑)。まあもっといえば着メロ屋にこんなコト言われて恥じない方がおかしいのかもしれませんけどね(笑)。


そういう輩を相手にして戦いを挑もうなど微塵も思っておりませんし、ましてや戦いどころか競争でもありません。それじゃ隣の車線でついつい自分よりも速い車見かけて競争し合ってしまうような幼稚な行動と変わりありません(笑)。挙句の果てには先行かせた所で突然急ブレーキ踏んで危険行為をしてくるアホドライバーとなんら変わりありません。


こういうコトで競争するのではなく、平たく音楽の持つ和声ってモノに耳傾けていれば、自身の音楽観では到底説明や解釈の及ばない所の魅力というものに自然と触れ合うことができるはずなのに、自身の嗜好する世界があまりにも矮小なために受け止めきれない事象を「嫌いな音楽」としてフィルタリングさせてしまっているのはあまりにも勿体無いコトなのではないかな、と思う今年きりなワケであります。


ジャズであろうとロックであろうと、出てくる楽器の音のそれはキャラクターこそ違えど同じベクトル向いて出してる音など往々にしてあるコトなのに、一方ではロックな音ならアリでジャズな音ならバッサリ切り捨て!その逆も然り。こーゆー偏狭リスナーに愛されてしまう音楽とやらが可哀想で仕方ありません。


私のブログとやらを好意的に受け止めてくれる方がいれば、それはどんなジャンルであろうとも無関係に題材にするという所を最大限に受け止めていただければお判りいただけるのかもしれません(笑)。そんな私も決して50TAを忘れはしませんが、別耳で聴いているものですので、その辺りを混同されちゃうと困りモノであります。50TAの念願のCDリリース。エイベックスの従来の動きであらば、おそらくは新年度になるのではないかと。