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どや!?難波通 [スティーリー・ダン]

タイトルは、左近治の大阪巡り!


というワケではありません(笑)。


ウォルター・ベッカーの先のソロ・アルバムに収録されている1曲目の「Door Number Two」に引っ掛けたモノです。というのも、11月7日リリース曲に「Door Number Two」のコアな部分を抜粋して作ったので、今回こういう話題にしようかな、と。

楽曲の和声やら楽理的な部分は過去のウォルター・ベッカー関連の記事を参考にしていただくとしてですね、あらためて痛感するのは、アルバム「Circus Money」においてこの曲の毒ッ気というのは本当に強固だな、と(笑)。

制作当初はベース・トラックをスティック(=チャップマン・スティック)に置き換えてしまおうかな、と思って作ったんですね。私個人としてはその方がより和声的に明瞭な世界になっていたと感じるんですが、普通にベースに戻しちゃいました。

着うたというのはケータイで鳴らす音楽なワケでして、豊富な倍音や独特のスペクトラム構造によって非常に低い帯域の音でも一定の低音域を認識させてくれるのがスティックの良さでもあるんですが、それ本来の低音が豊かに再生されるのかというと実際には違うワケですね。まあイヤフォンでもして聴いていただければまた変わるんですが。

スティックを用いることで際立つ部分音でケータイ実機でのハーモニー感を満たすことができても、「重み」が失せてしまうので、結局普通のベース音に戻した、というのが真相なんですよ。


SD(=スティーリー・ダン)関連の詞というのはシニカルで寓意に富んでいるので、色々な方面の解釈も可能なワケですが、私が「Door Number Two」の歌詞から感じたモノは、バイオ燃料バブルに沸く米国のとある農地に突如現れたカジノ・バーにて、バブルを謳歌しながらギャンブルに心酔する人に待ち受ける「次なる入り口」みたいな世界を感じさせてくれるワケですよ。

その行為が愚かなものか正しいのかは判らぬとも(SDならシニカルな面でやや否定的に見た方がSDらしいですが)、斜に構えて投影しているような世界が浮かんでくるワケですなあ。他にも色んな解釈はできるとは思いますが。

経済用語で言うならば目に見えぬスタグフレーションみたいな、どことなく陰鬱で先の見えぬ様を演出するにはスティックだと軽いかな、と。そういう判断でベースに戻したというワケであります。

「サーカス・マネー」リリース以降、金融危機は現実として起こり(笑)、何が起こるか判らないのがこの世の中。そんな目に見えぬ様相を暗示するかのようにこのように詞として残せるという意味でもSDの連中はよく練られているなーと歌詞の面でもついつい感服してしまうんですな。私が常々重視するのはサウンド面なんですけど、そんな私でも注視してしまうような何かが込められていると感じたワケです。

こんな毒ッ気の強い音をさりげなく着信音にしてもらおうと思って作ったんですな(笑)。どうしてもモノホンがイイっていう方ならば原盤の方切り出していただいても構わないワケですが、興味を抱いていただければなと思い制作してみたというワケです。

屋敷豪太や藤井学、キース・カーロックなどのツイン・スネアのドラミングは結構好きな左近治でありますが、