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絶対音感 by左近治 [楽理]

11月18日放送のCX系「ミュージックフェア」では、なんと!ストレイ・キャッツでお馴染みのギタリスト、ブライアン・セッツァーが出演するということだったので忘れずに録画してみたのですが、超絶技巧のギター・フレーズは披露することなく番組が終了してしまったようで・・・。まあ、見所は布袋氏のエフェクト・システム(サンレコによれば2000万円のエフェクトルーティングシステムだとか)もあったでしょうが、左近治としては超絶技巧のブライアン・セッツァーが見たかった!

ロカビリー系として知られているストレイ・キャッツですが、やってる音楽が結構限られたジャンルであるとはいえ決して卑下してはいけません。聴かず嫌いの人もギター・テクを重視する人は1度でいいからブライアン・セッツァーは聴いてほしいモンですな。

実はブライアン・セッツァーのアマチュア時代というのはギター・コンテストなど出演しつつ賞を獲得していたようなのですが、その時披露していた曲というのが驚くこと無かれ、キング・クリムゾンのロバート・フリップのコピーだったのです!

なるほど。ブライアン・セッツァーの超高速分散和音フレーズや跳躍音程フレーズの原点はロバート・フリップ御大の幾何学超絶テクに遡ることができるのか・・・。とにかくブライアン・セッツァーの超絶フレーズを知らない人は是非聞いてみてほしいですねー。

前置きが長くなっちまいましたが、さてさて前回の記事の続きでも書きましょうか。

音の高さを確実に捕える耳の毛細胞。これ自体は例えば耳に入ってきた音が440Hzや439.9Hzと僅かに違う音も違う毛細胞が捕えていますが、こういう音が純音で単一のソースで入ってきた場合は人間は違いを認識するのが非常に難しいということが分かっています。

しかし、それらの音が一緒に鳴って耳に入ってきたり、アンサンブルの中でそれらがそれぞれ別々に鳴って耳に入ってくるとこれよりもさらに微分化された周波数の違いをも聞き取ってしまうのです。

ここから考えられるのは、単振動による純音は倍音を持たないため毛細胞がいくら刺激されていても、僅かな音の違いを捕える卵円窓から毛細胞下に張っている膜に刺激が鈍化するため、音の認知能力が鈍化してしまうということです。

しかし、単振動のソースが複数の時やアンサンブルの中で鳴っていると途端に違いを鋭敏に感じるということは、この時点で純粋な音高(周波数)の違いを認識しているということではなさそうです。では、それはどういう違いを認識しているのか!?

それこそが「音量差」です。

前回の記事で、人間の耳が神レベルとも言える音量差を認識しているということを書きましたが、まさにこの神レベルの音量識別能力で僅かに違う純音の違いを「うなり」として聞いているというわけです。

コンマ1Hzの周波数の違いなど、うなりは何十秒に一回(計算してませんが)にしか音の揺れが波長として聞こえないほどゆっくりとしたものですが、うなりが僅かなものであっても音量差はうなりのピーク(腹)とゼロポイント(節)で無ければ聞き取れないというものではなく、僅かな音量差を聞き取っていて周波数の違いを認識しているのでありますな。

ただ、毛細胞下の膜の神経構造は個人差があるため、ここに刺激される音がどういう環境で倍音構造や音量差などを聞いてきたか、という経験や環境によって違ったり、あるいは個体差による鋭敏な周波数帯なども考えられるので、これらのような経験や環境の違いによってその後の音楽的な耳の能力が変わってくるというのが真相です。

となると、絶対音感というのは一体どういうことなのか?

そもそも絶対音感として知られている呼称は、正しくは「絶対音高感」といいましてですね、毛細胞自体は確実にそのものの周波数を捕えているんです。誰もが。一本の毛細胞がある時は440Hzを捕えて、またある時は近似的な440Hzより僅かに違う周波数を捕えるということは無いんですね、ハイ。

つまり、そういう耳の能力が育ってきた環境などで特定の周波数分布(倍音分布)などが養われて、毛細胞下の竹林の根っこのように根差している膜の神経の樹状の個体差や後天的な外部からの音の刺激によって強化されているにすぎないというわけですね。つまり育ってきた環境(どういう音を聞いてきて強化されてきたか)によって、絶対音感と言われる特定の振動数の呼応性などは構築されるのは人それぞれなんですな。

つまり、絶対音高感は誰もが有しているはずだけれども、その後の環境によって強化されるか否かに関わってくるというもので、音のソースによっては確実に音高だけで純音でもスーパーな能力を備える人や、様々な倍音成分によって強化される人など、或いは器楽的な響きが純正律ではないと心地よくならない人など色々と出現してくるのであります。

生まれもって毛細胞の能力を限りなくピュアに発揮できる人を真の絶対音感を呼ぶとするならば、その他の人は毛細胞下にある膜部分の神経の刺激によって培われており、この場合は音高というより、音の倍音構成の違いや位相、遅延など音の高さというよりも音量や別の部分で判別していると考えられます。でも、そのスーパーな人ですら自身の培ってきた振動数に対して強固な地盤を持っているにすぎず、全ての純音に対して鋭敏であるとは決して言えないんですね。

通常語られるところの絶対音感とは、真の意味で音高を捕えている能力とは言い難いんですね、これが。言葉で絶対音感の是非を語るような時は既に下界における雑多な音で軸が構築されているわけですから。誰もが。絶対音感とは人に対してではなく、毛細胞の能力にすぎないと言っても過言ではないでしょう。

10数キロHz以上の純音が聞き取れなくなってしまったとしても、そんな人の毛細胞はそれ以上の周波数に確実に毛細胞は振動していてもそれを「音」とは認識しない。それがまた不思議なことです。

最近の音楽ではデジタル音楽においてデジタルの量子化と編集の手軽さが進んできたため、近インパルスとも呼べる素材をサンプリングとして用いることも珍しくありません。こういう音は俗に言う絶対音感を持つ人であろうがなかろうが、インパルスの音を聞かせれば「プチッ」という音にしか感じないんですよ。

インパルスは波長として特定できないため、全周波数を網羅した音とも言える特殊な量子化された「音」で、インパルスに近く聞こえる程度のサンプル長を持つ信号は概ね何らかの音高は確定しているわけですが、それですらもどんな人間でも「プチッ」としか聞こえないでしょう。よほど器楽的な倍音構成を持っているサンプル長なら判別できる人もいるでしょうけどね。

俗に絶対音感と言われる能力とて、本当は他の要因で構築されただけのことであり、可聴周波数帯域の極限域も純音で測定したものを語っているにすぎないんです。

機械的な測定レベルで音の判別能力を、人間の耳という器官が持つ器楽的な要素で培った能力を同じ土俵で語ってしまうから凡人レベルを超越しないといつまで経っても話が見えてこない話題に成り下がってしまうわけですな。

測定器のような、目に見えて分かるような物を耳の能力と片付ける暇があったら、色んな音楽を聴いて、音楽だけに没頭してしまってサステイン・ペダルのthumpingノイズすら聞き逃してしまう、あるいは譜めくりの音なども聞き逃して偉そうに音楽語るような人にだけはなってほしくないもんですな(笑)。

些細な音は都合よく聞き逃してしまうのにご高説述べるくらいなら、色んな音の部分音を判別する能力を磨いた方がまだマシ(笑)。ピアノの音を語らせれば色んな薀蓄語る人もいるでしょうが、絶対音感の話題振りかざして、ピアノのハンマーの非和声的な部分音の違いも聞き取る人がどれだけいるでしょうか?(笑)こういう後者の人が持っている能力の方が遥かに器楽的でもあり、優れた「耳」を持った人なんですよ。音楽をもっと深く聞きましょうや。

え~、左近治は、俗に言う「絶対音感」はもちろん持ってますが(笑)、真砂の数ほど居る「絶対音感」を持つ人の中では結構良い方じゃないかと思ってますが、こんな所はヘッポコ扱いされても全くお構いなしです、ハイ。