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思えば24年前の夏 [クダ巻き]

反町ジャパン勝点ゼロのままサッカーの北京五輪を終えました。今を振り返ればこのチームはトゥーロンの経験が非常に糧となり守備力(というより危機察知能力)が向上したと思いますし、それまでは右サイドで起用されることの多かった細貝が本来のポジションで浦和での成長を発揮してインターセプトやキープ率が格段に向上していたのは言うまでもないでしょう。

3年前のワールドユースでクインシーにチンチンにされた時を思えば(あの時のサイドは中村北斗でしたが)相当強さを見せたものでしたが、中盤や後方での守備ブロックやインターセプト率が以前にも増して向上したにも関わらず、それが攻撃に活かされないのは最後まで打破できなかったようでした。高い位置でインターセプトして攻守を素早く切り替えることで「一発狙い」系のデカイひるがえし系のカウンターよりもよっぽど効率的なカウンターになるのに、その良さが素人目になかなか映らないのは、その後の攻撃が鈍重になってしまっていたせいなのか。

平山が居ると自分たちのやりたいサッカーができなくなる、とは当時の水野の弁、

増田や伊野波らが居た頃であっても、反町ジャパンというのは攻撃のスピードは鈍重でした。ただ、水野の走りやクロスという武器があって攻撃面で押し込む場面が多かったからこそ、「素人目には」判りやすく、醍醐味があったのかもしれませんな。

ところが、攻撃面では平山が居なくなろうとも、結局は改善されていたようには思えなかったのが左近治の印象でした。ある意味、本田圭が居るからこそサッカーが変わったとも言えるようなシロモノとも言えるかもしれません。

協会としてのスタンスは、シドニー五輪こそがメダルを狙っていたのでしょうし、メダルまでは狙わないまでも現実的にとらえて若年層に経験を積ませる上でも今回オーバーエイジ枠に固執しなかったのはそういう「親心」があったのでしょうし、今後の日本を考えればいつまでも黄金世代やオーバーエイジ枠に頼っていられないというのは協会や現場の意見は一致していたのではないでしょうか。私自身は今回の北京五輪においてオーバーエイジが必要だったとは思ってはおりません。攻撃時の切り替え時の味方のサポートや布陣、コンビネーションが熟成されていなかったように思えて残念でした。どちらかというと個人の発想任せというか。ジーコも攻撃時においてはこういう形だったと思いますが。

約束事を決めてもその通り事が運ぶのはセットプレーくらいのもので、一連の流れの中で決めごとをいくつも構築するよりかは自分のアイデアで勝負しなければ強くはなれないのが確かにサッカーではあるものの、それは強者が次のフェーズへ挑戦するステージで必要となるもので、今の日本にはやはり五輪世代であろうとA代表であろうと、ある一定の約束事やコンビネーション熟成が先にありきだと思いましたし、そこでプレーにゆとりが生まれれば(相手を押し込めつつ)、個のプレーのできる局面としてプレーする方が効果的だとあらためて思ったわけであります。

我が子のデキが悪いからと言って捨て子にしたり、赤ちゃんポストに放り込むような人のように私は日本サッカーを見てはおりません(笑)。どんなに弱かろうが強かろうがどこそこのチームの選手が入ろうが入るまいが私は常に応援しているのがサッカーです。これにて見限るような人であらばトコトン見限ってほしい(笑)。そういうファンはいかなるスポーツでも不必要だと思います。

思えば24年前の夏。

今回の反町ジャパンのメンバーは誰一人この世に生まれていない時代ですな。その24年前の丁度今頃の夏、私は国立霞ヶ丘競技場に足を運んでいた試合があったモンでした。

それが「釜本邦茂現役引退試合」だったんですな。

この頃の左近治のサッカー観戦といえば、トヨタカップ。それ以外の試合で釜本氏の現役引退試合というのは、今後の日本サッカーのおいて釜本が現役を退いたら、私の目の黒い内に日本がW杯に出られるようなことはまず無いだろうな、と思いながら(笑)、感慨深く釜本氏の引退試合を観ていたのが丁度24年前の夏だったんですな。

まさかそれから10数年で日本がW杯に出場するなど、当時は夢にも思わなかったモンです(笑)。その後ローカルなハンド・スプリング・スローを見ては、こういうことで打開していかないと日本のサッカーは危ないんだろうな、と見守っていた時代があったモンですよ(笑)。こんなコト言う以前に私がいかにトシ取ったか判りますが(笑)。

そういうことを振り返ると、反町ジャパンの面々は皆巧いのに、チグハグなプレーにならざるを得なかった。そういうもどかしさはあったものの、今回のグループにおいて大負けせずに普通に渡り合っていた姿に隔世の感を覚えます。ある意味では心強いかな、と。

ただ、ゆとりを作るプレーというのはその前の段階で相手に競り勝っている状況があって生まれるもので、ゆとりを生むためにわざわざプレーを遅らせたり不必要にボールをキープしてしまうこととは全く異なると思うんですな。そのゆとりを生むための約束事があればもっと楽に戦うことができたのではないかと思うわけであります。ここが残念でならない。

オランダ戦で先発した岡崎、選考外となった鹿島の興梠、バックアップメンバーとなってしまっていた梅崎、これらの選手にもう少し頼っても良かったのではないかと、私はその部分に悔いが残るんですな。これらの選手こそ個の能力で相手を圧倒できる、または局面を打開して、味方にゆとりをもたらすことのできる選手だったと思っているので。

梶山にしても見る人が見れば、Jにおいて本当に唸るようなプレーを見せてくれる時があるんですよ。競り合いでのバランスの良さとか。180分に1回くらいの割合ですが(笑)。

本田圭は、自身の気の強さが裏目に出て独り相撲になってしまったような所があったのは否めませんな。そういう役を演じた以上の尻拭い役は買ってでも出るべきで、おそらく非難の矢面になって真摯に受け止めているのだと思います。ただ、本田圭にしても梶山にしても、従来の黄金世代が見せてきたような素人目に判りやすいファンタジスタ系を目指してしまうと、居場所はないと思いますな。

にわかファンを増やすためにはそういう選手が必要かもしれませんが、こういうプレーを脱却してこそ次の日本代表があると信じてやまない左近治であります。

80年代、90年代があったからこそ今があるワケで、90年代後半に狂喜乱舞することができた、と。人間とはとことん欲が深いのか、今やW杯本戦で優勝でもしない限り狂喜乱舞が起こらないのではないかとばかりに、にわかファンというのは実に冷めたモノであります(笑)。こういう人達にとって判りやすいサッカーしているようでは次のステージには上れないということの証でありますし、反町ジャパンはある意味真っ向勝負したというワケだったんでしょうな。ゲームプランとしてのやり方は他にも手はあったのだと思うので、そこが熟成されていれば、とついつい悔やんでも悔やみきれない左近治。

そうは言ってもオランダ戦はグラウンダーのパスをそれまでと比較して少なくして対処していたし、これは指揮官の指示によるものなのか選手自身の判断なのかどうかは判りませんが、こういう切り替えをナイジェリア戦で活かせることができたら、米国戦のゲーム中で修正できていたら、と思うと残念です。

J2の試合数の多さによって生まれる経験の積み重ね、これは間違いなくFWの選手やら中盤での選手には好材料なのだなと思う事しきり。40数試合はガチンコで戦う土壌って必要なのだなあと思える発見もありましたし、Jも本当に捨てたものではないのだなとあらためて感じました。結果が伴わないだけでにわかファンの声は辛辣で冷たいのが厄介ですけどね(笑)。