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カラダのキモチ [テレビ関連]

3月15日放送のTBSの「カラダのキモチ」をご覧になられた方はいらっしゃるでしょうか。音楽やる人なら誰もが興味を抱くであろう耳の音の聴こえ方というのをテーマにやっていたのでありますが、これまで左近治が耳について語ってきていたこともありまして、間違ったこと書いてなくてお買ったとホッと一安心でもありますが(笑)、あーゆーのを見て興味抱いて医学的・科学的側面でも知るというのは必要なのではないかと思うんですな。

ただ、いかんせん日曜日午前7時というのは、若い人で、しかも音楽にドップリ浸かっている人だと起きていない可能性も高いのではありますが(笑)、基本的には夜や寒い時期というのは音の聴こえ方はよろしいものの、それを優先するあまりに生活がおざなりになってしまっては健康面においてもよろしくありません(笑)。

特に高血圧など、血圧の変動でも音の聴こえ方は変わりますし、この辺きちんとケアしないとやたらとオーディオ・スペックにはこだわるクセして耳はいつの間にかヘッポコになっちまったぜ!ということを自覚できぬまま音楽を聴くことにもなりかねないので注意が必要ってぇこってす(笑)。

ハーモニクスだって低次の倍音ですら倍音によっては平均律と比較してもズレていることすら知らずにドンピシャで合わせてしまうような、先のブログでも語ったようなことこそが真理とばかりに間違った解釈のままチューニングしていたりとかですね、そーゆー人って結構多いので留意していただければな、と思わんばかりでありますよ、ハイ。

健常であればこそ誰もが知覚する音。楽音のそれだって皆等しく聴いている音なんですな。ピアノの音聴いて「オレにはベードラの音に聴こえる」なんて人はいないでしょうし(笑)、共通する感覚を備えつつ、共通理解の下で音楽というのを語っているワケでありますな。

楽譜なんていうのも音楽においては非常に重要な共通理解でありますが、ところが共通理解のために必要な読譜力を身に付けようとしないまま音楽を志すという人は結構多いものでありまして、「何でソコ吹っ飛ばすかな〜?」といつも疑問に感じてしまう左近治(笑)。

その辺スッ飛ばして理解しているにもかかわらず、やたらと名称や呼称にはこだわる輩が多いという悲しい事実もあったりしまして、その人を思えばこそ悲痛に映るワケでもありますが、場合よっては笑いの対象でもあるのかもしれません(笑)。

耳コピすらまともにできないのに楽理的な蘊蓄においてはやたらとスケールやらコードの名前にこだわってみたりとか(笑)、そーゆーことにこだわる前に音を体得するのが先であるはずなのに、一般的には聞き慣れないような呼称を用いることで、脆弱な自身のポジションを補強しようとするがあまりにそんなコトにこだわって大きく見せようとするのは愚の骨頂なんですな。アタマでっかちにならずに先ずは音を体得しろ、と左近治は言いたいだけなんですけどね(笑)。

音楽でメシ食うことを目指す前に身に付けるべきは、金を持たずともサバイバルで食っていけるような生活力だったりするかもしれません(笑)。どこ放り出されても食っていけるような、ね(笑)。

そのような弊害をも見落とす人たちに共通していることというのは、形骸化しているモノに対して寄生しているだけなので根幹を解っていないと。

オーディオ特性的には非常に偏っている歪んだ音のギターがなぜかカッコイイ、長髪にして粗暴に歌ってみようかとか(笑)、実は音楽とはかけ離れたファッションやそんな人達の容姿や振る舞いに心酔しているだけで、実は音には興味を示していないというリスナーだって大半なのが現実なワケですよね(笑)。

「見てくれ」にこだわるのは音覚えてからでも遅くはないので、音覚えることを優先させてほしいなーと思わんばかりであります(笑)。音楽の世界で語られる「楽音」とは別の言葉というのももっと後でイイんですけどね(笑)。