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減七度という音程 [楽理]




扨て、今回はタイトル通り「減七度」について語ってみようかと思います。


「通常」、我々が扱う音階というのは7音で構成されておりまして、ある音を基準に7番目の音が長六度と同じ半音音程の数だけれども「7番目」の音。それがすなわち「減七度」というワケであります。


つまるところ、音階が7音で構成されているのであれば、減七度から完全八度(=オクターヴ)の間は増二度(=実質は短三度)という「広い」音程差が生じるものの、その間に8番目の音は無いということを意味します(7音を超える音で構成されているのならハナシは別ですが)。


減七度は、先ほども語ったように平均律上では長六度と等しい音程差であります。しかしながら7音で構成される音階を前提に減七度が存在するのであれば、その前の6番目の音の存在というのは勿論在るワケですが、少なくとも6番目の音が長六度の位置に存在するということは無いんですな。


すると、よっぽど変わった音階ではない限りは、おそらく6番目の音は短六度の所に存在するのが「自然」でありまして、場合によっては減六度なんていうのもありますし重減六度だってあるかもしれない(笑)。まあ、そこまで可能性ばかり追求しても神経質すぎるかな、と。というワケで短六度という音程を生ずる位置に6番目の音がある方が自然な考えではあります。


では5番目の音は!?


場合によっては完全五度という音程に位置する場合もあるでしょうが、大半は「減五度」でありましょう。ジプシー系の音階やら7音を超える音で構成される音階であれば、色んな可能性も増えてきますが、まあ先ほども申しているように、大半は5番目は「減五度」に位置することが多いことでありましょう。


無論、ジプシー系の音階を取り扱うことの多い左近治のブログでは、完全五度と短六度と減七度という、結果的に半音で5・6・7番目の音が位置していることなど珍しくはないため、異名同音という音程のパラドックスに頭痛めてほしくないので、今回あらためて「減七度」について語っているワケであります。


例えば、ハンガリアン・マイナー・スケールというのは第4・5・6音に半音音程を生じているワケですが、数える基準を第6音から音程差を数えれば、自ずとそれは5・6・7番目に半音音程を生じていることになるというのは明白ですね。


この手の少々変わったモードを扱うようになると、「7番目」の音の使い方、つまり「七度」の扱いというのをかなりシビアに感じていないといけない場面が増えるんですな。


通常の音世界の場合、七度の扱いというのは長七か短七なんです。


減七度が生ずるシーン、これはあくまでも経過的な音の世界でのハナシではなくて、モードとして扱っていると、モード・チェンジが行われない限り、減七度音程をどこかで生じている調的な世界の支配下にあるワケですな。


それをシビアに感じておらずに減七度と八度(=完全八度)の間に「見かけ上」短三度が生じているからといって、存在しないはずの予期せぬ音を弾いて埋められた日にゃあ、左近治なら途端に怒号を浴びせ上足脾骨にブチかますでありましょう(笑)。


でまあ、減七の音程を持つ和音で最も理解しやすいのは、減七の和音という四和音であります。減三和音(=ディミニッシュ・トライアド)に減七度の音が付加されている和声ですな。


7音を超える音で構成される音階の場合、オクターヴに行く前に8番目や9番目の音が存在することとなります。イレヴン・トーン・スケールであれば11番目の音があってようやく次がオクターヴ、半音階なら12番目の音があって次がようやくオクターヴ、と(笑)。ここまで考えるとキリがありません(笑)。


しかしながら、ディミニッシュトおよびコンディミという8音音階やチェレプニンという9音音階などを頻繁に扱うようになると、ディミニッシュ・トライアドに七度の音が付加されているというシーンは必ずしもコード・ネーム上においては減七の表記が足枷になることがあるんですよ。

つまり、ディミニッシュ・トライアドに長七が付加されている音。多くのケースでは通常ならばドミナント7th上にb9thというテンションを生じている時の7th音省略形として見出せるシーンが多いと思いますが、こういう例に限らず、減七の次に存在する音があるため、コード・ネームで単に「減七」を表記してしまうと、その先を読むことができないままに「浅はかな」知識とごくありふれた調的な世界の解釈によって演奏してしまう愚かな連中がいるんですなー。


そういう「おバカ」な行為を展開させてしまうよりも、コードネームで「減三和音」としてキツい制限を与え、ソイツ用にコード譜作って渡し、他の「理解ある」連中だけで、減七度である音や、「その先の音」を楽しんでいる場合もあるんですが、迷惑かけられちゃうならハナから制限させておいた方がマシなケースもありますし、余計なトラブルが生じることも少なくなるワケです(笑)。

まあ、ある意味では制限かけられてしまっているというこは「ハブ」(=省かれている)にされているとも言えますけどね(笑)。


こーゆーコトも往々にしてあるので、私の周囲においては減三和音と減七の和音というのは厳格に区別しているというのもあるんですな。「dim」表記見たら必ず減七の四和音だのとバカの一つ覚えで対処しきれないシーンの方が多くなってしまうための策なんですな(笑)。


無論、その「ひとつ覚え」で対処でき得るシーンであるなら問題はそうそう生じないかもしれませんが、ま、その局面においてはフツーのアプローチで事足りたワケでありまして、事足りないシーンにおいてはその解釈が左近治を怒らせるコトになってしまうというワケであります(笑)。


まあ、そういう例も含めて、あらためて左近治の取り扱う世界においては、なかなか普通の世界の理解と一緒にされてしまうと副作用の方が強くなりかねないものとなるので、あらためて詳しく語っているワケでありますな。


朱に交われば赤くなっていただきたいんですな。どんなに黒い人だろうが白い人だろうが(笑)。そういう幅を備えていない限りは、なかんずく音楽の器楽的側面&楽理的側面を高めたいという人であるならば、マージン備えて色んな流儀に要所要所で「染まった」理解をしてほしいモノなのであります。無論、万人に必要なコトでもありませんけどね(笑)。