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器楽的なコダワリ [楽理]

左近治の器楽的なこだわりはというと、やはりベースを嗜む以上ソコには色んなこだわりがあったりします。

例えば弦はというと!?

ghsの弦だったり。まあ今の社会ではどう呼ばれているかは判りませんが、昔は「ガス」なんて呼んだりしていたコトもありました。今だとまんま「ジーエイチエス」だと思うんですけどね。AKGを「アカゲ」と呼ぶようなモンでしてギブソンのコピーモデル「Orville」をオリバーだのオーバイルだのと読み間違えるソレとは異質なモノだとご理解くださいね(笑)。

まあ、弦ひとつ取っても人それぞれのこだわりというのはあるでしょうし、楽器と深い付き合いをするようになると当初は感覚的にしか捉えられるコトが出来なかった部分も深く解釈して、感覚的なモノに対して解を求めていくような追究があって初めてこだわりが構築されていくワケでありますな。一歩間違えればココにはステレオタイプになりかねない落とし穴があったりするワケですが、この落とし穴にハマってしまいやすいのは往々にして間違った解釈やら面倒臭さが講じて備えてしまっていることが殆どなのではないかと思うワケですな。学校教育において音楽など、義務教育過程を修了したところで誰もがプロレベルの器楽的な技術習得を可能にするワケでもない(笑)。音楽に限らず学校に通っていようが勉強すらできない人だっているのが現実と来たモンだ。

芸術分野に注力する人でなければ受験において音楽や絵画などの分野はそれこそ「不必要」という人だっているかもしれません。まあ、暗記力がモノを言う世界に身を投じようとするならば音楽界隈のことをいくら詰め込んで記憶しようとも技量を向上させられるワケでもない。ある意味、受験対策用としての勉学の効率化みたいなモノを音楽において同様に考えてしまうようでは先が思いやられます(笑)。

問題なのは、その「効率化」という部分。先のブログでも接客やら人のココロみたいなコトにアレコレ述べたワケですが、効率化を優先するがあまり、蔑ろにしてしまっているコトが多い、という事に触れたかったワケですけどね、時間というのは皆等しく、いくら時間があっても足りないくらい時間が欲しいと思うようなコトなどいくらでも直面しているとは思うんですな。だからこそ効率化アップを声高に叫ぶのかもしれませんが、音楽において効率をアップさせるのであれば読譜力。コレに尽きると思うんですな。

自分一人で完結させてしまうのであれば他者とのコミュニケーションは極力少なくて済むワケでありますので、もしもその手の人が楽譜が読めないとしても自分自身がきちんと音を把握していて統率しているなら結構なコトですが、現実ではなかなかそうはいきません。まあ、誰しもが「自分が数人居たらイイのに」なんて考えるコトはあると思います(笑)。

ミキシングやらMAの現場の人達でも読譜力は要求されるシーンだってあると思います。そういう能力を必要とされるシーンが無いことだってあるかもしれませんが。少なくともリズム譜や小節追うくらいの読譜力は身に付けて当然だとは思うんですな。なんつったって楽譜というのは言葉が通じなくても共有できるという最低限の共通認識ですからね。

読譜力を身に付けてもbpm120前後の曲で付点16分音符書いたとします。概ね面食らう人が多いんですね(笑)。そういう符割に狼狽していたら

「ハイっ。じゃあ、3拍8連刻んでみっか!」

と一声掛けるだけで3拍に8つの音節ブチ込んだりしてみんなリズムを取ろうとする。そうするとその感じを掴めるようになる、と。私のバンドだと8分裏から2拍3連刻むようなリズムも普通にあるので、ある意味各人のリズムのクセを矯正するためにも、アクセントの感覚を4分の4拍子であろうと、わざと変拍子のように解釈させたり(4/4拍子が2小節あったとしたら9/8 + 7/8として考えさせたり)するワケですな。

とはいえ複合拍子を読めなかったりする者も中には居たりするんですな。

例えば11/16 + 7/8拍子という複合拍子が拍子が変わらずにずーっと譜面に記載されていたとすると、これは11/16拍子と7/8拍子を小節ごとに交互に繰り返すということは基本中の基本なのでありますが、それを知らない者も居たりするワケですな。

分母が16で分子が9+7、さらに「+ 7/8」拍子という拍子記号なら、1小節目が9/16、2小節目が7/16、3小節目が7/8という3小節がセットで拍子が変更されない限りコレを続けるワケですが、こういう表記にも慣れていなったりと。音符そのものを拾っていれば拍子記号などは長休符が持続しない限りはあまり意識する必要はないとは思うんですが、こういう共通理解を蔑ろにしている人っていうのは意外に多かったりするんですな。

10人居たら1人程度しか知らぬような聞き慣れぬ言葉や名称にこだわる前に、器楽的な心得として備えなければいけない音楽の共通認識を蔑ろにしてはいけないと思うんですな。

仮に私がスタジオ内で

「ダブル・ノート・チョーキングを三全音の音程で押弦したら、不完全五度にしてね♪」

コレで話が通じるのは、私のブログを読んでくださっている方でどれくらいいらっしゃるでしょうか?(笑)。ココで問われるのは三全音という名称や不完全五度という名称ではなく(知っていればハナシは早いものの)、不完全五度という音を出してくれ!ってコトですな。ただ、不完全五度がどういう音程なのかを知らない人の方が多いでしょう。


「増四度を押弦したら若干ピッチ上げてよ♪」

こういう風に言えばまだ親切でしょうかね(笑)。とはいえ厳密には不完全五度と三全音はクォーター・トーンの半分ほども開いてはおりませんが、こっちの方が充分イメージとして伝わりやすいのではないかな、と思うんですな。身近に調律師や楽理の詳しい方がいらっしゃれば不完全五度はお判りになると思います。ググっても私のブログ程度しか出てこないのはどーゆーコトか、ということを認識すればこそ、如何にポピュラーではない(その「筋」の方でしたらすぐに判るコトですが、この手の人達はネットなどもはや必要もなく知っている)ということが判るのではないかと思うんですな。

不完全五度というものを知りたい方は私のブログを読む前にご自身で楽理的な方面を学ぶ必要があるでしょうし、私はそんな所にこだわって説明しているつもりはないので、判りやすくイメージ共有できる方を優先させているつもりなのでして、ある程度は判りやすくしようと努めております(笑)。

音楽や勉学を志す時というのは理解不足を自身のせいにせず教える側にイライラ募らせたりすることってあったりしませんか!?

その「イライラ」を募らせていることに自覚した時は、前回の私のブログに載せたことのように「接客の基本」を忘れてしまっているコトと同意だと思っていただければよいかな、と(笑)。

ま、底意地の悪い左近治でありますので話「1/8程度」でご理解していただいてもよろしいかもしれませんが(笑)。厳密に1/8ではなくて。