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発売待ち遠しい「Circus Money」 [スティーリー・ダン]

昨日はウォルター・ベッカーのオフィシャル・サイトの視聴曲聴きながら駆け足で各曲の感想を述べていたので、加筆したところもほんの少しあるので今一度参考にしていただけたら幸いでございます。

そもそも前作の「11の心象」(※実際にはボーナス・トラック含めて13曲)は、左近治にとって時期が良かったのか、非常に自分にとって大きな影響を与えてくれたアルバムだったワケです。国内盤と洋盤それぞれ1枚ずつ買ったりしたのは、その多大なる影響を与えてくれた感謝のしるしでもありました(笑)。

メロディック・マイナーというか、マイナー・メジャー7thの美しさを「自覚」したのは13歳の頃。15歳の夏休みまではのんびり至る所でモードスケールも覚えた所だったので色々探っていたものですが、「自分なりにメロディック・マイナーを用いて作曲」という風に咀嚼できるようになるのは17歳くらいまで待たねばなりませんでした。それでも非常に満足できるレベルには程遠いものでしたが(笑)。

スティーリー・ダンをとことん研究したつもりでしたが、当時はGauchoを最後に解散。フェイゲンの「Nightfly」がもてはやされていてはいても、自分の求める音とは少し違う所に違和感を抱きながら、新たなスティーリー・ダンのお二方の音はどこか欲していたんですね。

いつの間にか90年代に入り、マイケル・フランクスのアルバムで数曲ウォルター・ベッカーがプロデュース参加。特に「Vincent‘s Ear」のストラトの「半音ぶつけ」から入る音にニヤニヤほくそ笑んでいた左近治の姿があったモンでした。で、それから数年経過しての「11の心象」。欲しかった音と、真のスティーリー・ダンの音とも言える核心に触れることができたような思いで、バンドで演奏しようと「Lucky Henry」の譜面起こしをFinale片手にやっていたりしたモンでした(※当時、企画でスティーリー・ダンのコピー・バンドをやることがあったため)。

チック・コリア・エレクトリック・バンド出現から数年が経過した時、友人宅で見たスコット・ヘンダーソンの教則ビデオにも出てきますが、メロディック・マイナーの「便利な歌わせ方」とか聴いた時は、確かにこりゃ便利だと、まるでギター初心者がようやく覚えたペンタトニック・スケールにも似た、安直な覚え方があったのも、自分のどこかに根ざしているメロディック・マイナー感を増強することに一役買ってくれたのも背景にあったモンです。

メロディック・マイナーをモードとして積極的に利用するのなら古典的な楽理のそれ言われる上行系のみの制限なんて無視していいワケで、初心者の人の多くはここでつまずく人も多いワケですね。

メロディック・マイナーのとりあえず便利な使い方は「5度抜き」が基本(笑)。

Cメロディック・マイナーなら5th音のG音回避してフレージングしてみろ!ってこってすな。

バッキングに現れているであろうCm△7系の5th音はオミットする必要はありませんよ。むしろ9thや11th音も積極的に使ってくらはいな、と(笑)。

全音音程が5つも続く音階。確かに、叙情性を知ろうとスケール・ライクに羅列しているだけじゃ、非常に希薄な叙情性の音階なのに、理解するのは困難を極めるでありましょう。だからこそ5度抜け、と。

それで感覚を養うと、5th音を回避することなくメロディック・マイナーを操ったり、時には#11th音使って他のモードを示唆しながらモード・チェンジと、どんどん発展させることができます。一度この感覚を覚えたらボキャブラリーは相当増えると思うんですけどね。少なくとも左近治がそうでした。

「11の心象」のリリース辺りというのは濱瀬元彦著の「ブルーノートと調性」という興味深い理論書や、著書内で触れられていたジョージ・ラッセルのリディアン・クロマチック・コンセプトという理論の一片を知ることもできて、左近治が抱いていた「あっちの世界」観をより刺激してくれたものでありました。

しかし濱瀬元彦の著書のそれにはハンガリアン・マイナー・モードについては一切言及されていない、ジョージ・ラッセルの理論においては平均律における楽曲においては興味深いものであるし、倍音を視野に入れた画期的なものであるのは間違いないんですが、C音という単独の音から完全5度を積み上げていって7個目でようやく出現するF#音の導入で、「ハ長調の重心はCではなくG、つまりト長調にある」という考えは、限定的なシチュエーションであればそれもアリですが、一般的な人にしてみれば、調性も与えられない&背景に調性を示唆する音も無く単独の音で「C音」が与えられた場合、オクターブ関係を除けばC音を中心に上下に完全5度音程を仮想的に形成して調性を「強制的に」探ろうとするだろうという考えが左近治。

つまり、調性が特定されないシーンで単独でC音が鳴らされれば、大概の人はG音かF音を想起して調性を探ろうとするだろうという考えです。

つまり、F音をこれだけ早期の段階で探っているのであれば、C、G、D、A、E、B、F#という音列を作って7つ目に現れるF#音でようやくそういった「遠い」音でリディアンの可能性を提示するよりも、早期の段階でF音を早期してしまえば、F、C、G、D、A、E、Bと、F#音に行く前の段階で7つの音を形成してしまう。つまり、ハ長調における音列となんら変わらないので、「遠い音に敏感な人」は実際には一般的には少ないので、音楽の習熟度がそれほど高くない人にしてみればハ長調の重心はどうしてもハ長調に背中をもたれかかるように誘導されてしまうのが普通だろうな、と思うのが左近治の考え。

遠い音にも敏感であればジョージ・ラッセルのリディアン・クロマチック・コンセプトは非常に興味深いし、私自身もシチュエーションによっては導入したりすることもありますが、濱瀬元彦の下方倍音列やリディアン・クロマチック・コンセプトは、それを知ったからといってすぐに導入してもハ長調をハ長調としてしか聴こえない耳を持っている層には使いこなすことができないほど「突飛」なものだろうな、と思っているのが左近治です。

C音が単独で用意された場合、多くの人は上下に5度や3度を形成して調性を探ろうとすると思います。長短の3度を導入して、他の仮想的な音とトライアドを形成したりすることで他の調性感(近親的なものとしてで、関係調のそれとはまた別)を得ようとするのではないかと。

あらゆる音程を「ニ声」で与えられたシチュエーションを前提として、そのニ声の調性の重心を探ろうとして構築された理論がヒンデミットのinterval tonic=音程根音の理論の方がやはり一般的なシチュエーションとしてもまだ理解を得られやすいかな、と思います。

ヒンデミットの楽譜を見ると、アンサンブル的に四声などあっても、特定の2つの音程から新たな調性を見出して別の音を用いるというように思えますし、その特定の2つの音程も弾かれるダイナミクス(=音量)によっても変化を付けているように思えます。

まあ、中には自然倍音列を抜粋して(低次の倍音)オーバートーン・スケールという音階を形成して導入することもありますが、高次の倍音列だとクォーター・トーンどころか六分音や八分音まで視野に入ることになります(笑)。

さらには平均律においては「完全な」完全五度や完全四度は存在せず、純正律においても完全五度を積み上げていけばピタゴラス・コンマが生じるのが実際。だったらオクターブを53等分するのか、それともオクターブを313.01等分した(←※301.03等分の間違いです、スンマセン)サヴァールの音律を導入するのか(笑)、もはやこういうことを導入して体系的に微分音を視野に入れるよりも、厳格な音律を意識しながらも音の彩りのためにビブラートや僅かなピッチの揺れを許容した人間の通常の演奏の方がよっぽど人間的であり、器楽的であるかもしれないというジレンマ(笑)。

そんなことをアレコレ考えても、耳が行き着いてしまった人というのはその独特の世界観を有しているわけで、その音に呼応する人達が色々分析したり魅力を感じているわけで、平均律上で語ることのできる可能性を模索して、魅力ある音をさりげなく用いる人達の秘密を探ろうとする探究心、それこそが左近治にとってはウォルター・ベッカーを筆頭に分析しているわけで、共通する音の魅力を持つ他の人の楽曲などをこれまでリリースしているわけです。そろそろマイナー・メジャー7thやらメロディック・マイナー・モードやらに語っておこうかな、と重い腰を上げて今年頭辺りから取り組んでいたというワケですね。別に今に始まったことではないんですが(笑)。

ウォルター・ベッカーという人は、ヒンデミットのそれやジョージ・ラッセルの理論など色々採り入れていると思えるシチュエーションはありますし、実際にそれらを知らなくとも自身の嗜好性の追究が共通するそれらに達してしまったと思えるような音もあります。

ウォルター・ベッカーの世界観が、一概にメロディック・マイナーやハンガリアン・マイナーやハーモニック・メジャーなど、左近治が「思いつきやすい」モードばかりではなく、他の特殊なモードを導入しないと得られない複雑な音をいとも簡単に使うこともありますよ、と言いたいんですけどね(笑)。

だから今回の「Circus Money」においても、CDがまだ市場に出ていない視聴できる可能な部分においての限定的な現在(2008年4月28日現在)では、特定しきれない「秘めた」部分があるのは仕方ないことですし、さらに頭を悩ます特殊な音が視聴部分にあるのも事実です(笑)。

まだまだ学ばなければならないことが多いと、今回のウォルター・ベッカーのアルバム「Circus Money」からは再び左近治教えられることが多いな、と痛感しております(笑)。アルバム発売が待ち遠しいですね。サンレコあたりで8月号か9月号辺りに「もしや!?」とほのかに期待しているんですけどね(笑)。アルバム発売後の方が分析するにも記事面でも充実するでしょうしね。

まあ、難しいことは抜きにして、スティーリー・ダンのアルバム「ガウチョ」以降は、ブートレグで幻の「Second Arrangement」を耳にするようになって、私はいつしか「セカンド・アレンジメント」の焼き直しバージョンのリリースを心待ちにしていたんですよ(笑)。先のベッカーの「Selfish Gene」には「セカンド・アレンジメント」の匂いを感じ取れた左近治でして、待ち遠しい理由はここにもあります(笑)。

ガウチョのレコーディング時に、エンジニアがMTRの録音ボタンを間違えて押してしまって、録音済みのトラックに上書きしてしまったことでアルバム「ガウチョ」に収録されなかった曲のひとつです。

エリオット・シャイナーは確か「幻想の摩天楼」のレコーディング時に、プロジェクトの当初は24trマルチで進めようとしていた所にシャイナーが16trマルチ2台を同期することを提案して、安定性に懐疑的だったSDのお二方も折れてそれを導入したら、結局同期がうまくいかずシャイナーは一時的にハブにされてしまったという逸話もあります(笑)。でもしばらくする内にそんなシャイナーの失敗を許したのもSDのお二方だったということがスティーリー・ダン関連の本「リーリング・イン・ジ・イヤーズ」に詳しく語られています。この本はファンなら必読だと思います。

そんなシャイナーは新しいエクイップメント類の追究は現在でも衰えを知りません。数年前
はWindows機とNuendoを導入していたようですが、その後Intel Mac優勢になった現在、シャイナーはどういう機器を用いているのかという興味も尽きません。

それと、昨年SD来日時のEarthworksのプロモモデルのマイク。今では本国では販売されているようで(白いペン型のアレ)、今回のベッカーのそれには使っていたのかにも興味がありますね。ただ、長期のレコーディング期間を経てきているので、色々用いているかもしれませんし、去年辺りのエクイップメント類は用いていないのかもしれません。新たなSDの動きにも要注目ですな。

まあ、何はともあれ、視聴で聴く限りベッカーの新作は新たなマスト・アイテムになることは間違いないと思います。全ての層に向けてお勧めできる類のモノとして。それくらいクオリティ高い作品だと思います。視聴して以降、左近治の頭ン中は「Circus Money」収録曲の断片的なフレーズがグルングルンしております、ホントに。