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マニュアル化社会による弊害 [クダ巻き]

培った経験を後に続く者へ伝えるのは人間としての宿命みたいなもので、それは勉学とはまた違う側面の「教育」でもあるわけですな。

音楽面においては楽曲構造としての情報が後世に渡って伝わっているもので、中世ヨーロッパの音がそのまま録音されているものを私たちは耳にしているのではありません(笑)。

着メロ・着うたも制作作業においては分業化や効率化を図る企業は当然のようにあるでしょうし、ここ数年の作業経験によって培われたことは、比較的新しい分野とはいえ非常に多いのではないかと思うワケです。

その、比較的新しい産業である着メロ・着うた周辺は確かに広義の音楽制作であるものの、制作対象となる曲のほとんどが聴音の難易度はやさしいものが多いため、コツさえつかめば素人でもできてしまう、故に対象物がそういうやさしいものだと、音楽制作という作業のコツとやらをマニュアル化することでさらに効率化が図れるというワケですが、実はコレ、大きな落とし穴への入り口でもあるのです(笑)。

着メロや着うたというのは、人々の生活において欠かせないモノではなく、あくまでもサービスのひとつなんですね。

ところが着メロや着うたにおいてもマニュアル化が整備できるとなると、そうなった時点で作業そのものに特殊性は希薄になっていくため、他の産業と同じようなマニュアル化を応用できる、と。すなわち「マニュアル通り」の対応という、どこかで遭遇したような対応と似た状況を生みかねないのですね。

例えば、着メロ・着うたに限らずサービスに携わる企業が導入する「マニュアル化」というものは、作業の効率性を向上させる目的と、誰もが同じように対応できることが目的であるんですが、こういうマニュアル化が行き届きすぎてしまって、人と人とのサービスにおいてもマニュアル通りの対応しかできなくなるという「不器用」な側面を露呈することになってしまってですね、本質の人間性が育まれていないために、クライアントや利用者との意思疎通が機能しなくなってしまいクレームに発展し、クレーム処理すらままならないという悪循環に陥っている社会というのが現在の多くの企業が抱える本当の姿だと思います。


企業が怯えるのは圧力団体や消費者からのクレーム。


ひとりの消費者でも侮れないわけです。ゆえにクレーム対策のマニュアル化が整備されることになる、と。

しかし、そのマニュアル化による教育を施される側は、まだ見ぬ「クレーマー」をそのように教育されてしまうことによって「顧客を見たらクレーマーと思え!」という、なんとまあ短絡的な考えに陥ってしまうのが今の若い世代に見受けられる顕著な例。

目先の顧客に対して、本来必要であるはずの懇切丁寧な姿勢が欠けているため、「マニュアル通りの対応」が災いしてしまって、余計に顧客を激昂させて火に油を注ぐ、と(笑)。


そのような彼らには確かに悪意は抱いていないのだけれども、決定的に欠如しているモノがありましてですね、それが「真意」なんですね。

他人の真意を読み取れない、マニュアル通りの対応なのだから悪いはずはない、ということはもちろん、状況を読み取れぬまま自分自身が素直に謝罪できない、素直に言葉を発せられないというのが特徴。

彼らの多くは、いざこざを掻い潜って生き延びてきた人が多く、いじめなど陰湿化した世の中で体得した表現なのかもしれません。

というのも、本来は純真な心を抱いているはずなのに、実際には他人の良心にツケ入り、その人の良さに甘えて悪さをする、と。

最初は懐の深さを見せて対応するも、子供社会だとこういうのがいじめを助長させてしまうんですね。

その結論が、自分自身の良心は小出しにして、他人の良心に甘える、と。

すなわち、これが社会に出ると、客の良心に甘えてサービスを小出しにする、という対応になるんですね。

気持ちの良い対応をすればクレームに発展しないことをクレームに発展させてしまっているのは、そういう世代の人達に、のっけからマニュアル化教育を施してしまっているため、何が悪いのかすら判断できない人間を生産してしまっているというのが現在の社会。

人の良さ、というものにツケ込まれたくないから今度は防御する、と。そうなると社会はギスギスいく、と。


どんな分野であろうとも、目先の人に対して真摯に対応する。そうすれば理解できるはずなんですが、マニュアル化してしまうと唯一無二の事象に手をこまねくしかないワケですよ(笑)。応用力が問われる時点で時既に遅し(笑)。

画一的な着メロ・着うた提供した日にゃあ暖簾に腕押しですよ(笑)。そうはなりたくないモンですな(笑)。