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ヴィクター・ベイリーのインプロヴァイジング [楽理]

 扨て今回は、オマー・ハキムのソロ・アルバム『Rhythm Deep』収録の「Constructive Criticism」という曲にて参加している故ヴィクター・ベイリーのソロ・アプローチについて語る事にします。
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 この曲の作曲はオマー・ハキムで、コード・ワークは非常に好ましい物で、本アルバムの中でも私が最も好きな曲であるのですが、今回取り上げる部分は、特徴的なコード・ワークというよりも「装飾的」なシンプルな和声付けとなっている部分を取り上げる事となるのであります。

 その「装飾的」な和声付けが意味する物は他でもなく、各テーマが一巡してからヴィクター・ベイリーがベース・ソロを取る際、一連のベース・リフを奏でつつオーバー・ダブにてベース・ソロが繰り広げられるという訳です。

 その一連のベース・リフという物は、ベース・リフ単体で奏された時に類推し得るコードというのは「G69」が最も相応しい物になるのですが、ベースにしては低くない音域に於いて「E音」を強調する為、コード種が「Em」系統に聴こえる様な感があるのは否めませんが、フレーズを能々分析すると、低音域にも拘らず短旋法の主音と為すべき音ではなく五度の音に重心が行っている為(※短旋法の重力としてはアリなのだが、それにて音組織の根音を確定すべき音域に根音に等しい音が存在感に乏しく、中心音としての振る舞いという点でも稀薄となるのであります。




 そうした、和声的な意味では単なる装飾的で「稀薄」で前後の脈絡が薄くなるという過程に於て、ヴィクター・ベイリーの特異なアプローチを今回取り上げる事に決めたのであります。


 先の「短旋法としての中心音が稀薄な〜」という言葉が意味する物は、ベース弾きたる者、この曲をレギュラー・チューニングのベースで弾くならば「Em」や「Eドリアン」系統の「短旋法」の類となるモードでアプローチを採るのは非常に楽であると思います。

 処が、本曲での「ベース・リフ」という一連の定旋律を今回の私のデモではOB系のベース・サウンドにして区別しておりますが、このベース・リフというのは、存在し得ないが類推し得る「E音」を主音として想定し乍ら、Eを主音とする短旋法での第5音に相当する「H音(=英名B音)」への重力が非常に強く出ているのがお判りになるかと思います。それと同様に「G音」への重力も大きいのがお判りになるかと思います。


 実は、長調と短調という調性の世界観に於ては何百年も前から言われている事なのですが、長調という音組織に於てはその線的な重力が主音に強く作用し、他方短調では、属音に強い作用が現れるという事が言われています。

 これは、長調でのメロディーは、主音で収まった方が自然に感じ、短調の場合では主音に収まるメロディーだと卑近過ぎる様に感じてしまうという事でもあるのです。だからと行ってこれを遵守したり避けたりしても構わないのですが、調性の特徴という側面でこうした性格が現れやすい物だという事を知っておくのは大いに役立つと思います。

 こうした「重力」が性格として表れ易い傾向にあるのは、長調での主和音というのは、主音〜上中音=長3度であり、上中音〜属音=短3度であるので、これらの長・短三度音程という「不完全協和音程」の2種は、長三度の方が協和的に優位である為、協和性の強い方へ音が靡くからであります。


 これを短三和音にて鑑みれば、短調の主和音の構造となると主音〜短調上中音=短3度、短調上中音〜属音=長3度となる為、長三度の方が協和的に優位になる為に属音側へ靡こうとする、という物であります。

 こうした重力・因果関係はその後時代を経乍らTonnetzにも適用され、フーゴー・リーマンのネオ・リーマン理論にも適用される事になって行く訳でもあります。

 ですので、「短旋法」系統というのは少なくともエオリアン、ドリアン、フリジアンが視野に入る訳ですが、これらの短旋法の内のどれか一つという風にモードを確定せずとも、これらのモードの第5音が強調される世界観に於て、それは主音を類推する事が出来るのであれば、第5音の音の五度下に調性の根音たる地位を見出せば良いのではないか!? と思われるかもしれません。

 斯様にして類推すれば、H音を第5音と想定すればE音を見出す事が出来るのですから「Em」という調性を与えて良いと思われるかもしれませんが、しかし先のベース・リフのフレーズは、「バス」という低音声部たる動きをする必要があり、根音を類推するというだけの旋律であるならば、それはバスの役割とは異なる動きとなってしまう訳です。

 つまり、ベース・リフがこの様な動きをしているのであれば、類推し得る音に根拠を得るのではなく、強い音価、つまり強拍で長く採られる音価、或いは中心音として振舞う音こそが重要であるのです。


 この様に考えると、H音とG音の2音が中心音として収まりが良い方へ都度座る位置を変えている様な状況が先のベース・リフである訳で、中心音として考えるとその根音的な根拠は「G音」に見る事が出来るという分析から、私はコードに「G69」を充てているのであります。決して同義音程和音である(=構成音そのものは同じ)「Em7(11)」ではないのです。

 ベース・リフだけが延々鳴らされている状況ならば、このフレーズでのコードは「G69」一発というワン・コードであっても差し支えは無いのですが、「装飾的」に施される和音が実際には状況を変えて来ます。つまり、「G69」一発という風にはどうしても見れなくなってしまうのです。

 実は今回のデモをYouTubeにアップする以前に、今回附与した「装飾的」な和音の無いベース・リフとベース・ソロだけのサンプルを用意していた私の狙いとする理由は、ベース・リフから和音を強固に類推して欲しいが故の事であるので「G69」一発としてしかコードを充てていなかったのです。

 ただ、その前回アップしていた3小節目のベース・リフにて、私はfis音と表記すべき処をf音と譜例上にて臨時記号を与えずに表記していたミスを見付けたので、この際、装飾的な和音を施して新たに作る機会を得て、一挙にこれまでのプロセスや意図を語ろうと企図した為、こういう説明になっている訳であります。

 それでは、ヴィクター・ベイリーのソロ・アプローチを分析する事にしますが、特に声高に語っておきたい箇所は、譜例の弱起小節を除いた1〜2小節であります。殊更1小節目4拍目からのアプローチが特徴的だと思われます。

 このアプローチはGリディアンを装いつつも実は [d - cis - c - h] というダブル・クロマティック(※連結がダブル・クロマティック以上の音程であろうともダブル・クロマティックと呼ぶのが通例)を基にして形成されています。

 では、この箇所にて [c] という音を忍ばせる意味はというと、茲でC音が使われたからと言って決してそれはGリディアンからGアイオニアンにモード・チェンジしたと考えてしまってはいけない物です。

 このC音というのはH音の為の下行導音の役割が最も大きなウェイトを示しているものの、この突如現れるモード外の音こそが、これらのフレーズを俯瞰した時の「三全音の一部」という風に想起してもらいたい訳です。


 「C音」を三全音の一部と想起した場合に得られるもう一つの「三全音」たる音は [fis] です。つまりF♯音の示唆を三全音での導音として使うのであるならばそれはF♯音から見た上行・下行いずれの方向に半音で隔たれた音脈に「吸着」する因果を得る為に存在するのでありましょうが、基はGリディアンという音組織に備わる [cis - g] こそがこの音組織の真の三全音である為、「偽の三全音」というのは教科書通りの「導音」としての使い方とは異なり基の音組織に対して「粉飾」的に用いるだけで充分なものであります。

 加えてその「粉飾」という意味は、導音たる後続音への連結を重視した物ではなくあくまでも点描的に音響の色彩として不協和な音を単発的に加えるという意図で充分なのであり、この副次的な「偽の三全音」に対しては更に中心軸システムによる関係を視野に入れて音脈を広げる事を企図する物なのです。

 そうして「偽の三全音」である [c - fis] を第一次中心軸の極点として見立てた場合、同時に第二次中心軸の極点として [es - a] という、もう一つの偽の三全音を想起する事が可能になる訳です。


「真の三全音」という物での音組織に「ツーファイヴ」進行、つまり下方五度進行であるならばそれは「Ⅱ - Ⅴ」でなくとも構わないのであります。

 即ち、G音から下方五度進行という明確な進行が暗々裡に備わるとするならば、そこには「G → C」という進行感を得る事で、その進行の過程に依ってGの世界でのオルタード・テンションを纏い乍らのそれが先のダブル・クロマティックとして表れていて、Cに帰着しようという進行感を用いている状況となります。

 その上で譜例に表わされる「Em7(on A)」の箇所では非常に明確にC音を奏している事で、これらのフレージングが事実上「G→C」の下方五度進行を示してはいても、そこに別の脈絡から生じた「偽の三全音」という音脈を用いる事に依って本体「G→C」の進行感から生ずるフレージングに揺さぶりをかけて粉飾しているのであります。

 ですから「G→C」の流れからCに対して長二度上位に位置する [d] は、Cからみた9th音としても見る事ができますが、これはC音に帰着する為の「倚行音」として見る事が出来ます。倚音という風にも呼ばれますが、実際には茲での倚行音および倚音という名称は精確な物ではありません。

 というのも、実際にはソロ・アプローチが「G→C」という下方五度進行内でのオルタード・テンションを伴わせたアプローチという物が仮想的状態であり、和声的背景の実態は「G69」であるので、先の倚行音 [d] と呼んだ音は実際には和音構成音である為和音外音ではないのです。

 然し乍ら、この和音状況にて、ソロ・アプローチだけが独立独歩として「G→C」という和声的進行の勾配を動的に作り出している為、まるで倚行音の様に振舞って「C音」に帰着しようとしているフレーズとして表れている訳です。

 その倚行音 [d] に対して、予備的な装飾として下行導音として脈絡の遠い [es] を態々使うのは、中心軸 [c - fis]に対する二次対極 [es -a] という音脈であるからです。


 茲での仮想的アプローチ「下方五度進行」のそれにピンと来ない方が居られるかもしれませんが、例えばハ長調の調域にあるGミクソリディアンをGのブルース・メジャーとして「G一発」の状況を考えたとしましょう。

 背景のコードはGのワン・コードであるにせよ、その際フレージングとしては、A→D→Gという五度進行を内在させたりしても何ら構わないのであります。実態はGのワン・コードに過ぎないのですが。

 そのワン・コード状態をG13と捉えるのであれば、ツー・ファイブ・ワンを水平的に使うのではなく垂直的に使っている事と同様になる訳ですね。但し、ワン・コードのシーンにて常に13thコードを用いて奏するのは馬鹿げているので、G7をトニック的に振舞わせつつ、適当に下方五度進行を挟み込んだりしてフレーズの「自然」なメリハリを付けようとしたりする物です。

 こうした状況を置き換えてみた時、「G69」というコードに対してひとりコード進行として揺さぶりをかけているのが先のベース・ソロという事があらためてお判りいただけるかと思います。

 喩えるならば、ハ長調の調域に於て「G7-> C」というコード進行があったとします。この調域の三全音は [h - f] であるのですが、この調域に対して「揺さぶり」をかける為に他の調域の三全音を粉飾的に用いようと企図するシーンにて、偽の三全音である [c -fis] を持って来たという状況の様な物です。

 G7というコードにて、粉飾的な音脈 [c - fis] は嘸し使い勝手が悪い事でありましょう。なにせ後続和音の根音を先取りしてしまうとG7上では本位十一度音というアヴォイドが生じ、況してや [fis] を奏すれば属七の根音と半音で衝突するという埒外となる音なのですからアヴェイラブル・スケールを想起してアプローチするのであるならば、いずれもが避けた方が無難である事は間違いない音であります。

 否、寧ろ大半のケースは無難というより「避けるべし」とする音脈である事でありましょう。[fis] が [ges] という解釈ならばまだ使うシーンはあるとは雖も、今茲で実質的には同じ音である異名同音の是非を語るのは瑣末な例外を押し付ける事になりかねないのであまり大きな意味を持ちません。

 然し乍ら、そうした埒外とも謂える [c - fis] を中心軸システムの第一次極点と見做した上で拡大解釈として第二次極点である [es - a] を引っ張り出すと、途端に埒外と近親性の高い音脈の方が使い勝手が良くなる音脈として可能性を一気に拡大する訳であります。

 この様なアプローチというのは、或る音に対して「上行 or 下行導音」という装飾を纏わせるのではなく、もっとダイナミックに包括的に半音違いの調域の三全音の近親性を因果関係にして基の音組織に揺さぶりをかけている、という事を理解してもらいたいのであります。過去にも私が、KYLYNの「I'll Be There」のブリッジ部のコード進行に於いて三全音を明示したのは、こういうアプローチの事実への配慮でもあった訳です。


 扨て、今回YouTubeにアップしたデモは、キーボード・パート(DX)に粉飾的に施される前後の脈絡が稀薄なコードを附与しているので、原曲のそれと同様のデモと成っているのでありますが、原曲同様に採譜した処で音響的・和声的な意味でも少々稀薄な感じの和声感である為、後はアンサンブルを俯瞰した上で和声の解釈を類推しなくてはならないという前提での解釈としております。

 2小節目の「Em7(on A) -> Em(on G)」という連結に於て《そこ迄明示する必要があるのか!?》 と疑問を抱く方もおられるかもしれません。併しこの部分は、ベースの推移に依って和声感が変化している為、この様な解釈でコードを充てているのであります。

  亦、3小節目で注意してもらいたいのが「F♯m7(on B)」というコードです。率直に言えば、このコードを能々分析すれば「Ⅲm7 (on Ⅵ)」というF♯フリジアン由来を示唆するモードであるという事がヴィクター・ベイリーのアプローチからお判りになる事でしょう。

 つまりG音が現れている事で、先行する調性感の「余薫」がこのG音を忘却させない為の重要な音として選択するからこそ、ここではフリジアンが強固に使われる訳です。

 加えて、仮にコードを「A6(on B)」のタイプとして見做そうとした場合、6th音の後続音として相応しくない(=6th音からの限定上行進行に相当する音が無い)、且つ6thコードであり乍らもベースは三全音違いのオン・コードという特殊な状況である事を踏まえて、「F♯m7(on B)」を「A6(on B)」とするのは不適切で、その後続の和音「F6(on B)」も、B音を根音とすると捉えた場合、導七に短九を与える特異なコードとなる為にこの様に表記しているのであります。

 これらの和音嵌当を見ても、コード進行としては脈絡の稀薄なコードで色彩を附与している状況である事である事が判り、そこで旋法的な世界観としての牽引力を保っているのは、ベース・リフとベース・ソロが醸し出す和音外音の音脈である事があらためて浮き彫りになる訳です。

 加えて、「F6 (on B)」はハ長調域での副和音であるにせよ、茲では平行短調(=Am)での「♭Ⅵ」たる音度と解釈するのが適切であり、後続のG69もイ短調域での「♭Ⅶ」と解釈すべきですが、この4小節を経過した時のG69はあらためてGリディアンへとモード・チェンジする事が肝要となる訳です。