SSブログ

茗荷坂の傍らで ~ブッチ・モリス東長寺ライヴでのProphet-5サウンド~ [プログレ]

 時は1992年。今から14年前ですか。ブッチ・モリスというジャズ、前衛音楽界隈においてビッグネームのブッチ・モリス。新宿四谷でライヴをやるということを聞き付け連れと一緒に出向くことに。

 この時の私は既にATARI 1040ST本体横のカートリッジ式のドングルはブッ壊れ、Mac IIciとPowerBook140で音楽やっていた時代です。この当時を思い出す時、なぜだかPretty Maidsの「Please Don’t Leave Me」を思い出してしまいます。Thin Lizzyつながりでなぜか小柳トムの顔まで思い出してしまうというのが私の貧困な発想力を物語ってしまう・・・。

 四谷の東長寺がライヴ会場ということで、その当時初めて足を運ぶ会場。なぜお寺でライヴをやるんだろう?と疑問を抱きつつ、開演まで時間があるので対面の得体の知れないラーメン屋で腹を満たすことに。

 連れと一緒に入るには恥じらいのあるシチュエーションではあるもののそんなことはI Don’t Care!とってもStarvingな私をその時満たすにはまず食物だったのです。

 今ではすっかり愛されている吉野家。この時代でももちろんポピュラーであったものの、連れと一緒に入るには相当抵抗のある時代。左右確認が必要な位に(笑)。いつから吉野家は市民権とステータスを手に入れたのだろう?

 まあ、そんなことはさておき、店内に入ると、何と!YAS-KAZさんが麺をすすってる・・・。見てはいけないシーンを目にしてしまったような私達。目をそらしながらも半ばバツが悪そうに、且つ他のお客さんには最大限配慮するような緊迫感に包まれながらもチラ見してみると、なんか、箸を口に運ぶペースが速くなっているような気が・・・。気まずいなあ・・・。ようやく目の前にラーメンが現れて目のやり場が出来た私達。連れにもタップリとニンニクをお見舞いしてラーメンを食していると、今度はスカパラの北原氏がご来店・・・。

 「この店、タダモンじゃない!」

 そう、思いつつ急いでラーメンを流し込んで、気持ちばかりは今にも退店しかねないギャップ。私達は、そんな記憶をデストロイするかのようにそそくさとそのラーメン屋を後にして、東長寺へと再び足を運んだというワケです。

 「なるほど・・・。」

 会場に入ってナットク。
 外観とは打って変わって、地下に掘り下げてあるライヴスペース。私達はライヴスペースの上層から見下ろすようにしていてわけですが、音ってえのは温度が低い方に音が集中するので非常に音が良く聴こえるのです。会場の音響特性は別としても。

 まあ、そんな中ブッチ・モリス御大がパフォーマンスを統率しながら、メンバーのキーボーディストの方(名前失念)がプロフェット5に手を伸ばす・・・。

 その時のポリ・モジュレートのかかったキワモノ系SEの音の伸びと来たら、いやぁ、さすがにプロフェットの変調!とあらためて驚いたワケであります。その時の音の飛び出し具合や存在感と来たら、いやぁ、ホントに素晴らしい迫力でした。

 山海塾のパフォーマンスと前衛的な演奏の見事なコラボ。こういうのはまず着メロ・着うたには出来ない!いや、そういう音楽にしてしまうことが失礼かも。煩悩を捨てて、理性を捨てて、人間に根差すサイケデリックな本能を呼び覚ますような・・・。というより、世界の終焉すら思わせるような内容でした。死を覚悟しているのに死ねずにまた生き返り、他人の人生の時間をひとりひとり輪廻していくような感覚にすら陥りました。そんな思いを抱くところにポリ・モジュレートのかかったプロフェット・サウンドが脳幹に響くこと響くこと(笑)。

 生のプロフェット・サウンドはそれまでに何度か触れたものの、この時のような感覚は後にも先にもありません。Jeff Beckのアルバム「ライヴ・ワイヤー」に収録されているScatterbrainのヤン・ハマーのマーシャルに突っ込んだミニ・ムーグの野太い音よりもショックを受けました。

 PCMデジタルシンセが時代を支配する中、徐々にアナログ・サウンドの回帰が始まりつつあった90年代前半。私にとってはプロフェット5といえばYMOかシャカタクのビル・シャープだと思っていたので(笑)、アナログ・シンセの良さを再確認できたわけでした。

 余談ですが、私の友人はデジタルシンセ全盛期にプロフェット600を2万円で手に入れたり、質屋のジャンク扱いになっているKORGのMS-20を8千円で買ったらフィルターが閉じてただけだったという、打ち出の小槌のような時代もあったモンですが(笑)、時代は変わるものですねー。