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The Return [クロスオーバー]

別にRTF(=リターン・トゥ・フォーエヴァー)のコトを語るのではないのでありまして、今回はこのようなタイトルにすることに。このタイトルを確認して即座にアイアートの曲を想起していただける方ならかなりのマニアだと思うのでありますが(笑)、フローラ・プリムの夫でもあるアイアート・モレイラの曲であるのは言うまでもありません。作曲者は日本が誇るミュージシャンのひとりでもあるケイ赤城ですね。


私がケイ赤城の音に最初に出会ったのはアイアート絡みではなく、渡辺香津美のアルバム「Mobo」が最初でした。もっともアイアート関連やホールズワース関連をリアルタイムに見聞きしていた方もいらっしゃるとは思うのでありますが、私の見聞の浅さからすれば渡辺香津美絡みで精一杯だったのでありました。


前述のアルバム「Mobo」収録の「Voyage」やら「遠州つばめ返し」のケイ赤城の演奏がかなり好きだったりするワケでありますが、私がケイ赤城を尊敬するのはポリ・モーダルの鋭敏な察知力を伴うインプロヴィゼーションを聴くことのできる稀有な方、という風に捉えているワケでありまして、そういう点から敬愛しているミュージシャンのひとりであるのであります。


音楽のバックボーンとしてはジャズがメインであるため、和声的にも「垂直レベル」で音を稼いでいるジャズにおいて、さらなる「ポリ・モーダル」な感覚を鋭敏に備えている、と表現しているのでありますが、私の表現する「ポリ・モーダル」な感覚というのは、貪欲に和声を稼いだハーモニーの中にあっても、その中でハミ出すことのできるような音の紋様の描き方を熟知されている感覚、という風な意味合いなのであります。


コードというのは、その構成音が多ければ多いほどひとつのモードを確定することに近付きます。主旋律も無い状況でドミソというメジャー・トライアドを一発鳴らされた状況で、誰もハ長調を確定できるワケではありません(笑)。ところが朧気ながら「おそらくは」という、誰しもが想起し得る簡便的なモードというのは確定には至らずとも想起させることができるものでもありまして、これを利用して「次にはこういう音行くんだろ!?」という大方のイメージを覆すような錯覚を用いて調的な幅を拡大して「ダマす」というような技法だって多くあるワケであります。


メジャー・トライアドだって「形式通り」のようにC△、F△、G△と鳴らされれば、各々の和声の構成音はシンプルであれど、「形式通り」にスケール・ディグリーの位置に構築されるメジャー・トライアド且つ、各々の構成音を羅列すればCメジャー・スケールの全ての音を網羅する最小レベルの形式であるからこそ、Cメジャー・スケールというものを「確定」するに相応しい形式なのであります。それは、トニック、サブドミナント、ドミナントという「通常の世界」の様式に沿った位置に構成される最小単位の和声、ということでもあります。


故に、長調のスリー・コード(=主要三和音)と、その平行調の主要三和音というのは結局のところ同じ(平行調の属和音を属七に変化させない限り)なので、決して「転調」とは呼ばないということも以前に語った通りであります。


単一のコードで構成音が多ければ多いほど、その時点でモードは更に確定しやすい状況にあるとも言えます。とはいえ、その状況の呪縛から解き放たれるかのように「ダマし」の技法を導入するには、確定しやすい状況からさらに異質の世界へと飛び越えなくてはならないワケですから、ここには色んな次なるコードへの進行をするためのワザが要求されるものでもありましょう。


耳の肥えていない或いは習熟しきれていない方からすれば、そんな技法を目まぐるしく聞かされていると、いつ腰を据えて聴いていいのか判らない「不確定」な状況なのでありましょう。故に「耳が付いていかない」という、揺れの激しい船の上で船酔いしてしまっているような状況なのかもしれませんな(笑)。


ある程度耳が習熟されてくると、それらの「ダマし」も大方読めるようになってくるモノでして(笑)、「あーあ、やっぱココに来ちゃうのかー」みたいな曲も多くあったりして(笑)、調的な世界の飛び越えとやらは○○だとこの程度か、みたいな判断が付くようになるんですな(笑)。


ところが、そんな判断すら飛び越えて「アッチの世界」へヒョイヒョイ行く人達も当然沢山いるワケでありまして、左近治はとりわけこーゆー人達を好むワケでありますな(笑)。先述のケイ赤城という方も勿論、この手の人なのであります。


まあ、いくら六声、七声などと和声を「稼ごう」とも、ドミナント7thを基にしているコードで、例えばオルタード・テンションを稼いだ和声のシーンにおいては基となるコードそのものが基軸が強固であるため、次の進行を予測しやすい状況にある和声だということもありまして、重要な「ポリ・モーダル」の感覚というのは、そういう状況であろうとも、垂直レベルで「別のモード」や他の調性感を同居させる感覚を養うことが重要なのでありまして、そのようなハーモニーが生み出す「垂直レベル」で見た時の和声というのは、通常のコード・ネーム表記ではとても収まらない世界観を誘うモノでありまして、こういう感覚を有している人が敬愛すべき人なのであります。ケイ赤城という人はその世界観の見出し方が鋭敏なひとり、と言いたいのですな。


先にもGG(=ジェントル・ジャイアント)の「Free Hand」を取り上げたように、各声部で異なるモードを形容していて、それを垂直レベルで見た場合、非常に多様な和声感を演出している、というコトを引き合いに出したモノですが、クラシックの世界においては対位法やフーガの技法で多く散見することはできても、それをジャズの世界(ほとんどが垂直レベルだけの和声感)において、このような対位的な感覚を併せて有している人はかなり少なくなるモノでもあります。


さらには、和声が大いに提示されている(稼がれている状況)においても臆することなく別の紋様を描ける鋭敏な和声感覚を有している人というのは本当に少なくなってしまうモノでして、こういう領域で紋様を描くことのできない杓子定規な音を出すだけの人達というのは、私がよく言う「ジャズ屋」なのでありますな(笑)。まあ別にジャズに限らず、プログレ屋だのフュージョン屋さんだのロック屋さんも多数おりますけどね(笑)。


で、どんなハイパーな(通常のコード表記には収まらないような)和声が与えられているような情況においても、それらをシンプルに解体して幾つかのモードに分けたり、トライアドに解体することは可能でありまして、それらを瞬時に鋭敏に判別して自身の肥やしとするべく、音を操れる人こそが敬愛すべき人なのでありますな。こういう感覚というのは理論書熟読したor音楽学校通った程度では絶対会得できないモノなのでもあります。紙の上ではどんなにイメージを共有できようとも、それを咀嚼すべくワザを磨いていなければ決して得られないモノなんですな。


ケイ赤城の「The Return」という曲は、本当なら左近治がKクリでリリースしたかった作品だったのでありますが、権利関係の面でどうしてもリリースすることができなかった曲でもあるのですが(笑)、リリースできないからといってソッポ向くのではなくてですね(笑)、左近治の場合、制作が出来ようが出来まいが、自分の好む楽曲を分析しているのが日常でありまして(笑)、そうした中から抜粋してリリースしていることが殆どなのであります。


「The Return」ののっけからのイントロのオーギュメンテッド・メジャー7thだけでも充分に心酔し得るモノでありますが、ここで乗っかってくるフローラ・プリムの旋律がまた絶妙なんですな、コレが(笑)。

EbM7(+5)というコード、今ではポピュラー・ミュージックにおいても使用頻度がある程度高まってきたコードでありますし、マイナー・メジャー7th or 9thコードを用いるよりも和声的な響きにおいては幾分スムーズに導入できて「メロディック・マイナー・モード」の情感を借用でき得るシチュエーションでもありまして、以前にもアジムスの「A Presa」などではオーギュメンテッド・メジャー7thのセカンド・ベースの使用法で説明したこともありましたが、クリシェ程度でしかマイナー・メジャー7th系(マイナー・メジャー9th含)を使うことのできない輩がそれでも尚且つ手を伸ばしやすいメロディック・マイナー・モードの情感はオーギュメンテッド・メジャー7thの方でもあるんですが、そんな輩の使い方と、本当に情感知ってる人達の旋律の追い方や酔わせ方は全く異なるんですな。そういう美しさと調的&和声的なうつろいを堪能できる曲のひとつに「The Return」を題材に語った、というコトなのでありますな。


近年、ポピュラー・ミュージック界においては中島美嘉の「Stars」をアレンジした冨田恵一のコード・ワークでハーフ・ディミニッシュト9thの使い方は非常にイイ持ってき方だと思いましたが、こういう借用程度でもポピュラー・ミュージック界ではなかなか聴くことができない世界を声高に語っているんですな(笑)。味楽るミミカのディミニッシュ・メジャー7thの忍ばせ方はまた別のハナシで(笑)、こっちはよくあるオルタード・テンション方のドミナント7thコードの簡略型だったりもするので、こういう所でもきちんと見抜かないといけないのでありますが、私のブログを継続して読まれている方なら、この辺りで騙されてしまっている方はいないと思うのでありますが、細心の注意はどんなシーンにおいても必要なことなのでありますな。