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アウトな音が「アウツ!」じゃダメなんですよ [楽理]

アウトサイドな音への欲望というのは、他人の音を数聴いて覚えるだけでは結局身に付かないモノだというコトを述べたかったワケでもありますが、ある程度のコト語っても額面以上に受け止められる人というのはそうそう居るモノではありません。

まあ、現実には額面以下と他人への過小評価と過剰なばかりの自己愛が成長を阻害させてしまうのは音楽に限ったコトではありません。アウトサイドな音への欲望に純真な気持ちで挑んでいても、チャーチ・モードのダイアトニックな世界のフラ付きすらマスターできない人達だって居るのですからね。ココに音楽ジャンルは無関係なのでありますが、判りやすい例を挙げて左近治はレゲエだの色々今回語っていたのでありますな(笑)。


なかんずく調性の解釈を拡大しようと志す者であれば、音に対しては謙虚で貪欲でなければならないものの、少なくとも音が完全に間違えてしまっているような演奏まで謙虚に受け止めろとまでは言いません。その判断すら曖昧になるようではアウトサイドの世界観を理解することはできないと思うんですな。


例えばジャズ・ライフ誌2009年9月号の小曽根真とジュリアン・レイジのセミナーの記事がありますが、本号ではジュリアン・レイジのメッセージと演奏例を確認してもらえれば、これまで左近治の語る世界がどういうモノなのか!?というコトをご理解いただけるかと思います。

どこの馬の骨かも判らぬ左近治のような者のブログよりも遥かに説得力のあるジュリアン・レイジの方を確認いただければ理解が進むのではないかと思うのでありますが、ジュリアン・レイジの提示する譜例の中には本文では触れられておりませんが、ソコにはヘクサ・コードやチェレプニンへ拡大解釈できることと、マイナー・コード上におけるスケール外の音の使用例を見れば、これまで左近治が散々語って来たことを比較していただければ、私が如何に逐一細かく語って来ているのかということがご理解いただけるのではないかと信じてやみません(笑)。

ところが、ジャズ・ライフ誌でも私が語って来ているような根拠までは明示しておりません。だからといって左近治が偉いだのスゲーだの、ジャズ・ライフ誌をあてこすりで批判しているワケではなくてですね、寧ろ、現在のような景気低迷によりスポンサーや広告もなかなか付かないような雑誌媒体で、アウトサイドの世界観をミュージシャンの手による生の声を掲載しているだけでもよっぽど価値があるモノですし、さらには根拠まで雑誌に求めず、自分で開拓・追究しようとする意思が無ければ絶対得られないモノだと思うんですよ。正直なトコロ、左近治のブログ読んでるヒマあったら追究しなくてはならないコト、沢山あるはずなんですね。私自身は自分で判っているが故にいくらでも好きなように時間つぶせますけれど。


詳細に追究しない雑誌と断罪するのも結構でしょうが、今の時代においてこういう風に載せてくれていることに感謝しなければいけませんし、ミュージシャン側も結構昔よりもネタ披露してくれていると思うんですけど、そこを読み取らず自身の追究を怠ってはならないと言いたいんですな。

ジャズが結果的に半世紀ほど前の音がいまだにもてはやされるという現実もひいては、それ以降の世代が形骸化しただけの、よもや先駆者達のテンプレートみたいなモノを利用しているだけに等しいような音しか出さないのが増えてしまっているだけなので飽きられてしまっているのでありますよ。この手の、テンプレートに沿った程度の音しか出せないのが○○屋、と呼ばれる所以でしょうな。


アウトサイドな世界観がとても巧みに表現されている演奏例など沢山あるワケですが、この手の音楽に疎い方だと「ジャンル」としての大きな一括りで捕えてしまうようなトコロがあるので、そのジャンルの中にも不必要と思われる演奏が存在するワケですがこういうのは実はとても手の届きやすい所に存在しているのが実情でありまして、労せずして手を伸ばして入手した音程度で嫌悪感を抱いてしまったり、その辺で充足している人が多いのも事実です。ジャズ周辺に限ったことではなく、どんな音楽ジャンルにも当てはまるコトだと思います。


とりあえず、私が楽理面においてアウトサイドな音を得るために語っている共通するコトは、ドミナント7thを極力導入しないコード進行におけるフレージングと、マイナー・コード上でのアウトサイド、それとメジャー7th上でのハイパーな音使いという、大きく分けて3つの共通する所があります。

メジャー・コードとマイナー・コードってぇのはルートの扱いさえ変えれば似た構成音(特に平行調でのトニックの扱いのような)を得る訳ですが、それぞれの性格は全く異なるワケでして、正直な所、短和音の扱いの方が可能性を秘めております。この理論的根拠というのは、そもそも短和音というものが、振動比の視点で見た場合、基本形のヴォイシングよりも転回形の方に安定度が高まるという根拠から導かれております。


故に、ミラー・モードという概念と、7つあるチャーチ・モードのスケールのそれぞれの第4音がどういう性格を持っているのか!?という事から根拠を得て、マイナー・コードの可能性について語っているワケであります。


現在も生き残る長音階と短音階、これらは古くのギリシャ旋法から残ったモノですが、変格旋法というのはつまり、Aマイナーを例に挙げれば、Aマイナー・スケールの第4音が主音(=終止音)という扱いだったワケですね。

この旋法の扱い、つまり変格旋法における第4音の振る舞いというのがモードの扱いとしての根拠となる開始点なのでありまして、Aマイナー・キーにおいてAドリアンで代用してもEマイナーの世界に聴こえさせないような振る舞いの根拠である、というワケですな。

そういうモードの初歩的且つ重要な特徴を忘却の彼方で、ミラー・モードまでに拡大できない者が多いのは実に嘆かわしいコトなんですな。


濱瀬元彦の「ブルーノートと調性」という著書は、あらゆる音階に対して和声的な世界で語っているので、変格旋法やらミラー・モードの解釈すら理解している人が学ぶべき本だと思いますが、基本的な理論的知識無しに理解するには相当難しいモノだと思います。また、この手の世界観において言及している著書も少ないモノでありまして、他にも国内外合わせて色んな理論書はあるものの、近年の後発する理論書の類というのは理論的根拠に全く触れずにフレーズ集を集めているだけのようなモノがどんなに多いコトか(笑)。


書物の方でもこうなのだから読者が理解できるワケもない(笑)。料理のレシピ紹介と思いきや、塩梅の配合やらそれらについては全く触れずに自家製調味料売り付けられるようなモノに等しいワケですな(笑)。味そのものを作りたい人にしてみれば結局根拠を知ることができないワケです(笑)。


今から千何百年も前には、単純な整数比だけではなく微分音(=半音より狭い音程)から生じるテトラコルドが実際に存在していたワケですが、いずれはこの世界の領域に入って、新たな音階や理論が展開されて音楽が発達するのではないかと私は思っているんですな。実際に私は六分音とか大好きですけどね。完全五度と不完全五度の音程差が「ほぼ」六分音の半分くらいですけどね。


まあ、そんなワケで長くなってきたので今回は下記のようなフレーズの譜例を挙げて、アウトな世界を探ってみていただこうかな、と。


2小節ずつのワン・コードで、コード進行は「Cm7(9) --> Db△7 (on Eb)」という進行を想定しております。キーはCmを想起しております。


「いつもの」音使いでありますが、お試しください。

Outphrase_Cm.jpg