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楽理の重要性 [クダ巻き]

卵が先か、ニワトリが先か。

音楽というのはピタゴラスが音階を発見した以前からも普遍的に存在していたとは思うんですが、ピタゴラスのそれは楽理的じゃないのかどうかというと充分楽理的なワケです。ただ、大多数の、ただ単に音楽を聴いていたいという、理論など必要としない人にとってはそういうスタンスでも普通に音楽を聴けてしまうワケです。

では、楽理は必要じゃないのか!?というと、正直必要でしょうね。楽器を嗜むなら尚更のことです。

他の分野に例えるなら、光の三要素は理解していて、それを自分の目が健常であることにあぐらをかいて色の三要素を知らないのと同じ(笑)。たまーになんちゃってWebデザイン系の人に見かけますけど、なんでもかんでもHTMLカラーとか(笑)。CMYKなんてなんのその(笑)。

他のチームがそーゆー人達の尻拭いをしながら、写真やら色んなファイルを「修正」してくれているワケですね、世の中の誰かが(笑)。

音の三要素は知ってはいても、音階知らなきゃどうやって音階奏でるつもりなのだ?

たまたま自分の都合よく弾けたりする楽器(または難しくない演奏形態を有しているモノ)にあぐらをかいて、出来合いの音のクオリティの高さを手にしただけで自分の才能と自惚れてしまう(笑)。

自分の才能に自惚れたまま、それに気付くことなく埋没する人よりかは自分の耳というものを研究する人の方がまだ将来性あると思います(笑)。ただ、その過程で得た知識によって何故か自身の分析よりも他人を分析してしまうという、学生気分の抜けないような未熟な人はそういう志向性になりやすいですね。

そこまで気にする分野であれば、なにゆえ楽理には手を出さずにネットだけの情報を頼りにしようとするのか。そういうことが疑問なんですね。情報を得る方法すら間違えてしまっているのではないかと。

耳や脳や楽理。そういう面に本当に興味があるのであれば、自分自身を分析しつつ勉学に励んだり、時には大学病院行ってセカンドオピニオン受診するとかね(笑)。気が付いた時には精神病んでたぞ、というコトにならないようにまともな知識を得られるようになることが重要だと思います(笑)。

ジェントル・ジャイアントのアルバム「In A Glass House(ガラスの家)」収録の『An Inmates Lullaby』の歌詞でも確認して自問自答してみてくださいな、と(笑)。


「チューリップ食べるの大好き!へっちゃらだい!」
「お医者さんがボクのこと言ってるよ。もう狂っちゃってダメだってさ」

ま、精神病の子供のコトを語っている歌詞のようですが、実はコレ、ドラッグ中毒に冒された廃人を投影している歌詞で、このアルバムの歌詞の作り方は、同じくジェントル・ジャイアントの「Three Friends」のやり方に非常に似ているんですな。

卒倒感と自己の認知

これらだけをテーマにしただけで音楽は色々と興味深い側面を見せてくれるワケですが、クスリに溺れずに楽理を学んでいれば、分かりもしないクセして興味本位にサイケの世界だけを味わおうとせずに済むコトもありますし(笑)。

ま、楽理を軽視すればするほど不必要なフェーズへ足を進めているコトをできるだけ早く自認することが大事かな、と(笑)。故に楽理の重要性ですよ(笑)。