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ジプシー音階のおさらいとハーモニック・マイナー完全四度下スケール [楽理]

扨てと、今回は以前にも語ったジプシー音階たちのおさらいを含めた上で話題を進めていこうかと思います。今回、画像で確認できるスケール群にはそれぞれ名称を付加させておきましたので、お間違いのないように下記のスケール群を確認しながらお付き合い願えればな、と。


基本的に、左近治がジプシー系の音階を用いる時というのは「ハンガリアン・マイナー」か「ジプシー・マイナー」という音階を使う頻度が高いです。特に、ハンガリアン・マイナーの第7音が半音下がった「ジプシー・マイナー」は、ウォルター・ベッカー先生はとてもよく使います。


BTW、ウィキペディアにおいては「ハンガリアン・マイナー」というこちらの方が比較的広く知られている呼称で親しまれている音階を「ハンガリアン・ジプシー」という風に名付けられておりますが、この辺は混同せぬようにご理解願いたいと思います。


そもそも、ジプシー系の音階をダイアトニック・モードとして扱って楽曲を構築することは、流行系の音楽ばかり耳にしている方だと親しみは希薄だと思います。また、作る側としても経過的なモード・チェンジとして旋法を変える程度の味付けで出てくる程度が多かったりしますが、通常の和声的な世界観では得られない特殊でハイパーな音に近付けるため、そのようなキワい音を好む人からするとかなりオイシイ音階となるのであります(笑)。


過去の私の記事も含めて混同しないように語っていきたいので、私のブログにおいては「ハンガリアン・ジプシー」を「ハンガリアン・マイナー」と統一して語っていこうと思います。国内だけでなく海外でも「ハンガリアン・マイナー」の方がポピュラーだと思うんですけどね(笑)。そもそもそれほど多くの人に認知・実践されているワケでもないコトなので、名称や呼称だけにこだわるコトだけは避けたいというのが左近治のホンネであります(笑)。故に、呼び方などどうでもイイと常々語っているワケであります(笑)。


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で、以前のブログでも語っているように、エドモン・コステールがジプシー系の音階として取り上げている音階というのが、画像で確認できる「ハンガリアン・スケール」というヤツであります。


この「ハンガリアン・スケール」というのは、エドモン・コステール曰くジプシー系音階の原型とも呼べるもののようで、ハンガリアン・マイナー主体で見れば、ハンガリアン・マイナーの第5音のモードとも言えるワケですな。言い換えるなら、「ハンガリアン・スケール」の第4音のモード・スケールが「ハンガリアン・マイナー」であるとも言えるワケであります。


ココで今一度、教会旋法の基本とやらを思い返していただきたいのでありますが、正格旋法ではなく変格旋法というのを今一度確認していただきたいというコトであります。


変格旋法というのはそもそもモード・スケールの第4音を終止音とする、というコトが大前提なワケであります。

まあ判りやすく言えば、ブルース・ハープでC調のヤツ買ってハ長調の曲吹くおバカな人は居ないと思うんですが(笑)、つまりそのC調でDマイナー・キーの曲(Dドリアンとして対処する)やらGのブルースを楽しんだりするワケでありまして、変格旋法とは、Aナチュラル・マイナーと同じ音並びを扱っているのに、D音が終止音となる例、というコトを意味します。つまるところDマイナー・キーの曲をDドリアンで代用するとAナチュラル・マイナーと同じ音使っているのに、終止音はA音じゃないでしょ!というコトを述べているワケなんですな。


音や音列の性格が判断できない人に、音も聴かないでコレを文章だけで理解させるのは難しいと思います。ヒドイ人などココで断念してしまうヒトですら居るというのも悲しいかな現実です。

ただ、なかんずく調的な側面を深く知ろうとする者或いは楽理的側面を深く追求したいという者であるならば、ココで断念してしまうとアタマん中の器楽的な響きは常に長調と短調だけの「強い呪縛」に支配されてしまって、調的な拡大やら耳がおっつかない弊害を生んでしまうことになりかねないワケで注意が必要だと思われます。


例えば、チャーチ・モードの世界の中において非常に強固な性格を持つのは長音階と短音階というふたつの音階であります。フリジアンを除けば他のモードは長音階タイプか短音階タイプとして分類(代用)されているのが殆どであります。

私的な論点ではあるものの、フリジアンという性格はいわゆる長音階・短音階のような「強い」情感のある音階として分類してもいいのではないかなとは個人的に思ってはいるものの(笑)、前述のチャーチ・モードの「代用」という現実的な用法に加え、モードの性格として非常に重要なのは、誰もが感覚的に備えている長音階・短音階としての強い情感を「暈す」テクニックにあると断言できると思います。


それらの通常「強くて重い情感」というのは、5つの全音と2つの半音の位置が情緒を得るためのバランスとして非常に巧いこと配置されているワケですな。最も共鳴感を得られるであろう完全四度(下属音)と完全五度(属音)を例に挙げれば、これらの音を根音とした時に得られる和音を構成する音には実に絶妙に半音音程が隣接しているワケですな。


時として、変格旋法というのは通常の長音階・短音階として認識するであろう情感の属音の位置を「暈す」ことで、別の調性を拝借したような「ダマしのテクニック」があるワケでありまして、Aナチュラル・マイナーと同じ音並びなのにDマイナー的(=Dドリアン)として聴かせ、それを今度はDナチュラル・マイナーに変化させていったりなど、誰もが備えているであろうそれらの音階の情感の帰結性とやらを暈すことがダマしのテクニックであると思っていただければよいかと思います。

通常、平均的な器楽的経験を有している方で特に鍵盤楽器をたしなむ人ならば、この手の「ダマし」というのはバッハの楽曲やらトルコ行進曲などで触れることが多いと思います。


例えばEフリジアンをフリジアンとして使うための作法というのは、決してAマイナーに帰結させようとせずに楽しんでいるワケですね。フリジアンの情感を得るための特徴的な音は、第2音が主音と半音構成になっているが故に「行ったり来たり感」を演出ができるものでして、フリジアンから派生したスパニッシュ・スケールというものがあります。

Em → F△ → G△ → F△ の延々繰り返しよりも、Emにを偽終止感を演出するために「E△にしちまおうぜ!」というのがスパニッシュの始まり。故にスパニッシュはフリジアンから派生したフリジアンとのイイとこ取りの「8音音階」なワケであります。


Aナチュラル・マイナーから見れば第5音に位置するのも注目すべき点ですが、ナチュラル・マイナーの属音の扱いを必ずしも属七の和音に変化させずに、調的な帰結感の「寸止め」的な情感から確立されたものであろうということは容易に推察ができますし、古代ギリシア時代からフリジアンは重宝されていたワケですな。


また、短音階において得られる完全四度(下属音)と完全五度(属音)を和声的に導入した時に、例えばベースを5度ベースに、アッパーはマイナーで11th音追加しちゃったりすると、これまた調的な浮遊感覚が得られることであります。マイナー・コードにおける11th音は結構重要なものでありまして、これが多調感を演出するワケですな。


マイナー11thサウンドというのは特に珍しい用法ではありませんし、かなりポピュラーであるものの、パッと浮かぶ名曲で最たる曲というのは次のような感じです。


「I’m Every Girl」/チャカ・カーン
「処女航海」/ハービー・ハンコック
「Your Gold Teeth II」/スティーリー・ダン
「I Can’t Go For That」/ダリル・ホール&ジョン・オーツ
「メリー・ゴーラウンド」/山下達郎
「クラリネットとピアノのソナタ第三楽章」/パウル・ヒンデミット


手前味噌でありますが、この内多くの楽曲を左近治は着うたリリースしているものでありまして、私のブログと連携を取りつつ曲の「志向性」の整合性を保っているのであります(笑)。闇雲にてめえの好きな曲ばかりリリースしているワケではないというトコロをご理解いただきたいのですが、なにゆえマイナー11thにハナシが飛んだのか?というのは、モードの「変格旋法」たる性格と、マイナー・キーにおける下属音と属音などの扱い、例えばDマイナー・キーでDドリアン弾いていたのにいつの間にかAドリアンを導入して調的な基軸を「暈す」みたいな(笑)、そんな部分と結び付けて考えていただければと思い例に挙げたワケであります。


よくある完全四度音程を積み上げた四度コードというのは、概ね5度・ルート・四度・七度・三度らを用いていたりしてそれらの和声の性格を四度を保つことで「暈かし」、他の調性との共通性を巧みに利用したりして、センターとなる調性の「基軸」を暈かしたテクニックとも言えるワケですな。


変格旋法における第4音の取り扱い、自然短音階とフリジアンの度数の関係、ハンガリアン・スケールとハンガリアン・マイナーとの度数的な関係を紐解くと「なるほどな」と思っていただけるのではないかと思います。


で、イングヴェイ・マルムスティーンではおなじみの「ハーモニック・マイナー完全五度下」というのがありますね(笑)。

Harmonic Minor Perfect 5th Belowとかフリジアン・ドミナントだのまどろっこしい呼び方もありますが(笑)、端的に言えばハーモニック・マイナーの第5音のモードがハーモニック・マイナー完全五度下なんだよ、というこってすな。


通常、フリジアン・ドミナントとしての情緒の扱いというのは、例えばCフリジアン・ドミナントだとしたらトーナル・センターであるFには帰結させずに「うごめき」を楽しむワケですね(笑)。こういう振る舞いは、フリジアンと似た振る舞いだと思っていただいて差し支えないでしょう。


こういう「振る舞い」を本来帰結させようとしまうところを避けつつ楽しむのが「モード」たる手法でありまして、この「振る舞い」をありとあらゆる音階において咀嚼して昇華させることが重要なのでありますな。ところが大体はトーシロでも判りやすい情緒を持つモードの世界しか扱わないのが現実であります。ジャズの世界なら普通にありふれた光景でありますが、幼稚園通い出した時からジャズ聴いてたような人ではない限り、大抵は調性クッキリハッキリの曲に触れ合っているのが現実でありましょう。


余談ですが、私の場合フリジアン・ドミナントの手法に出会ったのはインギーではなくウリ・ジョン・ロートだったりするんですが(笑)。荒城の月大好き♪なウリ・ジョン・ロート御大。



んで、音楽学校でポピュラー音楽やジャズ理論を学んだ方なら聞いたことのある手法があると思うんですが、そのひとつに例えば「ハーモニック・マイナー完全四度下」というのを挙げてみたいと思います。


ま、ハーモニック・マイナーの第4音のモードですよ。ただ、フリジアン・ドミナントという今やすっかりポピュラーなモード手法とは違って、こちらはポピュラーではないのは確かです(笑)。


今回はすっかり長くなってしまったので、核心に迫るのは次回以降というコトになりそうですね(笑)。